Chapter28 襲撃の儀


 舞網署は、その周りをテレビ中継車が傍若無人にすき間なく取り囲み、一見して、敵軍に包囲されて落城寸前の小さな城塞のように見えた。
 署の前庭といわず駐車場といわず道路といわず付近の民家の戸口といわず、所かまわずケーブルを這わせるやら照明を光らせるやら大声で秒読みするやら。そしてマシンガンのようなカメラ、バズーカのようなカメラ、水鉄砲のようなカメラ、毛虫のようなマイク、大根のようなマイク、肩たたきのようなマイク、加えてバーゲンセール並みの数と種類の収録機材やら中継機材やら衛星機材やらがひしめき合う。情報という、人を惑わすだけの、せつな的でグロテスクな、誰も責任を持たない、亡霊のようにはかないものを餌とする道具たちは、どれも同じように美学のカケラも見受けられない。それにかかわる人間たちもまた同じだ。それら、うねってこんがらがった機材の間を、記者やらレポーターやらがもつれるようにうごめき、舞網署前の空間は、一種ロックコンサート会場のような狂騒を呈していた。
 長官襲撃犯が舞網署員に逮捕され、ここに連行されてきたというので、天誅団事件のときに倍する、師団規模のマスコミ群がつめかけていたのだ。この連中は、何のへんてつも変化もない、ただの署の建物を背景にしてレポートをすることに、どえらい意味合いを見いだしているらしい。とにもかくにもターゲットに向かって殺到してくる、報道を標榜する人種は、新しい御輿を探して意味なくうろつく群集だった。
 「長官の容態は危篤と伝えられています。長官と長官を警護していたSPは、日本刀らしい凶器による傷を受けていたとされています。ということは、以前この舞網署管轄内で起こった殺人事件と共通するところがあります。天誅団と名乗る犯人が、日本刀と思われる凶器で、凶悪な殺人犯を斬殺したあの事件の犯人と同じなのでしょうか。今回の犯人は、ウケを狙ったメッセージは残してはいないとのことですが…」
 「犯人の一人は、長身・長髪で、日本刀らしい凶器と、SPから奪ったピストルを持ち、公園から逃走したと言われています。付近の皆さん、長身長髪で、日本刀とピストルを両手に持った男が公園内を歩いているのを見かけたら、刺激しないように冷静な行動を…」
 「こちらには、犯人は装甲車に乗って公園内を暴走し、これを軍用のヘリコプターがミサイル攻撃したもようだと伝えられています。軍用のヘリコプターがどこのメーカーのものかは明らかにされていません。公園管理事務所では、軍用ヘリコプターに樹木用の薬剤散布を頼んだ覚えはないと…」
 署を背景にしたレポーターたちは声をふりしぼり、事件用のとっておき深刻顔でわめきたてる。
 なんとも迷惑な騒々しさだわいと閉口しながらも、舞網署署長は密かに、署が脚光を浴びるのは誇らしいことだと思っていた。
 都会の片隅の、小悪党ばかりを相手にしていた小さな所轄署が、いつのまにか、これほど大きなニュースになるほどの事件を手がけていたとは。久々の人的被害〜緑馬子巡査長の名誉の負傷〜にも納得させられるほどの大事件だった。やはり署長直々の記者会見もセッティングしたほうがいいだろう。
 しかしひるがえって、かんじんの事件の解明となると荷が重かった。予想外にウラのありそうなヤマ、もはや耕下警部補一人では手に余るだろう。新しく捜査本部を設置して、専任を選び、天誅団事件と連動して…
 しかし、これでは、こんな事件に発展したとなれば、どのみち、近いうちに…
 まあ、それはそれとして、この集まったマスコミ連中を相手に屋台でも出せば、テキヤたちも驚くほどの稼ぎになるかもしれない、などと思ったりもした。
 「犯人はホテルの屋上から逃走したといわれます。30階からの逃走が可能なのでしょうか。これについてハリウッドのワイヤーアクションの専門家は、映画であれば可能だと…」
 「こちらに長官のいたホテルの模型を作ってみました。ここが長官のいた部屋。犯人の動きを模型で検証してみましょう。あっ、模型が壊れてしまいました…」
 「舞網署では、天誅団事件との関連も含め、慎重に捜査を進めるといっています。こちら舞網署の取調室では、犯人のひとりに対する厳しい追及が行われています…」
 舞網署ではその厳しい追及は行われていなかった。
 舞網署で粛々と行われていたのは、通常の業務と、ありがちなこまごました事件・事故の処理だけだった。
 そんな騒がしい、混雑しがちなところで重要参考人の取調べが行われるわけがない。混雑にまぎれて犯人の仲間が乗り込んでこないともかぎらない。いつもマスコミは、自分たちの勝手な思い込みで動き、自分たちにつごうのいい独自の世界観を創りあげているのだ。

 湾岸で、空気も心地よい舞網署を遠く離れた、都心よりのごみごみした下町の、ごたごたした大通りに面した市籠署の地下に、耕下と若者はいた。
 ハエのような記者たちのわずらわしい取材攻勢を逃れるため、また、押し寄せがちな外部からの騒音を避けるため、しばしば取調べが所轄外の署で行われるのは、舞網署の全員が、公言することはないが了解し、本庁も認めている常識的なことだった。
 市籠署は舞網署よりひとまわり大きく、一階は、ひったてられた容疑者や、訴え出てきた市民や、それらの関係者や、その相手となった連中など、そろって仏頂面であくたれる連中に、とにかく言うことをきかせようと努力している警官たちらでごったがえし、四六時中出入りがひんぱんだ。
 三階には、主計局長斬殺事件の捜査本部も置かれているが、捜査に出ている半分を除いた残りの十人は、壁にかけられた大型液晶テレビの画面に見入っていた。
 そこには地下室の様子が映っている。
 市籠署の地下取調室は、防音と空調が行き届いた最新のものだった。いざとなったらスイッチひとつで、犯人を不快がらせ、いらだたせるくらいの湿度と温度にできるし、空気を希薄にして息苦しくさせ、犯人をどうにも落ち着かない、いたたまれない気分に追いやって、必要以上に雄弁になるよう仕向けることも可能なのだそうだ。しかも壁面に出たり隠れたりしているたくさんのテレビカメラが、表面的な挙動以外のものまで(体温や脈拍数など)細部に至るまで終始監視記録できる。これまでよりも短い時間でスムーズな自供が得られるはずですというのが設計施工メーカーの売り込み文句だった。
 しかしどんな理想的な環境に置かれても、耕下は、刑事の任務の一環である取調べというジャンルが得意にはならなかった。犯人との心理戦では、耕下のほうが負けることがしばしばで、つい、犯人より先にいらだってしまい、係長が、行き過ぎだ、そんなことをしたらマスコミの餌食だぞとわめき出すような行動をとってしまいがちなのだ。
 取調室で、黙秘しますと黙りこくってしまうのはまだ好感の持てるほうだ。会話を楽しみでもするかのようにのらりくらりと言い逃れをする小賢しい奴には、かなりいらいらさせられる。さらに苛立たせられるのは、開き直ってわめきたてる奴だ。耕下はこういう連中の自分本位の理屈ががまんならない。逆切れなどというふざけた行動も許せるものではなかった。
 以前、物取りに忍び込んで、その家の老人を殺害した若い男がいた。その男は捕らえた耕下の厳しい追及に、苦しまぎれに逆襲し、この取調べは越権行為だ、あんたは俺の人権を侵害している、訴えてやるといきまいた。耕下はとっさに、本物の越権行為と人権侵害を教えてやると、男の髪をわしづかみにして、取調べ机に何度もその顔を叩きつけた。少しばかり鼻が折れ、いくらか歯が折れ、同僚が止めに入らなかったら、わずかばかり頭骸骨も折れていたかもしれない。しかし、そんな仕打ちを受けた男は震え上がり、訴えるどころか、何から何まで、他の三件の殺しまで自供したのだ。
 近頃の犯人どもとは、こんなもんだ。人を痛めつけたり、さらには殺したりすることでさえ、いくらでも面白がって、得意になってやってのけるが、ひるがえって自分自身が痛めつけられるのは、ほんの少し、針の先が触れることでさえ耐えられない。ぬるま湯のような社会で、誰にいさめられることもなく、好き放題にやってきたものの特長だった。
 しかし、いま目の前にいる若者は、そんな奴らとは明らかに違っていた。
 「もちろん協力しますとも、刑事さん。話せることは話します。でも話せないこともあります。」
 しゃあしゃあと答える憎たらしい言葉が厭味にならないのが、またしゃくだった。
 この自然な態度はいったい何だ。親しい友人の部屋にでもいるように落ち着いてやがる。おどおどしたそぶりもなく、脅えを押し隠した虚勢もない。敵地の中にいるという緊迫感がまるでない。取調べを受ける容疑者の態度ではなかった。
 
 さて、防音材で囲まれた、天井の照明がやたらと明るい、広めの取調室にいるのは、机ごしに若者と向かい合っている耕下と、隅のイスに腰を下ろし足を組んで、プレゼンを見守る重役さながら豪然と、やや反り返っている辺田特別捜査官と、耕下に近いほうの壁によりかかって腕を組んでいる、市籠署の主計局長殺害捜査本部の谷刑事だった。
 市籠署で、くじいた足や、顔や胸の擦り傷の簡単な手当てをしてもらった若者は、もう気にかかることは何もないとでも言うようにくつろいで、腰をすえてじっくり話そうとでも言うように、耕下だけを真正面から見すえている。右の耳たぶのピアスが妙に印象的に、若さを誇るように輝く。罪の意識などこれっぽっちもないのどかさだ。途中で頭にきて、こいつにつかみかかることはなさそうだが、逆に妙にやりにくそうな相手ではある。
 「中村半次郎だと?」
 「ええ」
 「こいつはまた印象的な名前だな」
 「半次と呼んでくれてもいいですよ」
 「で、相棒は何ていうんだ?」
 「相棒?」
 「ホテルから飛び降りて、お前が受け止めた、あの相棒さ。長官を日本刀で襲って、俺の、別れた女房がプレゼントしてくれた、一本しかないネクタイまで襲ってくれた剣術使いだよ!」
 「ああ、ゾウさんですか」
 「ゾウさん?」
 「通称ゾウさん、ホントは岡田以蔵という名前ですよ。」
 「なるほど、そんな名前を名乗ったということは、お前たちは一連の事件の犯人だと自白したも同じだな。」
 「どうしてです?」
 「犯罪者ってやつは、それがうまくやった犯罪であればあるほど、どこかで自分のやってのけたことを誇りたくなるものだ。幕末の人斬りの名前を名乗るなど、自分たちも半次郎や以蔵なみの剣の達人だと言いたいわけだ。
 天誅団と名乗った首切り犯も、長官やSPを襲った犯人もたいへんな使い手だった。いずれも一刀のもとに仕留めてる。まさに岡田以蔵や中村半次郎の腕前そのままだ。
 ゾウさんってやつは確かにスゴい。この目で見たよ。俺も危うくSPの二の舞だった。」
 「でも、それをかわしたんだから、刑事さんもなかなかですね」
 話はなかなか核心までいきそうにもない。しかし耕下は、できるだけ若者に合わせ、調子に乗らせて話させようとしていた。
 「ということは、半次郎を名乗るお前もかなりの使い手と見たほうがいいんだな。」
 若者は首をかしげて眉を吊り上げる。
 「最初の、幼児殺害犯人の首をはねたのはお前かもしれんな。うちの署の何人かが、鑑識に化けてきた若いのが、お前によく似てると証言している。」
 「似ているだけでしょう。証拠は何もない。指紋でも一致しましたか?」
 もちろん一致していない。指紋など残っていなかった。
 こいつは見すかしたように言う。若僧のくせに、この自信はいったい何だ。耕下には、一芸を極めた者のみが発する自信にも思えた。
 しかし、しょっぱなから気おくれするわけにはいかない。ここはさらにたきつけて、もっと話させる手だ。
 「ま、この天誅団って奴らの犯罪は、要約して言えば、首切りがエスカレートして、要人暗殺にまで発展しただけのものなんだろうな。テロとは、やるほうにしてはクセになるものらしい。中東で人質殺害を繰り返すのと同じだな。たまたま剣道と居合いが得意な奴がいて、さらにそいつは幕末マニアか時代劇ファンだったのさ。はじめの犯行が予想外にウマくいって、足もつかなかったので、目標が意味なくエスカレートしていったってわけだ。」
 警部補、君の見解には異論があるぞ、と辺田捜査官は思っていた。
 単なる愉快犯が、主計局長や長官の動きを詳細かつ正確につかめるわけがない。しかも長官襲撃はきわめて計画的で、脱出ルートまで練り上げられていたのだ。
 しかし、もちろん警部補の尋問法には異議をはさまず、成り行きを見守ることにしていた。
 果たせるかな、警部補の誘いに若者はきっとなった。
 「中東のテロと一緒にするのはどうかと思うな。あの中には宗教を隠れ蓑にした、ただの犯罪者もいるんじゃないですか。人質を残酷に殺したところで何ひとつ変わりはしない。情勢は悪くなるばかりだ。彼らからは究極の目的が感じられない。大儀よりも行き当たりばったりの目先の犯罪的行為にばかりうつつを抜かしている。大きな戦争は、その中に多くの犯罪者も解き放った。
 アウシュビッツや広島だって同じもんだ。殺すことだけを好きでたまらない変態が、戦争の名に隠れてやりたいほうだいやった。権力者はそれを巧みに利用しただけだ。大規模な戦争が起こりそうもない平和な世界になると、変態どもはテロや犯罪という形態をとって、その歪んだ欲望を満足させようとする。彼らは無知無学な貧者どもを洗脳して、手足として使う。自分はひとりいつも安全なところにいながらね。そしてひたすら弱い者のみを痛めつけたり殺したりして、支配者の気分にひたる。
 実体は、いま現在この国でもよくある、小さな子供を誘拐して殺したりする、卑劣なだけの変態と同じですよ。現代社会のどこにでも巣くっている病原菌さ。」
 半次郎と名乗った若者は、ムキになって、ときおり眉間にしわをよせ、いっきにまくしたてた。どこか人好きしそうな、優しそうにも見える目が険しくなり、色白な少年のような顔がいくらか上気する。見れば見るほど普通の若者だが、一時代の学生活動家のようでもある。あちこち破れたトレーナーにジーンズといった、作業中のペンキ屋のような姿だが、破れたトレーナーからのぞく筋肉は引き締まり、バネのようにしなっている。話すたびに大きく揺れるブロンズ色の髪と右耳の金色のピアスが妙に華やかだった。
 こちらの手に乗ってきそうだとみた耕下はすかさずたたみかけた。
 「自分はそうでないと言いたいわけだな。そんな奴らを罰する正義のテロリストだと。だから最初に幼児殺害犯を殺したわけだ。」
 「そんなことは一言も言ってません。刑事さんの問いかけに、俺自身の所見を述べたまでさ。録画してあるディスクをもどして確認してもいいですよ。」
 「けっこうな所見だな。だが勝手なごたくだ。説得力はないね。」
 「べつに刑事さんを説得しようなんて気はありませんよ。」
 「ともかくお前が天誅団と名乗る殺し屋の肩を持とうとしていることはわかった。だがな、お前は今、人質を殺したところで何ひとつ変わらないと言った。いみじくもお前が言ったとおり、凶悪犯を何人か殺したところで何も変わらないんじゃないかね。天誅団という奴らも同じ変態野郎なのさ」
 若者は、さらにムキになると思いきや、にやりとして
 「俺には、天誅団という奴の仕業には、世の中に対するメッセージが含まれているような気がしてしかたがないんですよ」
 「メッセージだと?」
 「そう、緩みきった現代に対するメッセージ。
 現代のある種の若者たちはその緩みを代表している。世界広しといえど、この国の今の若者ほど、勝手な連中はいない。道徳という面から見ても、道徳など存在しないに等しいでしょう。生まれたときからやりたい放題だ。ほとんど個人の理性や自主性まかせで、ほとんど文句を言う人がいない。あらかたの親も教師も責任逃れをして、しっかり指導する者がいない。哲学や思想のない社会の特徴でしょうね。
 大戦後それまでの観念が崩壊し、この国は、根本の哲学や思想がないまま利益追求のみで発展してきた、世界でも稀な例だ。ギネスものの驚異だと思いませんか。
 繁栄は必ず矛盾や腐敗を生む。そんな社会がいったん淀むと、未成熟な若者はとかく怠惰になりがちだ。ある種の若者は努力や競争、責任という言葉から逃避し、人生に目的もなく、ひたすら自分の中に閉じこもり、欲望ばかりを肥大させる。あげく自分より弱い者のみを餌食として狙いだす。社会のためには何もしたことがなく、いつまでたっても自我もなく、あるのは保身という本能だけだ。何をしても誰も何も言わない、怖いものはない。だとすれば際限なく勝手になれる、そして際限なく悪くなれる。この風潮は未来を担う若者だけではない、社会のあらゆる面にカビのように蔓延している。
 そんな怖いものなしの社会に、怖いものを教える。神はいないが死神は確かにいるというメッセージです。殺された凶悪犯の映像に、同種の犯罪者やその予備軍は震え上がったと思いますよ。人に暴力を振るう見返りとして、思ってもみなかった暴力を振るわれる、経験したことのないほど痛い目に遭う、とね。悪事を働く奴らには、目には目をという原始的な法律が一番わかりやすいと思うんですけどね。」
 ぬけぬけと、抗弁する弁護士のように、演説する候補者のように、言ってのける。その口調が妙にあっけらかんとして、どこかひきつけるところのある若者ではある。
 こいつは調子に乗って、得意になって、陳腐な持論を展開している。このまま調子を合わせていけば、労せずしてボロを出すかもしれない。
 「それは警察の仕事であり、検察の仕事だ。犯罪者は、勝手な思い込みで私刑に遭わせるのではなく、法で裁いて刑を科すのが法治国家さ。言うまでもないだろう。」
 「もはや法では間に合わないでしょう。今あるのは、いつの時代の法律ですか。現在の法は犯罪者を守ることにのみ有効に働いてるじゃありませんか。いつの間にか悪党養成システムがしっかりできあがっている。悪党王国になりつつあるんですよ。
 何人も殺さなきゃ死刑にならない、何人殺しても精神鑑定で逃げ切る奴までいる。人ひとり殺しても、何年かタダ飯を食わしてもらって、太って出てくるってわけです。刑務所に入って安定した生活を送りたいと人を殺す奴まで出てくる。今の世の中、そんな腐った奴まで出てくるようになったんです。」
 耕下はさすがにいらだってきた。こうも屁理屈で応酬されては、なかなか話が進みそうにない。
 「もういい、お前の社会に対するご意見はよくわかった。お前が一人前のコメンテーターだということは認めるよ。だから、本名を言ってくれないかね、正確な年齢と住所もな。」
 黙って聞いていた辺田捜査官はここで、どうしてもひとこと聞いておきたいと思ったので、耕下を無視して若者に問いかけた。
 「つまり、とどまるところ、天誅団は反社会を、はっきり言えば反体制をとなえているということなのかな」
 半次郎なる若者は、濃い赤みの混じるブロンズ色の頭をめぐらして、やや後方に腰掛けていた捜査官を見てから、再び耕下に視線を戻し、厚めの唇を動かした。
 「さあ、そこまでおおごとなのかどうなのか、俺にはわかりませんね。俺が天誅団だという証拠はないわけですから、当事者のような話をするわけにはいかないし。俺は、刑事さんのいわゆる御託を言ってるだけですから。
 ただ、推測として言わせてもらえば、ことは体制っていうよりも、個人の自覚に帰結する問題、行き着くところはそれだって気もするけどね。苦痛や苦労を廃して、楽に欲望ばかりを推し進めようとする人間は、変化を恐れるでしょう、のらくらいるのが一番いいとね。社会に対しては逆に臆病になる。臆病が硬直化するとどうなります?卑屈が常態になるんですよ。そうすると、これは淀んできて、腐敗を招きます。腐敗は信念の芽を溶かす。そして備わっていたはずの自律の心根まで溶かしてしまう。続いて意味のない狂乱と錯乱に発展していくわけです。残るは個人の保身のみ。気づかないうちに社会の末期にはびこる病気ですよ。ソドムの町や古代ローマ帝国の末期の例を引くまでもなく、幕末だって同じでしたよ。庶民は自分の責任から逃れ、ええじゃないかに逃げ込んだ。現代は江戸時代より展開が早い。今は幕末のまま百年が過ぎたような状態じゃないですか」
 「なるほど、天誅団がはじめ、メッセージの中で平成幕末と言っていたのは、そういう理屈か」
 耕下は、ようやく合点がいったというようにうなづいた。
 「断っておきますが、これは俺独自の、日ごろから思っている意見ですよ。誰とも関係のない、個人の意見にすぎません。」
 「見事なまでに一方的な屁理屈じゃないか。だがな、言わせてもらえば、お前もその現代社会の一員なんだぞ。おまえ自身が、さっき言った、勝手な若者の一人じゃないのかね。」
 「自分だけは、勝手にならないように努力しているつもりです。」
 壁によりかかって聞いていた、市籠署の主計局長殺害捜査本部の谷刑事が、タイミングをずらすように、半次郎に語りかけた。
 「君は今まで言ったことを、自身信じ込んでいるんだな。それが一つの信念になっているわけだ。」
 若者は少し不満げなようすで市籠署員を仰ぎ見ると、眉間にしわをよせていらだたしそうに言った。
 「そうでもありません。ま、俺流の分析ってやつですよ。」
 谷刑事は半次郎の返答を無視して、なおも語りかける。
 「それは宗教かね?君みたいな若いのの口から、そんな理屈がすらすら出てくるとは、かなり思いつめている感じがするね。日ごろから宗教の信条の一端として吹き込まれてきたんじゃないのかね」
 「いやいや宗教じゃありませんよ。俺は残念ながら、この国の一般的な人々同様に、特定の宗教には深く肩入れしていない。もっともこの国にひとつ代表的な宗教があって、多くの人がそれをよりどころにしてきたら、こんにちのような情況なかったと思いますがね。」
 「どういうことだね?」
 「人は弱いものだ。みんながみんな刑事さんたちのように強くはない。たいていは、よりどころがないと、たちまち恐慌をきたしてしまう。
 この国は確かに物質面では豊かですよ。しかし物質は物質、ただのモノにすぎません。全体から見れば皮相的なものでしかありません。ささえる精神がないと破綻します。物質は全面的に信を置くには足りないものだ。そして物質は信仰のモトたりえない。現在のさまざまな破綻は、精神を軽んじて物質に走った結果です。偉い評論家にあらためて言われるまでもない。
 欧米を、アメリカを見てみるといい。彼の地では、わが国にはるかにまさる悩みと、抱えきれないほどの問題を抱え続けているが、彼らは逃避せず、それをしっかりと受け止め、解決と、明日という未来を信じて前向きに努力してるじゃありませんか。
 これはなぜか?ひとえに宗教的な規範のなせるわざだ。欧米には根本的にキリスト教が根づいている。それは単に信仰というより、より直接的に生活に関わり、さらに深く根づいた日常の行動規範であるがためでしょう。彼らは常に心の奥底に一定の行動規範があるんです。
 理念的に確固たる規範があるから、現実への対応能力も高い。そして迷わない。
 わが国には、これに類する規範がありません。欧米の物質面はまねた。いつでも小器用にまねるのは得意ですよね。が、それが精神面に根ざしているものだとまでは深く考えなかった。表面的な豊かさは達成できたが、はがれやすいメッキでしかなかったということです。」
 見かけによらず、学生活動家のように演説好きな若僧、そして何より自分の信条をひけらかすのが趣味の小僧、とは思ったが、耕下は、その内容にある種の説得力を認めないわけにはいかなかった。
 「そういう考え方は現体制に対する否定とも受け取れるが、そうかね?」
 捜査官は、若者の言葉になんら感ずるところもないという調子で言った。捜査官としては、どうしてもそこへもっていきたいんだろうなと耕下は思ったが、口には出さない。
 「別に否定も肯定もしませんが、よくないってことは確かでしょうね。体制が固定化して動かないおかげで、いまや社会は階級化が進んでますよ。世の中の完全階級化は、これから先の世の中に展望がなくなるということを意味する。つまり人々に希望がなくなるわけです。個人にとって、どんなものでもいい、希望とは必須の栄養でしょう。なければ心を病んでいくはずだ。いくら病んでも自覚しようとしないから治療されず、病は重くなるばかりだ。
 官僚や政治屋は既得権益への欲望、個人は目先のことだけの欲望、欲望が大きな柱として中心にくる社会は、欲望のみで成り立ちがちだ。欲望はさらに醜く膨れ上がり腐敗する。現在の、タガがはずれたような、急激な犯罪の増加は、まさにこの現象を如実に示しているんじゃありませんか。
 こんな社会こそスリム化が必要でしょう。欲でぶよぶよに、必要以上に膨れ上がった世の中のぜい肉をそぎ落とし、ものごとの実体がわかるほどにスリムになる必要がありますよ。時代とは一定の周期で倦み、病むものだ。そうじゃありませんか。
 時代が倦み病んだときは粛清される必要がある。俺は、あなたがたが言う犯人は、時代を粛清しにやってきてるんだと思えてしかたがないんです。」
 いつの間にか若者の独演会になっていた。追求するつもりが半次郎の講演に聞き入っていたというわけだ。
 しかし聞き役となった三人は、この若者が最初から事件の犯人であり、天誅団と名乗る一味の一員であると、この時点で確信していた。もちろん若者は狡猾にも、肝心な証拠となるようなこと、証言につながるようなことは何ひとつ自白してはいないが、このメッセージめいた匂わせ方は間違いない。それにしても、ヌケヌケと余裕のある奴ではある。
 「時代を粛清か。つまりテロということだな。時代≠フ中に凶悪犯も長官も含まれるというわけか」
 捜査官はうめくようにつぶやいた。早いとこ共犯の仲間を捕まえて背後関係を洗わないと、さらに広がりそうな事件ではある。
 「かなり強引なもっていき方だが、けっこうな演説だな。人によっては拍手するやつもいるかもしれん。じゃあ参考までに、ご大層な口上を述べるお前さんに聞くが、お前さん自身は、この倦み病む時代につける薬には何がいいと思っているんだね。それだけ言うんだったら何か考えているんだろう」
 いささかへきえきしながら耕下が聞いた。
 ここで半次郎は肩の力を抜くと、我が意を得たりとにっこりと笑った。いたずら小僧のような、人なつっこく憎めない笑顔になる。
 「ズバリ、武士道ですよ。」
 「ああ?何だって?」
 「武士道。新渡戸稲造先生の著書にあります。」
 「何とまあアナクロな!」
 市籠署の谷刑事が思わずあきれた。
 「仰々しいことを言ってきて、結局はそんな単純な時代劇ドラマに落ち着くのか。ま、剣術使いであるならば言いそうなことではあるがな。」
 耕下もひょうしぬけする。
 若者は眉間に不快そうにシワをよせたが、ひるむ様子はない。
 「武士道とは単なる武家の規律ではありません。人を人たらしめる道徳教育だったんです。」
 「いかにも古すぎはしないかね。それに、それこそ閉塞社会の、つまり封建時代の遺物じゃないか」
 「軍国主義にも利用されやすい、都合のいい思想だ。」
 と、谷刑事も耕下の反論を補う。
 「時代劇ごっことはズレてるよ。現代に侍はいない。いかな武士道もカラ振りに終わる」
 と、言いながらも、耕下は、この連中がやってきたことはまさに時代劇だったと思い返していた。
 川原での斬首、闇討ちの要人暗殺。使われたのは真剣で、使ったのは達人だ。耕下の銃をものともせず、目の前に迫ってきた白刃の脅威がよみがえる。
 こいつらは、この時代に無理やり平然と時代劇を割り込ませてきた。
 何のために?
 「武士道は侍の忠義を説くだけではありません。武士道には時代・民族・国家を問わない普遍性がある。そして何よりも、この国の憲法のように上から押し付けられたものではない。自発的にこの国が創り出してきた規範だ。日本本来の行動規範なんです。
 現代こそ武士道を必要としている。武士道には現代が取り戻すべきものがあるんです。」
 「ふむ、武士道に帰れ、か」
 耕下は、若者の決め台詞に少しばかり自分が動かされたような気がした。
 「君が、その、チンピラ風な若いのにしては、いくぶん礼儀正しく見えるのも、その武士道とやらを信奉しているからかもしれんね。でもやっぱり君も、吹き込まれた思想に凝り固まっているだけだと思うよ。」
 市籠署・谷刑事の、いかにも水を差すような冷静な反論にも、若者は怒りを表すでもなく、予想された反応を受け流すように平然としている。
 「まてよ、その話前に聞いたぞ。見たんだっけ…」
 耕下はすかさず思い当たった。
 「そうだよ、月昭だ。右翼の井上月昭。奴は新興宗教の教祖みたいに、何冊もいいかげんな本を書いて、無理やり構成員やら信者やらに読ませているが、その中の一冊に、同じようなな武士道がらみのことが書かれてあった。そうとも、そして奴はそんなことを俺にも言って聞かせたぞ。
 そういえば月昭のところには、お前に似た茶髪の若いのがひとりいたのを見たな。あいつもサングラスをかけていたんで、お前とは断言できないが。月昭本人も、お前の相棒の岡田以蔵とやらに、年格好は似ていなくもない。どうなんだ?」
 若者は微笑とも困惑ともとれる表情で首をかしげると、虚空を見た。辺田捜査官も谷刑事も思わず身を乗り出して若者を見つめる。
 「図星かもな。長舌に煙に巻かれそうになったが、さて、これからが本番ってわけだ。そこのところからじっくり話してもらおうか。」
 耕下は追い討ちをかけた。
 「そこまでだ、警部補。あとは我々が引き受ける。」
 高気密の地下取調べ室の濃い空気を震わせてりんとした声が響き渡り、周囲の壁に吸い込まれて消えた。あまりにはっきりと高いトーンで聞こえたため、壁のどこかに隠されているスピーカーから聞こえてきたかと、耕下は思わず顔を上げてあたりを見回した。そして市籠署刑事の視線に気づき、背後を振り返った。
 すぐ後ろに三人の男が影のように立っていた。耕下も谷もすっかり若者に気をとられていたために、彼らの後方、壁の隅の小さなドアを開けてネコのように静かに入ってきた連中に気がつかなかった。ひとり辺田捜査官だけがこれを見とめて顔をしかめていたのだ。
 三人ともオーディションをして統一基準で選出されたように、同じように背が高く、見分けがつかないくらい同じような顔つきで、同じように表情がない。黒っぽいコートをユニホームのように着こなしている。耕下は、型にはめられて作り出された、肩をいからせたブロック人形を思い出した。
 目だけが鋭い、ひときわ表情のない男が中央にいて、他の二人は心もち半歩下がって番犬のように控えている。なにやら権力をカサに着る類の人間の雰囲気が漂う。
 「誰だね、どうしてここにいるんだ?」
 耕下は男をにらみ、さらに立ち入りを許した市籠署の一員である谷刑事を非難するように仰いだ。
 「いつの間に…。あなたたちは誰の許しを得てここに入ってきたんだ?」
 たまらず谷刑事が男たちの前に立ちふさがるようにして言った。
 「もちろん、市籠署の署長の了解を得てだよ、巡査部長。」
 簡単に署長という言葉を出されて、しかも自分のことを階級で呼ばれて、谷は相手が自分より格上だということを悟った。
 「その…どなたなんですか?」
 「本庁捜査一課の桐生警部。本庁じゃ一番と言われる腕利きだ。去年の国賊討伐隊事件で、一味を一網打尽にした伝説のキャリアさ。」
 言いながら辺田捜査官が仕方なさそうに立ち上がり、気が進まなそうに桐生警部と向き合った。
 「そうか、桐生組が担当することになったのか。ま、そうだろうな。予想はしていたが、ずいぶん早いな」
 ため息まじりに言う。
 「どういうことです?」
 耕下はすでにピンときてはいたが、仏頂面で捜査官にたずねずにはいられなかった。
 「つまり事件は只今より本庁の管轄になったということだ。」
 黙って下を向いた捜査官に代わって、青白い仮面のような顔の中に目だけが無機的に光る桐生警部が無機的に言った。
 「長官襲撃、主計局長暗殺というのは単なる殺人事件ではない。もはや国家的大事件というほかはない。一所轄の問題ではない。のんきに君たちの捜査の進展を見守ってはいられないのだ。
国民の不安も高まってきているし、国家の不安定材料にもなりかねない。高いレベルでの当然の帰結だよ。」
 「FBIのご登場ってわけか。早く言えばトンビに油揚げってことだね」
 桐生警部は耕下のささやかなあてこすりを完璧に無視した。
 「我々は君たちの重荷をすべて肩代わりしてやるんだ。」
 「べつに恩には着ませんよ」
 「所轄の手に負える事件じゃない。我々にはこの種の事件に対するマニュアルがある。」
 さすがに桐生警部の頭ごなしな言い方が気にさわった辺田捜査官は、耕下の肩を持った。
 「警部補を捜査班に加えないのかね。彼は実際に犯人と渡り合って、犯人をその目で見ているし、事件の全貌に極めて詳しい」
 しかし捜査官のとりなしにも、あたかもそれを無視するような頭ごなしな答えが返ってきた。
 「もちろんそれまでの事件の捜査記録は、舞網署のファイルから本庁へすべて移してもらう。我々は、その手口から、これを討伐隊と同種の事件と見ている。討伐隊のときのやり方で事件の全容解明は十分可能だとふんでいる。
 警部補、君は、君の都合のいいときに本庁まで来て、事件の際立った特徴を一課の者にブリーフィングしてくれればそれでいい。」
 「都合のいいとき…で、いいんですか。そりゃあ、どうでもよくて、アホみたいで、うれしいな」
 「待った、桐生君。君は犯人を甘く見ている。討伐隊のような連中とは違う…」
 食い下がろうとする捜査官を、警部はさりげなく、しかも見事に断ち切った。
 「捜査官、携帯は常に電源を入れるか、充電しておいて下さい。総監と官邸が連絡をとりたがってますよ。どういうことなのか、捜査官から直に逐一説明を受けたいとのことです。桜田門の目と鼻の先で、なんとも気軽にドンパチやってくれましたからね。首都の中心部で、議事堂や官邸に接するところで、断りもなしに大立ち回りをやられたんでは、我々でなくともあきれる。市民を危険にさらすテロもどきのテロ対策とはね。」
 捜査官はしまったと電池切れの携帯をチェックしながら言った。
 「私の、いや対テロ高度対策室の第一義は果断な動きだ。ことが起こってから責任のなすり合いといけにえ探しに執心する警察庁や防衛庁とは全く違った動きが求められているんだ。対策を決断すると同時に実行動に移す。大規模な動きではないが、私個人の裁量でいい。いち早く君たちの動きに筋道をつける役目だってある。素早い決断実行は当然だよ。」
 「素早い独断専行ってことですね。だったら素早く総監と官房長官に言い訳に行ったほうがいい。もうだいぶ遅れてますよ。ご両所ともお怒りだ。」
 捜査官は何か言い返してやろうとしたが、思い直してドアへ急いだ。
 「クビにならないことを祈ってますよ。できたばかりの部署が、人員募集の前に解散になったら、官邸の面目も丸つぶれでしょうからね。」
 警部の手厳しいいやみを背中に受けながら捜査官は取調室を出て行った。
 「辺田捜査官…いつ捜査官になったんだだろう。あの御仁は警官じゃない。知ってるか?元海上保安官だとさ。対テロ高度対策室か…どこが高度だというんだ。いきなりわけのわからん部署ができて、わけのわからん動きをする時代だぜ。
 いずれにしろ素人にかき回されるのはたまらんね。」
 桐生警部は誰にともなくつぶやいたが、二人の部下はにやにやしながらうなずいた。
 「では我々も仕事にかかろう。さて警部補、この犯人を本庁まで連行するが、今の時点で我々に言っておきたいことはあるかね?」
 警部の問いかけに耕下は黙って両手を上げた。言いたいことがあったところでどうにもならない。
どうやら耕下にとって事件は終わったようだった。
 桐生の部下は体格に似合わない敏捷さで動き、半次郎の左右にぴたりと寄り添うと、両側から若者の腕をつかみ、否応なく立ち上がらせた。
 成り行きを他人事のように漫然と見ていた若者は、このときはじめて口を開いた。
 「あの…俺はどちらかというと、こっちの(アゴで耕下を指しながら)刑事さんのほうがいいな。話し易そうだし…」
 「俺たちだって話し易いぜ。お前は今まで以上にしゃべるよ、自分でも驚くくらいにな。お前のような奴のために、楽しいウラ技が用意してあるんだ。」
 桐生によく似た、桐生の二人の部下の、いくらかふくれて、いくらか残忍そうなほうが、半次郎の顔をのぞき込みながら言った。
 「両手を前に出せ」
 半次郎が両手を上げるか上げないかのうちに、カチンと音がして、見るからに妥協の余地のない、メッキされた金属の輪が、両手首にしっかりとはまっていた。
 桐生の先導で二人はそのまま半次郎をひったてる。耕下や谷にあいさつもことわりもなく取調室の出口へと向かう。
 「気をつけたほうがいいですよ」
 耕下は座ったまま振り向きもせず、一行に声をかけた。
 「そいつの相棒は達人だった。そいつも、身のこなしから、只者じゃないと思う」
 桐生はつと立ち止まると、半身だけ振り返った。
 「何の達人だ?日本刀のかね。君の武勇伝は聞いたよ。日本刀をうまくかわしたんだそうだな。だがな、警部補、言わせてもらえば、銃を持っていながら日本刀ごときに手を焼くとは、ずいぶん手抜かりじゃないのかね。現代に日本刀を振り回すなど、どう見ても時代錯誤のただの狂人でしかない奴を相手にしたにしては」
 「刀を持ってなきゃ、ただのイカレ小僧さ」
 小太りのほうの桐生の部下が言い、部下二人は声をあげて笑った。
 「心配するな警部補、この二人はオリンピックに出たこともある射撃の手練だ。私も彼らほどじゃないが、君よりは確実に上手だよ。」
 一行は耕下と谷刑事を残し、取調室を出ていった。
 「オリンピックの的は動かないし、反撃もしないからな」
 という耕下のつぶやきは一行には聞かれなかった。
 ドアの外にもう二人桐生の部下がいて、一行が出ると同時に若者の後方にぴたりとついた。半次郎は四方を一課の猛者に囲まれて、地上へのエレベーターへとひったてられていった。
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