Chapter23 屋上庭園の決闘(二)
全身をゆるがす衝撃。 耕下の額の上で火花が散った。 あと0.05秒遅かったら、刀剣の先端は耕下の額の皮膚と肉を、薄手のハムでも切るように破り、あと0.1秒遅かったら、耕下の頭蓋骨を切り割り、前頭葉に達して、その時点であらゆる抵抗力を奪っていたろう。 撃鉄を起こすより速く、とっさに左手で銃の先を持つと同時に、グリップを握ったままの右手も上げて、けんすいをするように、銃身を横にして、額の上にもっていったのは、単に本能のなせる技だった。 刀身の中ほどが恐ろしい勢いで銃身と激突し、白昼でもそれとわかる細かい火花が散った。衝撃で、耕下の身体は、全身がコンクリートの床面にめりこんでしまうかと思われるほどに押しつけられる。銃身もすっぱり切られてしまうのではないかと思ったほどだ。男はそのまま上からのしかかるように刀を押しつけてくる。すさまじい腕力に耕下は押しまくられる。 目の前数センチのところに、しみひとつなく光り、幅が広く身が厚い、長い刀の刃があった。ちょっとでも手をゆるめたら最後、頭をスイカのように割られる。 1メートル近い刀身は、全体が凶器であるという、言わずもがなの殺気をひけらかす。触れただけで、肉や骨はレーザーで切られるよりもあざやかに斬られるだろう。耕下が気をゆるめたり、タイミングを誤れば、たちどころに耳や鼻が吹っ飛び、肉も骨もスライスされる。 男は両手で空を握りしめ、男の手から数センチ離れたところに浮いている刃を、耕下が死に物狂いで受け止めているという、はたから見れば超現実的な眺めなのだが、もちろん耕下にはそんなことを思いやる余裕はない。刀は確かにこの使い手の黒服がしっかりと握っている。柄が見えないだけなのだ。 男の力は強い。日本刀を使い慣れている、かなりの使い手の強さだった。 耕下は必死でこらえる。 男はかさにかかって押してくる。 男の顔がすぐ前にあった。ウエーブのかかった長髪が無造作に額にかかっている。眉間にはタテのしわが小さく刻まれているが、表情は変わっていない。漆黒のサングラスの奥の目は、射抜くようにこちらの目を覗き込んでいることだろう。 「ピースメーカーのシビリアンとは、ずいぶん時代がかった銃を使っているじゃないか、警部補」男は口の端をゆがめ、低い声であざけるように言った。 耕下も両手に力をこめ、必死で押し返そうとしながら、くいしばった歯の隙間から言い返す。 「いまの世の中に、日本刀を振り回して、チャンバラごっこをやるほど時代がかっちゃいないぜ」 男はさっと刀を退いた。 耕下は思わずまえにつんのめる。 そこへ、男は右から、斜めに刀を薙いで、耕下の首と顔面を襲った。 「わあっ!」 と悲鳴のような声をあげながら、そのままの体勢で、銃身を、風を切って飛んでくる刀のほうに向ける。 ギャリーン! 再び衝撃と火花。 どうにか受け止めた。 男は刀が受け止められたと見るや、さっと刀身を銃身から離し、こんどは左側から耕下の首めがけて薙いできた。 「わっ!」 再び悲鳴とも掛け声ともつかない叫びとともに、銃身を横に、刀の前に突き出して防ぐ。 耕下の全身が衝撃でゆさぶられる。 男は、この耕下の防御も予期していたかのように、刀を退くと、今度は最初と同じ、正面から上段に耕下の頭を狙ってきた。 「あうっ!」 またも悲鳴のような叫び声をあげ、どうにか頭上で刀を受け止めた。 短い銃を両手でささげ持ち、おかしな声を発しながら、慣れない踊りを必死で舞う、ぶざまな舞踊初心者のようなありさまなのだが、耕下の死に物狂いの防戦は功を奏し、日本刀は耕下をかすりもしない。 じつを言えば、最初の一撃のあとで、男が左右そして正面から刀をくり出してくるであろうことは予想できた。一撃が受け止められた時点で、男は、耕下が簡単にはかたずかないと認め、攻撃法を変えたのだ。 右へ左へ、そして上へと刀をくり出すのは誘いだった。 次の手が本気で耕下を仕留めようとしてくる。 それはおろらく突きだ。 と、耕下は予想した。 これまでになく鋭い必殺の一撃だろうが、そのときこちらにも反撃のチャンスがうかがえるはずだ。 またしても二人は、刀と銃でがっちりと絡み合った。 男の筋力の強靭さが、刀の先から銃を伝い、耕下の両手に伝わってくる。 耕下も足を踏ん張り、重量挙げの要領で刀を押し返そうとする。 いきなり男は、刀ごと体を退いて後ろへ飛び退いた。 つっかい棒をはずされたように、耕下はどうっと前につんのめる。 そのとき、男はさがると見せかけて逆に踏み込んできたのだ。 「とうっ!」 と、耕下の胸の真ん中めがけ、刀の切先を突き出してきた。 予期したとおりだった。耕下にも備えはできていた。 一歩踏み出し、つんのめりかけたところで、その足を思い切り蹴り、自ら後ろへ飛び退いた。 同時に切先が胸をかすめる。刀は耕下まで届いてはいないが、耕下は弾き飛ばされたように床面に、逆転ぎみに背中から転がった。二回転、三回転、ごろごろ転がっても、目標を見失わないよう注意し、男の居る方角へめぼしをつけていた。 男がさらに二、三歩踏み出してこなければ剣先が届かない位置まで転がったのち、はずみを利用して起き上がりざまに、右手のピースメーカーを男のほうに向ける。まだ引き金を引き絞ったままだった。と、同時に、左手の手のひらで撃鉄を激しく連打した。西部開拓時代のアメリカで見られた連射のテクニック『ファ二ング』だった。シリンダーの回転と激発がほぼ同時になされ、機関銃なみの速さで銃弾が発射できる。 バババッ! 超小型のガトリング砲と化したピースメーカーはうなりをあげ、 閃光が男をなぎ倒すべく尾を引いた。 バチッ! ヒューン! と、石が砕ける音がし、屋上庭園の通路にあたるコンクリート面に火花が散った。 銃弾は、しかし男をとらえてはいなかった。 銃口の煙とコンクリートの塵が一時的に舞い上がった先には、男の姿はなかった。 銃を構えなおし、向きなおる。 男の姿は耕下の目の前から消えていた。 「君も暇つぶし程度には相手になってくれるじゃないか、警部補。」 視界の右上から声がした。 男は一段高いところから耕下を見下ろしていた。 屋上庭園の中央を走る、幅広の長い芝生の帯の上、コンクリートの通路より1メートルくらい高く設けられた花壇のようなところに、影のような黒服の男はいた。 芝生の上をぶらぶら散歩でもしている途中のような、なにげない様子で、左手をだらりとたらし、右手を軽く上げているが、その拳の先にはあいかわらず、日本刀の刃のみが浮いている。汗まみれで息を切らしている耕下とは対照的に、すべからく他人事のような余裕だ。 男は、上空を吹くゆるやかな風に、豊かな長めの髪をなびかせると、顔見知りにでも近づくような調子で、ひょいと芝生から下り、耕下と向かい合った。 耕下は思わず身構え、右手を上げると、親指で撃鉄を起こしつつ、銃口を男の顔に向けた。男は、それが見えなかったかのように、一歩踏み出し、耕下に近づこうとする。 耕下は男を見すえ、銃を構えなおす。 「ムダだよ、警部補。さっき、銃声に続いて空のシリンダーを叩く音が聞こえた。もう弾はないはずだ。」 男はさらに一歩近づく。 耕下は引き金を引いた。 カチッ! 撃鉄が落ちて、空の薬きょうを叩く、なんともむなしい音がした。男の言ったとおりだった。エレベーターで3発、さっきの連射で3発。弾を入れ替えているひまはなかった。耕下の銃はいまや役立たずの鉄のおもりでしかなかった。 「ほらな」 男は表情を変えないながらも、口の端をゆがめ、得意そうに、右手とその先の刀を上げる。耕下は破れかぶれに腹が立ってきた。 「ちくしょう、くそやろう!」 いきなり右手を振り上げると、男の顔めがけ銃を勢いよく投げつけた。 くるくる回りながら、それでもかなりの勢いで、男に向かって飛んでいった銃は、男がひょいと右手を動かしただけで、日本刀の背で簡単にはたき落とされ、カランと音をたてて、コンクリートの通路に死んだカラスのようにころがった。 耕下にはまったく武器はなくなった。 そして、浮いている日本刀は男の手の延長のように一体化している。 男はまっすぐに伸ばした右手を、ついと肩の高さまで上げた。手とその先の刀が、水平線のように一直線になる。 そのまま耕下に向かって一歩踏み出した。 同時に、耕下の足は、連動しているように一歩さがる。 さらに一歩踏み出す。耕下もまた一歩さがる。 回を繰り返すごとにこの動作がすこしづつ速くなる。 後ろが見えない耕下は、ぎこちなくよろめきだし、芝生花壇に沿ってコンクリートの通路を尻餅をつきそうになるまで後退し続けたあげく、こらえきれずに言った。 「ま、待て、話し合おうじゃないか、あんたとは、そのう、わかり合えそうな気がするんだ。話し合って、妥協点を見いだしたほうが、こうやっていがみ合っているよりも、お互いの人生にプラスになるんじゃ……」 我ながら情けない、意味のないたわごとを言っているとわかっていたが、もはや言うべきことも打つ手も思いつかない。しかし軽口もユーモアも通じる相手でもなさそうだった。 男は全く聞こえていないように、さらに近づいてくる。 口もとはゆがんで、にやついているように見えるが、サングラスの奥の目は笑ってはいまい。据物切りにのぞむ達人のように、それなりに真剣になっているはずだ。耕下はあせっていた。絶体絶命のピンチはどうあがいても、いかんともしがたかった。 「君たちの、いや君の目的はなんだね、何が欲しい、何をしてもらいたいのか、金以外のことなら相談にのらないでもないぞ、ガールフレンドが欲しいのなら、俺がたまにいくクラブのナンバーワンの女の子を紹介してもいい、そうだ、酒が飲みたいのなら、俺のボトルを空けてしまってもいい、話し相手が欲しいのなら、俺がなってやらないでもない、ただし、これだけは言っておくが……」 耕下の土壇場の軽口は何の時間稼ぎにもなっていなかった。どうにか気をそらせて、すきをうかがおうとしていたが、すきなどあるわけがなかった。 男は、それまで水平に構えていた刀をすっと右下に下ろすと、切先を地面すれすれまでに下げた。するとそれは地表をすべるように、するすると耕下に向かいはじめた。 下段。 あそこから一気に振り上げ、耕下の腹から肩まで一直線に切り上げる気だ。 「うわああぁぁぁぁぁ……!」 耕下はいささか恐慌をきたし、足がもつれそうになりながら後退する。 男は踏み込みざまに切り上げようと、すこしだけ姿勢を低くする。 その瞬間、耕下は、わっと悲鳴をあげてよろけた。 右足が何かにひっかかったのだ。 右手にも何かがさわった。 男は気勢をそがれて一瞬動きを止めた。 ワラにもすがる思いの耕下は、右手にさわったものをひっつかみ、襲いかかる刀をすこしでも防ぐようにと、やみくもに男にむけた。 さすがにワラよりは太かったが、それでもせいぜいゴボウ程度の太さの棒状のものだった。 これがほんとうにゴボウだったりしたら、男のさらなる失笑を誘い、とびきりの情けなさが冥土の土産になるところだったのだが、幸いにもそうではなかった。 目の前に持っていって男に向けて、はじめてわかったのだが、それは意外に長い(1メートル以上)の細い棒だった。 真っ白に塗られ、先端には普通のスコップの三分の一程度の大きさの、先のとがった(金属製らしい)ヘラがついていた。この芝生花壇を手入れするための特注スコップらしい。 天の配剤だ! 耕下の顔が輝いた。 あわてて左手を右手の下にそえると、小さなスコップを、日本刀を持つようにささげ持ち、しっかりと男へ向けなおした。 おそらくヘラの部分は金属製のはずだ。とんがった先端はなけなしの武器程度にはなるだろう。「おやおや、話し合うんじゃなかたのかい、警部補」 「もちろんだとも。これでいくらか対等の話し合いができるってもんだ。さあ、何でも聞いてやるぞ」男の余裕はあいかわらずだったが、ほんの少しばかり警戒の色がうかんでいる。もはや下段からひと息に切りかかってこようとはしていない。様子でもうかがうように、右側に、ぶれるように動いて体をずらした。 耕下はスコップを中段に構えたまま、スコップの先と、全身をぴたりと男に向ける。 男は今度は、左側へずれる。 耕下も体ごとスコップを男の胸へ向ける。 「なるほど、思ったとおり、すこしはできるようだな、警部補。だがな、青眼は守りの構えだ。俺に言わせれば実用的じゃないね」 言い終わる前に、長髪の男は下段から刀を振り上げた。 鋭すぎて、風を切る音も聞こえない。 速過ぎて、刀身も見えない。 グワン! という音がして、耕下はどうにか重い日本刀をスコップの柄で受け止めた。 ピストルで受け止めたさっきよりはましだったような気もするが、それでも手のしびれが一瞬で全身のすみずみまでいきわたるほどの衝撃。あいかわらずのどえらい力だ。 耕下に体勢を立て直すひまをあたえず、男はスコップから日本刀を離すと、今度は返す刀で、耕下の右肩めがけて振り下ろした。 耕下はとっさに手首を回し、逆手でスコップを逆さにして、刀を止めた。 スコップの柄と幅広の刃が組み合い、ガキッ!とうなりをあげる。 スコップの白い塗りがはげ、下から光る金属がのぞいた。スコップの柄が木製だったら、スコップもろとも耕下も真っ二つになっていたところだ。このスコップを使っていた、気の利いたホテルおかかえ庭師に感謝の念がわいてくる。 ピースメーカーで立ち向かったさいぜんと同じように、またしても二人は顔を間近に見合わせた。耕下の、歯をくいしばった必死の形相が、男のサングラスの左右のレンズに写る。今度は耕下もコツをのみこんでいた。男も勝負を長引かせたくないと思ったようだ。 二人は同時に飛び退いた。と、同時に踏み込む。 耕下はスコップを中段のまま、槍を突き刺すように突き出し、男の胸を狙った。 男は下段から振り上げ、スコップをはらいのける。 男の力がまさった。 男は、重い太刀を常時振り回していた戦国時代の武将のように力強かった。 耕下はスコップをはらわれ、スコップとともに横へよろけた。 そこをすかさず、ガラあきになった胸をめがけ、日本刀の刀が水平に薙いだ。 耕下の胸をひゅんと風がなぜた。 体勢を立て直し、スコップを再び男に向けた耕下は、目の前を布の切れ端がひらひら舞って落ちてゆくのを見た。 日本刀の刃は、耕下のスーツの襟とネクタイとシャツを、裁断したようにきれいに裂いていた。 「なんてことをするんだ!このネクタイは一番高かったんだぞ!」 言ってみたものの、初めて日本刀による脅威をその身に受けた耕下は、さすがにひるんだ。順光の下でも全体が長い影そのもののように見える長身の男は、一瞬を見逃さない。両手首をくるりと返し、その先に続く刀身を横に寝かせ、地面と平行にさせると、肩の高さから、耕下ののどをめがけて突いてきた。 「きえぃ!」 耕下は後ろへ飛び退きざまに、スコップで日本刀の切先を振り払う。 ギャィン! と音がして、切先がわずかにそれたが、一瞬目標をそらしただけにすぎない。 男はすぐさまもとの構えにもどり、 「とうっ!」 と、刀をくり出す。 切先は、目標をロックして離さないミサイルのように耕下ののどに迫る。 またも振り払いながら飛び退く。 が、後方に下げた片足が何かにぶつかり、それに足をとられて、どうっと仰向けに、後ろへ倒れこんでしまった。 芝生花壇のへりにぶつかり、床面より一段高く、ベッドのような高さになっている、芝生の上に背中から落ちたのだ。 芝生とは違った感触の、ツタのように毛足の長い乾いたクッションの上に全身が沈んで、耕下の視界には、都会の冬の空がいっぱいに広がった。と、そこに、刃を胸元に槍のように構えたサングラスの男が現れ、耕下に覆いかぶさってきた。 耕下はとっさに横に転がって刃先をよける。 ズッ! と、音がして、刃先が、耕下の背中があった芝生に深くめり込んだ。 耕下がスコップの先で、男の頭を狙うひまもあたえず、男は刀を芝生から引き抜きざまに、耕下の胸に刺しかかる。 耕下はまたしても転がって難を避け、さらにぐるぐる転がって、できるだけ離れたところから、スコップをはじけるバネのようにくり出し、襲い来る敵に殴りかかった。 カーン! 振り上げるスコップと振り下ろす日本刀が組み合った。 またしても男との命がけのにらめっこだ。 男はあいかわらず無表情だ。呼吸をひと息さえ乱していない。 男のほうが、力がはるかに強いうえに、上からその全体重をかけて押しつけてくるのだから、たまらない。たちまち耕下の頬に、巨大なカミソリの刃が迫ってきた。頭蓋骨をCTスキャンもどきに輪切りにされそうだった。男は耕下に覆いかぶさり、覆いつくそうとする死神だった。なおも全体重をかけ、細い金属のスコップなど真っ二つにしようとしてくる。 いまや男の全神経は、日本刀とそれを持つ両手に集中している。 つまり両側はがら空きだった。 耕下はいきなり、右ひざを上げ、男のわき腹を蹴り上げた。膝蹴りだ。 「うっ!」 思いがけない攻撃に、男はうめき、日本刀にこめられた力がゆるんだ。対戦して初めて、いささかなりとも耕下の攻撃が功を奏したことになる。耕下は勇気づけられた。こいつとて超人ではない。剣術はうまいが、ただの人間だ。攻勢に出られるチャンスはある。そして、今がそのときだ。 耕下は、右ひざにありったけの力をこめ、同じ場所を蹴り上げた。と、同時にスコップに全力をこめて日本刀を押し返し、はずみで起き上がる。 男はさっと退き、下段に構えなおした。 わき腹を蹴り上げられた痛みにではなく、レベルの違う相手に、油断から、一本とられたという屈辱と怒りから、眉間のしわがいっそう深くなったようだ。 「楽しませてくれるじゃないか、警部補。今のは何だ、K1とやらかね。ノラ犬剣法ってやつだな」やはり怒りのためか、浅黒い顔にいくらか赤みがさしているようだ。 「こっちは刀じゃないんだから、いろいろハンディをつけてもらわないとな」 相手のいらだちに、耕下は勢いづいた。この機を逃さず攻めたてろ… 「どああああぁぁぁぁっ!」 と大上段にスコップを振りかざすと、 「めーん!」 男の額に向かって振り下ろす。 男は下段から振り上げ、頭上でなんなく受け止める。 カィーン! 今度は耕下もいちいちひるまない。再び振り上げ振り下ろす。 「めん!めん!」 男は受け止める。 またも振り上げ、振り下ろす。これをまるでカナヅチでクギを叩くように何度も繰り返していく。 「やあ!やあ!やあ!やあ!やあ!……」 男は受け止める。 カン!カン!カン!カン!カン!…… いいかげん打ち込んだところで、さらに振り下ろすと見せかけ、横から薙ぐ。 男はこれも当然のことのように予期していたらしく、型が決まっている京劇の殺陣のように、お約束然と受け止めた。と、耕下は一歩下がって上段に構え直した。スコップを回して、ヘラの部分を縦にし、先端とヘラの側面が刃と同じ効果を出し、敵の頭を縦に叩き割れるようにする。男もそれにあわせて一歩下がると、剣を八双に構え直した。 二人とも間合いからはずれたところで向かい合う。 そろそろ勝負をつけるときだ。 お互いにここから踏み込んで、こんど間合いに入ったときが、決着のときだ。 依然として耕下に勝ち目はないが、もう時間稼ぎも限界だろう。いちかばちか賭けるしかない。相手もそれを察したらしく、口もとに歪んだ笑みがもどる。 耕下は大きく息を吸い込むと、だっと踏み出し、スコップで斬りかかった。 「どりゃあぁぁ!」 真っ二つになれと、男の脳天に振り下ろす。 ビュンッ! と、音がして、スコップは空気を切り裂き、勢いあまって床のコンクリートに激突した。 ガキーン! ヘラの先端がコンクリートを砕き、火花が散った。砕けたコンクリートが、細かい塵となって煙のように舞い上がった。 手ごたえはなかった。 コンクリートの煙がさっと流れ去ったとき、男の姿のそこにはなかった。 素早くスコップを持ち直し、腹の高さに斜めに構えると、腰を低くして身構える。 奴は耕下の渾身の一撃をかわした。次は奴のほうが必殺の一太刀を耕下に浴びせる番だ。 おそらくは側面を突いてくる。 しかし、おかしなことに、今、男の姿は耕下の視界には全く存在しなかった。 油断なくあたりに目配せし、首を小さく素早くめぐらして後方もうかがう。 気配すらなかった。 あの長身の黒ずくめの男はかき消すように消えていた。 妙だ。 飛んだか、飛んでスコップをかわしたか。 どこへ行った。屋上からは逃げ場がないはずだ。 眼前には広い空と、かすかに霞む近隣のビル群、そして足もとには、どこかSF的な空中庭園が長々と続いているだけだ。帯状に伸びる芝生花壇にはなんの動きもみとめられない。 逃げるはずはない、奴は、自分より弱いと認める相手から逃げたりはすまい。 コンクリートの床に這いつくばって気配を殺しているのか。姿勢を低くして芝生花壇の陰にうずくまり、機会をうかがっているのかもしれない。 耕下は、身構えたまま、芝生花壇にそってコンクリートの通路を進みはじめた。 庭園の中ほど、長方形のビルの屋上の真ん中へんで、芝生花壇の帯はいったん途切れて広場となり、その中央に一段高い円形の噴水があって、そこで一呼吸おくようにして、再び芝生花壇の帯が延々と伸びている。王宮の前にあるような典雅な庭園だ。 慎重に芝生花壇の途切れているところをうかがったが、その陰に男はうずくまってはいなかった。 噴水の陰か… まわりを御影石らしい、きれいに研磨された石で囲まれた噴水は、芝生よりもだいぶ高くなっているので、身をひそめるには格好の場所だった。 油断なく腰を低くした体勢の視線からは、噴水の中は見えないが、水のゆらめきが、御影石のふちに反射している。今は空に向かって水は吹き出てはいず、水の音も聞こえず、池のようになっている。 耕下は前方に神経を集中させて、円形の噴水の周りを回りはじめた。 ひとめぐりしても男の姿はなかった。 耕下はひょうし抜けして上体を起こした。 奴め、完全に消えてしまった。 気づかないうちに、最初に上ってきた階段か、エレベーターで逃げてしまったのか。 ちらりとエレベーター室のほうを振り返る。 しかし、あのエレベーター室へは、耕下の目を避けては到達できないはずだが… いきなり、みししっと足音のような音が、右手の上のほうから聞こえたと思うと、 「とうっ!」 という掛け声とともに、黒い影が前方の中空に飛び出た。 噴水の中から空中に飛び上がったのだ。 そのまま耕下に向かって刀を振り下ろしながら、落下してくる。 男は噴水の中に、姿勢を低くして身を潜めていたのだ。 噴水は、その池のふちが人間の胸ほどの高さであるために、ふちの底の水面にへばりついていれば外からは見えない。 耕下は知らなかったが、庭園の中央にある、噴水と思い込んでいたものは噴水ではなかった。噴水の池に見せかけた太陽電池だったのだ。 水がたまっているべきところには、青い、何枚もの集光板がきれいに埋め込まれ、光を反射すると、ちょっと見には水に見える。つまり、厚い氷の張った水面のように、楽々とその上を歩くことができたのだ。 スコップで、振りかかる太刀を払いながら、かろうじて身をかわした。 男は着地するやいなや、 全く無駄のない流れるような動きで、下段から二の太刀をくり出してきた。 耕下は中段で防ごうとする。 男は読んでいた。そして男の勢いがまさった。 振り上げた太刀はスコップの柄と激突したが、男はそのまま太刀を滑らせ、スコップのヘラの部分に引っ掛けると、勢いよく上へと放り投げた。 スコップは耕下の手からもぎ取られ、高々と屋上の中空に舞い上がると、前にそれが置かれていたあたりの芝生へどすんと落ちた。 気がつくと、男の右手の先に浮かんだ日本刀の刃の先が、耕下ののどに突きつけられていた。1センチも離れているのだろうか。ひと突きでのどを貫通できる距離にあるのはまちがいない。 男は呼吸も乱れていなければ、勝ち誇ってもいなかった。剣客に特有の落ち着き払ったままの静かな態度。 今の耕下には、男がことさら威厳に満ちて見えた。長身を包む黒いスーツは死神のようで、繊細に見える胸元の白いシャツは、しかし、墓石の表面を思わせた。広い肩幅は吸血鬼のようでもあるが、邪悪なものに特有の、卑屈さや暗さはない。していることに迷いも疑いもなく、誰はばかることなく堂々としている。つまり遠慮なく斬ろうとしているのだ。 口を引き結んだ、金属的な浅黒い顔の非情さを、波打つ長髪がいくらかやわらげてはいるが、顔を横切る濃い色のサングラスは、その下の目の表情を映し出し、なんとも冷徹な輝きを放っている。 「青眼が基本姿勢とは、一刀流かね、警部補?」 男は刀をのどもとに突きつけたまま、親しげともとれる口ぶりで話しかけたが、 耕下はさすがに、もはや答える気力も、軽口で応対する余力すらなく、茫然と男を見つめていた。「おもしろかったが、いつまでもつきあっているわけにはいかない。こう見えても忙しくてね、警部補。あんたには何の遺恨もないが、生かしておいては邪魔な存在になりそうだからな。悪く思うな」 男はさっと刀を退き、下段に構えなおした。 耕下のあばら骨と、その中の腸と心臓もひっくるめて、真っ二つに切り上げるためのスタンバイの位置だった。 「その前にひとつだけ聞かせろ」 耕下はうつろな目で男をにらみながら言った。 「何だ」 男は口だけ動かして機械的に答える。 「お前は何者で、何をしようとしているんだ」 と、言いかけて、やめた。 この男は目的以外のことは口にするまい。 死んでいく人間にさえ、べらべらしゃべるようなことはしないはずだ。それに、死ぬのであれば、知ったところで無駄なことだ。 「そのかっこいいサングラスはどこで売ってるんだい?」 男は口の端をゆがめ、笑いのようなものを浮かべると、両手に力を込めた。 男の全神経が空中を握った両手に集中するのがわかる。 その先に浮かぶ長い刃に殺気がみなぎるのもわかった。 男の足がだっとコンクリートの床を蹴り、耕下めがけて切りかかった。 耕下は反射的に首をすくめ、目をつぶった。 |
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