Special Paperbacked Essays, Vol.31

macspin2

 

教訓;ステージ上でのバック転禁止

- Don't do rolling back of the body on the stage -

 

 

 何が恥ずかしかったといって、脚光を浴びるはずだった場面が一転して恥辱にまみれることくらい恥ずかしいものはない。

 例えば、精一杯着飾っても、背中にクリーニングのタグがついていたりしてその晴れ衣装ぶりが台なしになるがごとし、である。

 そして今回は、ぼくの脳裏に強烈に焼き付いた恥話である。

*

 その昔、ぼくが当時組んでいたバンドが、広島市の西郊外にあるO町という町の町民祭のアトラクションとして出演した時の話である。

 そもそもそのバンドというのは、そのO町民祭に出演するためにいわば間に合わせで作ったバンドで、メンバーにはいつものようにドラムス・T先輩(実はT先輩のドラムスの技量は和製ジョン・ボーナムといわれているほどである)、ギター・ぼく、あとベースが一人に、ボーカルとしてぼくの先輩のイタさん(仮称)という構成である。そして、今回の主役がこのイタさんなのである。

 イタさんは大蔵省所管の地方管区機関に勤めるエリート公務員であり、乗り回す車も当時流行したRX-7、ボーカルとして歌もうまい。と、こう書けば、さも凄い人間のように聞こえるが、さにあらず、さにあらず。

 ぼくがいうのもなんだが、彼は彼のそういう長所を見事に帳消しにする欠点を持ち合わせていた。

 その欠点とは、まず第一に彼の特異なファッション・センスにある。

 通常、彼は仕事柄スーツを着ているのだが、アフターファイヴになると、なぜか革靴を脱いでスニーカーになったりするのである。しかも、スーツ姿のままで、である。

 これなどまだしも、学園祭などに前述のバンドで出演した時など、なんとスウエットにジャージ姿である。さすがにこれには度胆を抜かれ、T先輩などは、

「あんなやつと友だちじゃ思われたら九州男児の恥じゃけえ」

 などと、一時口を聞くのもはばかったほどである。

 そして第二に、彼のステージ上での仕草にある。

 彼は、曲のクライマックス等に差し掛かると、どんな場所だろうと「バック転」をカマすのである。たとえそこがどんなに狭く、また曲がしっとり系のバラードだろうと、彼はのべつまくなしにバック転をカマすのである。しかも、イタさんは身長がさほど高くない。加えて髪型がリーゼントなのである。

 小柄なリーゼントの男がジャージ姿のまま曲の途中でところかまわずクルクルバック転をくり返す・・・観客や友人たちはこの光景を見て、いつしか、

「猿回しや・・」

 と囁きあうようになった。

 いくらビジュアル系ではないバンドといえど、メインボーカルが「猿回し」とまでいわれては、たまったものではない。にもかかわらず、一向に本人は気にしないのが困ったモンである。

 ぼくらとしても、そんな猿回し的芸を売り物にするようなイタさんと出演するのはいかがなものかと考えたが、やはり彼の歌唱力は捨てがたく、その当時迫ってきていたO町民祭のステージにあがるためのボーカリストは、やはり彼をおいて他にあるまい、という結論にいたったのである。がしかし、この時はこの決断がぼくらに未だかつて消えない心の傷を残そうとは思いもしなかったのである。

*

 O町民祭の日は、日曜日であった。

 朝8時頃、ぼくとT先輩は、先輩のワーゲンに乗って、O町民祭が始まる前の会場に一足先にきていた。何故そんなに早く来ているのかといわれれば、無論音出しテストを兼ねたリハーサルのためである。そして、ほどなくベース担当のヤツも来た。

 ところが、約束の時間をとうに過ぎているというのに、イタさんだけが来ないのである。待てど暮らせど来ないのである。

「どうなっとんじゃ、あの『猿』はッ」

 日頃からイタさんを快く思っていないT先輩は、自らの苛立ちをあからさまに口に出していた。

 それにしても遅い。イタさんの住むところからO町までは日曜日の朝ならばわずか30分の距離である。さすがにみんな心配になり始めた。

 そして約束の時間を40分くらい過ぎた頃であろうか、T先輩がいった。

「おいおい、こりゃあ道中事故ったんじゃないんか? 途中まで様子を見に行ってみるかの」

 そうと決まったぼくらはベース担当のヤツだけを残して、ぼくとT先輩でワーゲンに乗ってイタさんを迎えにいった。

 とはいえ、いくらなんでも家まで行くのはちと遠いということで、O町にいくには絶対にここを通るはずだという地点まで行き、そこでイタさんを待つことにした。

 しかし。

 いくら待ってもイタさんらしき車は通らない。時間だけが刻々と過ぎていくのである。

 その場所でこれまた30分くらい過ぎたがイタさんは来ないので、仕方なくぼくとT先輩はまた元の町民祭会場まで戻ることにした。そうして町民祭会場に再び到着しワーゲンのエンジンを切った直後である、イタさんのRX-7がガオガオとうなり声をあげて到着したではないか。絶妙のタイミングと言うべきか、ところがこれほどぼくらを待たせた張本人のイタさんの第一声たるや、

「よおう、なんじゃあ、さっきから目の前に走りよったワーゲンはやっぱりお前らじゃったんか」

 ときた。どうやら迎えにいった地点をまたO町に向けて戻りはじめた時に、イタさんがたまたま後ろに到着していたらしい。しかし、全く遅れたことを悪びれてもいない。

 しかも、イタさんはあろうことか、悠々と彼女を連れてきているのである。ぼくらが日曜日の朝8時に郊外の町民祭会場に野郎同士で来ているのに、である。

「イ、イタよう、今一体何時じゃ思うとるんない」

 待ちに待たされたT先輩が怒りに震えながら言った。 

「それがわからんかったんよ、今日は時計持っとらんのじゃけん」

「ぐ・・8時に、いうて言うといたろう」

「聞いたかもしれん」

「むう・・ほいで、その女ぁ誰じゃい?」

「ああ、カ・ノ・ジョよ」

 さすがにここまで遅れてきた挙げ句、反省なくかわされてはT先輩としてもブチギレであるが、彼というボーカルを失うとこのバンドは精彩を欠く。T先輩もぼくもベース野郎もここはぐっと我慢の男の子、というやつで耐えることにしたのである。

*

 さて、そんなことがあってぼくらのバンドは多少ぎくしゃくしたまま準備の時間を費やし、時計の針はあっという間に回って、いよいよぼくらの出番となった。

 このステージにあがる前の時間というものは、さすがに緊張するものである。

 ところが。

 ぼくらが緊張した面持ちで身なりを整えているとき、何気なくふとイタさんを見やると、なんと、イタさんは今で言う「スエット」姿でリラックスし、出演前の時間を彼女と過ごしているではないか。

 ぼくは一瞬不安になって、訊ねた。

「あのうイタさん・・・そのう・・ステージ衣装ってほどじゃないんすけど、そろそろ着替えた方がよくないっすか?」

 イタさんはいつもと同じふうな感じで答えた。

「ん? これ(スエット)で出よう思うんじゃが」

 これを聞いたぼくとT先輩は思わず「ムンクの叫び」顔になってしまった。

「お、おい、イタよ、頼むけえなんか他のに着替えてくれいや」

「なんで?」

「なんでいうてお前、いっつもいっつもそれ(スエット)ばっかじゃないか」

「それじゃあいかにも普段着って感じっすよ」

「この分はいつもは着んエエ分なんど」

「頼むけえ」

「頼みます」

「ほうかのう・・・」

 ぼくらの懇願をやっとのことで受けたイタさんは、しぶしぶ着替えを探しにRX-7のところに戻っていった。

 数分後戻ってきたイタさんが着てきたのは、赤っぽい長そでシャツに黒いベスト、ジーンズであった。ぼくとT先輩は、これならスエットよりは、と容認し、いよいよぼくらはステージ上に立つことになったのである。

*

 ステージ上には、実は準備段階からの不安材料があったのである。

 というのも、ギターアンプが調達できず、低音重視のベースアンプでしかも家庭内で使用する小容量タイプのものしか用意できなかったのである。この小型ベースアンプからギターの音を出すと、出力容量が小さいため必然的にヴォリュームを最大にすることになり、そのためかなり音自体が歪んでしまう。そしてものの数秒でアンプ自体がかなり熱を帯びてくるのだが、背に腹はかえられずそのアンプを使用することにしていた。

 ぼくは一抹のイヤ〜な予感を拭いきれず、ベースアンプにシールドコードを差し込み電源を入れ、司会者の紹介を待ったのである。

 T先輩やイタさんを見やると、彼らも準備万端のようであった。

 司会者の紹介が終わり、T先輩のカウントで1曲目のイントロがスタートした直後である。

「イエ〜イ!」

「ヨウエ〜イ!」

「ワオ〜!」

 何を思ったのか、突如イタさんが奇声を発しマイクをつかんで飛び跳ね出したのである。おそらくは自らのテンションを高めるための行動であったのだろうが、その跳び跳ね方がこれまた尋常ではないのである。

 しかしまあ、ここまではよかった。

 あにはからんや、危惧していたとおりイタさんが例の「バック転」をやり始めたのである。しかも、1回、2回・・・ステージの端から端まで、まるで彼自身のストレス解消法とばかりにやりたい放題である。一体何が悲しくてこんな人と一緒にステージに立っているのだろうか。

 そしてその時、悲劇はついに起こった。

 イタさんが「バック転」を2、3回くり返した頃であろうか、ついにぼくの使用していたベースアンプが、

「バムッ!!」

 という奇妙な音とともに昇天してしまったのである。おそらく前述の理由が原因でヒューズが飛んだのであろうが、これによりぼくのギターの音は誰にも聞こえ伝わらなくなってしまった。

 そしてそんなぼくの異変に気付いたベースの野郎もあわてて演奏を止めてしまったもんだから、さあ大変である。

 ステージ上に残された音と光景といえば、ズンドコズンドコと一定のリズムを刻み続けるT先輩のドラムと、状況に気付かず未だバック転を続けるイタさんだけとなってしまった。

 一定のリズムのドラムの演奏にあわせて、赤っぽいシャツにベストを着てバック転をくり返すリーゼント頭の小柄な男・・・ぼくの知人の話によると、その時客席側ではすでにO町民たちのこんな声が聞こえ始めていたという。

「・・・ありゃあ、新手の猿回しかいの」

 そして演奏不能に陥ったぼくらは、失笑の中そうそうにステージ上から退散し、失意のまま客席側に身を潜めることとなった。

 ところがしばらくすると、中学生くらいの女の子数人がぼくらを見つけて、言った。

「あっ、今の猿回しの人たちじゃない?」

「ほんとだ、ねえねえ、その太鼓(ドラム)のスティックちょ〜だい!」

「ねえねえ、もっかいバック転して、バック転っ!」

 ぼくらは恥ずかしさのあまり反論する気力をなくしていたが、イタさんだけは元気が有り余っていたのだろうか、それとも本人がやりたかっただけなのだろうか、なんと客席の少し広いところで女子中学生たちに囲まれながらバック転をやり始めていた。

「・・・・」

 残ったぼくら3人はそそくさと後片付けを済ますと、さっさと車に乗り込み、T先輩の家に帰ってビールを飲んだのは言うまでもない。

*

 脚光を浴びるはずのステージが一転してとっても恥ずかしい思い出となった事件なのであるが、こうして活字にしたらさほどでもないようなふうに思われるのが少し残念である。

 ところで、その後イタさんはどうなったのかというと、それが実は誰も知らないのである。あの町民祭り以来会っていないし消息も不明なのだが、まああのイタさんに限ってへこたれていることはあるまい。

 そうして、ぼくは時々「日光猿軍団」なんかをTVで見る時、

「・・・イタさん、いまだにスエット着てバック転やってるのかなあ・・・」

 と思う今日この頃なのである。

 

Published 2001.1.10

 

 

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