Chapter5 掲示板の驚
定年退職したての部長の目下の暇つぶしは、当然のことながらパソコンだった。これまで多くの部下を使ってきた自分が、なすこともなく空中を見ているのはなんとも情けなく間が持たない。 とにかく何かしなければ…いかにも仕事をしているようにデスクに向かうにはこれしかない。 いまや自宅の書斎のデスクに一日中腰かけ、いまの自分には何の役にも立たない種々雑多な情報を漫然と見やる毎日が延々と続いてた。 小さなディスプレイの中にあふれる世界中の情報の中で、部長が少しだけ心を動かされるのは掲示板だった。自分と同じ意見を見つけると、組織から外れて孤立無援となってしまった自分にとって同志か後援者にめぐり合った思いで心強かった。掲示板の中でもお気に入りは、ひとつのテーマで参加者が賛成・反対の意見を戦わせる「イエスオアノー」というものだ。 匿名で何でも言えるとあって、意見はかまびすしく活気に満ちていた。今回は「死刑廃止」というテーマだけにいつにも増して盛り上がっているようだった。多数派の廃止賛成方は勢いづき、死刑は憎しみの連鎖を生むだけだ、刑罰で犯罪の解決はできない、犯罪者は社会の犠牲者だ、刑罰なら人を殺してもいいという法律こそ憲法違反、世界の趨勢に反する野蛮な制度、死刑制度は為政者の民衆に対する威嚇でしかないなどと意外にも論旨一貫した永遠の正論を展開し、犯罪の抑止には威嚇が一番、犯罪者を刑務所で長期間養なう必要がなければ税金の節約になるなどという、いかにも人聞きが悪い廃止反対の少数意見を圧倒していた。 それにしてもこの国には、こうも身勝手で無責任な意見ばかり持っている者のなんと多いことか。 そうだね、私としてはやはり…と、部長が久々に自分の意見を打ち込んでみようと思い立ったとき、短い一文だけの意見に目がいった。「我らの答えはこれだ」とあり、名前も仮名もない。 そこにカーソルをもっていくとクリックの印が出た。部長は何の気なしにクリックしてみた。 と、写真が現れた。妙だな、なぜ写真が…掲示板には写真は載せられない仕組みなのに。 しかもこの写真も妙だ… 退職した校長先生は目下、陰陽道に凝っていた。平安の昔の易学は現代を超越しつつ、なお現代にとって味のある示唆を与えてくれそうで、なまじな時事哲学より実用性がありそうに思えたのだ。図書館に行って本のオゾンに浸りつつ、あらゆる関連書から陰陽道を吸収するのが生にあっているのだが、いかにも小説やドラマに影響されているようで、誰も気に留めないのに気恥ずかしく、そこまでの行動を起こす気になれない。すなわち今は安易で無責任でいいパソコンの検索サイトに向かっていた。陰陽道の実効のありそうな道具、天中節について詳しく知ろうと思ったのだが、打ち間違えて天中殺を出してしまったところで疲れてきて、老眼鏡が見当たらないことにも気づいた。さっさとやめればいいのだが、老いの妙な義務感から無理をして打ち込むと、カテゴリーが一つだけ出てきた。もちろんまたしても打ち間違えていたのだ。 それに気づかぬまま、ひとつとは少ないものなのだなとクリックすると、いきなり写真らしいものが現れてきた。ディスプレイいっぱいの大きな写真が上から下に、むかって少しづつ現れてくる。 何気なく見続けていた校長先生は、やがてけげんそうに目をしばたかせ、老眼鏡を取りに立ち上がった。 優等生の誉れ高いクラス委員長の目下の興味は宇宙だった。宇宙と比べたとき、地球の矮小さはどうにも我慢がならない。しかも人間はさまざまな問題をでっち上げ、その矮小さをさらに再分化させている。人類も地球も僕の生には合わない。将来は宇宙を相手に暮らすことに決めている。そこでとりあえず今必要なのは天頂儀だ。観測の緯度を性格に知るためには天頂儀がいる。 どんな種類があるのかパソコンで検索して調べることにする。このとき、乱視のメガネを、図体ばかりの、嫌なライバルに壊されて修理中だったことを思い出した。はっきりは見えないが、仕事に支障があるほどではないので、とりあえず打ち込んでみたが、手もとがはっきりしないため、打ち間違えていた。そして、ディスプレイに現れた写真を見て、あわてて机の中をひっかきまわして古いメガネを探し出し、そののち父親を呼びに行ったのだ。 「なんだろう、これ?」 ディスプレイに現れていたのは顔だった。 うつろな焦点の合わない目がこちらを見ている顔だった。 「見たところ写真のようだが…」 父親も薄気味悪さに衝撃を受けながら、まゆをよせぎみに言う。 一見して床板から顔を出してこちらをのぞいているように見えたが、よく見るとそれは床ではなく、木でできた小さな台で、その上に顔が乗っているのだ。 「いたずらかな。」 「いたずらだろう…おかしな写真を撮ってネットで流す奴はいるからな。」 「きっとCGで描いたんだろうね。」 「たぶんな。ずいぶんよくできているようだが…」 「ほんとに切られた人間の首そのままだ。」 「それにしてもリアルだな。作り物とは思えない。」 木の台には血がにじんだあとさえ見える。 「思い出した…この顔、見たことがあるよ、テレビに出てた。色が違っちゃってるけど、あの、小さな子供を何人も殺して、現場検証の場所から誘拐されたって言われてる、あの犯人に似てる!」 「そういえば、そのような…下のほうに字幕が出てるが、メッセージはこれだけか?」 「そうだよ、てん…この字なんて読むの?」 「ちゅう、だ。天誅団…と読むらしい… 『我らは天誅団、平成幕末を騒がす不埒者どもに天誅を加える。子供殺しの悪党をここに誅す。』」 |
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