Chapter3 現場検証異変


  (一ヶ月前)

 「ここへ連れてきたんだな」
 男はやっとうなずいた。
 「どうやって連れてきたんだ」
 男はさらに途方にくれたように刑事を見る。
 「つまり、抱いて連れてきたのか、おぶって連れてきたのかと聞いてるんだ」
 「…こうやって…」
 男はのろのろとしぐさでしめす。
 「そうか、抱きかかえるようにして運んできたわけだな」
 男は刑事の問いに、しばらく呆然と前を見ていたが、やがて思い出したようにうなづいた。
 「そのとき誰にも見られなかったのか」
 男は問いかけになかなか反応しない。
 「このあたりには他に人はいなかったのか」
 しばらくしてから、男はゆっくりとうなずいた。
 「六回ともか、六回とも誰にも見られた覚えはないんだな」
 男はゆっくりうなずく。
 ここは確かに仕切られた場所だ、と刑事は思った。街中にはともすると、ところどころにこんな虚無な空間がある。通りを一歩は入ると、忽然と広がる、窓のない建物の背中と、放置された資材に囲まれた、社会の隙間にできた落とし穴のような空間。ここでは叫びも誰にも聞こえない。悪党は、こんな空間を嗅覚鋭く見つけ、おのれの欲望の巣として利用するのだ。
 「それからどうした」
 二人の大柄な刑事にはさまれた小男は、ことさら弱々しく、おどおどして見えたが、どこか我を忘れて放心しているようでもあった。
 かつては六人もの子供の悲鳴や苦悶のうめきを吸い込んだ静かな空き地は、今、当事者である犯人と、実況見分する警官たちとでただならぬ騒がしさを呈している。
 「つぎはどうした、抱えて連れてきた女の子をどうした」
 刑事はうながす。
 男は思い出すように立ち尽くしている。
 「それからどうしたって聞いてんだ!さっさと答えろ変態!」
 高いがどすのきいた鋭い声に、刑事も犯人もぎょっとなって前を見た。
 サングラスをかけ、フラッシュのついた大型のカメラを構えた若者だった。略式警帽を後ろ向きにかぶり、胸にでかでかと警視庁とロゴの入ったジャケットを着ている。
 「きっ、きみ!質問は我々の役目だ。君は自分の仕事に専念したまえ!」
 若者はたしなめられても、ひょいと小さく肩をすくめただけで、悪びれたようすもなく、カメラを構えている。
 ひるまない新米に不快感がつのった刑事は、ちょっと離れたところで同じような格好で同じような仕事をしているベテランの鑑識係に言った。
 「林田君、彼をちゃんと指導してやってくれ」
 とばっちりを受けた林田は、あわてて経験不足な若者に近づき、
 「おいおい、よけいなことを言うんじゃないよ。それにもうすこし対象から離れて撮るんだ」
 と刑事たちに聞こえるような声で注意した。
 「すみません」
 若者はじつにあっさりと素直に応じた。
 ときたまこういうわきまえない見習いが出てくるのも現代だが、タテ社会の、寸分でも乱してはならない伝統にのっとって指導してやるのも、現代に生きるタテ社会構成人の務めだ。
 しかし見習いが、
 「あいつ、演技してるんだぜ。」
 と林田に言っているのを聞いて、刑事たちは、さらなる指導の必要性を感じた。
 
 「こっちへ連れてきて…」
 犯人は広場の中央あたりを指差す。
刑事二人は両側から、そこへ行けとうながす。
 「ここへ置いた」
 シャッターが押されフラッシュがまたたく。
 「そのとき子供はまだ生きていたんだな」
 小柄でかなり若く見える、たたずまいは普通人そのものの男は、しばらく間を置いてうなづいた。
 シャッターが立て続けに押され、フラッシュが激しくまたたく。さっきの新米はいらだちをカメラにぶつけるように、むきになって写真をとっているようにも見えた。
 林田のカメラのよりもはるかに大きく強力そうなフラッシュであるのは、精度のいいカメラのしるしか、より鮮明に写る解像度の高いフイルムを使っているせいなのか。
 つつけざまに焚かれるフラッシュはしかし、しだいに犯人を脅えさせ、刑事たちをいらだたせていた。
 「そのまま続けてくれ」
 もう一方から犯人によりそっていた同僚に言い残すと、我慢がならなくなったこの刑事は、つかつかと若者に近づいた。
 「きみ、フラッシュはいいかげんにやめてくれ。そんなにやたらと写真を撮る必要はないだろう。きみはシノヤマかね」
 若者はカメラから目を離すと、刑事に向き直って言った。
 「すみません。現場ははじめてなもんで、興奮してしまって。それにあの野郎の下手な演技を見ているとむかついてきてね」
 「演技だと?」
 「あいつ明らかに、、ちょっと精神異常だってふりをしてますよ。弁護士に吹き込まれたに違いない。心神喪失であれば逃げ切れるってね。実況見分から地道に、おかしいふりをして、印象づけようって作戦さ、わかるでしょう」
 いかにも腹立たしそうに言う。
 「取調べのわれわれが、犯人に対して先入観や偏見を持ってはいかん。われわれの目下の役目は客観的に事実関係をあきらかにすることだ。」
 「事実関係をあきらかにするのが、奴を絞首台に送る助けになりゃいいが、結局のところ、犯行は心神耗弱の状態で行われたってことになって、せいぜい十年がところの短い間、奴に食うものと寝るところの心配を無くしてさしあげるってだけのことになりませんかね、この前のように。」
 「裁くのはわれわれじゃない。それに本当に異常かどうかは、精神鑑定をすればすぐにわかることだ」
 「何でも、精神に異常の疑いありで逃げ切るのは最近の流行ですよ。それに、成功している。」
 「だから、そうさせないために、動かぬ証拠をおさえようと、今現在努力しようとしているんじゃないか。
こんな初歩的なこともわきまえず、現場で感情論を振り回すとは、君は本当に警官か。君のような
新人を入れるとは、本庁もずいぶん物分りがよくなったものだな」
 若者は確かに警官ばなれしていた。話し方だけではない。現場捜査官のユニフォームこそ何年も着続けているようにさりげなく着こなしてはいるが、帽子からのぞく髪は、警官にしては派手すぎる色に、金色と茶色がグラデーションとなった色に染められていて、しかも名のある美容院で仕上げられたように自然で無理のない巻き毛パーマになっている。その上、右の耳たぶにはアクセントのように、リング状の金色の小さいピアスがぶら下がっていた。フランスの警官でもこんな格好はするまい、刑事は思った。ジャマイカかニューヨークの下町の警官ならどうかわからんが。
 「だいいち現場写真の見習いなんて聞いていない」
 「私だって、言われて来ただけですよ」
 若者はむっとしたようすで言った。
 「サングラスってのは本庁の流行なのかな」
 若者はさらにまた、濃い色のサングラスもかけていた。明らかにデザイナーズブランドとおぼしき、シャープでしゃれたデザインの、細身の高級品。表情を隠すようでもあり、それ自体が表情のようでもある。
 「フラッシュですよ、フラッシュ。まぶしいですからね」
 と言ってから、すぐに打ち解けた口調で言った。
 「いや失礼しました。生意気なことを言ったのを謝ります。さっきも言ったとおり現場は初めてでして、この雰囲気に呑まれました。」
 若者の妙にさっぱりした態度は、どこか人をひきつけるところがあった。
 「あいつを、ホシを見ていて、あの悪びれもしない、良心の呵責のかけらもないような態度が頭に
きましてね。あいつはここで六人もの子供の首を絞めて殺したんですよ、ただの変質者の欲のためにね。
 子供を殺された親のことを思うとたまらない。なのにあいつは他人事のように現場検証に参加しているんです。」
 「いちいち感情移入していては、しっかりした仕事はできないだろう。」
 「わかりました。仕事にもどります。」
 若い見習いは身をひるがえして、犯人の動きにカメラを構えた。
 被害者に見立てられた子供のダミーが広場の真ん中にぽつんと横たえられている。今しも犯行の再現が行われようとしていた。
 ダミーとわかっていても、それが生々しく思い出させたせいか、間近で何人もの警官が見守っているせいか、犯人は落ち着かなくうろたえた。
 「さあ、」
 刑事が容赦なくうながす。
 「どうした、さっさとやってみろ変態」
 茶髪の若者がカメラを構えたまま、聞こえるような聞こえないような声で言い、刑事にまたしてもきっとにらみつけられる。
 犯人は観念したように、しぶしぶダミーに馬乗りになると、その細い首に両手を回す。
 フラッシュがバッ、バッとたかれる。
 ダミーとはいえ、仰向けに寝ている小さな人形の上に男がのしかかって首を絞めているさまは、なんともグロテスクでおぞましかった。
 「そして手に力を込めていったわけだな。やってみろ」
 犯人は手を放した。額に薄く汗が浮かんでいる。
 「続けるんだ。何秒ぐらい締め続けた?」
 バッ、バッと断続的に幻惑するようにフラッシュがきらめく。
 「無理にとは言わんが、これが終わらないと帰れないぞ」
 刑事にうながされ、犯人はまたもダミーの首に手をやり、力を入れ始めた。
 バッ、バッとたかれるフラッシュがなんともうるさい。聞こえるか聞こえないかの若者のささやきがまじる。
 「うれしいだろう、クソ変態め、お前にとっちゃ最高なんだろう、ウジムシ野郎」
 「君、静かにしたまえ。」
 刑事のたしなめる声がフラッシュにかき消されそうだ。犯人はシャッターとフラッシュにあおられるように首を絞め続ける。
 「おっ、こいつめ、そうきやがったか、変態」
 フラッシュ。フラッシュ。フラッシュ。
 「静かにしろと言ったろう!」
 「本性を現せ変態、ここにいるみんなにお前のゲスぶりを見せつけろ」
 「写真をやめて、フラッシュをやめるんだ!」
 刑事はついに言った。
 若者は刑事のほうにカメラを向けて、
 「わかりました、やめますとも。この一枚を撮ったらね。」
 フラッシュがたかれた。
 刑事の目をもろにフラッシュが射抜いた。バアアッという大音響とともに、原爆の炸裂でも思わせるような強烈な白色光が満ち溢れ、あたりは何も見えなくなった。
 見えなくなったのはまともにフラッシュを浴びた刑事だけではなかった。そこにいた全員が、強烈な刺戟に身動きもできなくなり、ものの三十秒間も呆然とさせられた。
 ようやく、おおっていた白い幕がにじむように薄れていき、あたりのものが鉛色から原色にもどってきたとき、誰もが目をこすり、頭を振っていた。
 「いったい今のは何だったんだ」
 林田がつぶやく。
 「あいつだよ、あの見習いのフラッシュだ。
おい、君、君のカメラはどうかしてるぞ。目潰しの手りゅう弾じゃあるまいし」
 と言いかけた刑事は、若者の姿が見えないことに気づいた。
 若者だけではない、ダミーをむなしく残して、犯人の姿も消えていた。
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