Chapter4 川原の斬
道はなおもでこぼこし、窮屈なポーズとあいまって気分が悪くなりかけたとき、前ぶれもなくいきなり車が止まり、 「着いたぞ」 という声とともに外気の中へ引きずり出された。 すがすがしい空気を味わう暇もなく、若者らしい手が容赦なく背中を押してきて、無理に歩かされた。 ごつごつした石が敷き詰められているらしく、足場はひどく悪かった。 歩みを進めるごとにザーザーという音が近くなる。ふらふらよろけて転びそうになったとき、目に手をやってマスクをはずそうとして、後ろ手に縛られていることを気づかされた。 なおも歩き続けて不安がつのってきたあたりで、背中を押してきた手はいきなりぎゅっと右肩をつかまえ、そのまま下へ押し付けてきた。抗う間もなく、もうひとつの手が左肩をつかまえて、強い力で下へ押し付ける。犯人は崩れるようにその場に膝を折って正座させられた。 ザーザーいう音がすぐ近くに聞こえる。 水の流れる音だった。 ふいに世界が明るくなった。アイマスクがはずされたのだ。まぶしさに目を細めるほど外界は太陽が輝いてはいなかったので、すぐに目がなれてきた。日が暮れかかっているらしい。雲が低くたれこめ、あたりを重苦しいモノトーンの世界にしている。 思ったとおり川原だった。前方、目の高さに、何事にも無関心そうに騒がしくうねる広い流れがある。来し方も行く末も知れない流れの途中だ。彼方には葦の繁みが、防波堤のように川原と外界とを遮断する土手へと続いている。 自分たちは、グラウンドのように広い、丸い石の敷き詰められた川原にぽつんといた。 この浮世離れした、人気のない景色はいよいよ犯人を不安にさせた。立ち上がって走り出したい衝動にかられたが、そうはさせじとでもいうように、あの若者が横でじっと彼を見ていた。 もはや捜査員の格好はしていない。色あせてあちこち擦り切れたジーンズに、はき古されたスニーカー、くたびれてゆるみきった薄い色のトレーナーという、どこにでもいる若者の格好だ。頭にはあの捜査員の帽子もなく、金色とブロンズ色にまだらに染められてカールした髪と、右耳の下の金色のピアスが、あたりの中で浮き上がって見えたが、青白い細面の顔を横切る影のようなサングラスはそのままで、油断なく彼のほうへ向けられていた。 若者は立ち膝のようなかたちで石の上にひかえていたが、不思議なのは、そのとなりに置かれている木の桶だった。 取っ手がついた古風な桶で、中からはヒシャクの柄のような木の棒が突き出ている。墓参りのときにこんな桶を使ったりしなかったか。ヒシャクで水をかける… 犯人は思い当たって、ごつごつした石からくる膝の下の痛みも忘れるほど落ち着かない気分になった。 さらに落ち着かない気分にさせたのは、すこし離れたところに材木のように突っ立って彼を見下ろしている、もうひとりの男の存在だった。 見上げるとことさら大きく見えるかなりの長身。すらりとしているが肩幅は広い。黒いスラックスに、黒いブレザーを無造作に羽織り、それだけやけに白く見えるシャツを着ている。 波打つ長髪が、浅黒い額にたれかかっている。口は一文字に引き結ばれ、若者よりさらに非人間的な、金属的な顔の半分は、若者と同じような濃い色のサングラスに覆われ、表情を読み取ることはできない。 犯人もまた、そのときは何がどうなったのかわからなかった。 猛烈な光で視力がきかなくなったと思ったら、いきなり首根っこを誰かにつかまれ、すごい勢いでひきずられると同時に、走れという声がした。逃がしてやる、走るんだといった声も聞こえたと思ったが、とにかく無理やり引きずられて走らされた。何度かけつまづいたり転がったりしたのち、身体全体が放り投げられるように浮き上がったかと思うと、どさりと柔らかいものの上に投げられた。窮屈な感じの中でバタンと音がしてあたりが揺れ出した。 目をおおっていた白みが薄れはじめると、 自分は車に乗せられているのだということがわかった。 後部座席からはあたりの景色がかなりのスピードで飛びのいていくのが見える。 となりに捜査員の制服を着た男がいて、じっと彼うを見つめている。これはさっきの広場で、すぐ近くまできて写真を撮っていた若い男だ。帽子から金色の髪がはみ出ている。色白の顔と対照をなす濃い色のサングラスが表情を覆い隠しているが、かなりの威圧感がある。 運転席にもうひとりいた。豊かに波打つ長髪の後頭部。黒い上着を着ているようだ。ルームミラーの中から、これまた濃い色のサングラスが彼をにらんでいる。 何がどうなったのだろう。すくなくともここは現場検証をしていたあの空き地ではない。あそこからこの連中によって無理やり連れ去られてきたのだ。あのうようよいた刑事たちはどうしたろう。 別なところへ護送されるのか。いや、拉致されたというのが当たっているだろう。 この二人は警官か。すくなくともひとりは制服を着ている。しかしそうではあるまい。この手口は誘拐だ。彼が子供たちをさらったときのような素早い強引さがある。 確か、逃がしてやるという言葉も聞いた。もしかしたらこの二人は何か大きな理由があって、自分を警察の手から逃がしてくれるのかもしれない。ことによるともう尋問も裁判も刑務所も矯正病棟もいらないかも… 「あんたたちは誰なんだ、どこへ行くんだ」 おずおずと聞いてみた。 「ほう、お前、ちゃんとした口がきけるんじゃないか。 もう心神耗弱のまねは終わりにしたらしいな」 若者がサングラスの奥からねめつけるように言った。犯人はひどく不安になった。 「逃がしてくれるんだろう、おろしてくれ、今すぐおろしてくれ」 と言いかけたとき、 「黙ってろ!」 という鋭い一言とともに首根っこをかなりの力でねじり上げられた。それほどの大男でもごつい男というわけでもないのに、腕の力は強い。小さな子供の抵抗には慣れているが、若い男に怪力で締め上げられては手も足も出ない。風船がしぼむように気力がなえてしまうと、男はすかさず彼にアイマスクをおしつけた。さらに、 「手に足をくぐらせろ」 と責めたてるように言う。意味がわからずぼんやりしていると、若者は強引にその動作を押し付けはじめた。 「こうやって、お前の手を足の下へまわしてくぐらせるのさ」 犯人の両脚を折り曲げさせると、手錠を使って縄跳びをさせる要領でくぐらせる。無理な姿勢に思わず 「痛い」 と悲鳴をあげtが、若者は少しも手加減しない。 道がでこぼこしはじめたのでなおさら窮屈で苦しい。 やっとのことで足をくぐらせ、両手は後ろへ。結果として後ろ手に縛られた格好になった。 両手を後ろ手に縛られたまま川原に正座させられているのは、いかにも罪人のようで、犯人をひどくみじめな気分にさせた。こんな光景を以前テレビか何かで見たことがある。時代劇のドラマだ。ドラマでは罪人は広場に引き立てられ、まわりには大勢の見物人と何人かの役人が… 今、この川原には彼と二人の男の三人しかいない。誰も見てはいない。 彼を不安にさせている大元ともいうべき背の高い男は、一見してヤクザの中堅幹部のようにも見えたが、もっと別な形容が似合う妖気のようなものが感じられる。男は両手をポケットに突っ込み、犯人を見下ろしている。車を運転してきた男だ。二人にはさまれ、犯人はこれまでにないほど不安がつのってきた。何かよくないことが起こりそうだ。 「あ、あんたたち、どうしようっていうんだ。俺を逃がしてくれるんじゃないのか」 二人は答えない。 重苦しい雰囲気に耐えられなくなって、思わず立ち上がろうとした犯人を、 「動くな!」 と若者が鋭く一喝した。 犯人は殴られたようにびくりと縮み上がってもとの姿勢にもどる。 「お前は何人もの子供を殺した」 背の高い男ははじめて口を開いた。低い唸るような声だが、一語一語はっきり聞き取れる重みがある。 犯人は思わず高いところにあるサングラスを見上げ、その奥を凝視せざるをえなかった。男は同じ口調で続ける。 「自分の欲望のために多くの幼い命をもてあそび、なぐさみものにしたあげく断ち切ったのだ。しかもこのままでいくとお前は精神病棟へは行っても、絞首台へ行くことはなさそうだ。多くの家族がいっそうの悲しみの底で苦しんでいるときに、お前は毎朝、税金を使ってつくられた朝飯をうまそうに食うというわけだ。 俺たちにはそれが我慢ならない。 お前のようなウジムシは、それにふさわしい罰を受けねばならない。お前のような奴は一秒でも長く生きていてはならん。だから俺たちがやってきた。ただ今よりお前を斬首の刑に処する。」 犯人はあっけにとられて聞いていた。この連中は、自分のしでかした悪事を非難しているということはわかったが、<ざんしゅ>の意味がよくわからなかった。しかし、この連中が、自分に何かしら危害を加えようとしていることは本能で感じ取っていたため、緊張し、石のように硬くなっていた。 この連中は何も凶器らしいものは持っていない。にもかかわらず感じる、息苦しいような胸騒ぎは何だろう。 「あ、あんたたちは警官じゃないな、誰なんだ、なぜ俺をこんなところに連れてくるんだ、帰してくれ、もとの拘置所にもどしてくれ!」 男は彼の声など全く聞こえないように、右手をゆっくりその頭の後ろへもっていき、長髪を掻くようなしぐさをしかけた。 シュルン!と金属がこすれる音がした。 男は右手の親指と残り四本の指を丸めて輪をつくっていた。 それを高く上げてから、腕を曲げてゆっくり右肩の前にもってきた。そして左手もゆっくり右肩のほうへもっていき、輪をつくった右手の下のほうで、左手のひらでもおなじような輪をつくった。 バッターが見えないバットで見えないボールを打つような構えをおおまじめですると、右足をぐいと突き出して踏ん張り、構えた両手をさらに少し上げて見得を切るようなポーズをとった。 空手か何かの構えか、何のパフォーマンスなのだろう。まじまじと見上げる犯人は、男の輪をつくった両手の上にあるものに目がいって、息を呑んだ。 輪をつくった右手の10センチくらい上に、薄暗い中でも光るものがあった。金属らしい白い光。それほど幅広ではないが。片側半分が白くもう半分が鉛色の金属が縦に長く、上へ上へと伸びている。 刃だった。 犯人の目線は我知らず刃を這い上がる。とほうもなく長く続く刃。その切先は自然なカーブを描いて鋭い先端となり、曇り空を突き刺すようにそそり立っている。 実物は初めて見るが、それはまさしく日本刀だった。男は両手で日本刀の刃だけを空中に浮かせていたのだ。 この男は手品師なのか、川原でマジックを披露するために手の込んだまねをしたのか、などと考える余裕はなかった。日本刀の持つ殺気に気圧され、身をよじったために正座が崩れて倒れかかっていた。 と、男は構えを解き、スーッと、輪をつくっていた両手を下げていった。それにつれ、その先にある日本刀の刃も男の両手にあやつられるように下へ降りてくる。男が手を動かすだけで、その先に浮いている刃を自在にコントロールできるのだ。刃の先はゆっくり地面の石ころの近くまで下りてきて止まった。と、その横に、いつの間にか、犯人の後ろにいたはずの若者が、例の木の桶を前に立ちひざで待ち構えていた。 若者は木の桶からひしゃくを出し、中の水を日本刀の刃にかける。水は刃の表面を伝い、いくつもの小さな玉になってこぼれ落ちる。 より間近で見る日本刀はさながら巨大なカミソリだった。触れるだけで、肉といわず骨といわず垂直にあるいは水平に切り分けてしまうバカでかい包丁だ。 こんな場面もまた時代劇のドラマでみたことがある。処刑の前の、斬首の前の儀式だ。 「うわあああああっ!」 犯人はようやく自分がされようとしていることがわかった。立ちひざのまま死に物狂いでその場を逃げようとする。しかし、刃に水をかけていたはずの若者はいつの間にか、今度は彼の後ろにいて、、背後から彼の両肩を押さえつけ、頭が前に出るように、首が突き出されるように、背中を押し出す。 男は再びゆっくりと輪をつくった両手を上に上げていく。 もはやマジックに感心しているヒマなどなかった。 浮いている日本刀はまちがいなく本物なのだ。 男は両手を高々と頭上に振り上げ、刃はいまにも振り下ろされんばかりに高く高く構えられる。 「いっ、いやだ、死ぬのはいやだっ、誰か助けてくれ、助けてくれ!」 「怖いか。今のお前は、お前が殺した子供たちと同じ恐怖を味わっているんだぞ。」 男の声に犯人はいっそう首を振り暴れだす。 「いっ、異常だ、異常だ、あんたたちは異常だ!異常な人殺しだ、人殺しだ!だっ、誰か、誰かーっ!」 「何を言ってやがる。異常な人殺しはお前だろう。」 「おっ、俺は、俺は知らないんだ、ほんとに知らないんだ、殺してなんかいない、子供を殺した覚えはない、覚えてないんだ、何もかも夢の中の出来事みたいで、気がついたら目の前に子供が死んでいたんだ」 「そうか、夢か。さぞやいい夢だったんだろう、お前にとっては。薄汚い快楽の夢の中にひたっていたというわけだ。だがな、お前が今見ているのはお前にとっちゃ悪い夢だぜ。」 「ひいいいいいーっ!」 犯人は完全なパニックにとらわれ、めちゃくちゃに上半身を振り回し、死に物狂いで首をカメのように短く短くすくめようとした。さらに、押さえつけている若者の手をかいくぐり、地べたに転がって逃れようとする。 大勢で押さえ込んでいるならともかく、つかまえているのは若者一人だ。 手のつけられないようなあまりに激しい狂乱ぶりに、さしもの若者ももてあましぎみになってきた。 「こりゃいけねえ、こいつ完全にいかれちまった。こんなに興奮してたんじゃもうどうにもなりませんよ。少し待って落ち着かせましょう。明日の朝まで延ばしましょうよ。」 と、さすがにあきれて妥協案を出した。ちっという舌打ちとともに男もしぶしぶ認めたようだ。 「しかたがない、命冥加なやつだ。しかし明日の朝までだぞ。」 「大丈夫、逃がしゃしません。時間をかけましょう。」 押さえつけていた若者の手がすっと引いた。 犯人は安心のあまり心臓が止まる思いだった。 助かった、とにかくこの場は助かった。異常な犯罪者の手からのがれられた。 何時間か時間をかせぎ、暗くなればチャンスも出てくる。暗くなってこいつらが眠るころになれば、この連中にだってスキが出てくるだろう。逃げるか反撃するか、俺だって、子供とはいえ何人も殺している殺人犯だ。むざむざ殺されはしない。何とかなる。そう思うと思わずほうっと息をついた。 頭をめぐらしまわりを見ると、少し離れたことろに若者が立っていて、腕組みをして彼を見下ろしている。 その落ち着き払った様子にハッとなった。 思わず反対側を見たとき、ワナにかかったと気がついた。 男は刃を引いてなぞいなかった。さっきと寸分たがわぬまま、日本刀を上段に構え、今にも振り下ろそうとしていたのだ。彼が首を伸ばすのを待ち構えて。 「我らは天誅団。平成幕末を騒がす不埒者どもに天誅を加える…」 上のほうで刃が動いたような気がした。 風を切る音もなかった。首の後ろを何かで叩かれ、ちょっと背筋が寒くなったというのが、彼がこの世で感じた最後の感覚だった。と、視界がぐるりと回って暗い空が見え、さらに回ってどんどん川原の石が前に迫ってきて真っ暗になった。 首は7メートル近く飛び、ざしゃりと勢いよく石畳の上に落ちると、血をまき散らしながらごろごろ転がった。 「すごい!さすがゾウさんだ。一刀のもとだな。」 若者は競技でも見ているように感心して言った。 「たいしたもんですねえ、ゾウさん。人を斬るのは初めてでしょう。とても初めてとは思えない鮮やかさだ。」 「人も何も俵と板以外のものを斬るのさえ初めてだよ。」 男が右手を振ると、その先に浮いていた日本刀の刃も振られ、血のしずくが石の上にまかれた。 「どんなもんですか、感触は?」 「そうだな、やはり藁や板とは違う、別な抵抗感があるというか。踏み込みも大事だな。 呼吸を乱さず、躊躇せず、一息にカタをつける。まあなんだかんだ言っても、お前のほうがうまいにきまってるよ。」 なんとも客観的に人ごとのように言う。 「さあ、それはどうですかね。ところで、面と向かって人を殺すってのも初めてでしょう。」 「面と向かわなくても初めてさ。」 「どうですか、感想は?」 「おいおい半次、インタビューか。 そう、もともとゴキブリみたいな奴だから、ゴキブリを殺した程度の感慨かな。」 「なるほど、そいつは名言だ。」 ゾウさんと呼ばれた男と、半次と呼ばれた若者は、首のない胴体を前に、ゴルフの話でもしているようだ。 「半次、あまりゆっくりもしていられないぞ。次の仕事に移ろう。」 言うなり男は左手でポケットから小さなスプレーを取り出し、それを右手の先の刀身に吹きかける。 「これ一本で脂とりOK、抜き身のケアには必携だそうだ。」 「ハイテク時代ですねえ。」 若者のあきれたような感心したような声を聞き流し、さらに男はポケットから灰色の手袋取り出し、口を使って左手にはめると、首の後ろへもっていき、何かを抑えるしぐさをした。そののち、輪をつくった右手を動かし、その先に浮いている抜き身をあやつって、首の後ろから背中へともっていく。パチンと音がして、抜き身は見えなくなった。 「俺はカメラと台を用意する。お前はそっちだ。」 と若者をうながす。 「了解。」 とうなずいた若者は素早く動き、ころがっている犯人の首の髪をつかんで、カボチャか何かのように持ち上げると、せせらぎまでもって行き、流れに首の切り口のところを浸してじゃばじゃば洗いはじめた。 |
| NEXT |