Special Paperbacked Essays, Vol.41

macspin2

 

こんな車に給油したゾ

=サービス・ステーション事件簿=

- I selled light gasoline to black comboys of "right wing" -

 

 

 ぼくはその昔、ガソリン・サービスステーションにアルバイトとして約1年間勤務したことがある。その間ぼくはさまざまな社会経験をさせてもらった。中には辛いこともあったが、いろんなお客さんを見てきて楽しいことも多かったのである。

 そのサービスステーションというのは、市内でも交通量の最も多い国道の、中心地域にある交差点の一角という、いわば一等地にあって頻繁に車が給油に立ち寄るサービス・ステーションだった。

 当時のぼくはまだ若くて、まさに恐いものなしの毎日であったが、そのサービスステーションに勤務してて、

「うっ。これは・・・」

 とまさにぼく自身フリーズしかけたことがある。今回はそんな恐い物知らずのぼくが体験したちょっぴり恐いお話である(本当はそんなに恐くないのである)。

*

 夏ももう終わりだというのにまだまだ暑い日が続いていたある日の昼下がりのこと、少しヒマになった時間帯をぼくと大学生の先輩アルバイト・Aさんは、誰も立ち寄らないステーションの店先に立ち、話をしながら時間を過ごしていた。

 他の正社員の人たちは、皆んな交代で昼休憩や配達・集金へと出かけていて、ステーションにはぼくとA先輩の二人だけだったのである。だから、ぼくはA先輩のさしておもしろくない大学の講義の延長のような理論話を延々と聞きながら、

「(あ〜あ、早くバイト終わらないかなあ)」

 などとかったるがっていたのである。

 しかし突如、国道の東の方角から大音響とも叫び声ともつかぬ音楽が聞こえてきた。すわっ何事かと、そちらを見やると、真っ黒塗りのバスやジープが数台連なって日章旗をなびかせながらこちらに向かって走ってくる。積んであるスピーカが音量に対応していないのか、はたまた音量が大きすぎるのかわからないが、曲はディストーションがかって歪んでいる。さらに数台とも別々の曲を流しているためまるで原曲がわからないものの、世間知らずのぼくでもそのいずれもがいわゆる軍歌であるらしいことはわかった。

「うへっ、右翼だ・・・」

 A先輩が呟いた。

 初めて聞く言葉にぼくは聞き返した。

「何すか右翼って?」

 すると現役大学生であるA先輩はインテリらしくこう答えた。

「右翼ってのは、いわゆる『右寄り』ってことさ。つまり『左』が共産主義で、『右』が軍国主義ってことかな」

 ぼくはよくわからなかったので、

「はあ、まあ要するに主張したい人の集まりってことっすか?」

「うむ・・まあそんなもんだな。政治結社だよ」

「セ〜ジケッシャ?」

「なんだ知らんのか・・・まあココ(ステーション)に来ないでほしい客の一種だよ」

「ほう」

 というので、ぼくとA先輩は視線を送るでもなくそのブラック・コンボイの一団が通り過ぎるのを待った。

 ところが、あろうことかやにわに黒い船団はウインカーを出し、こちらへ矛先を向けたかと思うと、あっと言う間にドカドカとステーションの中へと入ってきたではないか。

「ぎょえええっ、き、来たッ! わ、わしゃちょっとトイレッ!」

 というが早いか、A先輩はステーションの中の休憩コーナーへと入り込んでしまった。社員はその時間いなかったのだから、A先輩がいなくなると丸きりぼくだけなのである。

  残されたぼくはただ右往左往するしかなかったのだが、そんなことはおかまいなく、いわゆる街宣車の先頭車両はガウガウとステーションの敷地へ入り込んで給油ブースへ停車したかと思うと、車両の後方部から何人かの見るからに屈強な男がドヤドヤと降りてきたのである。続けざまに入ってきた他の車両からも次々と停車して、まるでどこかの国の戦闘団といった風情の男達が降りてきた。というのも、皆一様に戦闘服というのか軍服というのか、とにかくお揃いのいかめしいユニフォームを着ているのである。例えていうなら、石原裕次郎がサングラスにグリーンのツナギ姿、あとは陸上自衛隊の男達がヘルメットをはずしソリの入った5分刈りを見せる、といった感じである。

 そしてその一団の首領らしき将校姿のパンチパーマの男がぼくに声をかけてきた。

「おい」

「(!)」

「おい、言うてんのが聞こえんのかいや、ワリャ」

「は、は、はいッ」

 明らかに素人衆とは違うドスの利いた声と表情に仕草、なによりも全身が威嚇の化身と化した風貌にまっすぐぼくを射るような視線である。関西弁でほんの少し話しかけられただけでぼくはビビってしまった。時折このサービスステーションに来る暴走族やちょっとワル気取りのニイチャン連中とも違う。

 これはただ者ではない・・・そう思ったぼくはゴクリと唾を飲み込んで自らを落ち着かせようとした。パンチパーマは言葉を続けた。

「ここはワレ一人か」

「え?」

「ワレ一人しかココ(ステーション)にゃあおらんのんけ」

「い、いえ、もう一人おりまして、あの、他の人は配達やなんかにいっておりまして、はい」

 パンチパーマはチッと舌打ちして戦闘団と街宣車をぐるりと見渡した。そして、

「しゃあないなあ。まあええわ、はよう注いでくれや」

 と言った。

「は?」

 ぼくはとっさに聞き返した。それがいけなかったのだろう、パンチパーマは、

「は、じゃあるかい。早うさっさせい言うとんじゃ!」

 と剣幕だてて言うと、周囲の男達が叫んだ。

「オラア! 早うせいやあ!」

「わりゃあなめとんかあ!」

「ヒエエエ・・・」

 さすがにパンチパーマは首領である。「早く注げ」というセリフの意味が瞬時にわからずに聞き返したぼくを一喝した途端に、その周りに立っていた戦闘団の男達が次々にぼくに罵声を浴びせた。見事な統率力と組織力である。

 ぼくはビビりまくったものの、ここはぐっとこらえて訊ねた。

「あ、あのう、ガソリンですか、それとも軽油で?」

 すると、パンチパーマは、ころりと落ち着き、満足げな表情で、

「軽油や。200(リットル)は入りよる思うで。急げよ」

 というのである。

 ぼくは、こうなった以上びびっていてもしようがない、ここは彼らに一刻も早く給油し一刻も早くここを立ち去ってほしいと思うばかりになり、

「ハイ〜ッ!」

 とまるで宮尾ススムのように返事をして軽油のノズルをたぐり寄せた。そして、街宣車に近寄り給油口を探したのである。

 ところが。

 探せど探せど給油口が見つからないのである。ぼくもそれまでのバイト経験から、どの車の給油口がどちら側のどの辺にあるとかいうことはたいてい知っているつもりであった。ましてや大型トラックやマイクロバスなどは決まった位置に燃料タンクはあるものなのである。なのに、車両をぐるりと1周して見渡しても見つからないのである。

 ぼくは困ってしまって、パンチパーマの方をちらりを見やった。すると、パンチパーマは何と、街宣車の中からか日本酒の一升瓶を持ちだしていてラッパ飲みをしているではないか。そしてその横で参謀格らしき男が戦闘団に何やら指示を与えているようだった。戦闘団は戦闘団でそれをじっと聴きながらもガムを噛んでいる者、タバコを吸っている者(なんとサービスステーションの給油口の近くで!)など多士彩々で、時折、

「押忍ッ!」

 と気合いの入った返事が飛び交い、しかもそれらをステーションのど真ん中でやられるもんだから他のお客さんも入って来られず、んもうなんだか、グチャグチャなのである。

 ぼくがあっけにとられてその一団を見ていると、パンチパーマが視線に気づいたのか、ぼくに向かって、

「何ぼうっとしとるんや! 早よう注げい言うたやろうがや!」

 首領であるパンチパーマがそう叫ぶと、戦闘団がみな一様にぼくの方を向いた。また叫ばれてはたまらんと思い即座に、

「あ、あのう、給油口が見つからないんですけどっ」

 と早口で答えた。

 すると、パンチパーマは、

「ああン? おう、そうか。なら教えといたるわ。ココじゃ」

 といって、車両の上の方を指さした。

「へ?」

「上(屋根)に上がれや」

「ええっ?」

「後ろに梯子があるさかいな」

「・・・」

 ぼくは天井に給油口がある車両を見たのは、あとにも先にもこの時が初めてであった。後日聞くところによると、街宣車のような特殊車両は「8ナンバー」を取得すべく改造するときに燃料タンクの位置まで変えてしまうのだそうだ。

 これは、元々右翼の街宣車はバス車両を改造することが多いのだが、バス車両や大型トラックの燃料タンクは車両中心部の下部にむき出しでついているため、激しい暴力行為などに巻き込まれた際に投石や火炎攻撃でむき出しの燃料タンクが損傷を受けることを防ぐのだそうだ。このことは、警察の機動隊の車両でもそうらしいのであるが、しかし、なぜ政治結社が激しい暴力行為などに巻き込まれるのか今だによくわからないのである。

*

 それはともかく、車両後方部にハシゴがあり、それを使って天井にのぼれというのだから、びっくりである。しかしそこにしか給油口が無いというのだから、まあ仕方がない。

 ぼくは言われたとおり、パンチパーマや戦闘団の見守る中、片手に軽油のノズルを持って生まれて初めて右翼の街宣車の天井に登った。すると、街宣車の天井はさながら古い蒸気機関車の客車の天井といった感じで、大げさなタンクのハッチが2つ並んでいるのが目に入った。

「おう、そこのハッチを上に開けてやなあ、たっぷり注いでや」

 パンチパーマは下から関西弁でぼくに指示した。そしてまた戦闘団に指示を与える参謀格の男の後方に立って戦闘団を見つめながら一升瓶をラッパ飲みしている。

 ぼくは言われた通り2つのハッチを開け、日に焼けて暑くなった天板の熱気と、ムワっとする軽油の気化臭に耐えながら給油を始め、およそ250リットルくらい注いで満タンにしたのである。

 ところが、天井から地上に降りてほっとしたのもつかの間、パンチパーマはぼくにこう言った。

「あと4台おるさかい、次々やれや」

「・・・ヒョエエ(うっそ〜)」

「おう、お前ら、車どんどんこっち(の給油口)につけや」

「押忍ッ!」

「アワワワ・・・」

 その後ぼくは右翼の首領と戦闘団の見守る中、たった一人天井で給油をこなしたのである。その間、パンチパーマは参謀格に替わって何やら訓示をたれている。

「・・お前ら・・・どやっ?!」

「押忍ッ!」

「・・・天皇陛下云々・・・かッ?」

「押忍ッ!」

「・・・・・だろうッ?!」

「押忍〜ッ!」

 といった具合で、ところどころ聞いていると、近々学校教職員の労働組合の全国大会がぼくの街で開かれるらしく、どうやら彼らはその大会を妨害せんとしているらしかった。しかし、その訓示もやたらめったら長く、一升瓶を飲み飲みやるもんだから、端で見ているほうにはとても奇妙にうつったものである。

*

 さて、給油も終わり、訓示も終わったところでパンチパーマはぼくに金額を訊ね、ぼくはメーターを確認してレジをうち、当時の値段で5万円近い金額を口にした。

 するとパンチパーマは何も言わずに分厚い財布から1万円札を5枚取り出し、

「ほれ。これでええかいや」

 というので、ぼくは、

「は、はい、ではおつりを用意しますので」

 というと、パンチパーマはすかさず、

「もうええ」

 と踵を返したかと思うと、戦闘団に向かって一喝した。

「行くでえッ」

「押忍ッ!」

 そして、全員あっという間に街宣車に乗り込んだかと思うと、再び大音響を鳴らし始めたブラック・コンボイの一団は往来の多い国道に傍若無人に飛び出していき、やがて姿は見えなくなった。ただ、しばらくの間は演歌とも軍歌とも判別のつかない音楽があたりに響いていた。

 この間を時間にすると約15分くらいであったろうか、ぼくが彼らを見送ってほっとすると、入れ替わりに配達に行ってた社員の人たちや昼食休憩の社員らが返ってきた。まったく見事と言うほかないタイミングである。

 すると、ステーションの奥に引っ込んでいたA先輩もおもむろに出てきて、

「まったく、ああいう輩が闊歩するようじゃこの国もダメよのう。ああやれやれ」

 というのである。ぼくがあきれていると、社員さん達は皆一様に、

「何、右翼の街宣車が来た? なんか壊されんかったかいの?」

「お金は踏み倒されんかったろうな」

 などと、誰もぼくの心配をしてくれる人はいなかったのである。これはとても寂しかったのを覚えている。

 とはいえ、当の本人のぼくも、生まれて初めて近くで見た右翼というもの(人達)に対して、一升瓶を飲みながら運転しガソリン・サービスステーションスタンドでたばこを吸うこと以外は規律正しく、かえってそれほど困った人達ではないなあといった妙な感情を抱いたのである(まあ、おつりを受け取らなかったから太っ腹だと思っただけなのかもしれないが(笑))。

*

 年が明け、ぼくは他に就職先が決まったので、その年の3月中旬でステーションを退職した。いろんなことがあったサービスステーション時代であったが、しかし、今から考えてみれば、右翼の街宣車であろうとなかろうと、車であればどこかで燃料を注がなければならない。そう思えば、合計5台の右翼の街宣車に一人で給油したことはぼくの青春の大切な思い出の一つなのである。

 

 

Published 2001.6.25

  

  

[back to top]

 


 

Copyright (c) 1999-2003 遊び大好き少年たかすぎくん制作委員会 All rights reserved.