Special Paperbacked Essays, Vol.39

macspin2

 

コークハイ物語

- Never like Whiskey on the Coke-

 

 酒税法の関係なのかどうかよくわからないが、今でこそウイスキーというものは値段も安く出回っている。がしかし、ぼくらの若い頃はおよそ「酒」といえば、ビールか日本酒、もしくは焼酎であった。

 そんなだからウイスキーという飲み物は、例えば風呂上がりのロマンスグレー系のおっさんがガウンを羽織ってソファーに座り、グラスに少量注いで夜景を見ながら軽く口に含む、そういったブルジョワジイでゴオジャスな飲み物だったのである。ましてやブランデーなんかは石原裕次郎しか飲めない飲み物だと思いこんでいたほどなのである。

 それはともかく、若かりし頃のぼくにとってのウイスキーというものはそれだけ敷き居が高く、手の出ない代物だったということなのである。

 がしかし、世の中全くうまくできているもので、その昔当時高校生(つまり未成年)だったぼくは、ふとしたことで労せずしてそのブルジョワジイでゴオジャスな飲み物、ウイスキーを飲む機会を得たのである(もう時効だから書くのであるが)。

 ぼくが初めてウイスキーを飲んだときの印象は、

「嗚呼、これが『ウ井スキイ』と云ふものなのだなあ」

 と夏目漱石風に感動したものである・・・と書きたいところであるが、本当はウイスキーがこれほどキツクて苦い酒とは思わなかったのである。

 しかも、初体験となったウイスキーは、悪名高いあの、

「○ントリー・レッド」

 であった。どこがどう悪名高いのかは後ほど述べるとして、今回はぼくのウイスキーデビューの大失態についてのお話を聞いてほしい。

*

 ぼくの高校時代の友人・S君が、ある日バイト先で仕入れたウイスキーを飲もうと言い出して、同じくバンドの友人のT君の家で酒盛りをやることになった。

 ここで人物紹介をしておくと、S君はいわゆる「マセ」系な人物で、リーゼント頭でバスケが上手くて、高校生のくせに禁じられていたアルバイトにいそしんでいたり、高校生のくせに焼肉の上手い不味いに妙に精通していたり、高校生のくせにマージャンが得意だったり、同級生の仲間の中でいち早く「ラブホテル」なるものを経験したりと、ぼくの知るかぎり一番先進的な人物であった。当時のぼくは彼と知りあえたことを幸いに感じ、短期間のうちに彼から色んなことを学んだものである。

 一方、T君の家は、市内の一等地に「離れ」まである大邸宅に住んでいて、なぜか彼は自由にその離れを使う権利を与えられていたのである。T君は温厚な人物で、ぼくらのバンドのボーカルでもあり、その愛くるしい容姿から、後輩のギャルたちから、

「T坊ォ〜!」

 などと呼ばれていた、いわば「アイドル」だったのである。

 さて、そんなワルガキ2人が集まれば、おのずと悪いことを始めるのが定番というものであり、さっそくそんなオマセなS君とT君がぼくにウイスキーを飲ませてくれることになった。

 ある日、ぼくらは学校が終わるとT君の離れに集った。すると、S君が、バイト先で仕入れたウイスキーを持ってきていた。

 ぼくは始めて見るウイスキーに、

「むむむっ、これがウイスキーなのかッ? これが例のッ? ホントにホントのホントなのかッ?」

 といささか興奮し、ウイスキーのボトルをためつすがめつしていると、S君は余裕綽々で、

「ふん、なんだ知らね〜のか? これはなあ、ウイスキーの中でも有名なウイスキーなんだぞお」

 と誇らしげにいいながら、ボトルに貼り付けてあるラベルをジャジャ〜ンとぼくらに見せた。

 しかし、今でもはっきり覚えているが、S君が有名と言ったそのウイスキーのラベルには、

「○ントリー・レッド」

 と書いてあった。ちなみに、「レッド」は確かにS君の言うように有名なウイスキーであったが、当時としては最廉価のウイスキーであり、その後の調べでは最も悪酔いしやすいアルコールの一種であった。なぜ悪酔いしやすいのかというと、後のS君に言わせれば、

「原料が安く、雑味が多く、手間ひまかけて製造しない粗悪なアルコール飲料」

 だというのである。ちなみに、S君は現在酒造会社に勤務しているのだからその言葉は間違いないのだろうが、当時のS君はいくらマセているといってもまだ高校生である。安酒を高級酒だと言って騙すのは、バイト先の先輩にとっては容易いことだったろう。

 さて、そんなことを知らないぼくら3人は、さっそく飲もう飲もうということになり、グラスや食べ物の準備をした。

 ところで、当時流行っていたウイスキーの飲み方の一つに、

「コークハイ(Coke-Hi)」

 というのがあって、これは要するにコーラとウイスキーを混ぜたもので、もっと簡単に言えばウイスキーのコーラ割りという、単純かつ美味しいカクテルであった。

 しかし、コークハイは口当たりが甘く、また喉ごしも心地よいことからついついペースを乱したり飲み過ぎたりしておおごとに至るケースもしばしばだったのである。

 そして、実はぼくもその時始めて飲んだコークハイによっておおごとが大変な状況になってしまったのである。

 始めて飲んだコークハイは、確かにコーラの味が60%を占めるものの、どことなく湧いてくる苦味とツンとするアルコール臭といおうか、一言でいえば、

「(おえっ、なんか変な味のコーラッ! 苦いッ!)」

 と思ってしまったのである。でも、ウイスキーの提供者であるS君がぼくが飲むのをじっと見つめているもんだからさすがにそのことを正直に言えず、コークハイをちびちびっと飲みながら、

「う〜む、これはなかなかイケルではないか」

 と、感想を述べるとS君は、

「だろう、な? な? しかも色が変わんないんだから、これなら学校でコーラだって言えば飲めちゃうじゃんか」

「まあ、それもそうだが」

「ささ、どんどん飲んでくれ」

「う〜む」

 すると、T君までもが、

「ホント、コレ美味しいよね」

 とすでに赤ら顔で上機嫌である。S君もご機嫌となり、

「じゃんじゃんやろうぜ」

 というもんだから、ぼくも腹をくくって美味しくない酒でもお付き合いしようと決めたのである。

 ところが、お酒というものは不思議なもので、飲んでしゃべっているうちだんだんと味覚が変わってくのだろうか、コークハイが美味しく感じられるようになってきたのである。

「うむ、こりゃウマイ」

「さっきも聞いたぞ、この野郎」

「ぬははは」

「ウヒヒヒ」

「おっし、んじゃコホクハアイ、もう一杯いきますかあ?」

「おっ、いい飲みっぷりだねえ」

 てな具合で、飲んでは作ってもらい作っては飲むを繰り返しているうち、ぼくはとうとう口の中がマヒしてしまって、最後のあたりはほぼ一気飲みに近い状況だったらしいのである。

 さすがにS君とT君はそれ以上はヤバイと感じてぼくを止めようとしたらしいが、ぼくは言うことを聞かず飲み続け、とうとうぼくは酩酊し、酔いつぶれてしまった。

 その時の事細かな描写は避けさせていただくが、その後はもう阿鼻叫喚の図であり、T君の家の離れのトイレや廊下は一夜にして「XXX地獄」と化してしまったらしいのである。ぼくのゲロネタはこれまで数々書いてきたので、このへんは推して知るべしであり、今回はあえて書かないこととしよう。

 でもって、その後はT君とS君が後始末をしてくれたらしいのだが、ぼくは意識を取り戻すことなくそのまま寝入ってしまったらしい。翌朝目覚めたものの、ぼくは昼前まで起き上がることができなかった。午後からも頭痛と吐き気にさいなまされてとうとう、夜になって帰宅した次第である。あとで聞くところによると、回復したからいいようなものの、そのような状態に陥った時、急性アルコール中毒で死亡する人の確率は50%なのだそうだ(恐)。

 そして、ぼくはこの日以来コークハイが飲めなくなってしまった。コーラを単独で、あるいはウイスキーを単独で飲むことはできるが、両者の香りを同時に嗅いだ途端、いやおうなしに吐き気と胃液が込み上げてくるのである。

*

 あれからもう数十年経つが、今ではウイスキーはとても安くなった。だから「レッド」や「ホワイト」などをわざわざ買わなくても、ほんの少しだけお金を足せば昔で言う「ウイスキー特級」クラスのウイスキーを飲むことができるのである。

 しかも、最近は「レッド」の瓶を店頭で見かけることはなくなった。ぼくが見かけないだけでもしかしたらまだ製造販売されているのかもしれないし、実際はもうなくなったのかもしれない。

 仮に「レッド」がまだあったとしても、前述の経験からしてぼくはもう「レッド」を飲むことはない。しかし、あえてぼくはウイスキーデビューを果たした、そのほろ苦い経験の立役者は紛れもなく悪名高い、「レッド」であったと記しておこう。

 

Published 2001.5.25

  

  

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