まが玉祭

 相模三之宮日比多(ひびた)神社 [神奈川県伊勢原市在] は、霊峰大山を神体山にして社を神武年間に建立し、豊國主尊を祀ったことに始まると云われます。また、この地には古代の玉造り工房の跡が発掘されていて、勾玉(まがたま)の首飾りが多数出土し、資料館に今も大切に保存されています。
五月の第三土曜日と翌日の日曜に、「まが玉祭」が催され、土曜の夜は、特設した舞台の上では雅楽が奏でられ、舞楽と続き、いにしえの頃にみな心を馳せます。なお、雨天では社の内で舞っていましたが、数年前からは、屋外の舞台に屋根が掛けられています。


 北条政子は、近くの日向(ひなた)薬師へ、夫・源頼朝病気平癒の祈願にお参りしていますが、実朝の出産に際しても、神馬をこの日比多神社へ奉納しています『吾妻鏡』。


 相殿に大酒解神(おおさかとけのかみ)・小酒解神(こさかとけのかみ)を祀り、酒造りの神様として現在も、酒造家から篤く信仰されています。日比多神社の参道沿いに酒造所が建ち、大山からの地下水が汲み上げられ、この地ならではの銘酒が生み出されています。

http://www.kanagawa-jinja.com/mem/main/135.html


大山

日比多神社の参道沿いに建つ造り酒家

舞楽


蘭陵王(らんりょうおう)

中国北斉(五五〇頃)の蘭陵王長恭(ちょうきょう)は顔かたちが美しかったので、戦場での味方の志気が上がらなかった。そこで、戦場に向う時はいつも勇猛な面をつけて兵を指揮して、勝利を収めた。ある時、周の大軍と戦い、金庸城の敵の中へ深く攻め入ってこれを破った。将兵達が蘭陵王入陣曲を作って歌い、敵をうち破るありさまを舞としたものである。左手は剣印を結び続けて舞う(2001.5.19撮影)。

[別名:陵王、羅陵王、没日還午楽]
 (唐楽、壱越調、破、中曲、早八拍子、拍子十六、古楽。舞あり(舞人一人、走舞)。
 元は沙陀調の曲であった。林邑八楽の一つである)

http://www.geocities.jp/gagaku_ryuteki/ichikotsucyo.html

蘭陵王

 魏から隋に変わる中国南北朝時代(北斉、北周、陳の三国)の北斉(初代は文宣帝)の将軍であり、蘭陵郡の郡王に封ぜられた蘭陵王と呼ばれた高長恭(こうちょうきょう)は実在の人です。{父は、東魏の重臣の高澄(こうちょう北斉の初代の文宣帝(高洋)は高澄(父)の弟であり、高澄が即位を目前にしながら暗殺された翌年高洋(こうよう)は北斉を建国します}。つまり、蘭陵王の叔父が北斉の皇帝でありました(2001.5.19撮影)

蘭陵王

 陵王は、赤色裲襠装束を纏い、龍とも金翅鳥(こんじちょう;インドの神話・仏典に見える想像上の鳥。八部衆の一つ迦楼羅(かるら)とは別のものであったふが、同一視されるようになった)とも云われている彫り物を頭に載せ、顎(あご)がゆれるの面を被り、右手に色の撥(ばち;元はもっと長く、「鞭(べん)」という打撃用の武器であった)を持ち、左手は剣印という形に指を折り舞います。両手を高く挙げ、活発に舞う姿は勇壮で、左方(唐舞;の装束)の走物の代表とされ、右方(高麗舞;の装束)「納蘇利(なそり)」と共によく舞われます。舞楽のうちでも最も軽快華麗なものといえます。次第は、小乱声、太鼓と笛の追吹のある陵王乱声、、沙陀調音取、当曲、安摩乱声の順に奏して舞います。番舞は「納蘇利」(2001.5.19撮影)。

納蘇利(なそり)

 面を着けず、童舞の場合によくみられる天冠を着けて龍を舞っています(2001.5.19撮影)

[勾玉(まがたま)の起源は、
魚形起源説・腎臓模倣説・胎児模倣説・釣り針起源説・獣牙起源説などあり定まっていませんが、日比多では、胎児を模ったものと解釈し、女性の祭事としています。そのため、主に女性が舞います]

http://www003.upp.so-net.ne.jp/kodaisi/magatama.htm

蘭陵王

日本へは天平八年(七三六)に婆羅門(バラモン)僧正や林邑(ベトナム)僧である仏哲が伝えたという説や、平安初期に尾張浜主が唐から伝えたという説があります(2001.5.19撮影)

蘭陵王

曲、舞ともに中国伝来とされますが、バリ島の神事劇に使われる目玉の飛び出た面(想像上の聖獣とされるバロン・ケケット)**にも似ています(2001.5.19撮影)

** http://www.sankokan.jp/selection/e/esea/esea005.html


蘭陵王

 独特の鞨鼓(かっこ)のリズムで始まり、軽妙です速い動きの舞とその特徴ある身振りは一度眼にしますと、哀愁あふれるその旋律が忘れられなくなります(2001.5.19撮影)。美しく短命に終えた高貴な将軍を、後世の人が愛して止まなかったからこそ、今もこうして日本中で演奏されるていのでしょう。


 晩年の蘭陵王高長恭は、暗愚なる君主の皇帝高緯から死を賜ります。
死の目前、蘭陵王は妃・鄭氏に、「わたしは忠義でもって皇上に仕えてきたというのに、皇上は何を罪として鴆毒を遣わされるのだろうか」 と漏します。妃がどうして皇上に会おうとしないのか、と問うと、蘭陵王は皇上はどんな理由だったらあってくれよう、と絶望します。そして、自分が持っていた債券をすべて焼き捨て、鴆毒*(ちんどく;ちんという名の鳥の羽にある毒)を飲み薨(こう;親王の死の意味)じます。

 
蘭陵王は史書に、「貌柔心壮、音容兼美」(容貌は柔和で心は勇壮、声も姿もともに美しかった)とあります。おいしいものが手に入ると、たとえそれが一個だけだったとしても、部下と分け合って食し、些細な罪ならあえて罰しないという優しさ持っています。洛陽での戦いのあと、武成帝から褒美として美女二十人を貰っても、そのなかからただ一人だけを受け取ったともあります。

 優しく、美しかった蘭陵王だからこそ、短命(30歳前後)に終わってしまったのかもしれません。

  http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper01/chincho.html







爽やかな衣でとても優雅に舞っていました。平舞の一つと思います(2001.5.19撮影)

納蘇利

 
を基調にした衣装を身にまとい、右手にの撥(ばち)を持ち、天冠を着けて軽快に舞っています(2004.5.15撮影)



漆黒の夜九時におわります

[補足]

まが玉祭では、舞楽の蘭陵王(らんりょうおう)が毎回のように演奏されます。晩年、暗愚な皇帝によって蘭陵王は死を賜り、鴆毒(ちんどく)で若くして服毒自殺しています。
 鴆とは鳥の名で、その羽根と皮膚に毒があるというのです。現在の中国にはこの鴆鳥が生息していないため、神話(伝説)ではないかと長いあいだ云われてきました。

 近年、シカゴ大学のJohn Dumbacherらが、ニューギニアのジャングルで羽根に毒のあるスグロ・モリモズが発見され、科学雑誌”サイエンス”ヘ「鳥類で初めて発見された毒性物質」の研究を1992年に報告したそうです。その毒はステロイド系アルカロイドの「ホモバトラコトキシン」であり神経毒だそうです。類似する毒のパトラトキシンは、コロンビア産のガマにもあり、毒矢に使われるとあります。食性により毒を持つようになったそうです。

 羽根に毒があるため、スグロ・モリモズは、蛇や鷹には襲われないそうです。 鴆鳥の水辺では、魚も死んでしまうと想像しています。

 この鳥(スグロ・モリモズ)が紀元前から毒薬として使われていた鴆(ちん)であるかいなかは、結論づけられていませんが、そのような毒の羽根を持つ鳥がいたのは、事実であることが判ったのです。

http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper01/chincho.html
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper04/shiryoukan/me059.html

参考資料

http://www4.kcn.ne.jp/~maruo-m/bugaku4.html
http://tenweb.at.infoseek.co.jp/ranryo/index_r.htm
http://www.kyoto-ap.ne.jp/gagaku/bugaku/bu-ranryouou.htm
http://sak2-1.tok2.com/home/rankou/syoyou/ranryo/cyokyo.html