Special Paperbacked Essays, Vol.3

Macspin2

 

焼酎は青春の味、なのである

- The reason why I like Japanese spirituous liquor -

 

 

 ぼくはお酒が好きなのである。なぜ好きなのかと聞かれても、これこれこうだからなのだ、という理由はない。しいて理由をつけるとしても、好きなんだあ! という理由に他ならないのである。まあ、生理学的・心理学的・世間的には、酔っていい気分になるからとか、美味しいからとか、ストレス解消になるだとか、人間関係が円滑に進むだとか、女の人とおしゃべりするのがもっと楽しくなるだとか、いろいろあるだろうが、美味しいし好きなのだから仕方がない。

 ぼくは自分ではさほど量的には飲めると思っていないのだが、それでも毎日飲んでいると、相当な量になっていると思うのである。もしぼくがお酒とこれほど深いおつき合いをさせていただいてなかったとしたら、ぼくはすでに家の3軒、ベンツの5台は保有していたであろう。まことに嬉しくも哀しい限りである。

 しかも、ぼくはお酒のジャンルを問わないのである。さすがに紹興酒などを愛飲しようとは思わないが、ビール、スコッチ、バーボン、焼酎、日本酒、ワイン、ジン、ウオッカ、梅酒とだいたい何でも飲む。だいたいはビールとスコッチ、日本酒をクリーンアップトリオに据えてやっているのだが、お金のない時は焼酎を飲むこともある。

 焼酎は安くてさっぱりしていて、少し原料の香りがするお酒だが、お湯割り、ロックとどんな形でもすっきり飲めるし、どんなおつまみにもあうお酒だと思うのである。実は、ぼくはお酒の中でも焼酎については、その出会いと関連話からして、ちょっとばかし思い入れがあるのだ。焼酎のあの、つんとしてそれでいてクリアな匂い、まるでその味と香りから「おいどんは焼酎でごわすのでござるたい」的な堂々たる表現をしている魔法の液体を飲む時、ぼくははるか遠い記憶を呼び覚まさずにはいられないのである。

 そもそも、その話は、ぼくが19才の時、関連した話をすれば17才の時にまでさかのぼるのである。

* 

 その事件は、ぼくが高校3年生の夏、受験と卒業を来年に控えていた頃に起きた。ぼくは受験勉強も程々、進路も決めず相変わらずギターと音楽に明け暮れていたのであるが、ちょうどその頃、イギリスが産んだビートルズに続く不世出のバンド、レッド・ツエッペリンが久々のニューアルバム「In through the outdoor」を発売し、続いてかのジョン・レノンも数年ぶりのソロアルバムを発表かという、ファンにとってはウハウハな時期だった。むろんぼくもその一人で、ようし、ニュウアルバム聴いて、そんでもってフレーズをパクりまくって、おいらも一旗あげちゃるんじゃけん!てなことを無謀にも考えていたのである。しかし結果的には、そのいずれのアルバムも、彼等の遺作となってしまうのだが、そんなことを知る由もないままにその出来事は起こったのである。

 レッド・ツエッペリンのドラマー、「ボンゾ」ことジョン・ヘンリー・ボーナムは、その類い稀なるパワーとテクニックの融合を具現化させた、世界最高のドラマーの一人と言っていい。

 事件とは、そんな偉大なる「ボンゾ」が、同じくレッド・ツエッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジの邸宅で遺体となって発見されたことだった。

 当時のニュースや雑誌では、死因はジミー・ペイジが凝っていた黒魔術によって呪詛死したとか、いや自殺だったとか、いやドラッグのやり過ぎだとか、いやウンコ中にイキミ過ぎての脳溢血死だとか、まさにいろいろな噂が飛び交ったのである。まあなにせ、海外のニュースであり、今日のようなインターネット・ウェブの発展していない頃であるので、日本の一地方の一高校生に届く真実なんてほとんどなかった時代である。

 しばらくすると、音楽雑誌上にイングランド警察からの公式アナウンスが掲載され、「ボンゾ」の死因は「吐瀉物による窒息がもたらした呼吸停止」と発表された。つまり、「ボンゾ」は、死亡前夜、ジミー・ペイジの家でしこたま大酒を飲み、ベロンベロンの泥酔状態で眠りについたが、未明に気分が悪くなったものの意識が回復せず、吐瀉物が気管に詰まって窒息して死に至った、というのである。

 高校3年生だったぼくはこの記事を読んで目を疑った。吐瀉物、要するにゲロンパがノドに詰まる?そんなことがあるのか?確かに、ジャガイモを丸ごと無理矢理飲み込んで吐けばそうなるかも知れないが、おかしい。ありえないゾ。やっぱり、これはペイジの黒魔術のせいなのか。イングランド警察ってば、嘘つきやね! ってな具合に思ったのである。

 さらにショックだったのは、それから間もなくしてレッド・ツエッペリンの残された3人が、ドラマー・「ボンゾ」の死により、その存在価値を失ったとして永遠なる解散を声明してしまったことだった。17才のぼくにとってそれは信じられない事実だったのである。せっかくニューアルバムを買ったのに・・・い、いやそうじゃない、ツエッペリンがもう活動しないなんてぇ・・・もうコンサート見れないなんてぇ・・・ううう(泣)。

 やがて季節はうつろい、夏が終わって秋風が吹く頃となった。悲しみも薄れつつあった。ところが、12月になって、ジョン・レノンまでもがN.Y.で銃で撃たれて死んだのである。まさに時間差ダブルショック、しかも受験が本格化しはじめた時期でもあって、気持ちはますます沈んじゃってしまい、ぼくはもうヘナヘナのニョロニョロになったのである。その頃組んでいたバンドのみんなとももう音楽の話はしなくなったりして、ぼくにとっての高校生活の最後の時期はなんとも悲しいものになってしまったのである。

* 

 さて、高校を卒業したぼくは、あっさり気を取り直し、またまたバンドを組んで豪遊し始めていた。折りしも、ぼくより2歳年上で大学の先輩であり,そのバンドのドラマーであるT先輩と意気投合し、T先輩のアパートに入り浸るようになったのである。

 T先輩は、ぼくと同じくレッド・ツエッペリン、とりわけドラマー同士ということもあって「ボンゾ」が大好きな、当時20才。18歳になったばかりのぼくは、例えば車のことや女の子のこと、バイクのこと、絵のこと、詩や曲のこと、その他にもいろんなこと、をビールを飲みながらいろいろと教わった。

 ビールと言っても、当時のぼくはそんなにお酒が強くなくて、さほど好きでもなかったから、アルコール類はたいていアルコール度の軽いビールしか飲まなかったのである。

 T先輩は大分県出身で、九州男児魂を身体の内に秘めた男。そのせいか、最初はビールで盛りあがっていたのだが、日が経つに連れて、ぼくにも焼酎を飲むことをすすめはじめたのである。当時でいう焼酎は今ほどメジャーなお酒ではなく、「おいどんは安い日本酒系でごわす、ちと臭うのでごわす」てなイメージだったので、ぼくはそのうち付き合いますから、とさらりと、あるいはのらりくらりとかわしていた。

 ところが、それからだいぶ経ったある夜、T先輩は実家からもらって来たと言う地酒(もちろん焼酎である)をゴソゴソと出してきた。T先輩の目が嬉しそうである。ついにぼくはすすめられるままに生まれてはじめて焼酎を飲むこととなったのである。T先輩は焼酎をお湯呑みにそのままドクドクと注ぐと、

「『キ』で飲めっちゃ!」

 と言ったのである。どうやら「キ」とは、「生」の意で、要するに水や湯などで割らずにそのまま飲めということらしい。それまでぼくはアルコールと言えばほとんどビールと日本酒と薄い水割りしか飲んだことがなく、焼酎がどんな飲み物なのかもよく知らない。だから、その焼酎のアルコール度が25度=同容積のビールの約5倍もあるだなんて、もちろん知るはずがなかったのである。

 だが、若さと好奇心とホロ酔いの勢いとはどうしようもないものである。口に軽く含み、特に異変がないことを確かめると、ぼくはぐいっと飲んだ。初めて、しかも「キ」で飲んだ焼酎はツゥゥーンと鼻にきて、何度もくしゃみを連発した。次の瞬間、「ガギイイー、グッ、ゲッ、オッ」と奇声が自然に出た。食道が灼けるのではないかと思うほど、熱くてカライ。ぼくの咽せる様子を見たT先輩は笑って、ぼくにどんどん飲むようにすすめる。聞けば九州、とりわけ熊本や鹿児島地方では、「酒」といえば日本酒ではなく焼酎のことを指すらしい。でも、今にして思えばこの時、T先輩はビールしか飲まなかったけど(笑)。

 ともあれ、おバカなぼくはとうとう禁断の果汁、魔の液体を飲んでしまったのである。と同時に、これでぼくも先輩のような大人の仲間入りだあ! ってな気持ちが湧いてきたのである。やがて二人でどんちゃん騒ぎをはじめ、あっという間に焼酎は空瓶となり、その後もやれ日本酒だ、ビールだと飲み続け、とうとうぼくは生まれて初めて体験したと言えるほどの量を飲んだのであった。ちなみに、この夜の酒量の記録は、自分自身未だに超えることができないでいる。

*

 さてさて、帰り道のぼくは完全な千鳥足となっていた。いや、泥酔を通り越して酩酊状態だっただろう。どうみても調子に乗って焼酎をグイグイ飲んだのがいけなかった。たばこすらもくわえていられなかったくらいである。どうやって家に帰ったのかよくわからないが、家についてすぐにふとんに寝転んだところは覚えている。次に記憶している場面・・・それは真夜中のシーンだった。

 何かが顔にヒタとあたるので目が覚めた。うーん、気分が良くない。なにがどうだというのだ・・・ぼくはゆっくり起き上がって電気をつけた。そこで目にした光景にびっくり仰天、どひひぃー! 状態である。

 ぼくの枕のすぐそばに存在していたのは、まぎれもなくゲロンパだった。いわゆる「寝ゲロ」である。しかもこんもりとした山のような形状を成している。なぜだ? いつなんだ? どうして? どうやって? 疑問は次々湧いてくる。がしかし、このままこの状態に至った経緯を考えている時ではないと判断したぼくは、とりあえず手でゲロンパをすくって、ゴミ箱に捨てはじめたのだった。まったく普通では考えられない行動である。まだ酔っていたのかもしれないが、とにかくぼくはゲロンパを全てゴミ箱にすくって捨てたあと、まくらの場所を変えて再び眠りについたのである。この一連の行動の意図も未だに謎であるのだが、ぼくはこの場面を鮮明に覚えているのである。

 翌朝、再び目が覚めると、部屋の中にはすごい臭いが充満していた。臭いの出所はゴミ箱の中と元・まくらがあった場所からである。それでもぼくは気にも止めず、顔を洗って仕事に出かけることにした。でも気分は最悪、朝食をとることもできぬまま、バイクにまたがった。でもこれは明らかに飲酒運転だった。なぜならその時点でまだモノが二重に見えていたのである。んなもんだから、仕事場に着くのがやっとのこと。なんとか自分の席についたものの、今度は二日酔いのつらさでだんだんと座っていることもできなくなってきたのである。いかーん、これしきのこと、しっかりしなくちゃあ! と思えば思うほど、焼酎の臭いが口の奥底からし始め、どうにも気色が悪い。やがて始業時間から10分くらい経った頃、上司が言った。

「お前、酒臭いというか、とにかくなんか臭いからお客さんの前に出せんわ。もう帰れ」

 しかたなくもありがたく、嬉しくも情けなく、青い顔をしてフラフラのままぼくは再び家に帰った。むろん帰りもバイクで帰ったのだが、ヘルメットの中に焼酎の臭いが充満しはじめ、ゲロンパが込み上げてきそうになったのである。

 なんとかホウホウのテイで帰ったら、今度は母親がカンカンになって怒っていた。そりゃ無理もないわ、あのゴミ箱の中身やふとんは母親が掃除してくれていたのだ。

 さんざお説教を聞いた後、母親が言った。

「あんた、吐くならトイレで吐かんと、ノドにつまるよ」

「・・・!」

 これを聞いた瞬間、ぼくは「ボンゾ」のことを思い出したのである。

 ああ、そうだった、去年「ボンゾ」はこうやって死んだんだ。イングランド警察は嘘つきじゃなかった。おお、可哀想な「ボンゾ」・・・。あんなにお酒とドラッグと車と農場の好きだった「ボンゾ」はお酒が原因で死んでしまったのだった。などと、今になって勝手に哀悼の意を表しながら、ぼくは再び爆睡してしまったのである。

* 

 さて、その夜、いくらか体調の戻ったぼくは、懲りもせずまたもT先輩のアパートにいた。昨夜の報告と「ボンゾ」のことを少しだけ話したかったからである。昨夜の話をしたらT先輩はビールを飲みながら大笑いした。ぼくはT先輩に言った。

「笑い事じゃないっすよ。ほんと、夕べは先輩の焼酎のおがけで『ボンゾ』みたく死ぬところでしたよ」

「『ボンゾ』? ああ・・・」

 グビリと缶の底をぼくに向けた格好でビールを飲みほすとT先輩は言った。

「そんじゃ、『ボンゾ』の追悼とお前の回復を祈って焼酎で乾杯しよう」

「・・・(絶句)

 ぼくがその日を含めて、当分焼酎を飲めなかったのはいうまでもない。

 でも、これを契機にお酒を止めればよかったのに、逆にこれでお酒の味と飲み方がわかるようになり、未だに飲み続けているんだから、ほんと酒飲みってのは性懲りもないのである。でもあとでお医者さんに言わせると、「寝ゲロンパ」ってのは相当危険度高いんだそうで。ほんと、死ぬところだったんだからね、ぼく。

 

Published 1999.11.10

/ dedicated to John Henry Bonham & Mittoshi.T

  

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