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発売日

タイトル

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プレイ終了

1999/04/01
ときめきメモリアルドラマシリーズ vol.3
旅立ちの詩

コナミ
★★★★★
2005/01/14
1998/03/26
ときめきメモリアルドラマシリーズ vol.2
彩のラブソング

コナミ
★★★★
2005/01/10
1997/07/10
ときめきメモリアルドラマシリーズ vol.1
虹色の青春

コナミ
★★★★★
2005/01/02

 なぜ、今頃?という感もある。もちろんファーストプレイでもない。たぶん、5〜6回目。ただ単にPSのエミュレーターがまともに動くようになり、PSでやりたいソフトは?と考えたところ、このゲームが候補に挙がったというだけ。とはいえ、それくらい好きなゲームなのだ。それぞれ独立にページを作って書くような物でもないので、ひとまとめにしておく。

 ときメモのはまったのはPS版から。館林以外のヒロインは全部攻略したはず。当時はアメリカで学生をやっていたのでヒマだったというものあるが、めちゃめちゃはまった。しかし、今までの私のプレイの傾向だと、はまったゲームは複数回やり直すのが常だった。しかし、ときメモ本体はそれ以降全くプレイしていない。1プレイに時間がかかるというのも大きな理由だが、「イマドキ高校生のカップルが、卒業式まで告白を待つとも思えないし、キスはおろか、手もつながないなんてあり得ない」という疑問が生じた。

 一方、同時期に同級生2や下級生が発売され、これはたぶんに漏れず、セックスもある「イマドキの高校生らしいお付き合い」を再現していた。当時、20代半ばだった私としては、同級生2や下級生の方が「自然」に見えたのだった。

 さて、昨今(2005年1月現在)、あの失楽園で有名な渡辺淳一著「愛の流刑地」(日経新聞朝刊の連載小説)がおっさんどもの朝の密かな楽しみになっているらしい。「冬のソナタ」人気で脚光を浴びている韓国流純愛や、「セカチュー」こと「世界の中心で、愛をさけぶ」(片山恭一著)で書かれている儚い純愛に対するアンチテーゼのようだ。

 いま、純愛ブームだという。肉体関係がない、精神的なつながりだけの愛が純粋だと思いこむ。だがそれは単に未熟な幼稚愛にすぎない。精神と肉体と両方がつながり密着し、心身ともに狂おしく燃えてこそ、愛は純化され、至上のものとなる。

 今度の小説は、その純愛のきわみのエクスタシーがテーマである。その頂点に昇りつめて感じた人と、いまだ知らぬ人との戦いである。最高の愉悦を感じるか否かは、知性や論理の問題ではなく、感性の問題である。
(渡辺淳一氏が「愛の流刑地」連載に当たって、日経新聞によせたコメントより)

 まあ、私が20代半ばで感じたこと程度のことを、偉そうに語るこのおっさんもいいツラの皮だと思うが…。

 はてさて、セックスのあるお付き合いが自然に見えたときから早10年。いまでもセックスのあるお付き合いが自然だと思っていることに変わりない。「肉体関係がない、精神的なつながりだけの愛が純粋」だとも全く思わない。しかし、この歳になって、ときメモドラマシリーズをプレイして、つくづく思ったことがある。

 実はこれって、フィクションなのだ、ということ。しかし、そのフィクションがその人の恋愛の立脚点だということ。また、二度と帰れない場所なんだということ。SFやファンタジーと同じで現実社会には絶対にあり得ないもので、自分に都合のいい思い出(人はそれを青春というらしい)を刺激され、郷愁を喚起される。そういった効能がある。冬ソナやセカチューは見たことがない(一生見ることもないと思うけど)が、少なくともときメモドラマシリーズはそういう効能がある。

 「ヒロインを口説く」というハンティングゲームであるときメモ本体より、ストーリーを追うAVGであるドラマシリーズの方が好き。このドラマシリーズのおかげで未だに「ときめきメモリアル」というゲームが私の中で金字塔になっている。

 もちろん、この歳になればヒロインの性格やドラマシリーズのご都合主義など、鼻につく部分も多い。しかし、肉体関係の有る無しというのは、その鼻につく部分の1つに過ぎず、それは決して本質ではないと思えるようになってきた。もしかしたら冬ソナやセカチュー(繰り返すが一生見ないよ)好きの人たちも同じなのかもしれない。

 別に「純愛を体験」したい訳ではないし、「セックスと純愛の関係」を考えたいわけでもない。ただ単に、その郷愁というか青春というか、そういったものをふり返りたいというだけに過ぎない。という意味で渡辺氏の言っていることって、私にとっては全然とんちんかんな感じがする。吉野家の名カキコ風にいうと「お前、セックスシーンを日経新聞の朝刊で書きたいだけちゃうんかと?」。

 ときメモドラマシリーズに出てくる出来事(に近いもの)は、この先私が死ぬまで出会うことはない。もう後戻りできない「未熟さ」がこの手のストーリーのポイントだからだ。しかし、未熟さを昔に置いてきてしまった私には、悲しいかな二度と体験するはできない。一方、渡辺氏の書く「純愛」なんて、この先にも体験するチャンスは有るかもしれない。すなわち、「この先、体験するかも」とという妄想をふくらますのか、「そういう気持ちもあったよね」と郷愁にふけるのか…、根本的に楽しみ方が全然違うということだ。楽しみ方が違うということは、勝負する土俵が違うわけで、これらを比べることは「1mと1kgのどちらがすっぱい?」という比較をしているに過ぎない。

 渡辺氏が仕掛けてきた(?)この話の結論は「若い女体を弄べる機会を探りつつ、郷愁にふけるのが正しい人生の楽しみ方だ」ということかな?

 うーむ、長い前置きだなぁ。ページを分けておいた方が良かったかな?

(記:2005年01月20日)

○虹色の青春

 実は、この一連のドラマシリーズの中では一番好き。ボリュームも他2作に比べると少ないし、登場人物も少ない。でも、サッカー部で補欠というのが、非常に「刺さって」しまう。私は全くサッカーのセンスは無かったが、サッカー部で補欠というのは一緒。あの補欠組みとレギュラー組みの間にあるふかーい溝、補欠組みの悲哀…。なかなか良く表現されていましたよ。

 まあ、私の場合はあんなにがんばったわけではないし、元々センスも無かったので、虹野さんみたいなマネージャーに応援もされてもエースストライカーはおろか、レギュラーにすらなれかっただろう。でも、青春の1ページを彩る思い出のオルタナティブとして、このゲームは非常に楽しめた。

 ヒロインの虹野さんについてひと言。実際、あんなに献身的な(というか男に都合のいい)女はこの世に存在しないし、逆にあんな女がホントにいるとちょっと「アタマ大丈夫か?」と心配になってしまう。特にこの歳になって思った感想が「虹野さんって感情のないアンドロイドみたい」。最も、私にとってあまり魅力的なヒロインがいないときメモの中では、好きな方に入るんだけどね。

○彩のラブソング

 第2弾は青春学園ドラマの王道。ストーリーのクライマックスに「片桐さんの転校」を持ってきたところは、あまりに凡庸だと思ったけど、それ以外はなかなか良かった。

 特にスランプに陥った主人公がスランプを脱出するところや、クリエイターである主人公のコダワリがバンド内の不和の一因になったりするところなどは、良くできている。

 ただ、メインヒロインである片桐さんがちょっとかわいそう。「王道ヒロイン」な鈴音ちゃんがふられて、「奇天烈ヒロイン」な片桐さんとくっつくというストーリーはあまり多数には受けないのでは?個人的には鈴音ちゃんの方がいいし。

○旅立ちの詩

 なかなか含蓄の深いゲームだと思う。「『しょうがない』ということに逃げてはダメ、がんばっただけではダメ」。サッカーの才能もなく、作曲ができるわけでもない平凡な主人公が、そういう結論に達するプロセスが良かった。そういった成長に女(詩織)が絡んでいるのもリアルな感じがした。

 ストーリーは非常に良いし、主演女優としての詩織もいい味を出しているのだが、どうもこの女「友達に噂されると恥ずかしいし」のイメージが強い。「は〜?自意識過剰なんだよ!誰もてめぇなんぞにそんなに注意を払ってねぇよ、あほんだらぁ!」と思って早10年。未だに引きずっている?

(記:2005年02月18日)


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