一部盗作有り

HISTORY
☆ELVISがアーティストとしてのスタートから現在までを紹介します☆


1946年
両親から誕生日に初めてのギターをプレゼントされる。
 
 
 
1948年9月
経済上の理由でテュペロからメンフィスへ移る。両親とともにメンフィスの貧しい地区の低家賃の公共住宅で生活する。
 
 
 
1953年夏
サム・フィリップス率いるサン・レコードの前身メンフィス・レコーディング・サービスに立ち寄ったエルヴィスは、初めての非公式レコーディングの機会を得る。
ちょうどフィリップスが不在で、アシスタントのマリオン・ケイスカーがエルヴィスの「マイ・ハピネス」や「心のうずく時」のデモ収録に立ちあった。
 
 
 
1954年7月5日〜6日
彼の最初のコマーシャル・レコーディングがサン・レコードにてサム・フィリップス立ち会いのもと行われた。
サン・レコードからリリースされたファースト・シングルはアーサー・ビッグ・ボーイ・クルーダップの「ザッツ・オール・ライト」(c/wブルームーン・オブ・ケンタッキー)である。
地元メンフィスを中心にローカルヒットし注目をあびる。
 
 
 
1954年7月30日
メンフィスのオーバートン・パーク・シェルで開かれた彼の初めてのプロとしてのパフォーマンスこそ、あの"足を振るエルヴィス"の始まりの舞台である。
 
 
 
1954年10月2日
ランド・オール・オプリーでのパフォーマンスは彼にとって最初で最後のものとなった。
エルヴィスの刺激的なパフォーマンスにショックを受けた保守的なオプリー側は「トラック・ドライバーに戻ったほうがいい」とエルヴィスを中傷した。
 
 
 
1954年10月16日
ルイジアナ、シェリヴポートのサタデー・ナイト・カントリー・ミュージック・ラジオ・ショーである「ルイジアナ・ヘイライド」に出演する。
このラジオ番組を通じて、彼はカントリー・スター・ハンク・スノウのプロモーター兼マネージャーであるトム・パーカー大佐(後のエルヴィスのマネージャー)に出会う。
 
 
 
1955年5月13日
フロリダ、ジャクソンヴィルで行われたコンサート後、初めてのファンによるパニックが起こった。
彼がショーの終わりに「ガールズ、じゃあバック・ステージで」と言葉を残して去った直後であった。
 
 
 
1955年11月
サン・レコードのサム・フィリップスはパーカー大佐を介してエルヴィスの契約を前代未聞の価格3万5000ドルでRCAに売却した。
 
 
 
1956年1月
エルヴィス21歳の誕生日の2日後、ナシュヴィルにてRCAレコードでの初めてのレコーディングが行われ、1月27日ファースト・シングル「ハートブレイク・ホテル」がリリースされる。
彼にとっては100万枚以上の売り上げを記録したファースト・シングルとなった。またこのシングルで初めてのゴールド・ディスクを獲得した。
 
 
 
1956年3月13日
RCAからリリースされた第一弾アルバム、「エルヴィス・プレスリー登場!」はポップ・アルバムとしては初めて100万ドルを超えるセールスを記録した。
エルヴィス自身にとっても初めて獲得するゴールド・アルバムであった。
 
 
 
1956年4月23日
初めてラスベガスでのパフォーマンスが行われる。しかし観客は思ったより年配で当時の中心的なファンではなかった。
そのためショーの反響はいまいちで、皮肉にも後年の彼のラスベガスでの成功とは裏腹であった。
 
 
 
1956年6月
ミルトン・バール・ショーで議論を呼ぶに値するセンセーションな彼の「ハウンド・ドッグ」のパフォーマンスが、全国的な熱狂を引き起こした。
 
 
 
1956年7月1日
スティーヴ・アレン・ショーに出演する。裾のある黒のタキシードに身を包み、本物のハウンド・ドッグに歌いかける、より控えめな「ハウンド・ドッグ」を披露した。
 
 
 
1956年8月
初めての出演映画 『やさしく愛して』 (20世紀フォックス)の撮影が開始される。
 
 
 
1956年9月9日
初めてエド・サリバン・ショーに出演する(その後2度出演する)。エド・サリバン・ショーは当時バラエティー・ショーのなかでは最も人気のあったテレビ番組である。
 
 
 
1957年1月
エド・サリバン・ショー3度目の出演では、上半身しか映さなかったことで有名である。
 
 
 
1956年9月26日
ミシシッピー州イースト・テュペロでは1956年9月26日が"エルヴィス・プレスリー・デイ"と宣言された。
帰郷した彼は10歳のころ出演した同じフェア、メンフィス・アラバマ・フェアとデイリー・ショーの2公演をこなす。2万2000人ものファンが集まった。その数はテュペロの総人口を超えていた。
 
 
 
1956年〜1972年
2つのドキュメンタリーを含む33作品もの映画に出演する。
 
 
 
1957年12月
アメリカ陸軍から彼に届いた召集令状に対し、パラマウント映画は次回作品『闇に響く声』のため、2か月の徴兵猶予を依頼する。
 
 
 
1958年8月14日
メンフィスで母グラディス・ラブ・スミス・プレスリー死去。フォレスト・ヒル墓地に埋葬される。
 
 
 
1959年11月
ドイツ、フレイバーグに駐屯中に14歳のプリシラ・ボーリュー(彼女の父はU.S.エア・フォースに勤務)と出会い、1967年5月1日結婚、1968年2月1日リサ・マリー・プレスリーが生まれる。
 
 
 
1961年3月25日
パール・ハーバーのブロック・アリーナにての最後のパフォーマンスをする(その後1968年まで彼のパフォーマンスは見られなかった)。
このコンサートで6万2000ドルがUSSアリゾナ・メモリアル基金として集められた。
 
 
 
 
1961年〜1967年
音楽でのライブ・パフォーマンスから離れ、映画でのキャリアに力を入れ、その間18作品もの映画に出演する。
 
 
 
1967年
ゴスペル・アルバム「ゴールデン・ヒム(How Great Thou Art)」をリリースし、初めてグラミー賞(ゴスペル部門)を受賞する。
 
 
 
1968年12月3日
NBCテレビで放映された彼のカムバック・スペシャル"エルヴィス"に出演する。歴史に残るようなすばらしい復活であった。
この番組の成功を皮切りに本格的な音楽活動を再開する。
 
 
 
1969年7月31日
復活後初めてのパフォーマンスがラスベガス、インターナショナル・ホテルにて開かれる。
彼は4週間のライブ・パフォーマンスで、これまでのそのホテルでの総観客動員数記録を塗り替えた。
 
 
 
1970年7月〜8月
初めての彼のドキュメンタリーが制作された。
「エルヴィス・オン・ステージ」は彼のラスベガスでのコンサート中に収録され、リハーサル・シーンやバック・ステージも収録され素顔のエルヴィスを初めて見ることができた。
 
 
 
1971年1月16日
彼は米青年商工会議所の「1970年に最も活躍した10人のアメリカ人」の一人として表彰される。この名誉はそれぞれの分野ですばらしい業績をあげた青年に与えられたものである。
 
 
 
1971年9月8日
ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンスからビング・クロスビー賞を授与される。
この賞を授与されたのは彼が初めてであった。その後この賞は"ライフタイム・アチーブメント賞"と改名された。
 
 
1972年1月
グレースランドの前方にのびる、ハイウェイ51サウスが正式に"エルヴィス・プレスリー・ブルーバード"と改名される。
 
 
 
1972年3月〜4月
全国ツアーの最中、撮影が行われ、その後その映像で「エルヴィス・オン・ツアー」 が制作され、ゴールデン・グローブのベスト・ドキュメンタリーを受賞した。
 
 
 
1972年6月9日〜11日
マディソン・スクエア・ガーデンでの4公演は完売。
同所で行われた連続4公演完売という記録を作った。
 
 
 
1973年1月14日
芸能史上初の全世界衛星中継特別番組「エルヴィス:アロハ・フロム・ハワイ」は世界40か国で放映され、その視聴者は15億人以上にものぼっていた。
その実況録音盤は全米アルバム・チャートで1位を獲得する。
 
 
 
1973年3月
ゴスペル・アルバム「至上の愛」により2つ目のグラミー賞(ゴスペル部門)を受賞。
 
 
 
1973年10月
エルヴィスとプリシラは正式に離婚。
 
 
 
1975年3月
前年の「エルヴィス・ライブ・イン・メンフィス」のなかの「偉大なるかな神」の歌唱で3つ目のグラミー賞(ゴスペル部門)を受賞。
 
 
 
1976年2月
グレースランドの自宅でRCAの移動機材を持ち込み1週間のレコーディングをし、アルバム「メンフィスより愛を込めて」を制作する。
 
 
 
1977年6月26日
インディアナポリス、マーケット・スクウェア・アリーナにて最後のコンサート・パフォーマンスをする。
 
 
 
 
1977年7月16日 
栃木県宇都宮市にて、管理人が産声を上げる。本人は1ヶ月ダブっているが、エルビスの生まれ変わりをいまだに主張する。
 
 
 
 
1977年8月16日
午後3時30分、心臓発作のため死去。翌日8月17日はメイン州ポートランドでショーが予定されていた。
 
 
 
2002年
エルヴィスが他界して25年、エルヴィスは再びヒット・チャートのトップに戻った。
アルバム「エルヴィス30ナンバー・ワン・ヒッツ」は26か国でNo.1を獲得し、世界中で約1000万枚を売り上げた。
また先行でシングル・リリースされた「ア・リトル・レス・カンヴァセーション」も26か国でNo.1となり、350万枚を売り上げた。
 
 
 
2004年 
死後、世界で最も稼いだアーティストの第1位になる。
観光名所になっているメンフィスの邸宅や関連グッズなどで、
今もなお年間約4,000万ドル(約42億円)を売り上げているといわれている。
 
 
 
2006年3月27日
エルヴィスが約20年間を過ごした、テネシー州メンフィスの
邸宅「グレースランド」が国定史跡に認定される
 
 
2006年5月15日
インターネット競売に出されていたメンフィスにあるエルビスの旧宅(1956年から13ヶ月住んでいた)を、ユリ・ゲラーが90万5100ドルで落札する。


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