Chapter26 公園の乱(一)
「半次っ!半次!早くこいつをはずしてくれっ!」 黒服の男は逆さづりのまま両手をばたつかせてわめいた。男のほとんど全身は車の中に逆さになっており、足首だけがサンルーフから車の屋根の上へ突き出ていた。車の運転席以外の座席は取り払われて荷台となっていたが、後部からサンルーフの光の中にぬっと現れたつなぎ服の若者は、床に落ちた男のサングラスを拾いあげつつにやにやしながらこのありさまを眺めた。 「カッコつけ屋のゾウさんが、見事に逆さづりか。めったに見られない見ものですね。尾っぽを縛られて吊るされてるシャケみたいですよ」 「何言ってやがる!見せ物じゃない、早いとこはずすんだ!」 「わかりました。ちょっと待って下さい」 若者は言いながら男の上半身を抱きかかえて起こしにかかった。 「でも、なかなかいいジャンプでしたよ。練習したかいがあったじゃないですか。ポーズが乱れないのがよかったね、まっすぐ落ちるコツだ。飛型点56ってところかな」 「半次、お前も一度で言いからバンジーをやってみろ、二度とそんなへらず口はきけなくなる」 「暴れないで下さいよ、今はずしますから」 耕下はまたしても気づくのが遅かった。ロープがあったのだ。飛び込み台となった鉄板の端から真下の男の足に向かって細いロープが長く伸びていた。男は耕下が馬子に気をとられているうちに、フェンスの下に置かれていたロープのフックに、自分の足首に巻かれていたベルトを連結させ、飛び込み板の端まで歩いて飛び降りた。ロープは飛び込み板の端の下方にあらかじめ巻かれて収縮され設置されていた。すべては周到に計画されていたのだ。 耕下は、見た目にまんまと一杯食わされてコケにされる自分の人の良さを呪った。長官を大胆に襲撃するような不敵な奴が、しおらしく自殺などするわけがなかった。男は、命がけではあったが、バンジージャンプをしただけのことだった。それにしてもなんというロープだ。こんな細さで、バンジー用ロープなみのバネが仕込まれていて、たいへんな重量に耐える強度があるとは。 「ロープもそうだが、もっと特殊なのは、連結部分のバネの役目をする部分だな。あらゆる衝撃を吸収して横揺れしない。」 若者に抱きかかえられて立ち上がった男は、ジャケットの乱れを直しながら言った。 「これも公表してない技術のひとつってやつですか?」 若者はサングラスを男に手渡しつつ問いかける。 「そうだろう、我々が使っている刀の柄と鞘を巻いている布と同じだな。前に試した俺の強化ジャケットもそうだ。」 「基本は繊維の技術なんでしょうね、さすがはもと繊維メーカーだよ。」 「感心してないで次の技術も試すぞ、ロープに仕込んだ火薬ってやつを」 「ゾウさん、あわてることはないでしょう、上の刑事さんはそんなに早く降りてはこられませんよ。」 「いや、急いだほうがいい。上にいたとき、ヘリが飛んでいるのを見た。あれはおそらく警部補の仲間だ、ぐずぐずしてると降りてくるぞ」 「なるほど、そいつはいけねえ。油断できないな」 若者は言いながら黄色いつなぎ服を脱ぎ捨て、トレーナーとジーンズ、スニーカーといった身軽な格好になった。 「燃やせ!」 ゾウさんと呼ばれた、浅黒い金属的な顔の黒服の男の合図を待つまでもなく、半次と呼ばれた、色白の、軽く縮れた髪をブロンズ色に染めた若者は、着古したジーンズのポケットからマッチを一本取り出すと、車のサイドウインドーのガラスにこすりつけ、シュバッと燃え上がらせると同時に、垂れ下がっている細いロープに近づけた。 爆発的な勢いで火がついた。ロープの端についた火は一瞬のうちに上へ上へと燃え上がり、ホテルの壁面を駆け上がっていく竜のような、一本の火の柱となり、のぞき込む耕下の目をくらませたかと思うと、これまた一瞬で白い一条の煙となってかき消えた。ロープはたちまち影も形もなくなった。 「今のは何です?!何が起こったんだ?!」 パイロットも目をしばたかせながら言った。 「ロープを燃やしたのさ。特殊製法でできた特殊なロープに違いない。新兵器もどきの新製品だったんだろう。奴ら、足がつくような証拠は残さないつもりなんだ。思ったとおり容易ならぬ相手かもしれない。奴らは脱出法をちゃんと考えていた。警部補では手に余るかもしれないと思ってはいたが、ここで見ていて正解だった。 さあ、今度はこっちの番だぞ!あのバンを捕まえるんだ!」 二人乗りの小さなヘリは、大きく旋回しつつ、獲物を見つけたカワセミのように、白いバンをめがけ、ビルの谷間へ急降下をはじめた。 「まさか取り付けたばかりのガンを使うつもりでは?」 パイロットは叫びがちに言う。 「かもな!いつでも撃てる用意はしておけ!」 捜査官も鋭く答えた。 ウエーブのかかった長髪の男と、ブロンズ色の縮れた髪の、ピアスをした若者は、荷台から運転席に滑り込むやいなや、エンジンをスタートさせた。ハンドルを握るのは若者のほうだ。 「いくぞ、半次!」 「どっちへ?」 「公園だ!」 男は、あたりの様子をうかがいもせず即座に答えた。 「了解!」 若者は返事と同時にアクセルを床まで踏み込む。バンは車体を震わせもせずいきなりダッシュした。バンの前に置かれていた赤いコーンや工事中のプレートを紙切れのようにはじき飛ばし、猛然と歩道を爆走する。 歩道を歩いて合同庁舎方面へ向かおうとしていた若い下っ端団体職員と、係長クラスの官僚とそれに従う二人の部下、そして定年で外郭会社へ出向間近の銀行員は、自分たちに向かって突進してくる大型のバンに気づいても、どうすることもできなかった。逃げることも歩みを止めることさえ忘れて、迫るバンを見ていた。 暴走する太った闘牛のようなバンは、しかし、歩道を歩いていただけの人畜無害な歩行者のオヤジたちを卑劣に撥ねる直前で、急ハンドルを切り、歩道から強引に、車の群れが大河のように流れる国道へと飛び出し、その流れを真っ二つに断ち切るように横切って、対岸ともいうべき向かい側の歩道めがけて、広い道路を渡りだした。 国道の一番端の車線を走っていたベンツは、神がかり的な早さでブレーキをきかせ、タイヤの性能の良さを見事に実証して、いきなり横から飛び出してきて直前を横切ったバンをかわし、新車が中古のバンごときに傷ものにされるのを防いだ。そのとなりの車線を走っていたコンビニの商品運搬車はそうはいかなかった。急ブレーキが間に合わず、バンの横腹に鼻づらを激突させ、中にぎっしり詰め込んでいた賞味期限が三日以内の食料品類を、交じり合うくらいのゴチャゴチャのゴミの山にしたあげく、仕上げに、後ろから来たライトバンにバンパーがへこむ程度に追突された。激突された、張本人たちを乗せた白いバンはそのとき一瞬よろめいたが、運転していた、細いサングラスをかけた若者は落ち着いたハンドルさばきで、たちまち体勢を立て直し、さらに国道横断を続ける。 コンビ二車の横を走ってきた黒塗りの重役用セダンも、ブレーキが間に合わず、白いバンをこづいたが、バンは車体の側面をあちこちへこませながらも動じず、なおも国道の流れに逆らって横断していく。 対向車線からは、この、いきなり巻き起こったクラッシュ騒動が少し距離をおいて眺められたが、それがたちまち自分たちのほうへ近づいてきて自分たちが巻き込まれる事態になっても、大丈夫というくらいの準備ができるほどの余裕は持ち得なかった。重役用セダンの車線と接する対向車線を、高速で走ってきた、音楽プロデューサーが運転する銀色のスポーツカーは、やはり、傷だらけのバンの側面が強引に正面に出現したとき、ブレーキが間に合うはずがなかった。向かってくる銀色のスポーツカーを見とめた白いバンは、威嚇するようにその鼻先をスポーツカーに向け、わざと自らのバンパーをスポーツカーのフェンダーに激突させた。スポーツカーのエアバッグが膨らみ、音楽プロデューサーはシートに押し付けられる寸前に、自分に一べつをくれてすぐに無視した、バンの運転席の二人の男の姿を間近に見た。 細いサングラスの、茶髪の若者が運転し、同じような細いサングラスをかけた長髪の男を助手席に乗せた白いバンはたちまち、止まってしまったスポーツカーから車体をかわし、国道横断の残りの行程をこなす作業にもどった。 ありとあらゆる種類の車の急ブレーキの音と、クラクションの音、それにあちこちで起こる小規模な追突音が渾然一体となって、ホテル前の国道はすさまじいばかりの騒音であふれかえった。 さいぜんから、公園の門の前にしゃがんで、男がホテルの屋上からバンに向かってジャンプする一部始終を漫然と眺めていたホームレスは、そのバンが今度は、何台かの車と激突しながらも、どうにか国道を横断し、自分のほうへ向かってくるのも漫然と眺めていた。なんとこの車は公園の中へ入ってくる気なのだ。公園は広いとはいえ、サーキット場ではない。にもかかわらず、この白いバンはどうしても公園内を散策したいらしい。少なくともここに漫然としゃがんでいないほうがよさそうだ。 耕下は、車がオモチャのように見えるはるかな屋上から、白いバンが公園内に入ろうとしているのを、歯ぎしりしながら見ていた。このままでは長官襲撃犯とその仲間はまんまと逃げおおせてしまいそうだ。 そのとき彼の目の前を、頭をかすめるようにして、胴体を白黒灰色のアーバン迷彩に塗り、巨大な金魚バチのような風防をつけたスマートなヘリコプターが国道に向かって落下していった。トンボの目玉のようにも見える風防の中に、二人の人間が乗っているのが見えた。たぶんひとりは辺田捜査官だろう。そしてそのヘリの下腹の部分には、黒い二つの筒が頼もしくくくり付けられているのが見とめられた。 白いバンは悠然と車の流れに逆らい、我がもの顔に突っ切って国道を横断しようとしていた。公園に接する車線の車は、さすがに早めに騒ぎに気づいて、早々とブレーキを踏んで止まっていたために、もはやバンをさえぎるものはない。ここでバンは一気にアクセルを踏み込んでダッシュし、公園前の歩道に一気に乗り上げた。公園の入り口は古びた門柱以外何もなく、見るからに開放的に広々と市民に向かって開け放たれている。しかしそれはあくまで市民に対してであって車に対してではない。この都会にささやかに残された緑地は、緑地減少の元凶ともいうべきガソリン文明に対して敵意を抱いてはいないが、程度をわきまえろと、明らかにその成り立ちで諭そうとしていた。すなわち門柱の間にある車止めである。太いチューブ状の車止めが、地表を這う何匹もの大型シャクトリムシのように二列にわたって突き出て、侵入を企む車両に無言の圧力を加えていた。いかな強者のバンとはいえ、車輪でこれを乗り越えることはさすがに至難の業だった。 そんなことは百も承知だとばかり車止めに激突する寸前で、バンは急ハンドルを切り、ほぼ直角に曲がると、さきほどホームレスがいた門柱の方へ鼻先を向け(ここ一番というときには、ひときわ敏捷な動きを見せるくだんのホームレスは、とっくに安全な場所へと引き下がっていた)たかと思う間もなく、再びハンドルを戻し、門柱と車止めのわずかなすき間へと割り込んだ。 門柱にわき腹をいやというほどこすり、前輪の片方を車止めにぶっつけ、ホイルカバーを飛ばしながらも、車止めにダメージを与え、ついにすり抜けると、さらに進んで門柱の奥にあった公園管理事務所に激突しそうになりながらも、ハンドルを切り、車の横腹と後尾で管理事務所の建物をゴリゴリ削りながらそこもすり抜け、ついに園内の正面の通りへと侵入した。 国道の騒ぎが後方へ押しやられる。 「さてと、とりあえず公園には入ったけど、これからどうするんだっけ、ゾウさん?」 運転していた若者は他人事のようにきいた。いかなる場合でも、切羽詰った現実感を現さないというのは、この若者の特徴らしい。 「そうだな、とりあえずまっすぐ進んで、音楽堂の方へ回り込もう。」 長髪の黒服『ゾウさん』も超然と答える。心にひとつ期することがあるため、それ以外のいかなることでも瑣末な雑事だとでも言いたげな、妙にさめた客観的なところがある。 「予定だと、このまま公園内を縦断して、堀側の出口で車を乗り捨てて、てくてく歩いて桜田門の駅から悠悠おさらばするはずだったんだが、すこしばかり予定が変わると思ったほうがいい」 「屋上の刑事さんの連絡で、桜田門の方々がこの公園の周りを捕り方で囲んじゃいませんかね。方々の本丸からだと歩いても五分もかからない距離ですよ。」 「そんなに機敏な組織じゃあるまい。よしんば警部補がどうにか本庁に連絡できて、捜査一課や刑事課が奇跡的なフットワークを発揮したとしても、半信半疑の二、三人がここまでやってくるのに十分以上はかかるだろう。今俺たちが注意しなきゃならんのは上の奴だ…」 いきなり大きな衝撃があり、バンは前のめりに大きく揺れ、『ゾウさん』の言葉は消え入った。 再び頭上からバシン!と叩くような大きな音が聞こえると同時に、バンは大きく震え、中の二人はなすすべもなく揺さぶられた。 たちまちバタバタというローターの音が耳をろうするほどに大きくなり、バンの周りで土ぼこりがもうもうと舞い上がり、あたりの木々の枝が強い風を受けて大きくしなう。 「なんと、言ってるそばからもうお出ましのようですよ。むこうさんも手が早いって感じだね。どうやら問答無用でやる気満々だ」 茶髪の『半次』はハンドルにしがみついて、上をうかがいながら叫んだが、さらなる衝撃で舌を噛みそうになる。長髪の『ゾウさん』は顔をしかめながら素早く右手を懐に入れると同時に、左手でパワーウインドーを下げた。 「ほっほう、どうだ恐れ入ったか、交通法規を無視する暴走坊やたち。おしおきだ、もう一丁いくぜ!」 ヘリコプターは機体を左に傾けたかと思うと、すぐに右に傾け、機体下部に虫の足のように突き出ている着陸用スキーの右側で、白いバンのルーフを激しくこづいた。バンは風圧と衝撃で、思わず倒れそうになるくらいにかしぐ。 胴体が白と黒と灰色に塗られたほっそりした小型のヘリコプターは、バンの真上三十センチも離れていないところにいた。公園内に土ぼこりや小さな枝の切れ端を巻き込む小型の台風を起こしながら、真下のバンが身動きできないほどにいたぶりかける。 「屋上からサーカスもどきに飛び降りて国道をブルドーザーもどきに蹴散らして、まんまと逃げおおせるつもりなんだろうが、こちとらは何から何までお見通しってわけさ。空から見てれば地上の奴らはどれもアリンコ同様だ。どこまで逃げようとも逃げ切れるもんじゃない。空から攻めればどんな悪党だって、ほっほう!たとえ戦艦大和だっても、ご覧の通りイチコロなんだぜ!」 パイロットは小型のヘリを、馬を駆るように自在にあやつり、調子に乗っていた。 「どうです、捜査官!ちょっとしたもんでしょう。こうなりゃ、本格的にヘリコプター警察ってのをつくってもらいたいもんですね」 「ああ、よくわかったとも。内閣府に進言しておくよ。ところで奴らに話しかけたいんだ。スピーカーの用意はいいかね?」 「そのマイクのスイッチを押しながらしゃべればOKです。いっそ屋根をぶち破って、聞こえを良くしてやろうかな」 パイロットは機体を交互に傾けながら、得意になって左右のスキーでかわるがわるバンの屋根を激しく叩きだした。 「もういい、やたらと挑発しなくていい。それより油断しないようにするんだ… 『バンにのっている二人、すみやかに…』」 捜査官の声がスピーカーを通して響きわたると同時に、負けじとばかり乾いた短い破裂音が二度沸き起こった。 「うあ!うああああぁぁぁぁぁ…」 パイロットは突然声にならない、発情した雄鶏のようなうわずった叫び声をあげると、ヘリコプターは揺れながらその場からいきなり急上昇した。たちまちバンは遠ざかり、急激に重力を受けた捜査官は、狭いシートに押しつけられ、全身が沈み込む。 「何だ!?どうしたんだ!?」 「あ、あ、あいつら撃ってきやがった!銃を持ってるぞ!しかも性能のいいやつだ!」 「SPから奪ったやつだろう、ワルサーだな!」 「なんてことを、なんてことをしやがるんだ!俺の、俺の新品のヘリを傷ものにしやがった…」 「君のヘリではない。正確には…とりあえず国の所有物だ」 「見てくださいよ、あんなにピカピカにしておいたのに、二回しか乗ってないのに、このザマだ…」さっきの威勢はどこへやら、情けない泣き声になる。確かに、風防のパイロット側の下のほうに、クモの巣がへばりついたような大きなひびが二つ見える。 「そんなことでいちいちひるむな!もう一回降下しろ!奴らに逃げられてしまうぞ!」 「ひるみますよ!これは戦闘用の武装ヘリじゃない。偵察用の軽い薄っぺらなもんだ。装甲だって申し訳程度なんです。まともに弾を食らったらやられますよ!」 「こちらもやり返してやるまでさ。そのための装備があるじゃないか、薄い装甲を補って余りある装備が。」 「応援を呼んだほうがいい…」 「だめだね。時間がかかるし、奴らは我々の応援が到着するまでのんびり待ってはくれまい。即座に事態に対応し処理できるというのが、私の部署のいいところだ。小回りの利くところがね。そのために新設されたんだ。私は早いとこ、この部署の結果を出して、内閣官房の期待に答えたいのさ。」 |
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