Chapter41 街頭の檄


 (三ヶ月後)

 なにもかもが嫌になるほど閉塞した冷気が支配していた冬は、ありがたいことに彼方へ飛び去った。異常気象、天候異変などといわれながらも、季節は道理をわきまえ、役目を終えると未練もなく次の季節へと主役の座を明け渡すものだ。
 今は、何をしなくても心が浮き立つ新緑の季節。躍動する空気に汗ばむほどだが、一足飛びに真夏の暑苦しさといらだちをもたらしているのが、選挙演説だった。さわやかな大気を押しのけて、押しつけがましい、耳ざわりな音が響いてくる。
 そんな騒音をまだらに聞き流して、耕下と馬子はぶらぶらと歩いていた。馬子と歩くのは聞き込みで歩いて以来だった。
 「もうすっかりいいのかい?」
 「ええ、思ったより長くかかりましたが、もう、ほぼ普通…だと思います。」
 馬子は心なしかやつれていた。
 傷そのものよりも、傷を受けたという衝撃のほうがあとを引いているようだ。
それなりの訓練は受けていて、覚悟もできているとはいっても、若い女なのだ。男には負けないと気を張っていても、馬子が経験したことは、若い女にとっては衝撃だった。自分に向けられた鋭い殺意と向き合ったというのも初めてのことだった。
 まだ顔色は青白かったが、経験がその表情を以前より柔和にしていた。耕下が、最後に豪華な昼メシでも食おう、俺がおごるよと連れ出したのだった。
 耕下は気づかうように機嫌をとるように言った。
 「その傷はいい勲章だ。試験ばかりで昇進しても、現場のベテランになめられる。そこへいくと名誉の負傷ってのはにらみがきく。将来にわたって、階級を上っていく君の強い味方になるよ。」
 馬子はうすく笑って、聞き流すように問い返した。
 「やはりTHADへいくんですか?」
 「ああ、署にいても、どうも自分はよそ者だって気が、ずっと前からしていてね。生活安全課よりは、あっちのほうが自分に向いているかもしれないと思ったりもして…」
 「そうですね。耕下さんは、大きな仕事のほうがむいている、私もそう思います。」
 「さあな…」
 「当然の成り行きかもしれないけど、抜擢ですね。」
 「辺田さんの強力な推薦のたまものさ。ベッドから携帯で、うなりながらしつこく桐生室長を脅したらしい。ついでに自分の捜査官復帰もしっかりとりつけた。」
 「立ち直りの早い人ですね。」
 「まったくだ。回復も早い。もう病院を出たがっているようだ。デリカシーと生命力は当然のことながら反比例しているものなんだろうな。」
 馬子はまたうっすら微笑んだ。
 「例の捜査のほうは進んでいるんですか?」
 「うん…俺も捜査スタッフの補欠だったわけだが…どうも、だめだね。いまだにまったく進展がない。まったく完璧なくらい周到な奴らだ。
 奴らの残した防弾着、俺が奪って着ていたやつだ。どう見ても新開発の秘密兵器だが、あれが最大の手がかりだった。さる工科大学の大学院に分析を依頼して、厳重に保管をしてもらっていたんだが、その重要な証拠品が紛失したそうだ。おおやけにはしていないが、盗まれたらしい。先日のことだ。」
 「まあ…」
 「どこまでも徹底している奴らさ。」
 ちょうど信号待ちにひっかかり二人は立ち止まった。
 その交差点はちょうど大型スーパーに面していた。
 その広大な駐車場のかなりの部分を傍若無人に乗っ取り、がんがんロックコンサートもどきにがなりたてる一団があって、その音というべきか、怒鳴り声に近い音声はいやおうなくふたりの耳に飛び込んできた。
 いわずと知れた選挙演説一座だ。
 つめかけた聴衆の多さから、同盟の候補者ではないかと、馬子は思ったが、まさしくそのとおりだった。
 このところの同盟には勢いがあり、こんななにげない街頭演説にも、たちまち多くの人々が群がってくる盛況ぶりだ。
 人々の頭ごしに候補者らしい人物の姿が見える。
 意外なことに、そこにはよくテレビで見る、同盟の幹部らしい顔がいくつもあって、その新人候補者が、党も期待をよせる大物であることをうかがわせた。そのほかに、運動員らしい若い男女が、聴衆に愛嬌をふりまきながら、さかんにチラシを配っている。
 「……くんに、その考えをのべてもらいましょう…」
 同盟の幹事長にうながされて、候補者が前に進み出た。
 彼らは聴衆より高い壇上に立ったりせず、目線を同じくして人々と向き合っている。したがって耕下の位置からだと、演説者が人々の頭に見えかくれするはずなのだが、その新人候補者は背が高く、頭ひとつ抜きん出ていたために、その姿かたちはよく見えた。
 さらに上を目指して昇進の途中の若手部長といった感じの男だった。
 浅黒い精かんな顔だち。髪は合衆国大統領なみにきれいにセットされ、細いメガネと細くあけられた目は、知性と自信を物語る。
 「……皆さん、よろしくお願いします。私は、じつはここ何年もの間、海外にいました。つい一ヶ月前に帰国したばかりです…」
 野太い声、命令するようなはっきりした口調だった。
 「…それであれば、このところのこの国の大きな動きはわからないだろう、そんな人間に国政はまかせられない、などと言わないでください。内からよりも外からのほうがしっかり見えることもある。突き放した冷静な目で、世界の中のこの国という目で見ることができる…」
 耕下はおやと思った。
 誰かに似ている。どこかでこの男を見ている。どこで見たのだろう。
 候補者は定番の白い手袋もしていず、名前を書いたタスキもかけてはいない。
 そうか、写真だ。この男の写真を見ていた。パソコンの中から耕下を見返していた正面向きの顔。
 候補者や応援者たちの後ろに一台のバンが止まっていて、それに候補者の名前が書かれていた。さらに運動員の何人かが、その名前が大きく描かれたプラカードを目だつように上げ下げしている。
 十万上二郎。
 あの男だ。
 「あの人は…」
 馬子もいち早く気づいた。
 「そうだ、馬子ちゃんが見つけ出した元自衛官だ…」
 「立候補していたんですね…」
 馬子にはそれ以上の関心はないようだ。
 天誅団の、かの岡田以蔵ではないかと一度は疑いの目を向けた人物だが、結局は疑いだけで終わってしまった。同盟の有力候補だったということを知らされてみれば、いよいよ見当違いの疑いだったという気がしてくる。いずれにせよ、馬子にも耕下にも、ことはすべて終わったこと、あの一件はファイルに綴じられてしまいこまれてしまったことだ、という共通の思いがある。
 「…私は何年も戦乱の彼の地を見てきました。そこで強く感じたのは、自分の国は自分で守らなければどうにもならないということです。国を外敵から守ることが、国として成り立つはじめの一歩です。自分の国を自分で守るということは、自分に責任を持つということにつながります。他人まかせでは自立できないのです…」
 「今度の選挙はやはり同盟なんでしょうかね。」
 「ああ、やはり勢いが違うようでもあるね。」
 耕下も馬子も聞くとはなしに聞き、見るとはなしに見て、信号が変わったのにも気づかず立ち止まっていた。
 「同盟が中心になった臨時政府がうまく立ち回ったからな。あのクーデター騒ぎで政権党は浮き足だってしまって何ひとつできなかった。
 同盟はいち早く全土に戒厳令をしいた。自衛隊を首都や主要都市の郊外に集結させたし、空と海に散開させて混乱に乗じる外敵に備えた。内外むけのパフォーマンスだが、自衛隊だけでやったというのが大きい。米軍は何もしないお客さんだった。」
 「臨時大臣を主要国に派遣して、静観を求めたのも素早かったですね。」
 「どれもこれも確実に点数をかせいで、国民の信頼を得たってわけだ。」
 「だいいち、今度の選挙に関しては、政権党からは立候補者そのものが少ないって、ニュースにもなってるじゃありませんか。」
 「党本部爆破で震え上がってしまったんだろうな。二世議員たちは、テロを恐れて立候補を見送るつもりなんだろう。彼らにとって、政治は命をかけるほどのものではないのかもしれない。」
 
 「…私どもは中央集権を廃止します。この先の中央官庁街をすべて更地にしてしまいます。江戸時代の延長のようなお上≠ヘ消えるのです。官僚支配の温床ともなった大学も解体します。もちろん公務員試験も大きく変えます。もはや科挙≠ネどは本場でも行われていません…」
 「同盟が政権をとったら何か変わるんでしょうか…」
 「変わるだろう。60年続いた支配者が追われるということは、革命が起こるのも同じことだろうからなあ…」
 と言って、耕下は自分が言った言葉にハッとした。
 そして演説の男にますます吸い寄せられていった。
 似ている…
 「……馬子ちゃん、馬子ちゃん……もしかしたら、もしかしたら俺は、まんまと利用されていたのか?!……駒のひとつだったのか?!……」
 「…どうしたんですか?どうしてです?」
 「奴らははじめから議員たちを殺すつもりなどなかった…
 …俺が邪魔に入るのも計画のうち……計算されていたとしたら……
 …俺はひとりで、ヒーローもどきに奴らの計画をくい止めてやりたいと思っていただけだが……
 …ちがう!違うんだ!」
 「まさか?!……でも、なぜそんな…そんなことを……?!」
 「…最後の決断を国民にさせるためさ。国民自身に選挙で政権を変えさせるためだ。
決断をしぶる国民に決断を迫り、責任を逃げる国民に責任を負わせる……。
 すべて、国民自身に合法的にやらせる。市民革命を起こしたことのない国民に、それと知らずに市民革命を起こさせる。そのほうが、国そのものの、特に経済面でのダメージが少なく、その後の運営もうまくいくだろう……
 国民は、世の中がいくぶん新しくなったと、閉塞感が少しは薄れたと感じるだろう。未来に希望を持つ人も増えるかもしれない。
 ……つまり明治維新の小型版だ……これだったんじゃないのか!」
 「でも、それで……それで得をするのは誰なんです?いちばん得をするのは?」
 「……そこだな、問題は。」
 あいつが以蔵だとすれば、もうひとりいるはずだ。
 半次に似ていたはずの男、中口公一が。
 耕下は人々の後ろから伸び上がり、目を皿のようにしてすかして見た。
 候補者から同盟の幹部、運動員へと必死で目を走らせる。
 いた。
 そろいのジャケットを着た若い女性運動員にまじって、スーツ姿の若い男。
 似ている。
 色白で、髪は短く黒く、新人ビジネスマンのようになでつけられているが、サングラスをはずしたときの半次に似ている。
 耕下はその運動員から目が離せなくなり、穴の開くほど見つめ続けていた。
 と、その男が、まるで耕下の視線に気づいたように、ふと顔を上げて耕下のほうを見た。
 だいぶ遠くではあったが、一瞬目が合い、そのとき、その若い運動員の口もとがちょっとゆがんだような気がした。
 あいつだ!あいつにじつによく似ている…
 遠くからではあったが、耕下ははっきり見たと思った。
 その若者の右の耳たぶに、あるかなしかの小さなホクロがあったのを。
 あれはピアスのあとではないのか…


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