
「ネコ」と「クロ」
その昔、ぼくが街の南、湾に面した海岸通りにある古びた事務所で働いていた頃の話である。
その事務所にはお客さん用に比較的広い木造の待合室があって、そこは夜中こそ施錠はするものの日中は出入りが自由な部屋だった。
そのせいだろうか、ある初夏の午後、ふとその事務所の片隅に1匹の猫が住みついていたことに気がついた。少し色の濃い三毛猫といった風情で、ぼくらが傍によっても逃げも物怖もせず、
「ニャア」
と、実に人なつこく鳴くのである。さらに近づいてよく見てみると、交通事故にでも遭ったのだろうか、猫特有の例の長いしっぽがなくて、その代わりにいびつな形でこぶのような突起が尻辺りについていた。そのアンバランスな格好がかえって愛嬌のように思えた。
首輪はないが、おそらくかつては飼い猫だったのだろう、頭をなでてやったりすると目を細めて喜ぶような顔をするので、同僚たちは、
「可愛いなあ」
「うむ、可愛い」
「餌をやってみるか」
「寝床が要るぞ」
などと、しばらく世話をしたりしてかわいがっていた。
猫の方も餌がもらえることを知ってか、あまりになつくものだから、ぼくらはその猫を単純に、
「ネコ」
と名付け、待合室に段ボール箱を置いて飼うことにした。
かくいうぼくも、当時280円だった最安価のノリ弁当についている唯一の具、「かまぼこちくわ揚げ」を与えて、ぼく自らはご飯に醤油をかけて食べたこともあるくらいだった。
やがて、待合室を訪れるお客さんたちも「ネコ」を可愛がり、いつしか「ネコ」はぼくらの事務所のアイドルになった。
「おおい『ネコ』ちゃん、腹減ったか?」
「ニャア」
「そうかそうか、よしコレ食えほら食え」
「ニャア」
「おい、オジサンのも食え」
「ニャア」
「う〜む、可愛い。いっそ家に連れて帰ろうかの」
「いやいけん、そりゃ抜けがけいうもんじゃ」
「ニャア」
「う〜む可愛い」
などと、んもうみんなしてまさに「猫かわいがり」であった。
* そうこうしてる間に、「ネコ」はメス猫であったことが判明した。そのきっかけは、なにも「ネコ」の性器を見て判断したからではなく、「ネコ」のお腹が見る見るうちに大きくなっていったからなのである。そう、つまりぼくらの「ネコ」はいつしかどこの誰ともわからないオス猫の子供を身籠もっていたのである。
ぼくらは流産しては大変だとばかり、それまでにもまして「ネコ」を大事に扱った。そして勤務時間中にもかかわらず堂々と「ネコ」の世話をするようになっていった。
やがて月日はあっという間に過ぎ、「ネコ」は無事に子猫を出産した。ある日ぼくらが出勤してみると、ボロい待合室の隅っこの段ボール箱の中は子猫の鳴き声であふれていた。
注意深くのぞいて見ると3匹の子猫がいて、なんと全員が黒猫であった。よほど自己種族繁栄力の強い父親猫であったのだなあ、とぼくらは感心したが、ほどなくして残念なことに3匹の子猫のうち、1匹はすぐに死んでしまい、1匹はお客さんの誰かが黙って連れ去ったようだった。
だから、「ネコ」ともう1匹の黒い子猫がぼくらの待合室に残った。ぼくらは死んだ子猫を待合室の裏庭に埋葬し、残った子猫に、
「クロ」
とこれまた安易に名付け、それまで以上に餌を与えて可愛がった。
「クロ」は本当に見事なまでの毛並みのいい黒猫で顔立ちもハンサム、よくなついてよく鳴いてまさに事務所のニューアイドルとなった。
とりわけ「クロ」は好奇心と食欲がおう盛で、何にでも興味を示してははしゃぐ年頃であったから、待合室に置いておいてお客さんに連れ去られることを避けるため、ぼくらは事務室に置いておいた。あるときなどそれが災いしたのか、「クロ」が事務所の天井に入り込んだ折に、過って壁のすきまの中に入り込んで出れなくなったことがあった。その時などは事務所の仲間たち全員で壁をぶち壊して「クロ」を救出したこともあった。その壁は当分の間壊されたままだったと記憶している。
やがて季節はめぐって、寒い冬がやってきた。
ぼくらはストーブで温まった部屋に「ネコ」と「クロ」を招き入れ、あいかわらず餌をやったりして可愛がった。
まさにこの時が「ネコ」と「クロ」にとってもぼくらにとっても幸せの頂点であった。
* しかし、いくら可愛いといっても、やはり相手は所詮は動物であり、ぼくらは仕事時間中だけの飼い主である。ぼくらのいない時間帯のことや、餌の費用や躾けをしていない動物の糞尿処理など、「ネコ」を飼ううえでの問題は日に日に大きくなっていった。
さらに、同僚やお客さんの中には小動物を嫌いな人たちもいたりして、もう我慢ならないとばかり事務所の所長に「ネコ」と「クロ」の処分を訴え出たのである。
さらに悪いことに、事務所の所長も日頃からぼくらが仕事もせず猫の世話にうつつを抜かしていると思っていたらしく(確かに当たっているのだが)、ここぞとばかり猫の駆除話に乗った。そして所長は即座に、「ネコ」と「クロ」をできれば早いうちに処分するよう、事務所の全員に申し渡したのである。
無論、ぼくらは反対した。
だが、所詮は事務所の待合室や内部で猫を飼うこと自体が、非常識と言われても仕方がないことだった。
反論するぼくらに所長は、とうとうと持論を述べて一蹴したあと、むごたらしくこう言ったのである。
「保健所で処分させるのが忍びないというのなら、その辺の山にでも捨て置いてきたらいい。野生に還すという意味でもいいことだろう」
職務上そして正論上、誰も所長に逆らえなかった。しかしぼくは、だからといってその役を負うことはできなかった。ぼく以外のみんなもそうだった。
そして所長に処分の期限を切られたその日が近づくにつれ、「ネコ」と「クロ」はますます愛らしくなっていった。
ぼくは毎日のように彼らに弁当のおかずをふるまった。朝も夜もそれを繰り返したおかげで、ぼくは体重がいくらか落ちたと感じたほどだ。特に「クロ」は「ネコ」の分までぶんどって食べるくらい食べ盛りであった。
そうしているうち、「その日」はやってきた。
その日の昼下がり、ぼくの先輩に当たる人が二人して(=彼らも所長に命令されてしぶしぶであった)「ネコ」と「クロ」を段ボールに詰め込んでフタをした。「ネコ」と「クロ」は何が何だかわからず、ただただ、
「ニャアニャア」
と鳴くばかりであったが、車のトランクに段ボールごと乗せられ閉められたあとはもう泣き声すら聞こえなくなっていた。ぼくらはいつまでも車の後ろ姿を見つめていた。
1時間ほどして、先輩二人は帰ってきた。
「一応、D山の頂上公園に置いてきた」
「そうですか・・・」
D山の頂上公園から事務所まで、猫が自力で帰ってこれるはずはない距離だった。
「餌、あの辺にゃないだろうな」
「・・・」
「寒かったぞ、あそこ」
ぼくらはただぼうっと「ネコ」と「クロ」のいなくなった待合室を眺めていた。
* 「ネコ」と「クロ」がいなくなって十数日経ち、事務所や待合室は活気を失ったようだった。無論ぼくも寂しさを隠せないでいた。しかも、あれから日数が経っているのだから、「ネコ」と「クロ」はもしかしたら何も食べておらず、ひょっとしたらもう死んでいるんじゃないかという危惧が渦巻いた。ぼくは彼らが無事に生きていることを祈るばかりだった。しかし、そんなぼくらの身の回りに異変が起き始めたのは、ちょうどその頃だった。
まず、「ネコ」と「クロ」をD山の頂上公園に置き去りにしてきた先輩のうち、一人が心臓に不調を訴えて入院してしまったのである。彼は日頃から心臓に持病があるなどといったようなこともなく、病気もあまりしないタイプだった。ぼくらもその時はまだ何とも思わなかったのだが、それからまたほどなくした頃、もう一人の先輩も胃や内臓を中心に体調がすぐれないと言って休み始めた。
あの時、「ネコ」と「クロ」をD山の頂上公園に置き去りにしてきた先輩たちが立て続けに二人とも?・・・ぼくらは少し不安になった。もしや、「ネコ」と「クロ」の祟りなのか? そうだとしたら、「ネコ」と「クロ」はもはやこの世にいないのだろうか?
そして不吉な事象が決定的になったのは、所長までもが、夜眠れないと訴え始めて休みがちになったことであった。しかも、事務所を訪れるお客さんの中にも、なぜか病気に罹り長期入院となった人も出てきた。まさに、事務所の周辺は降って湧いたような不吉な騒動の中に陥ったのである。
幸い、その時点でぼくはまだそのようなオカルトめいたことは起こらなかったが、ちょうどその頃と前後して人事異動の話が出た。そう、ぼくはその事務所から十数km離れた新しい事務所へと転勤になったのである。
* やがて春が来て、周囲も環境も変わり、ぼくはすっかり前の事務所のことを忘れていた。そんな矢先、ふと事務所の隅に動くものを見つけた。なんだろう? と思って近寄ってみると、そこには、尻尾のところがいびつな形のこぶのようになった猫が1匹いて、じっとぼくを見つめていた。
「『ネコ』?!」
その猫はあの時の「ネコ」のように思えた。がしかし、猫はさっと身を翻すと走り出してどこかへいなくなった。
その翌日、ぼくは突如今まで体験したことのない激痛を下半身におぼえ、病院に走った。それは原因不明の前立腺炎症だった。医者曰く、なかなかこの病気に罹る人はいないというのである。ぼくも首をかしげた。ところが、それだけにとどまらず、ぼくはその後次々と不思議な病気(あえて言わない)に襲われ続けたのである。
今ではそのほとんどが完治したが、やはりそれは「ネコ」と「クロ」の祟りなのだろうか。がしかし、ぼくはどちらかというと可愛がったほうだし、ノリ弁当についている唯一の具を分け与えるくらい可愛がっていたのに、である。
などと今でも黒いネコを見るたび、ぼくはそう思うのであるが。
Published 2001.3.10
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