Chapter33 悠悠閑閑

 
 遅れるのをさかんに心配していた能坂記者だったが、遅れることはなかった。ほぼ時間通りに、他の新聞社やテレビ局の記者たちで構成されている行列にまじって、入館チェックのために並んでいた。
 まず、防弾・防火・耐震がなされた、城の外壁のような、官邸のぐるりを囲む塀の外にある、切符売り場のような窓口が並ぶところで、一人一人、名前と顔写真の入ったカードを本人の顔と照らし合わせてチェックする。カードをセンサーの上を滑らせると、持ち主の身体的特徴や所属する組織が、通常のこの種のものよりはるかに詳しくモニター画面に現れる。続いて、何人かの官邸警備隊員の見守る中、その窓口の並びの端にある入り口へと進み、その狭い通路に入って、壁に据え付けられたモニターディスプレイに、入館者本人が両手をかざし、顔はその上にあるカメラに向ける。
 
 能坂から写し取った指紋を薄い樹脂にして両手のひらに貼り、能坂の顔の目、口、鼻を正確に写し取った樹脂を顔面に貼った、能坂と同じくらいの背丈の男は、容易にこの関門を通過した。このとき男は、ドイツ製らしいロゴの入った金属製の束を抱えていたが、窓口の係官に、「それは官邸内に入るときにチェックされるよ」と指摘されただけだった。男はわかったとうなずいた。
 
 この、能坂になりすました、浅黒い長身・長髪の男のあとに、数人のテレビ記者に続いて、大江戸タイムスの南方記者が並んだ。番記者たちは顔見知りが多かったが、この日の能坂と南方の二人にとって幸いなことに、このとき他社の記者から声をかけられることはなかった。
 南方記者と親しい記者がいたら、今日の彼はいつもと印象が少し違うと、かつらでもかぶっているかのように、少し頭が大きめであることに気がついたかもしれない。

 塀の内側に入り、官邸の敷地内に足を踏み入れた報道関係者たちは、公の入り口である官邸正面から、大きく回りこんだ側面奥にある通用口のようなところへ向かう。
 この取材関係者入り口の内外には、仁王立ちの警備隊員と、くぐっていくところに金属探知ゲートが控えている。
 東京タイムズの能坂記者がゲートをくぐったとき、金属に反応し、ブザーが鳴った。
 当然だった。能坂記者が抱えていた細い金属パイプの束に反応したのだ。
 能坂はいささかぶ然とし、しかたなさそうに、
 「テレビカメラ用の三脚です。中にいるTYOテレビの報道スタッフに届けてくれって頼まれましてね。持っていた三脚がイカれたんだそうですよ。うちの系列会社なもんで、私が持ってきました。」 と釈明した。
 この種のことはままあるらしく、ゲートの内側にいた二人の警備隊員は、さして不審がるそぶりも見せず、めいめい重い三脚を手にとって、縦にしたり横にしたりしてあらためていたが、やがて持っていってよしと能坂に返してよこした。
 このとき、警備隊員のひとりは、折りたたまれた三脚の中央部分に指がいったとき、何かに触れたような感覚を覚えたが、あらためて見ても、そこには折りたたまれた金属パイプの脚以外何もなく、まっすぐな三本の脚の間は空間であったため、気のせいだろうと、とりたてて疑おうとはしなかった。実際三脚以外何もなく、三脚自体にあやしいところは見うけられなかったのだ。
 たとえそこに一振りの日本刀が隠されていたとしても、鞘と柄が見えなければ、そしてそれにつらなって、音と光りと煙りがものすごい小さな発火装置がくくりつけられていたとしても、それが、光を屈折させ、物の存在を不確かにする特殊な布のようなもので覆われていたとすれば、見た人は誰もが、何もないと思い込むのはやむをえないことだ。かててくわえて、このとき警備隊員がうかつだったことは、三脚が、持ち運ぶときの状態になっていなかったということにも、疑いをはさまなかったということだ。テレビカメラの三脚を運ぶときは、たいてい脚を三本とも短縮して持ち運ぶ。ところが能坂記者の持っていた三脚は長めに伸びたままだったのだ。ちょうど日本刀以上のものが収まるくらいの長さに。
 
 新築された官邸は、この国の風土に欧州のモダンを融合させた、しょうしゃな貴族の邸宅のような、小ぶりで威厳のあるものだった前の官邸にくらべ、なんとも巨大でそっけない、ヘリコプターの格納庫のような外観をしていたが、それだけに頑丈で、堅固な要塞でもあった。まさかのときのシェルターにもつながっているし、危機のときは、首脳はここにろう城し、外部に指揮を下すこともできるのだ。そのうえ、官邸警備隊の精鋭によって四六時中、内外から守られている。つまり国内最大級の難攻不落の砦と誰もが認めるほどのものである。
 その権力者の牙城たる首相官邸へ、ともかくも、能坂記者と南方記者を装った二人は悠々と入っていった。
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