Special Paperbacked Essays, Vol.22

macspin2

 

「マイク・ハマー」に逢いたかった

- I'm so grad to see you, Mr.Mike Hammer -

 

 

 つい最近のことである。

 インターネット上で、何か面白い本はないかなあ、といろいろなサイトを探しているうち、ふと訪れたサイトで、作家・矢作俊彦氏(やはぎとしひこ・以下敬称略)の名前を見つけた。

 一瞬、ぼくは、

「おおう、矢作さんじゃないですかあ・・・」

 と、久々に昔の恩師に出くわした(・・・この場合『出くわした』という表現が正しいのだ、ぼく的には)ような気持ちになったのである。

 ではなぜ矢作俊彦がぼくにとっては「恩師」なのか。

 それは、彼の持つあまりにも強烈な表現力と、織りなすストーリーの臨場感が、当時のぼくに衝撃を与え、同時に、

「オトコってのはこうでなきゃいけないのである」

「オトコってのは、カッコよくなきゃいけないのである」

 的なことを、具体的に教えてくれたからである。

 通説的かつひとことでいうならば、矢作俊彦は「ハードボイルド作家」である。

 一体、矢作俊彦のどういうトコがハードボイルドなのかといわれると、実のところぼくにはよくわからないのである(笑)。とにかく、構成、表現、登場人物・・・すべてが架空っぽいのにそれでいてのめり込ませるのだ。

 何より彼の特徴的な表現は、決して軟弱な野郎が口にすれば似合わない言葉を、登場人物にさらりと口にさせてしまうところにある。

 どういうふうな会話なのかは実際の作品を読んでみてほしいのだが、例えば、用語一つにしても、車の名前では、

「ジャガーやメルセデス」

 を、

「ジャギュアやメルツェデス」

 と表記したり、

「ジッポのライター」

 は、

「ジッポゥのライタァ」

 だったり、

「S字カーブ/ピアノ・バー」

 は、

「S字カーヴ/ピアノ・バァ」

 だったりするのである。

 とにかく、カッコつけてるのである。カッコつけてるのであるが、カッコイイのである。

 そして、矢作俊彦が小説でいうところの「オトコのカッコよさ」ってのは、

「ハゲてもいいけど、いくつになっても『オッサン』にはならないことである」

「利口になってもいいけど、いくつになっても『ワルイ』男であることである」

「真面目になってもいいけど、いくつになっても『遊び』を忘れないことである」

「そして、いつまでも『夢』を追うこと」

 であり、それを矢作俊彦は、彼自身の小説やエッセイで表現しているのである。

 そしてその具体的な表現として、彼はいくつになっても古きよき時代のキャディラックを乗りまわし、古きよき時代のバァでバーボンを喰らい、横浜あたりで米軍兵士たちに賭け腕相撲をふっかけ、負けたら相手をブン殴って逃げるか、勝ったらその金で一晩中ドンチャン騒ぎをするのである。

 いずれにしても、「ハードボイルド作家」てのは、言い方を変えれば、「エエカッコシイ作家」でもあるから、多少はそんなふうにカッコつけなきゃいけないのであろう。

 まあしかし、こういうトコで一人の作家のことをあれこれ述べたところで、知らない人にとってはなんのことでもないだろうから、今回のお話は矢作俊彦とぼくをめぐる最近の徒然なるお話、ということにする。

*

 ぼくがかつて「本当の少年」だったころ、いわゆる「ハードボイルド」といわれる小説家といえば、あろうことか、あの片岡義男氏(かたおかよしお・以下敬称略)しか知らなかったのである。

 と、このように書くと、

「ぬわにぃ? 片岡義男がハードボイルドだとお? むはははッ」

「バカも休み休みに言いたまえ」

「知らないってコト、ホント可哀想よね」

 なんて言われそうであるが、確かに、

「片岡義男はハードボイルドだあ!」

 と公言することを例えていうなら、日清カップヌードルを、

「洋風うどん」

 と恥ずかしげもなく呼ぶが如きものであり、今となっては大変面目ない限りである(トホホ)。

 でも言い訳を聞いてもらえるならば、片岡義男といえばオートバイ・・ロックンロール・・ブルース・・海・・夕陽・・そして登場人物は原則として「彼」と「彼女」だけ。時折、「味噌汁」などの庶民臭さもあてがいつつ、若者の屈折しながらも社会に組み込まれていく様を描いていたため、語彙解釈力の少ない当時のぼくとしては、彼をしてただ唯一のハードボイルダーだと思っていたのである。

 んなもんだから、「少年」当時のぼくは、片岡義男のあの、赤いブックカバーの文庫本を誇らしげに片手で持ち、

「ふっ、俺に話しかけんじゃねえ」

 などとアンニュイな青年風を気取っていたのである(心配せんでも誰も話しかけたりはしなかったのである)。

 ところが。

 そんなおバカなぼくに真のハードボイルドを教えてくれたのは、かつてぼくに焼酎を教えてくれた、あの「T先輩」であった。

 ある夜のこと、T先輩がビールを飲みながらぼくに一冊の本を差し出して、言った。

「なあ、この本貸してやるから読んでみろや。スッゲえから、イヤホント」

 そう、つまりT先輩が貸してくれた本の作者こそが、当時まだ無名の作家(だったと思う)、矢作俊彦だったのである。

 本のタイトルは「マイク・ハマーへ伝言」。

 どうやらこれが矢作俊彦のデビュー作であるとのこと。

 

マイク・ハマーへ伝言

 

 あらすじはここでつらつらしゃべると著作権の関係があるだろうからあまり言えないが、かいつまむと、V8、3000cc、300馬力の怪物パトカー(・・・まあ今では大したことないスペックだがその当時はスゴかったんだろう・・・)に追跡されて命を落とした友人のために5人の横浜っ子たちが復讐に燃えるという設定。で、「パーティ」と称してその怪物パトカーとカーチェイスをくり拡げたりするのであるが、時折物語の中にとびきりの美人が登場したり、「コロナマーク・ツー」や「ブルSSS」、はたまた「スカG」などの懐かしい車が登場したりと、1960年代生まれの人間にはたまらなく郷愁の念を抱かせるのである(ちなみに矢作俊彦は1950年生まれであるから、今年でちょうど50歳である)。

 さて、今まで読んだこともないハードボイルドな本を読まされた日には、その本の内容の虜になったのはいうまでもなかろう。

 まるで、登場人物が自分に乗り移ったような気持ちになるもはもちろん、自分の一挙手一投足がハードボイルドになるのを感じてしまったのである。

 その日からぼくは、

「ぼくもいつか黄色のキャディラック・コンバァティブルに乗って、ジッポゥのライタァでタバコに火を灯け、助手席の彼女には13センチのハイヒールを履かせ、ドライヴ・イン・シアターに出かけるのだッ!」

 的な夢を抱くようになってしまったのである。

 まるで、映画「仁義なき戦い」を観た観客が、映画館を出たときには誰も彼もが肩で風を切って歩く菅原文太状態になり、

「わしゃあアサヒソーラーじゃけんのう」

 などと口走るようなものである。

 ああ恥ずかしいったらありゃしない。

*

 う〜む、またしても前フリが長くなってしまった。

 最近の話に戻る。

 さて、インターネット上で矢作俊彦の名前を発見し、過去の記憶を呼び覚ましたぼくは、どうしてももう一回矢作俊彦のデビュー作「マイク・ハマーへ伝言」を読みたくなったのである。

 そこでさっそくぼくは、時間さえあれば本屋さんめぐりを開始した。しかし、なにも新品を買うことはなかろう、古書店で十分あるだろうし・・・そう思ったぼくはまず古書店から探していったのである。

 ところが。

 古書店さんを探し回るも、「マイク・ハマーへ伝言」という本など一向に店頭にない。しかも驚いたことに、矢作俊彦の作品を置いてある店自体が極端に少ないのだ。

「これは一体どうしたことだ・・・」

 ぼくは、古書店など2、3件廻れば「マイク・ハマーへ伝言」などたちどころに手に入るだろうと思っていただけに、驚きと焦りを感じ始めた。

 それでもおよそ古書店を20店ほど廻った頃だろうか、全く手ごたえを感じられなかったぼくは、とうとう古書店をあきらめて一般書店で購入することにした。

 再び、ところが、である。

 これまた、矢作俊彦の作品を置いてある店が皆無なのだ。

 おかしい。矢作俊彦がこんなに人気のないはずがない。

 こうなれば、自分の目と足で探すしかないわけだが、これにも時間的・労力的限界がある。となれば、いきおい店員に頼んで探してもらうか、取り寄せを依頼するしかないのだが、実は、これまでぼくは本を探すうえで、こういった機能を使ってもらったことがないのである。

 なぜなら、ぼくは人一倍、自意識過剰だからである。

「む? 人一倍自意識過剰だと、なんで本屋で本を探してもらえないのだ?」

 とお思いになる方がいらっしゃると思うが、自意識過剰ってのはつまり例えていうならば、「エレベーターの中での視線」である。

 あなたがエレベーターの中に最後の乗客として乗ったとしてドアが閉まったとき、なぜか乗客全員の視線があなたに集中しているような気がしないだろうか? あるいは自分自身も視線のやりどころに困ってしまって、しかたなく現在何階を通過中であるかを表示する表示灯を見上げたり、あるいは自分の足下をもじもじと見つめたりはしないだろうか。

「ああ、そうそう、あるある」

 と思った人は、もうすでに自意識過剰である。

 他人は決して自分のことを見たり意識したりしていないのに、自分だけが、

「あっ、この人今、ぼくのこと見て笑ったんじゃないかッ、そうだ、笑ったなッ!」

 などと、変に勘ぐってしまうのである。

 こんな具合だと、もし書店で本の検索を依頼するとなれば、店員にその本の名前と作者名を伝えなければならなくなる。

 すると、その店員は、

「な〜んでいこのオヤジ、こんな本読みやがんのかいな。ケッ」

 などと思やしないだろうかと思っちゃうのである(ああヤヤコしい)。

 だから、ぼくは書店で欲しい本の名前を他人に告げるのはイヤなのである。

 がしかし、誰がなんといっても、「マイク・ハマーへ伝言」が読みたい。が、店頭にはないみたいだし、取り寄せを依頼するしかない・・・店員に頼まなければならないのか・・・ぼくはほとほと困って思案しまくった揚げ句、やむなく某・K国屋書店にてとうとうコンピュータ検索を依頼したのである。

 某・K国屋書店にてぼくは、もう十数分前からレジ近くでうろついていた。もうこれだけで不審がられていたかもしれない。

 客のある程度少なくなった頃合いを見計らって、ぼくはレジにいた若い店員に小声で頼んだ。

「あのう・・・矢作俊彦の『マイク・ハマーへ伝言』って本探してほしいんですが・・・」

 と言うと、その若い店員は予想外の、やたらめったら元気のいい態度で応対してくれ、

「はいッ、矢作俊彦の『マイク・ハマーへ伝言』ですねッ? では、作者名のヤハギトシヒコでお探ししてみますッ、ハイ〜ッ!」

 などと、まるでサカリのついたような宮尾ススムみたいにハアハアハアハアハアと鼻息荒くコンピュータのキーをたたいて検索を始めてくれたのである。

 そうなると、自意識過剰のぼくは、その声が周りに聞こえちゃうのではないだろうかと思ってしまい、

「ううッ恥ずかしいッ」

 と、周囲を気にし始めた。

 すると、いつの間にかレジそばのぼくの後ろにオバサンが並んでて、ぼくと視線が合ってしまった。

 その瞬間、自意識過剰のぼくはそのオバサンの考えていることが頭に浮かんだのである。

「んもう、な〜にが矢作俊彦よ、アンタなんかオハギ見たいな顔しちゃってッ! とにかく早くしてチョ〜ダイッ、あたしゃ急いでんだからねッ!」

 オバサンがこのように思ってるんじゃないかと思いはじめると、ぼくは軽いパニック状態である。

「きっとこのオバサンはそう思っているに違いないッうううッなんということだ店員さん早く探してくれいッ!」

 的な思考が頭を巡りはじめた。

 そうなると、もう止まらない。

 そうしているうちに周りを見回すと、今度は近くの参考書コーナーで立ち読みしてる女子高生と目が合った。

 その瞬間、今度はその女子高生の考えているであろうことが頭に浮かんだのである。

「なにが『マイク・ハマーへ伝言』よ、伝言したけりゃケ〜タイでメ〜ル送りゃいいじゃん。チョ〜ダッセ〜」

 そうなると、

「きっとこの女子高生はそう思っているに違いないッうううッなんということだ店員さんもういいから『ない』なら『ない』と言ってくれいッ!」

 みたいな思考が頭を巡りはじめた。

 こうなると、もう目に止るものすべてが疑心暗鬼である。

 今度は少し離れた文庫コーナーにいる中年男性と視線が合った。

 その瞬間、今度はその中年男性の考えているであろうことが頭に浮かんだのである。

「なにが『マイク・ハマーへ伝言』だ、なぜキサマは太宰治を読まんのだ? なぜ三島由紀夫を読まんのだ? 極めて不愉快であるぞッ! 人間失格ッ、トォーッ!」

 そう思ってるんじゃないかと考えると、

「きっとこの中年男性はそう思っているに違いないッうううッなんということだ店員さんもういいからぼくは帰るッ帰るッ帰っちゃうぞッ!」

 みたいな思考が頭を巡りはじめた。

 はたまた・・・う〜む、こりゃたまらん。まるでアホではないか。

*

 さて、こんなふうに悶々としていたところに、店員さんが検索を終えて振り向いた。

 そしてさきほどの元気な声とは打って変わって返ってきた返事は、

「『マイク・ハマーへ伝言』ですが・・・ああ、こりゃ絶版につき取り寄せられませんねえ」

「は・・・?」

「もう出版終了ってことですよ。古書店へでも行ってみられてはいかがですか?」

「・・・・」

 古書店にもないからここへ来たんじゃね〜かッ! と思わず叫びそうになったが、言ってみても仕方がないので、ぼくはすごすごとその場を後にした。

 ここまで来ると、んもう事態は深刻である。

 しかし、ここでぼくは最後の手段がひらめいた。それは、もともとぼくに「マイク・ハマーへ伝言」を貸してくれた、例の「T先輩」がそれを持っているということである。

 その本はおそらくT先輩んちの物置の底辺りに眠っているだろう、と考えたぼくは、さっそくT先輩に「マイク・ハマーへ伝言」をもう一度貸してくれるよう頼んでみた。

 ところが帰ってきた返事は、

「いや〜、あの本なあ、みんなに読ませようとあちこち貸しまくってたら、どこでどう誰に貸したのか、わかんなくなっちゃったのよ。うははは」

「・・・・」

 最悪かつ絶望的であった。

 ぼくは、しばらくぼう然自失としてしまった。

*

 今回の話の結論を、矢作俊彦風に表記しながら、先に言ってしまおう。

 幸運の女神は突如やって来たのだ。

 ほとんどあきらめかけていたある土曜日の朝、突如例のT先輩から電話がかかってきた。まだ、朝の10時をほんの少し過ぎた時間だ。ぼくは前日の深酒がたたって、タオルケットにくるまったままでいた。週末、街の胎動は、まだない。

「おいッ、あったぞ!」

「・・へ・・・?」

「ホラ、矢作だよっ、ヤ・ハ・ギッ」

「へええっ・・・??」

「O川沿いのスーパー近くの古書店で、お目当てのベイビーちゃんが待ってるぜ。すぐいってみな」

 T先輩の電話はそこで切れた。いや、正確にいうならば、ぼくの受話器が置かれるほうがほんの数秒早かったのだ。

 ぼくはジーンズに両足を通すと、身支度もそこそこにすぐにマグナのV型2シリンダァに点火し、を走らせた。

 O川沿いのスーパー近くの古書店を見つけ、店の中に入って数分後、恩師「マイク・ハマー」は棚の下の方でぼくを待ってくれていた。こうして、ぼくはついに恩師との再会を果たしたのである。

 しかも、「マイク・ハマー」は変わってはいなかった。最初の1ページを開いただけで、そこはもう「矢作ワールド」だったし、なにより、その本自体がぼくの恩師だった。

 明日は週末。

 ヴェランダに置いたリクライニング・シイトに寝そべって、よく冷えたクアーズなんかを片手に、ストーリィの続きを読むとしようか(今回のラストはキマッタかもしんない・・・ウフ)。

 

 

Published 2000.8.10

 

  

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