Special Paperbacked Essays, Vol.53 飽食のライダ−スナック - We must eat foods at all -
まったく最近は飽食の時代である。
例えば、サラリ−マンたちがデリバリ−やコンビニで買ったお弁当を食べるのを見るとき、上蓋についた米粒を箸でとって食べる人はあまりいなくなったと思うのである。あるいは、レストランなどで食事をするとき、隣のテ−ブルの若い男女の食い方なんかを見ていると、定食につきもののキャベツ、パセリなどを残したり、果てはやはり茶碗や皿に盛られたご飯をきれいに食べず、残った茶碗が米粒だらけになっていたりするのである。
確かに、弁当やアイスクリ−ムの上蓋についた米粒やクリ−ムをとって食べることはハシタナイことと言われた時代もあっただろうが、ぼくに言わせれば、
「この大ばか者めがあ〜っ!」
と叫びたいのである。
ぼくが幼少の頃は(とこう書くと、やれやれまた年寄りが、と言われそうだが)、茶碗の米粒はすべてきれいに食べないと往復ビンタものだったのである。しかも、当時の子供というものはあまりおやつというものがなかったから基本的にお腹が空いているのであり、茶碗についた米粒すら食べたくなるのが普通だと思うのである。さらに、茶碗についた米粒を箸で一粒ずつとっていくのは子供にとって結構至難の業であるから、この、一見ハシタナイと思われがちな行為は、箸の使い方の習得にも一役買っているのである。
それにしても、どうしてこうも最近の輩は米粒や食材に執着心がないのであろうか。
* 執着心がないと言えば、これまた幼少の頃のことを思い出したのであるが、その昔、
「仮面ライダ−スナック」
というのがあって(今もあるのかもしれない)、これはそういう人気TV番組の名を冠したスナック菓子を買うと、仮面ライダ−に出てくる怪人達のブロマイドカ−ドが1袋に1枚ついてくるというもので、これを知らない30歳以上の人はまずいないと言っても過言ではないだろう。
そして、今では公知の事実となってしまったが、その地域地域には必ずお金持ちの子供がいて、そいつらは仮面ライダ−スナックを一袋ずつではなくてダンボ−ル一箱ずつ買っていくのである。これはもちろんブロマイドカ−ド目当ての行為であり、カ−ドを集めたい一心からである。
ところが、怪人カ−ドの構成はうまく購買欲を刺激するようできていて、巧妙に同じカ−ドが出てくるようになっている。つまり、どうしても欲しい怪人カ−ドはそれこそ大量のスナック袋に一枚だけという割合でしか入っておらず、それ以外は同じカ−ドが何枚も出てくるというわけだ。
お金持ちの子供たちは、大量に購入した揚げ句お目当ての怪人カ−ドがないとわかるや否や、
「ちぃっ、なんやこれは。こんなん持ってるカ−ドばっかりじゃ。ほれ、皆にやるわ」
と、大量のカ−ドを僕らにくれたものである。
「おわっ、これってヘビ男じゃん? スッゲエ〜!」
「うおっ、ぼくクモ男持ってなかったんだ、ラッキ−」
「くっ、くれくれ、それくれい〜!」
などと、少年時代にして早くも貧富の差が如実に現れていたものである。
ところが、問題はこの後である。
ところが、そのお金持ちの子は必要なライダ−カ−ドがないとわかると、スナック菓子すらその場に置き去ったまま帰ろうとするのである。つまり、彼らは付属品であるカ−ドにのみ興味を示し、肝心のスナック菓子本体は捨ててしまうのである。これを本末転倒というのだろうか。どうやら彼のようなお金持ちは「食べること」にさほど興味がないらしい。
「お、おいおい、お菓子どうすんの?」
と誰かが尋ねると、彼は傲然と言い放った。
「ん? 欲しけりゃあげるよ。もう食べ飽きたから」
「・・・!」
僕ら貧乏人の子一同は彼の発言に驚きながらも、次の瞬間、一斉にスナック菓子に群がり、欲しいだけ両手に抱えて家に持ち帰ったのである。だいたい一人7〜8袋はあっただろうか。我ながら情けないものである。
家に帰ると母親が、両手一杯にスナック菓子を抱えたぼくを見て、びっくりしたと同時に怪訝そうな顔で尋ねるのである。
「それどうしたん?」
「もらった」
「もらったって誰に?」
「友達」
「なんでそんなにたくさんもらったん?」
母親の疑問と追及はもっともであり、厳しい。ぼくはありのままを話した。
すると、母親は激怒したのである。
「まったく人さまから理由なくただでモノをもらってはいけないって教えたでしょう! すぐ返してらっしゃい!」
「返してこいったって、本人が要らないってんだもん」
「じゃあほかの人にあげなさい」
「ほかの人もたくさんもらったもんもん」
「じゃああんただけもらわなければいいじゃない!」
「そしたらぼくの分だけ道路に残されてゴミになるもんもんもん」
「なっ!・・・」
「ゴミを道路に残しちゃいけないんだもんもんもんもんもん」
「キィ〜ッ!」
こんな会話がおそらくぼく以外の家でも交わされたのではなかろうか。だいたい親というものは子供におやつを十分買い与えない割には、子供がどこかしこでおやつをもらったというと血眼になって大騒ぎするものである。そして結局子供と一緒になってそのスナックを食っているのだから困った親である。
というようなわけで、当時は子供たちがカ−ドばかり集めて肝心のスナックを捨てるってんで、親達が騒ぎまくったあげく社会問題にまで発展したカ−ド付き仮面ライダ−スナックであったが、だったら子供に買う金を与えんなよっ! てな感じもしないでもなかったのである。
* まあ、いずれにせよ、最近の子供はおやつが氾濫しすぎており、ゆえにお腹が空かない=米粒に執着しない=ご飯を残すことが当然になる、の悪循環だと思うのである。
もっと食べることに執着を持たないと、人間が生存するための必須行為であることに意味をなさなくなるのではないだろうか。
だからぼくは、食べることに誇りと執着を持って日々食べ続けているのである。そして体重は増加の一途を辿っているというわけなのである(言い訳)。
そうそう、言い忘れていたが、あのライダ−スナックはとても美味しかった。味も当時のお菓子のレベルからして、一級品であったことは議論の余地はないほどである。だから、カ−ドなどつけなくても一世を風靡した食べ物であったと思うのである。付加価値をつけたばかりに、仮面ライダ−スナックという世にも美味しいお菓子が後世に悪名を残してしまったことが、ちと残念な少年である。
Published 2002.6.1
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