Chapter8 窮鼠の抗
(三週間前) 「第二回はあんな態度じゃ絶対だめだぞ。もっと被告人らしくしおらしい振る舞いに徹するんだ。前かがみに、目を伏し目がちにして。君のとった態度は正反対じゃないか、あれほど言ったのに。」 弁護士・塙は額にうっすら汗を浮かべながら、目の前の、まだにきびの残る、どこかネズミを思わせる若者に向かって必死で言っていた。 若者は小さな机に頬杖をつき、顔も目も塙とは反対の方に向けていて聞いている様子はない。「ちゃんと聞くんだ、さもないと…」 「聞こえてるよ、うるせえな。キーキーよくしゃべる先生だ。それよりあんたタバコ持ってねえか」 若者は顔を横に向けたままうるさそうに答えた。 「私はタバコは吸わない」 「ちっ、気が利かねえな。差し入れでもってくるのが礼儀だろう」 「君はまだ未成年じゃないか、こんなところで公然とタバコを吸うのはまずいだろう」 「へっへっへ」と鼻で笑ってから、若者は 「だったら外で立ってるおまわりにもらいな」と続けた。 「何だって?」 「おまわりにタバコをもらえって言ってんだ。何度も言わせるな」 若者は目だけ塙のほうへ向けながら言った。 このとき塙には、この若者が見たこともない爬虫類に見えた。今まで父親以外の誰に対しても、こうして命令をし続けてきたのだ。もちろんあの哀れな被害者たちに対しても。 この若者ほど、その背後にあるものの威を借り、それを権力のように利用し続けてきた者もいないだろう。羊の群れのような一般人社会、子猫の群れのような学生たちの中では絶対的だった。 ゆすり・たかりには暴力団の名前は錦の御旗のような効果を発揮した。そうして、こまごました悪事を地道に積み重ねてきた結果、この若者には、十人並みの大人程度では太刀打ちできない、悪党としての威厳が備わるようになっていた。 いま塙は、若者の鋭い目で見据えられて、ひどく落ち着かない気分になって、ちらりとドアのほうを見た。 塙がこの種の業界を進んで担当するのは、もちろんこれがはじめてではない。 この種の客筋はみんな金持ちで、なにしろ実入りがいいので、危険手当の分も軽くクリアできる。しかしこの業界のみに予想できる不測の事態、たとえば巻き添えや、そして見境のない狂気などには警戒せざるを得ない。 ドアにあるのぞき窓のような小さなガラス窓が、小さな部屋の小さな机や無機質なイスとあいまって殺風景さを際立たせている。 塙は第一回口頭弁論閉廷後、どうしても被告人の少年・九頭真吾と打ち合わせがしたくて、護送車で拘置所に送られる前の五分間だけ、裁判官に頼み込んで、この地方裁判所の小さな一室で対面していた。ドアの外では護送の係官が看守のように立っている。 第一回口頭弁論は失敗だった。 塙があれほど被告人の未熟さを強調し、情状に訴えかけたのに、被告人の傲慢で不遜な、全く怖れるもののないといった強がりともとれる態度はすべてをだいなしにしてしまった。退廷前の裁判官の眉間には、あきらかに怒りのタテじわが刻まれていたのだ。 塙はほんとうにドアの外の係官にタバコをもらうべきかどうか考えていたが、タバコで少年が少しでも素直になるならと自分を納得させ、ドアをちょっと叩いて開けさせながら言った。 「タバコを一本もらえませんか。じつはちょっときらしてしまってね」 係官が肩をすくめながら一本差し出したのを受け取ってドアを閉め、少年に差し出す。 「タバコっていったら火もだろう、マッチももらいな」 塙は自分がヤクザの息子の使用人になったようなみじめな気分になったが、自分を抑えて言うとおりにした。 にきび面の若者は、さもうまそうにタバコの煙を肺いっぱい吸い込んで、ニコチンの毒のおかげで気分がよくなったとでも言わんばかりに、くっくっと思い出し笑いをかみ殺しながら機嫌よく言った。 「判事の野郎にガンつけてやったぜ。なあ、俺が思い切りにらんだときの判事のツラを見たか。野郎、明らかにビビッてたぜ。何が判事だ、笑わせるぜ、おめえみてえなそこらのオヤジに裁かれてたまるかっての」 「はじめから終わりまでそんな調子だから、どんどん印象が悪くなってしまうんだ。私がいくらがんばっても当の本人の君がそうでは、まるで意味がない」 「心配すんなよ、やつらはほんとは怖いのさ。判事だって人間だ、内心じゃ組や殺し屋は怖くて仕方がねえ。ビビらせときゃ、仕返しが怖くて、まともな刑になんかできるもんか。あんただってわかってるだろう、横領や収賄には重いが、殺しは思ったほど重くねえってのが通り相場じゃねえか」塙はさすがにムカついてきた。この小僧は自分の理屈で世の中が回ると思っている。 「反省の態度がないと実刑の刑期に影響すると言ってるんだ」 若者はいっこうにひるむ気配がない。 「おいおい忘れたのか、俺はまだ少年だぜ。 少年法っていうあんたよりうんと頼りになる味方がいるんだ」 「しかしやったことは殺しだ。仲間はみんな罪を認めて反省しているというのに、主犯の君がそんな態度だから世間も騒ぐ」 「やつら生意気だったからさ。優等生づらしやがって、いい気になって逆らうから、ヤキを入れてやったんだ。まあ、はずみってやつさ」 九頭真吾は小学生のころから、ヤクザの息子だということをかさにきて、脅しやゆすりを繰り返してきた。怖がる顔を見るのが好きだった。脅えるやつらをいじめるのがおもしろくてたまらなかった。王道を歩む裏の世界のサラブレッドというより、生まれついての残忍な異常性格者といったほうがいいかもしれない。父親の九頭竜太は、息子をどう思って弁護を頼んだのだろう。 「はずみで、親が遺体を判別できないほど殴ったってのか」 「ま、少しはずみすぎたかもな。でもな、助けてくれってわんわん泣きながら命乞いをする奴に、いやだねと言って、そいつのツラのど真ん中に蹴りを入れてやるってのは最高の気分だぜ」 聞いていて塙はさすがに気分が悪くなってきた。こいつは弁護する価値すらない正真正銘の害虫だ。 しかし好き嫌いはそれはそれとして、これは仕事なのだ。しかも大金が稼げるいい仕事なのだ。相手はどうあれ、仕事を手際よくこなして見返りを得ることだ。 とにかくこのろくでなしに自分のいうことを理解させなければならない。 「いいか、よく聞くんだ。世間やマスコミが少年法改正を持ち出して久しい。この裁判が続くうちに法案が通ってしまって、結審するころには判決が予想以上に重くなっているってこともありうるんだぞ」 思えば、こんなやつと面と向かって、机をはさんでイスにすわっていたのは自殺行為に等しかったと塙は早く気づくべきだった。 にきび面の少年悪党は、やにわに手錠のままの右手で塙の髪をむんずとわしづかみにすると、そのまま塙の横っ面を机の上にいやというほど叩きつけた。さらに二度三度四度、叫び声をあげるひまもなく、何が起こったかわからぬまま、真吾のなすがままに振り回される。塙の頭が机にぶつかる音がにぶく小さな部屋全体に響き渡った。 「やかましい!この野郎!黙って聞いてりゃうだうだごたくを並べやがって!罪をうんと軽くして無罪にするのがてめえの仕事だろうが!どうせオヤジから何千万もふんだくったんだろう、つべこべ言わずに金の分だけ働きやがれ!」 たちまち狂犬の本性があらわになった。 こいつは狂ってる、完全に狂ってる、塙はようやく理解した。 しかし猛り立った凶暴さは容易におさまらない。そのまま素早く立ち上がると、今度は塙の襟首を捕まえ、身体ごと振り回して部屋の壁にぶっつけはじめ、さらに塙の腹に膝でキックをみまう。 「いいか、さっさと俺をここから出すんだ!こんなブタ箱はもうたくさんだ、いますぐ出せ!出さないと、お前も、お前の家族も、指をつめるどころか、手首をみんな切り落としてやるぞ!」 中の騒ぎが聞こえてかどうか、コツコツと外からとを叩く音がして、 「時間だ」という係官の声がした。 真吾はとっさに塙を抱え上げてイスに座らせ、自分もイスに座ってなにくわぬ顔をきめこんだ。直後に戸がゆっくり開いて、長身の係官が姿を現し、 「九頭真吾、前に出ろ」とうながした。 真吾は出ていきざまに、振り返りもせずに、机につっぷしている塙に 「言われたことはちゃんとやれよ」 と一言残して部屋の外へ消えた。 塙はしばらく立ち上がれないでいた。 あんな奴の弁護を引き受けたことを心の底から後悔していた。しかしここで投げ出せば、あいつの言ったとおり、ただではすみそうにない。 よろよろしながらやっと立ち上がり、もつれる足をひきずりながら部屋を出た。 もしここで冷静になれれば、殴られていなくて、あたりに気を配る余裕があっていれば、真吾を連れに来た係官が、さきほどタバコをもらったのとは別人であったことに気づいていただろう。また廊下を歩いて帰るとき、顔や腹の、したたかな打撲による痛みに気をとられていなければ、となりの小部屋から聞こえてくるかすかなうめき声〜下着姿の五人の男が手足をテープで縛られ、口にも粘着テープをされてうめいている声〜に気づいていたろう。 塙をさんざん痛めつけてやったせいで、久々に残忍な闘争心に火がつき、すっかり興奮して我を忘れがちになっていたおかげで、車が走り始めてからだいぶたつまで、真吾は様子が少しちがっていることに気がつかなかった。 この護送車の後部座席〜運転席と隔絶された、左右の長いベンチが向かい合って、何人もの警官が一人の犯人を見張ることことのできる後部座席には、彼と一人の警官の二人しかいなかった。いつもなら二人の警官が彼の両脇に座り、残りの一人が向かい合った席に陣取って、暗い目で無言で彼を見つめるのがふつう〜来たときもそうだったというのに、帰りはずいぶんと手を抜いたものだ。 しかもこの警官ときたら、着ている濃紺の略服がいかにも大柄な身体に合っていず、髪ものばしほうだいの上に、サングラスまでかけているというなんとも警官ばなれした風体だった。来たときいた警官とは違う。 今日日すべての警官がいかにも警官らしい格好をしているというわけではないのだろう。底知れない濃い色のサングラスが身じろぎもせず真吾を見続けている。 真吾はふんと鼻をならすと、おもしろくもなさそうに横を向いた。こんな奴とは口もききたくない。拘置所の中でも何一つおもしろいことはないが、それは護送中の車の中でも同じことだ。やたらと時間だけが長く感じられる。真吾はふと窓の目隠しの隙間から外をのぞいてみた。 茶褐色や緑がどんどん流れていく。 もう街中ではないのだ。そういえばなかなか拘置所に着かない。 ハッと思い当たって警官に向き直った。 「あんたたち警官じゃないな」 サングラスからは何の表情も読み取れないが、長い金属的な顔をより不敵に見せている、真一文字に引き結ばれた唇の右端がにやりと上にゆがんだ。 「おまわりは?拘置所のおまわりたちは?」 「まだ裁判所で寝てるさ」 サングラスが初めて口をきいた。低く重い声だ。 「そうか、そうっだたのか!オヤジだな、オヤジがとうとうやってくれた!さすがオヤジだぜ、プロの兵隊をつかってくれた。ヒャホー!出られたぞ!」 真吾は手錠のまま手を叩き、腰を浮かせて飛び上がった。 「そうとも、オヤジが指をくわえて黙って見てるわけがない、あんなバカ弁護士にまかせっきりにしておくわけがない、なんたって俺は九頭竜会の跡取りだからな。正統な二代目がいつまでもおまわりの世話になってちゃ、体面にかかわるってもんさ。 それにしてもいいところで出してくれた。くそブタ箱なんぞもううんざりだ。ざまあみろ、間抜けおまわりども、くそ判事も!まんまと出てやったぜ!」 警官の衣装を着たサングラスの男は、人差し指を口に当てて、シーッとたしなめるようなしぐさをした。はしゃいでいた真吾は我に返り、ことさら素直に言った。 「わかった、わかった、もう騒がねえ。そうとわかりゃひと安心だ。着くまでおとなしくしてるよ。」 にやにやしながら座席にふんぞりかえると、鼻歌をうたいだした。 たいして座り心地のよくないベンチ式の後部座席が、ガタガタとたて続けに止まることなく揺れ続け、真吾は目をさました。 緊張がとけていたために、いつの間にか眠り込んでいたらしい。 護送車は岩だらけの荒地でも走っているように揺れる。 うかうかしていると座席からも振り落とされそうになる。 と、ひときわ大きく前のめりに揺れて、動かなくなった。 「ついたぞ」 という声とともに、警官に化けた男は後部ドアを開け、さっさと外へ出て行った。 真吾もそれに続いて車の外へ飛び出す。 とたんにごつごつした石の上でバランスを失い、倒れそうになった。 丸いふぞろいの大きさの石が一面に敷きつめられている。 新鮮な空気のにおい、途切れることのない瀬音に満ちていた。 川原だった。 真吾が予想していた、ほんのしばらくの間だけ身を隠すための居心地のいい隠れ家でもなければ、ほんの少しの間高飛びしているための飛行場でも港でもなかった。 そこは、曇り空で夕日も見えないが、夕闇せまる川原だった。 真吾を連れてきた二人の男は、すばやく似合わない警官の制服を脱ぎ捨て、車の中にほうりこんだ。 真吾の前に座っていた、波打つ長髪の男は、思ったとおり背が高かった。 黒っぽい上下のスーツに、ネクタイのない白いシャツ。 そのまま街を歩けば、どこかの組の兄貴分としてかなりニラミがききそうだ。 若く見えるもうひとり、車を運転してきたほうは、カールした髪を茶色と金色のまだらに染め、灰色のトレーナーに擦り切れたジーパン、履き古されたスニーカーという、どこにでもたむろしていそうな若者の格好だった。少年らしさの残るきびきびした動き、白い顔にアクセントのように、金色に右耳たぶに光るリング状のピアスが妙に印象的だ。 二人とも、その顔を横切るように細めの濃いサングラスをしているので、表情は読みとれない。 「おい、ここは川原じゃないか。なんでこんなところに…」 真吾は妙に景観にマッチしている二人に向かって言ったが、すぐに 「そうか、ここで乗り換えか。念が入ってるな、さすがプロの仕事ってわけか」 と納得した。 「じゃあ、ひと息いれるとするか」 と大きくのびをしようとして、まだ両手が手錠につながれていることに思い当たった。 「おい、こいつをはずしてくれ」 両手を差し出し、アゴで指図すると、黒服の男がふところからカギを取り出した。 真吾は男がカギをはずすのを待ちきれないように両手を手錠からむしりとると 「くそ野郎め、もう二度と手錠なんかかけられねえぞ、こんどはもっとうまくやるからな」 と言って、手錠を川めがけて高く放り投げた。完全に自由になった真吾は上機嫌で言った。 「あんたたち、いい腕してるぜ。手際がいい。フリーかい?オヤジはいくら出した?なんなら今後俺の兵隊にしてやってもいいぜ。俺がオヤジに頼み込んでやるよ。さあ、お兄ちゃん、タバコもってねえか」 茶髪が首をかしげて手を振る。 「ちっ、気がきかねえな、それじゃあ俺の兵隊はつとまらねえ。主人の好みはよく勉強しておかなくちゃな。まあ、いい。で、いつまでここにいるつもりだ、もう別な迎えが来てもいいころじゃねえか」 「ここで終わりだ。ここがお前の終点だよ、九頭真吾。」 黒服の男がぶっきらぼうに言った。 「ハア、何だって?」 「ここが終点だと言ってるんだ。 あれが三途の川ってわけさ。お迎えはまもなく来る。俺たちは送る役だ。」 「何だと、おい、言ってる意味がわからねえぞ」 「お前は二人の高校生を殺した、なぶり殺しだ。なのに少年法とやらに手厚く守られ、国家から庇護されて、何年もしないで、何事もなかったように堂々とシャバへ出てきそうだ。俺たちにはそれが気に入らん。だから特別に罰を下すためにここへ連れてきた」 「何ぃ、バツだあ、何だそれは?オヤジに雇われていたんじゃねえのか、お前らは何者だ?」 「お前のようなろくでなしが、のうのうと、普通の市民と同じように、地上の空気を吸っているのを見るのがガマンならん人間だ。」 真吾は予想していた以外の展開にとまどい、なかなか次の言葉が出てこない。 黒服の男は両手をポケットに突っ込み、厳格な教師のように黒メガネの奥から真吾をにらんで言う。茶髪の若者は一歩下がったところから同じように真吾を凝視する。 「お前のような取り返しのつかないゴミに、将来ある若者などというほめ言葉のようなものを添えられて、つぐないもへちまもなく、大手を振って歩かれては、殺された人間が穏やかでない。 そこで、今ここでお前に罰を下すが、お前もヤクザの跡取り息子で、いっぱしのワルだ。だから、特別待遇をしてやろう。暴力団二世のためのスペシャルメニューさ。ヤクザ貴族にふさわしい名誉ある最期ってわけだな。 腹を切れ」 黒い上着の内側にすっと右手を入れると、白木の棒を取り出し、真吾の方に放ってよこした。 木の棒はカランと石の上に落ちる。 白木の柄と鞘に包まれたドスだということは、もちろん真吾にはすぐわかった。 「何のマネだ、これは?」 男たちの言動についていけず、はじめはとまどっていた真吾は、たちまち体勢を立て直し、小才がきく悪党らしい傲慢さで開き直った。いまにも破裂しそうな狂気を秘めたことさらな冷静さで、見下すように言う。 「おいおい、にいちゃんたち、ムショから出してくれたことには礼を言うぜ、だがな、こんな川原へ連れてきて、わけのわかんねえことをべらべら言い出すとは、あんたら、すこしおかしいんじゃありませんか。なにかい、あんたらどっかの宗教か?もしかしてドッキリカメラか? 俺はな、バカにつきあってるヒマはねえんだ。さっさと親父に電話しろ、俺が本気で怒らねえうちに迎えの車を呼べ!」 黒服の男は、真吾のすごんだ声が全く聞こえていなかったかのように、表情も声の調子も変えず淡々と続ける。 「これは俺たちの情けだ。自分の始末をつけるのは自分が一番ふさわしい。人を殺すことができるのなら、自分を殺すこともできるだろう。腹切りはひとつの責任の取り方だ。お前は今ここでしでかしたことの責任をとれ」 「ハア?何ですって?こいつでどうしろって?」 真吾は左手でさっとドスを拾い上げると、右手で柄を持ち、スラリと抜いた。 「リッパなドスじゃねえか」 意外なほどしっかりした作りの見事なドスだった。しかもドスというにはかなり長い。 日本刀とドスの中間くらい、脇差といってもいいほどだ。 真吾はこれまで何度もドスを見てよく知っている。組の武器庫にたくさんあるからだが、使ったことは一度もない。脅しにはナイフのほうが取り回しがよかった。だが手に持ったドスの重さと、金属を超越したような刃の輝きは、いやがうえにも凶暴さをたきつけ、優越感をあおった。 サングラスの男は、ドスに見入る真吾に平然と話しかける。 「ヤクザの息子なら最期は男らしくしろ、さっさと腹を切れ、悪党らしく、いさぎよくな…」 「やかましいっ!うだうだごたくを並べやがって!どこのバカだか知らねえが、俺にドスを持たせるとは、たいしたお人よしもいたもんだ。 ナメるんじゃねえぞ、三下!時代劇じゃあるめえし、何が腹を切れだ!そんなに腹を切るのが見たきゃ、切ってやるぜ、これでもくらえ!」 真吾は両手でドスを中腰に構えると、いきなり弾丸のように飛んで、黒服の男に、全体重をかけ体当たりした。 長いドスが男の白いシャツにめりこむ。 男は衝撃でよろめき、うっと一言うなったきり、あとは声もなくその場に崩れ落ちた。 「へっ、ざまあみろ!わかったか、バカやろう!俺をナメるとそんなめにあうんだぜ!」 真吾は、あっけなく倒れて、川原の石の上に敷物のようにのびている男を見下ろし、勝どきのように得意がった。 「やったぞ!一発だ!たった一発でやっちまった!俺って強すぎる、ドスの天才だ、ホッホウ!」ドスを振り回しながら小躍りする。 「今のを親父に見せたかったなあ、組のみんなにも。伝説になるぜ、キャッホウィ!」 前に高校生を殺したときと同じように高揚感にとらわれてうかれていた真吾は、もう一人いたことに気づいて、ハッと向き直った。 見ると、瞬時に相棒を殺された茶髪の若者は、身じろぎもせず、こちらを見ている。サングラスの下の目は恐怖に凍りついていることだろう。 「おい、お前!今のを見たろう、俺に対してふざけた態度をとる奴はこうなるんだ。よく覚えておきな」 茶髪の若者の唇は固く引き結ばれ、頬は緊張のためか引き締まっている。 真吾は腕をぴんと伸ばしてドスを茶髪にまっすぐに向け、ヘビのようににらみつけながら、自信に満ちて言った。 「ま、お前が手をついてあやまるってのなら、許してやらないこともないけどな、さあ、どうする?へへへ…」 若者は顎を引き、サングラスの底から真吾を無言で見つめていたが、やがて、つと右手を、ブロンズと金色がまじった豊かな巻き毛へともっていき、頭の後ろをかくようなしぐさをしたかと思うと、その腕を、何かを高々とささげ持つように、空に向かってまっすぐにのばした。 このときかすかに、シュルンと金属がこすれるような音がした。 手は、何かをつかむように、親指と他の指で輪を作っている。 と、のばした腕を静かにおろし、輪を作った右手を顔の近くへもってきた。 それと同時に、スッと左手を右手の下へもっていき、同じように親指と他の指で輪を作る。 見えないバットで見えないボールを打つようなかっこうとなった。何かの構えと見えないこともない。 突然のパフォーマンスの一部始終を見せられていた真吾は、たまらず笑い出した。 「おいおい、かっこいい茶髪のおにいさん、ピアスのあんちゃんよう、それは何のマネだ、何かの拳法のつもりかい?それにしちゃ、間の抜けた構えじゃないか。 あ、わかった、お前ら、やっぱりなんかの宗教だな、それは魔よけのおまじないなんだろう、そんなもんで俺に勝てるってのか、ふざけるのもいいかげんにしろよ…」 真吾の目は大きく見開かれた。 灰色の空にまぎれて、それまで気がつかなかったが、夕暮れのかすかな光が、一瞬それをぎらつかせた。 茶髪の、丸めた右手の上、五センチぐらいのところに、刃が浮いていた。 4センチくらいの幅で、見事なまでに切っ先が研ぎ澄まされた、反った刃が天を突いていた。 若者の右耳の金色の小さなピアスと、刃の細長い銀色が、妙に薄明かりに際立つ。 若者は両手で長いドスの刃を空中に浮かせていたのだ。 「キャハハハハ」 真吾はすっとんきょうな乾いた笑い声をあげた。 「お前、マジシャンだったのか、空中に刀を浮かせるマジックをタダで見せてくれてるってわけだ。おもしれえ、で、それに何の意味があるんだ?だいたいそいつは本物か?」 本物だった。真吾はひと目でわかった。日本刀は見たことがある。九頭竜会の武器庫には、チャカやヤッパにまじって日本刀が二振りだけあった。若者頭の小坂は、巨大なカミソリのような日本刀を、白木の鞘から恐る恐る抜きながら説明したものだ。 いまどきどこの組にだって日本刀をまともに使える奴なんていやしません。重いし、ほんとうに危ないもんですからね。これ全部刃なんですよ… あの威圧感と殺気は一度見たら忘れられない。 その日本刀が振り上げられて目の前にある。真吾の心をはじめて不安がよぎった。 彼と対峙している若者は、どういうトリックか、本物を宙に浮かせていたのだ。 真吾は唇をなめた。 「よくわかった。おまえはいっぱしのマジシャンらしい。しかし、まさかそれでかかってこようってんじゃあるまいな。お前も相棒と同じになりたいのか!」 鋭く脅したつもりだったが、若者は両手を静かに下に下ろしただけだった。 その手に操られるように、長い刃も下へ下りて、切っ先が地面に近づく。 若者は八双から下段の構えとなり、真吾の方へ一歩踏み出す。 刀も地面の上を滑って前に出る。 真吾はぎくりとした。こいつ、かかってくる気だ。 「俺を怒らせるなと言ったろう! ケガするぜ、ケガだけじゃねえ、お前のダチと同じ目にあわしてやる…」 茶髪はなおも近づく。刀もつられてするする滑ってくる。 「近寄るな!この野郎!」 真吾は右手に持ったドスを茶髪に向けてめちゃめちゃに振り回した。 茶髪がすっと両手を上のほうへ上げた。 その先の刀は、ほとんど見えない、光のような速さで、上に向かって振り上げられた。 ギャリーン! 真吾のドスは上のほうへはじき上げられ、それを握っていた真吾も吹っ飛ばされた。 すごい力だった。 茶髪の若者は日本刀を完全に掌握していた。 重い刀を軽々と、自分の手の延長のように操ることができるのだ。 ドスを放さなかったのも、そのままぶざまにひっくり返らなかったのも、単にちょっと運がよかっただけだ。 風にあおられる木の葉のように、ひらひらと倒れそうになりながら、どうにか体制を立て直し、あわせて受けた衝撃を押し隠して、両手でドスを中腰に構えると、あの長身の男を倒したのと同じ要領で、「うわあ!」と叫び声をあげ、身体ごと、茶髪の腹めがけて飛び込んだ。 ごつごつした石の上をしばらく走ってから、若者がいないことに気づいた。 真吾は誰もいないところへ飛び込んでいた。 あいつはどこへいった?あたりをキョロキョロ見回す。 茶髪は真後ろにいた。かわされたのだ。 若者はさっきと同じポーズで、静かに日本刀を下段に構えている。 夕闇に白い顔が無表情に浮かぶ。 サングラスは洞窟の中のように暗い。 「やろう!」 真吾は頭に血がのぼってきた。苦もなく自分をコケにする奴は、それだけで我慢がならない。 もう一度ドスを中腰に構えなおすと、再び「くたばれっ!」と若者に向かって飛び込んだ。 またしても勢いは空回りし、真吾は空にぶつかり、ドスは空を突き刺していた。 闘牛士にあしらわれる牛さながら、やすやすとかわされてしまったのだ。 強い、こいつは手ごわい。予想外に、こういったやりとりに慣れている。 あっさりやられたでくのぼうとは違う。ただの茶髪ではなさそうだ。 ならば、これではどうだ! 真吾はドスの柄の付け根、ちょうどドスの重心あたりを右手の親指と人差し指でつかむと、槍のように、若者の顔に向けて勢いよく飛ばした。 チャン! ドスは叩かれるハエのように、こともなげに、茶髪の刀で石の上にはたき落とされた。 真吾は全身に汗がふきだしてきた。このときはじめて身の危険を感じた。 こいつはただものではない。自分が立ち向かっているのはとほうもない達人だったのだ。 自分と同じくらいの歳に見える茶髪の男は、何者か知らないが、とてもまともに太刀打ちできる相手ではなかったのだ。そうとわかれば、次の手はひとつ。 真吾は狡猾にも、時と場合に応じて、いくらでも卑屈になることができるのだ。 「ま、まいった、まいった、俺の負けだ」 真吾は崩れ落ちるようにその場にうずくまった。 「あんたは強い、とてもかなわねえ、たのむからもう勘弁してくれ」 いまにも涙を流しそうに懇願する。 「あんたを刺そうとした俺がまちがっていた。どうか機嫌を直してくれ。俺ってやつはいつでも調子に乗りすぎるんだ。本気じゃないんだ。悪気はないんだ。」 茶髪は同じポーズで、なんとも答えない。 「あんたの相棒をやっちまったことも謝る。すまん、はずみだったんだ。はずみで、つい、手が勝手に動いちまった。許してくれ。悪かった、お願いだから許してくれ…」 真吾はいまや完全に土下座をし、額を石にこすりつけていた。 「拾え」 茶髪が鋭く言った。心なしか声にいらだちが含まれているように感じる。 思ったとおり、達人ともなると、まともな勝負はできるが、土下座する人間などは殺せないのだ。「ドスを拾え」 茶髪はなおもうながすが、真吾は起き上がろうとしない。 「たのむ、たのむ、お願いだから…」 真吾は脅えた涙声で、両手と額を川原の石に這わせ、茶髪の前にひれふしたが、じつは両方の手の指を少しづつ動かして、石を握りはじめていた。 「さっさと起き上がってドスを持て」 真吾はしかたなく、そろそろとおそるおそる顔を上げていったが、途中いきなりがばっと上体を起こすと、両手に握った野球のボールほどの石ころを、茶髪の額めがけて力いっぱい投げつけた。 ものの見事に茶髪のふいをついた、つもりだったが、 石は暗い宙をうなりをあげて飛んで、二つとも彼方の川原へカランと落ちただけだった。 茶髪はいつのまにか真吾の真後ろに立っていた。 「ひえええええっ!」 真吾のほうが虚をつかれ、幽霊でも見たような声をあげて飛びのいた。 「ドスを拾え」 「かんべんしてくれ…」 完敗だった。もはや打つ手はなく、とてもかなう相手ではなかった。 真吾は生まれてはじめて心底脅えていた。 自分が殺した高校生たちもこれほど脅えたのだろうか、などとさえ思いやる余裕もなかった。 「ドスを持って死ぬか、丸腰で死ぬか、選ぶのはお前だ。お前がドスを持っても持たなくても、俺はお前を斬るぞ。 我らは天誅団、平成幕末を騒がす不埒者どもに天誅を加える。高校生殺しの大罪人、九頭真吾、ここに貴様を誅す。」 若者は決然と言い放った。宣告だった。 ここには助けてくれるものは誰もいない。親父も、手下同然の仲間たちも、真吾を若様扱いしてくれる組の連中もいない。真吾は、どうしようもなく、避けようもない事態〜最期のときが、なんともそっけなく壁のように目の前に迫ってきていることを悟った。 茶髪の言った天誅団とは何なのか問いかける余裕すらなかった。 「やああああああっ!」 真吾はとっさにドスを拾うと、めちゃめちゃに振り回しながら、茶髪に正面から飛び込んだ。 バシュッ! 下段から振り上げた刀が、真吾の胸をなでた。 刀は、切っ先から、薄い囚人用シャツと皮膚をなかったかのように切断し、肉にめり込むと、そこにあった何本かのあばら骨を断ち切り、その内側の肺と心臓に近い部分を真っ二つにしたのち、再び皮膚と服をすっぱり切って、するりと背中へ出た。 直後、真吾はへなへなと崩れ落ち、ドスを落として、ぺたんと川原の石の上に正座するかたちになった。そのままひくひくと上半身をけいれんさせる。目にはもはや生気はなかった。 胸から背中にかけての細い線のようだった傷からは、血が流れはじめ、囚人服の胸から下を赤黒く染めていった。 茶髪でピアスの若者は、ため息もつかず、呼吸を乱すこともなく、淡々としていた。 右手を動かし、刀をひと振りして血を払うと、左手で腰のポケットから小さな布切れを出して、刀の身をすばやくぬぐい、それを再びポケットにしまいこんだのち、こんどは薄い手袋を取り出すと、口を使って左手にはめた。上体をすこしかがめると、左手を首の後ろのほうにもっていき、空中で何かをつかまえるしぐさをした。 と、右手首をうごかしてその先にある刀を操ると、その切っ先を空をつかんでいる左手の親指と人差し指の間に入れる、と、刀はどんどんその姿が消えていき、左手と右手がくっつきそうになったとき、パチンと音がして刀は完全に見えなくなった。 パチパチパチと音がすると、倒れていたはずの長身の黒服の男が、暗がりの中から、拍手をしながらのっそり現れた。 「たいしたもんだな、半次。見事な腕前だ。やはり剣はお前が一番だな。とても初めて人を斬ったとは思えん。」 サングラスの奥の目が細くなっているようだ。 ピアスの若者もすこしてれたように言う。 「ゾウさんも前にやってるじゃないですか」 「俺のは据物切りだったからな。ま、これからは二人とも、手合わせみたいなのが多くなるだろうが…どうだ、人を斬った気分は?」 「正直、複雑だが、仕事だからいいんでしょう、悪党だからね。ところでずいぶん大きな穴をあけられましたね」 半次と呼ばれた若者は、ゾウさんと呼んだ相手の、真吾のドスによって切り裂かれたシャツの裂け目を見ながら言った。 白いシャツの下から灰色の下着のようなものが見えているが、それには傷はついていなかった。 「アザになるかもな。こいつはまだ改良の余地があるぞ。手袋と同じものだと言っていたが…上着のジャケットに使ったほうが効果的だ」 「この手袋はいいですね。背中は見えないから、刀を扱うのはどうも…下手をするとケガしてしまう」 「さてと、準備するとするか。俺は台を用意しよう、お前はカメラを…」 と言いかけて、ゾウさんと呼ばれた男はあきれたように苦笑しながら言った。 「おいおい半次、とんだつや消しだぞ」 前の方に顎をしゃくる。 なんと真吾はまだ生きていた。 だらしなく正座しているような格好で、胸から下を赤黒く染めながら、ひっくひっくと咳をするように細かく動いていた。 口をぱくぱく動かして何かを言いそうにさえしている。 「チッ」半次は大きく舌打ちをした。サングラスの下の目が怒りで鋭くなったようだ。 自分の手際は完全ではなかったのだ。 ゾウさんに指摘されるのはいい。取りこぼしをして気づかなかった自分のうかつさに腹が立った。自他共に認める腕前にしょっぱなからケチがついてしまった。 半次はやにわに、右手を背中に回すと、さっと上げ、空をつかんで再び刃を出現させた。 たちまち左手をそえ、刀を操る八双のポーズをとると、だっと飛び出しざまに、真吾の首をしゅっと払った。 真吾の頭は、細かい血をまき散らしながら、くるくると回転し、勢いよく宙を舞った。 |
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