
マラソンなんて大嫌い
自慢じゃないが、ぼくは運動は嫌いではない。むしろ、好きなほうだと言ってもいい。
中学・高校とずっと剣道をやってきたし、幼少時代から野球、水泳、ローラースケートを好んでしたし、高校生以降はバスケ、バレーボール、大人になってからでもテニス、スキーなど結構ハマったほうだと思う。
でも、どちらかというと嫌いな分野の運動もある。それは「走る」ことである。
「走るのが嫌いなヤツがスポーツ好きを自認するのかッ?」
などとお叱りを受けそうであるが、本当である、ぼくは「走る」ことが嫌いなのである。
といっても、テニスやサッカーをしてて走るのが嫌いだといっているのではない。ただ単に「走るだけ」のスポーツが嫌いだということである。
子供の頃は運動会で1位になったこともあったのだが、なぜか中学生以降は剣道のせいだろうか、いわゆる「鈍足」の分野に押しやられてしまい、現在に至っている。
がしかし、そんなぼくでも一念発起して「走る」ことに情熱を燃やした時期がある。一体なぜ大嫌いな「走る」ことに情熱を注いだのか。
今回はそんなお話だ。
* 高校時代、ぼくの所属する剣道部は、どちらかというと女の子たちから敬遠されがちなクラブであった。剣道部だけではない、柔道部や弓道部など、いわゆる武道系に属するクラブはみ〜んな、
「カッチョ悪〜い」
とか
「クサ〜イ」
「ダサ〜イ」
などといった理由でもって、敬遠されていたのである。
今ならば、SMAPのキムタクが剣道少年だったこともあって、だいぶ人気が出てきたようだが、当時の剣道人気は見る影も無し、であった。
やったことのある人ならわかると思うのだが、剣道で使用する面や小手はその生地のせいもあって、汗と反応すれば臭いことこの上ない。石鹸で少しくらい顔や手を洗っただけでは、まず完全に消えることはない。
こうなると、単なる汗の匂いしかぜず、練習後は「シーブリーズ」などと肌にパッパッと振りかけてサッサッと女の子たちと帰るサッカー部やバレー部の男の子達とは一線を画されるようになる。
しかし、高校生の男の子達にとって、女の子から敬遠される形になるということは、すなわち「青春時代の死」を意味するのに等しい。そのため、剣道部のぼくらはありとあらゆる手法を使って、剣道部をカッコよく見せようとしていたのである。
ところが、そんなぼくらを一層カッチョ悪くさせるのが、毎年開かれる体育祭での「クラブ対抗リレー」であった。
ぼくの通っていた市立F高校では、体育祭の中のアトラクションとして(あくまでもアトラクションなのである)、「クラブ対抗リレー」なるものが催される。
これは読んで字のごとく、各クラブごとにチームを編成し、リレーを競うというものである。ここまで書くと、
「なんでい、別に早く走ればいいだけじゃね〜か」
と思われるかもしれない。
ツッツッツ(と、人さし指を顔の前で振る)、そうではない。
「クラブ対抗リレー」には、通常のリレーとは別なルールが2つあった。一つはバトンの代わりに各クラブに特有の道具を使用すること、もう一つは各クラブのユニフォームの正装版を着用して走ること、である。
つまり、テニス部ならば白いポロシャツに白いホットパンツ、バトンにはラケットを使用すればよいということであり、サッカー部、バレー部、卓球部などもほとんど同様である。
この競技の意図は、単に、
「クラブ相互間の競技力と競争心の向上を図るもの」(;校長先生談)
ではなく、各クラブのユニフォームを着こなした男達が代表となってリレーを競い合うのだから、どのクラブにも属していない、いわゆる「帰宅部」の連中には、格好のクラブ紹介となることは間違いないだろう。
そしてなにより、学校中の女の子たちはキャーキャー状態である。
「ウウン、バレー部のM君ステキッ!」
「ああん、テニス部のS先輩りりしいッ!
「キャッ、サッカー部のK君たら、んもう好きにしてッ!」
的な構図がグラウンドを取り囲むフィールドで展開されているのは言うまでもないことである。
さて、そんな中にあって我らが「少年」属する剣道部はどうだったのか。
いうまでもないことだが、「クラブ対抗リレー」における剣道部は、剣道着はもちろん、面、小手、胴、前垂れの着用を義務づけられた。
知ってる方も多いと思うが、これらの防具をフル装備すると、重さは10kg近くになるのである。しかもそれらに加えて、竹刀をバトンの代わりに持ちハカマをはいて裸足でグラウンドを走るなどということは、もはや勝敗を捨てて見せ物に等しい。
この装備をもって優勝するなどということは、仮にこれら剣道着を着たカール・ルイスとベン・ジョンソンとモーリス・グリーン、ついでにスタア・にしきのあきらの4人チームで出場したとしても、絶対に無理なほどである。
つまり剣道部は最初から競技対象としてではなく、あくまでもアトラクションの名引き立て役にほかならなかったのである。しかも年に一回、全校生徒とその家族の見守る前で、である。これでは「走る」ことが好きでなくなるのも無理はなかろうというものではないだろうか。
* さて、ずいぶん前フリが長くなってしまったが、そんな前年までの経緯を剣道部の先輩から聞いたぼくら高校1年生の新入剣道部員3人・・・ぼく、「チャッピイヤマシナ」と「冬の稲妻小手チャヤモト」は、ビリケツになって恥をかきたくない一心の先輩達の命令を断れるわけもなく、その年の「クラブ対抗リレー」の選手に選ばれた。
ところが、ぼくが入学した年の体育祭の「クラブ対抗リレー」から、少しルールが変わり、剣道部については、今年から「面」を外して走ってもよい、ということになったのである。どうやらその前年に、面を付けて走ると誰が誰やらわからん、と保護者からクレームがついたというのだ。
これはラッキイである。何せ、面は防具の中で一番重く、体の重心の上部にあれだけの重さを背負って走らなくてもよくなったのだから、これはイケルのではないかッ! と我らが剣道部は勢いづき始めた。しかしてその結果は・・・
最悪である。
むしろ面をつけて走ったほうがよかったかもしれない。
というのは、おおかたの下馬評どおり剣道部は最下位だったのだが、ぼくは「クラブ対抗リレー」競技の最後にゴールした走者として、剣道部としての「少年」の顔を全校生徒とその家族に知れわたらしめてしまったのである。
はっきり言って、とても恥ずかしい。ただ単にビリケツだけならいざしらず、剣道着に防具をつけ竹刀を持って裸足で走る選手が最後に目立つ格好でゴールするのだから。
この原因は、何もぼくの足が遅いせいではない。ぼくの前の走者の時点ですでに取り返しのつかないほど引き離されていたからなのだ。
これは本当である。なんなら、チャッピイヤマシナと冬の稲妻小手チャヤモトに聞いてもらってもいい。なぜなら彼らこそが、その遅れの張本人なのだ(本当だ)。
* まあ、それはともかく、そんな無慈悲な体育祭のおかげで剣道部員であるぼく、チャッピイヤマシナと冬の稲妻小手チャヤモトの1年生3人は完全に意気消沈してしまった。もう、16歳の夏が終わってしまったも同然であった。
ふと、冬の稲妻小手チャヤモトが言った。
「なあ、さ来月『校内マラソン大会』あるじゃんか? 今度はあれでいっちょがんばらんか?」
ぼくとチャッピイヤマシナは顔を見合わせながら、たった今走って恥をかいたばかりなのに、何を言いだすのかといぶかしんだ。
市立F高校では毎年1回、広島湾に浮かぶ「N島」の沿岸を丸ごと1周する、いわゆる「校内マラソン大会」が開かれる。
この大会では、毎年テニス部かサッカー部、もしくはバレー部が上位入賞を占めていた(陸上部は規定によって参加できないのだ。ザマミロ)。しかし、これは当然のことといえば当然の結果である。
なぜなら、テニス部やサッカー部などは、いわば「走る」ことが基本をなしているスポーツであって、彼らが走らなくなったらそれこそ終わりである。しかもサッカー部は走ることが勝つ上で彼らの宿命でもある。もっといえば、他のどのクラブよりも早く、確実に勝たなければいけない立場である。走らないサッカーなど、まさにお湯を注がないネスカフェ状態である。
そんなヤツらを相手に剣道部が勝てるわけはない・・・はずであった。
なのに、冬の稲妻小手チャヤモトはさらに続けた。
「ほら、今回のは短距離走だからいかんのだ。それもあんな格好だから余計いかんのだ。校内マラソン大会なら長距離だし、全員ジャージだから俺らにも勝ち目はあるんじゃないか?」
「う〜む」
ぼくらは考え込んだ。たしかに冬の稲妻小手チャヤモトのいうとおりである。長距離、ジャージとくれば条件は互角。あとは1か月ちょっとの間に持久走に耐えうる体力をつけることである。
「このままでは、剣道部のイメージはおろか、ぼくら個人のイメージも至極悪い」
「う〜む」
「ぼくらのイメージが至極悪いということは、余計にぼくらと女の子との接点がなくなることを意味する」
「う〜む」
「女の子との接点がなくなるということは、暗い青春になってしまう」
「う〜む」
「・・・やるか?」
「・・・やる」
「オイラもやるぞ」
こんなわけで、ぼく、チャッピイヤマシナと冬の稲妻小手チャヤモトの3人は、無謀にもなんと、
「校内マラソン大会10位以内入賞!」
を掲げたのである。
なぜ、10位以内なのかというと、10位以内に入れば、校内で掲示板に貼りだされ、表彰を受けるからである。校内で掲示板に自分の名前が出る・・・ううう、これは願ってもない名誉ばん回である。
もしそうなれば、
「クラブ対抗リレーで剣道部が優勝できないのは、個人が悪いのではなあいッ、あのハカマと防具がいけないのだあっ!」
と万人に知らしめることができるのである。そして、その上あわよくば、
「イヤン、『少年』さんてば、走る姿もス・テ・キじゃない」
なんてことになるのではないだろうか。
最高である。はっきり言って、この計画は最高である。
しかし、同時にこの計画には相当の無理があった。というのも、この「10位以内」という数字がどんなに無謀な数字かおわかりだろうか?
全校男子生徒200人のうち、サッカー部員約30人、テニス部員約30人、バレー部員約30人。中学生時代陸上部在籍者であって現在帰宅部員約10人。つまり、全校男子生徒のうち半数が「走る」ことになんの苦労もない者たちである。そこに剣道部員の割って入る余地はなく、ましてや彼らを押しのけて上位10位以内入賞など、まるで素手でマイク・タイソンに殴りかかるようなものである(意味不明)。
しかし、それでもぼくらは「クラブ対抗リレー」の屈辱と女の子の注目を集めたい一心から、猛烈な練習に打ち込み始めたのである。
そのおかげで、体育の授業での千五百m走ではトップクラスの成績を残せるようになってきたし、暇さえあれば走っていたくらいである。今から思えば、本業の剣道の練習もこれだけやってれば県大会優勝もできたのでは? と思うほどである。
とにかく、そうしてぼくら剣道部3人は来る大会に向けて自信と実力を蓄えていったのである。
* 校内マラソン大会当日は、絶好の秋晴れとなった。
N島へ向かうフェリーの中で、ぼくとチャッピイヤマシナ、冬の稲妻小手チャヤモトの3人は作戦を練った。
「バレー部のM君は、ペースが速いだろうからあまりついていかないほうがいい」
「テニス部のS先輩は、最近女の子とばかり遊んでてあまり体力に自信がないそうだ」
「サッカー部のK、さっき牛乳飲んでたからひょっとしてお腹を下すかもしれんぞ」
などと、訳のわからん相談をしあった。
さて、そうこうしているうちに、フェリーは現地に着いた。
N島の周囲全長は約10km。
平均ペースで走るとだいたい45分くらいだろうか。
まずは距離の短い女子大会(5km)のスタートが先である。女子は島内をショートカットするのだが、女子全員がゴールした時点で男子のスタートとなる。
女子がスタートしてしばらくすると、先生の指示でスタートラインに並ばされた。
周囲を見渡すと、バレー部のM君、テニス部のS先輩、サッカー部のKなとモテモテ御三家や強豪たちに交じって、チャッピイヤマシナ、冬の稲妻小手チャヤモトの顔も見える。気のせいか、彼らの表情は緊張しているように見えた。
「位置について。よ〜い」
先生がスタータを上に向けた。
緊張と静寂の一瞬だ。
「パン!」
号砲とともに、約200人の男子生徒は一斉にうごめいた。
さて、トップに躍り出たのはやはりバレー部のM君である。
彼は特有の大きなストライドと、長身を生かした豪快なフォームでぐんぐん他を引き離していく。ぼくも後方100mあたりでその姿を見ていたのだが、そこでぼくはびっくりする光景を目にしたのである。
なんと、チャッピイヤマシナがバレー部のM君のすぐ後ろを猛追しているではないか。
無茶である。
チャッピイヤマシナは身長155cm、バレー部のM君は185cm。
これだけでもその歩幅の差がわかろうというものである。まさに蟻と巨像である。その蟻はしかし、果敢にも巨像に挑んでいったのである。
はたせるかな、その5分後、バレー部のM君との相当なハイペース・バトルにチャッピイヤマシナは息絶え絶えとなってしまった。彼は見る見るうちにバレー部のM君から遠ざけられていった。
そして、後続のぼくが彼に追いついたとき、ぼくは彼に言った。
「はあはあ・・・おい、だいじょーぶか?」
チャッピイヤマシナは苦しそうな表情をあげて、言ったのがぼくだとわかると、こう言った。
「へへ・・・これでM君も数分後には終わりってことよ。がんばりな」
彼はそのままペースダウンして、ほどなくぼくの視界後方へと消えた。
そして前方を再び見やったとき、ぼくはチャッピイヤマシナの言葉を信じざるを得なかった。
なんと、トップを走るバレー部のM君がすぐ前方走っているではないか。
ぼくたちのグループが格別早かったわけではなく、バレー部のM君が一気にペースダウンしたのだ。そして、やがてバレー部のM君はぼくらのグループに交わったと思うと、いつの間にか消えていなくなってしまった。
ああ、チャッピイヤマシナよ、君は自らを犠牲にしてぼくらを勝たそうとしたのか・・・ありがとう、チャッピイヤマシナ。チャッピイヤマシナよ、永遠なれ。
などと、心にもないことを思いつつ、ぼくらは走り続けた。
秋口とはいえ、日差しは暑い。ぼくはのどの渇きを覚え、同時に体の奥底から湧き出る危険信号を感じ取った。もうヤメなよ・・・体はそう言っていた。
だがいつしか、ぼくはトップグループの中にいた。総勢15人くらいいたように思う。
「よおし、このままいけば・・・」
ぼくは思った。
ゴールはもうまもなくであった。
そこで、ぼくは欲が出た。
ここで一気にスパートすれば、そのままトップでゴールできるんではないだろうか。でも体はヤバそうだけど・・・よ〜し、イチかバチかやってみよう。
そう思った瞬間、突如テニス部のS先輩、サッカー部のKらが猛ダッシュしはじめた。
しまった、考えることは同じだったか。
ついにぼくらのトップ集団は、全員で最後のスパートに出たのである。
ええい、いけっ! とぼくもついていった。
しかし、予想外のハイペースである。ぼくもにわか仕込みの長距離ランナー、もはや心臓バクバク、足ガクガクである。
やがて、小高い丘を抜けると、ゴール地点である地元の小学校が見えてきた。
校門辺りから先生や地元の人、女の子たちが出迎えている。
ぼくらが姿を現すと同時に、わっと歓声が上がった。その歓声めがけてぼくらは最後の力を振り絞って疾走したのである。
ここら辺まで来ると、徐々に順位は確定の様相を呈してきた。
やはりトップはテニス部のS先輩、続いてサッカー部のKだ。
その後に数人続く。いずれもタイム差は2秒前後。
先頭のテニス部のS先輩がゴールするのが見えた。そこから数えて・・・・ぼくはちょうど10人目にいた。その途端にぼくの背後で荒い息使いが聞こえた。
冬の稲妻小手チャヤモトだった。
ぼくは彼の顔を見て、彼もぼくの顔を見た。そしてぼくは前を向き直ると、最後のスパートをかけた。
だがしかし、ここまでくると、もう友情もくそもない。
掲示板に出る名前は10位以内だけなのだ、11位以降はビリも同然、名前すら出ないのだ。許せ友よ、勝つのはぼくだッ、ふはははッ!
* 結果、冬の稲妻小手チャヤモトを振り切って、ぼくは見事10位でゴールした。
ガッツポーズも高々に、差し出されるタオルを首にかけ、クラスの女子生徒たちを見つけて、どうだい? という表情を見せたつもりだった。
ところが、栄誉ある10人目の入賞者を出迎えた祝福の声は意外なものであった。
「ええ〜、『少年』が10位って、アンタ剣道部じゃない!?」
「うっそ〜、あの『クラブ対抗リレー』じゃビリだったのにい?」
「なんでバレー部のM君はいないの?」
「『少年』てば、ズルしたんじゃない、ズル!」
「M君の髪をつかんで引き倒したとか?」
「そうよそうよ」
「『少年』たら、ズ〜ル! ズ〜ル!」
「・・・・うへー」
かくして、意外にも女の子達の勝手な想像による「ズル」疑惑の声の中、ぼくは困惑の表情で10位のステッカーを受け取ったのである。
途中リタイアしたチャッピイヤマシナがゴール近くの休憩所でぼくを迎えてくれた。11位でゴールした冬の稲妻小手チャヤモトは荒い息使いのまま、気の毒そうにぼくを見つめていた。
でも、彼らの表情はぼくと比べて、走らなくてよかった・・・入賞しなくてよかったというような安堵の表情に映ったのはぼくだけだったのだろうか・・・?
* かくして、成績は別にして惨憺たる結果に終わった校内マラソン大会・・・無論ぼくはチョンボなどしてはいない。しかも、「ズル疑惑」が晴れ、ぼくの名誉が回復されたのは、翌年の校内マラソン大会でぼくが2年連続10位入賞を勝ち取ったときだった。
まあ、いつものことながら、女の子にモテようと思ってすることはすべからくこうなるのである。
そして、このような出来事があってから、ぼくは二度と「走る」ことはなくなった。
フン、走るののどこが面白いってんだ、もう二度とマラソンなんかせんけんね、オイラ!
Published 2000.7.25
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