Special Paperbacked Essays, Vol.12

macspin2

 

許して、タイザン先生

- I was so sorry, but not only me -

 

 

 ぼくは今も昔も物理学が大の苦手である。理由は自分でもよく分かっているのだが、多分最初から何か勘違いをしたままでいるからなのだ。例えば、

「物体の仕事量」

 なんて言葉を聞くと、

「物体が仕事すんのかッ、ええッ? 残業なんかしたりして疲れちゃうってーのかッ、ええッ?」

 とからんだりしたくなるのである。どう考えても「仕事」が物理学と結びつかないのである。ただ単に「仕事量」という物理学上の概念においてさえ頭の中でうまく結びつかないのだから、いかにぼくが物理学てのを理解し得ないということがお分かりいただけると思うのである。

 しかし、そんなアホらしい勘違いばかりが、苦手の理由ではない。主な理由は、やはり学生時代の物理の授業のあり方と、ぼくの授業態度に起因していることは否めない。これをかみくだいて言うと、要するに授業をよく聞いていなかった、ってことである。

 というわけで、今回は物理学をめぐる高校時代のお話。

 毎度のことだが、出だしにこう書くと、

「またあ・・・アンタのハイスクール時代ってのは、一体何やってたのん?」

 と言われそうであるが、まあ聞いてくれい。

*

 どの高校にも「名物先生」はいるもので、ぼくらの高校には、当時「タイザン」と呼ばれる物理学の先生がいた。この先生こそがぼくの母校・市立F高校の卒業生ならば誰でも知っている、名物先生なのである(先輩にあたる「キャンディ」や「てぃーんずぶるーす」で有名な原田真二もおそらく知っているはずだ)。

 タイザン先生の年令は当時で60歳くらい。ずんぐりででっぷりとした体格、年の割には真っ黒で量の多い頭髪をペッタリとオールバックにし、やや脂ぎったような大きく浅黒い顔の上に、黒縁の度の厚い眼鏡をかけていた。彼の風貌を現在の著名人に例えると、北朝鮮の金正日総書記に似ている。

 彼は物理の化学者然としていつも白衣に身を包み、小脇に分厚い書物を抱えて校内をゆっくり闊歩するといった風な、朴訥で重厚な人物だったのである。

 ちなみに「タイザン」とはニックネームでもなんでもない彼の本名であり、正確には「泰山」と書く。なんでも中国のどこかに「泰山」という有名な山があり、彼の名前はその偉大なる雄峰にちなんで命名されたそうである(と、ここではプライバシー保護のため彼の名字は伏せておこう)。

*

 ではなぜ彼のどこが名物先生なのか?

 実はこのタイザン先生、入れ歯があわないのか、それとも彼のふくよかな頬肉のせいか、はたまたどこの地方か分からない方言のせいか、独特の喋り方をなさる。それゆえ、発音がかなり不明瞭であったのである。

 発音が不明瞭だと内容そのものがよく分からない。ちょっと聞き逃すとたちまち後の話についていけない。手を挙げて聞き返す生徒がいても、タイザン先生はそれに気が付かない。なぜなら耳が遠く、また視力も弱いせいで、生徒の挙動にさえもあまりお気付きにならない。仮に生徒が授業の途中でいなくなっても、お気付きになることはないのである。

 一体なぜ、このようなお方が教師であらせられるのか理解に苦しむところではあるが、聞くところによれば、タイザン先生は知る人ぞ知る広島県内における物理学教育の権威であったのだそうだ(あくまでも、「権威であった」のだそうだ)。

 しかし、やはり発音が不明瞭である点は聞く方にとって、如何ともし難い。

 なんといっても発音が不明瞭である最大の原因は方言などではなく、彼の言葉のひとつひとつの区切りに、

「ガラ」

 と発音されることだったのである。

 こう書かれても何のことやら分からないだろうから、具体例をあげてみると、

「えー、ガラ、この重り5グラムを吊るしてガラ、もう一方に下向きの力を加えるとガラ、一体どうなるか。さ、分かる人ッ!」

 てな具合なのである。

 どうやら本人は、

「・・・それから・・・それから」

 とか、

「・・・そしたら・・・そうすると」

 というふうな接続詞的に「ガラ」を使っているつもりのようだったが、入れ歯があわないのか、それとも彼のふくよかな頬肉のせいか、何度聞いても、どう聞いても「ガラ」にしか聞こえないのである。しかも、文章で書くからまだわかるのであり、また「ガラ」のところだけ、顎を引いて発音するような、妙に低音がかっているのであるから、発言の抑揚がよく効いてて、なんとなくユーモラスなのである。

 しかも困ったことに、タイザン先生は、自分が「ガラ」などと発音していることに全く気付いていないのである。

 このため、何をいっているのかよく聞き取れなくなった生徒達は、そのうち授業に飽きがくる。飽きがくると不真面目な一部の生徒達は、いたずらと嘲笑の意を持ってタイザン先生を真似るようになる。そして、いつしか「ガラ」を日常会話の中に意図的に取り入れるようになったのである。

「なあ、今度の土曜日さあ、マクド行って、ガラ、インベーダゲームしに行かない?」

 とか、

「ようし、ガラ、ウサギ飛び3周、ガラ、休憩ッ!」

「(うがいをする時)ガラ、のどガラガラッ」

 といった具合で、物真似をしてはキャッキャッと喜んでいたのである。

 こうなると大変である。何が大変なのかよく分からないが、とにかく誰もがタイザン先生を真似るようになったのであるから、大変である。

 中でもお調子者のぼくのこと、誰よりも的確にタイザン先生を真似ようと躍起になったのはいうまでもない。ぼくはタイザン先生の授業をまじめに聞くこともせず、むしろ彼の特徴を掴もうと必死になっていたのである。そして、彼の授業の始まる前などは、教壇に立って物真似を披露するなどして、爆笑をかって喜んでいたりしたのである。

 今から思えばこれがいけなかった。

*

 ある日の物理の授業の始まりの時であった。

 タイザン先生は少し怒ったような顔をしながら物理室に入ってきて、教壇に立つなり、

「えー、授業に入る前に、私から言っておきたいことがあります」

 と切り出したのである。一同、一体なんだろうかと興味津々である。

 タイザン先生はさらに続けた。

「昨日のクラスもそうだったんですが、ガラ、最近、私の授業中にクスクス笑う生徒を見かけます、ガラ、不真面目極まりない」

 というのである。

「何かおかしいことがあるのなら、ガラ、言ってみなさい」

 普段物真似をしている僕らは、本家本元であるタイザン先生のいわば「ナマ・ガラ」を聞いてはクスクス笑いあっていたのであるが、さすがのタイザン先生も自分の授業中に、なんの笑いともとれぬ笑い声をあれだけされれば聞こえぬはずがなく、いい気持ちはしなかったのであろう。

 彼はぼく達をそう嗜め、誰も反論するものがいないことを確かめてから、おもむろに授業を始めた。

 ところが、冒頭からして言っていたように、タイザン先生の「ガラ」癖はやっぱりおさまっているわけがなく、

「えー、ガラ、時速40キロメートルで走る列車を、ガラ、100メートル以内に停車させたいとすると、ガラ、この場合、どの方向にどれだけの力を加え、ガラ・・・」

 となっているのである。

 冒頭にクギを刺されているぼくらといえど、ああも立派に「ガラ」をキメられてはたまったものではない。どこからともなくクスクスと笑い声が洩れはじめたその時、である。

 一番前にいた女子生徒がついに耐えられず、

「プァハハ!」

 と吹き出してしまったのである。

 黒板に向かっていたタイザン先生、にわかにくるりと振り向いて、

「なんですか、あなたはッ! 何を笑っているのか、ハッキリ言ってみなさいッ!」

 と爆ギレ状態となってしまった。普段温厚な先生が怒るとメチャ恐いのよー、の典型である。

 大笑いしていた一番前の女子生徒は、タイザン先生の余りの迫力に一瞬にして笑いを失い、ただうつむいたままとなってしまったのである。

 しかしこうなってしまった以上、タイザン先生の怒りはおさまらない。女子生徒に向かって、

「何がおかしいのか、言い給えッ! ホラッ!」

 と詰め寄るタイザン先生。

 しばらく無言のままうつむいていたその女子生徒は、タイザン先生の迫力に抗しきれず、今にも泣き出しそうな声でかろうじて答えたのである。

「あの・・・先生の口癖・・・ほら、『ガラ』って・・・いつもおっしゃってるやつ・・・」

「む? 『ガラ』? 『ガラ』とはなんです?」

 タイザン先生はにわかには理解できない様子であった。タイザン先生は自分では「ガラ」と発声しているつもりは毛頭ないのだ。だからタイザン先生にしてみれば、彼女が「ガラ」などとわけの分からんことを言って誤魔化そうとしている、と思ったのだろう、ますます怒り出し、

「ううー、なんですかッ、その『ガラ』というのはッ。私はそんなこと言ってませんよッ!」

 と女子生徒の目の前でいきりたった。

 と、ここで学級委員も務める一人の勇敢な男子生徒・O君(ぼくに言わせれば、どこの世界にも必ず一人くらいこういうイケ好かない野郎がいるのだ)が立ち上がり、

「先生、本当です。先生は本当に『ガラ』と発音されていますよ」

 と彼女に助け船を出した。

 タイザン先生は意外な「騎士」の登場に一瞬ひるんだものの、到底信用できないといった様子で、

「言ってませんよ。誰がそんなことを」

「確かにおっしゃってます。なあ、みんな」

 と学級委員のO君は周囲に同意を求めた。ぼくらクラス一同は、そうだそうだ、といった感じでうなずきあい、瞬時にタイザン先生は孤立してしまった。

 しかたなくタイザン先生、

「・・・では私がどんな風にいってるというのですか? あなた、ちょっと言ってみなさい」

 とO君に向いて言った。するとO君はあろうことか、

「先生の物真似なら『少年』くんが上手ですよ」

 とぼくを指差したのである。

 てめえ、Oの野郎ッ、こっちに振るんじゃねえ! と思ったのも束の間、タイザン先生の視線はすでにぼくに向いているではないか。

「私の物真似・・・?」

 タイザン先生の表情が変わった。

「なんですか、その、物真似というのは・・・?」

 ここでついにタイザン先生は、よもや自分の癖が物真似にされて笑われていた事実を把握されたのである。

「・・・すると、あなた方は私の物真似をして喜んでいたということですか」

 一拍おいて、タイザン先生は静かに言った。なぜかタイザン先生の厳しい視線はぼくに向けられたままでいる。ぼくが返答に困っていると、タイザン先生は言った。

「その物真似を今ここでやってみなさい」

「へ?」

「物真似をやってみなさいと言っている」

 タイザン先生の視線と口調は有無を言わせぬ厳しさであった。ぼくはO君に助けを求めるような目線を送ったが、O君は目で、

「(やれよ。やれったらッ。オラッ)」

 てな表情でぼくに目配せする始末である。

「『少年』くん、どうぞ遠慮することなくやってみ給え」

 タイザン先生は険しい形相でぼくを見つめていたが、皆の手前もあり、ぼくはついにタイザン先生の物真似をやることにしたのである。

 やるとなった以上、中途半端は許されない。そう思ったぼくは、普段密かに磨きをかけていた独り小芝居、

「タイザン先生、食堂を行くの巻」

 を、静まり返っている教室の中で披露した。

 結果は・・・大爆笑である。大喝采である。大ウケである。ハッキリ言って、ど真ん中のストライクである。

 この時の快感は忘れられない。およそお笑い芸人というものを目指す人たちは、えてしてこういう快感が忘れられないから、どんなつらい下積みにも耐えるのであろうと思えるほどであった。

 さて、タイザン先生はといえば、ぼくの物真似を見て唖然とし、そして皆のウケ具合を見てさらに言葉を失っていた。 

 やがて苦渋の表情のタイザン先生曰く、

「・・・似てませんよ。全然・・・」

 しかし、ぼくはクラスの同級生達の爆笑こそが、タイザン先生に似ていることを物語っているのだと確信した。このように突如実現した「タイザン先生vsぼく」の「ガラ」対決はぼくの圧倒的勝利によって幕を閉じたのである。

*

 その後の授業から翌日の朝にかけて、ぼくは得意の絶頂であった。授業の終わったあとなどはクラスの皆に囲まれ、タイザン先生物真似連発サービスで、んもうヒーローもどきである。

 ところがその翌朝一番のホームルームで事態は一変した。

 担任の先生が怒った顔をして現れ、教壇に立つなり、

「お前らッ! 先生を馬鹿にするような生徒はロクなもんにならんぞッ。もっと真面目に授業を受けるか、さもなくば高校は義務教育じゃないんだから、ふざけとるヤツは辞めてもらって結構だッ!」

 とモノスッゲエ剣幕で皆を見据えて怒鳴った。おそらくタイザン先生が昨日のことを職員会議でしゃべったのだろう。そして担任の先生は、ポカンとしているぼくに向かって、付け加えるように絶叫した。

「『少年』ッ、お前のことだ、聞いてんのかッ! きさまはもう、内申書に書くッ! 物理も0点ッ!」

 ひええー、なんで、ぼくが主犯だというのだ? 皆だっておもしろがってたし、他にも真似するやつはいるじゃないか。

 そう思って、クラスの皆を見回した。しかし、ぼくはこの時「これが人生というものなのか」と悟った。そう、誰一人ぼくに助け舟を出す人はいなかったのである。そしてあの時、女子生徒をタイザン先生の執拗な追及から救ったイケ好かない野郎・学級委員のO君はといえば、手を膝の上に揃えて、ただ担任の方を向いて、学級委員らしくウンウンとうなずいていたのである。

「・・・の野郎ぉ・・・」

 そしてこの事件はその学期の終わりの三者懇談の場でぼくの親にも明らかにされ、あとで親にこっぴどく叱られたのはいうまでもない。

*

 とまあ、こんなことがあったおかげで、ぼくはこれ以後も物理が輪をかけて大の苦手となった。

 でも、いくら身から出た錆とはいえ、タイザン先生には謝らなくちゃ。ゴメンよ、タイザン先生。

 でもね、でもね、悪いのはぼくだけじゃないんすよ。これ読んだら分かると思うけど、O君だって悪いんですからね、ガラ。

 

 

 Published 2000.3.10

 

  

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