長谷川英郎君略歴

昭和31年11月
11月29日、 板橋荘病院にて父・義英、 母・久子の長男として誕生
昭和35年4月
自由学園幼児生活団入園 (目白)
昭和37年
5歳から12歳まで紙谷園子氏にピアノを師事
昭和38年3月
自由学園幼児生活団卒業 (目白最後の卒業生)
昭和38年4月
自由学園初等部入学
昭和44年3月
自由学園初等部卒業[初等部第37回生]
昭和44年4月[普1]
自由学園男子部普通科入学

東天寮14号室に入寮

サッカー部に入部、 ポジションはゴールキーパー

ブラスバンドに加入、 スーザフォンを担当

遠足:会津駒ヶ岳/修養会:増富ラジウム鉱泉
昭和45年[普2]
遠足:鳳凰三山/修養会:軽井沢
昭和46年[普3]
遠足:****;穂高独標/修養会:中伊豆 (遠足では副リーダー)

この頃から名栗での夏の労働奉仕に毎年参加

自由学園創立50周年記念美術展、 音楽会 (渋谷公会堂)

夏休みには3日間、 益子にて神崎先生の下、 陶芸を勉強

第3期食事の委員を務める
昭和47年4月[高1]
自由学園高等科入学

遠足:富士山/修養会:山中湖

夏に那須農場にて2週間の労働実習

高等科進学と同時にジャズピアノを市川秀男氏、 鈴木コルゲン宏昌氏に師事
昭和48年[高2]
遠足:仙丈岳/修養会:名栗

冬に1週間のスキー合宿 (奥志賀高原)
昭和49年[高3]
遠足:前穂高/修養会:九十九里浜

第1期の東天寮寮長を務める
昭和50年4月[学1]
自由学園男子最高学部入学

海山の労働に年1回は必ず参加、 冬の枝打ちを好む

遠足:燧ケ岳

日赤救助員免許を取得
昭和51年[学2]
遠足:槍ヶ岳

体操会のファンファーレ作曲 学部体操の伴奏を担当

音楽教育発表会 (渋谷公会堂)
昭和52年[学3]
遠足:奥白根

この頃からプロとしての音楽活動に力を入れる
昭和53年[学4]
遠足:奥穂高岳

卒業勉強:課題 (流行と音楽における社会的考察)

サッカー関東大会で優勝、 関東2部専修大との入れ替え戦に、 2対2で引き分けて昇格を逃す
昭和54年3月
自由学園男子最高学部卒業[男子部第35回生]



−−−学部3年以降の音楽活動−−−
昭和52年〜54年
今城嘉信とザ・コンソレーション・オーケストラに加入

桜田淳子コンサートなどでピアノ演奏
昭和54年
岩崎良美のバックバンドでバンドマスター (バンマス) をつとめる
昭和55年
フリーで活動を始める

当時はアイドル歌手全盛の時代でもあり、 コンサート、 テレビ、 ラジオで数え切れない人数の歌手の伴奏を手がける

平行して自分のやりたい音楽を演奏するため仲間とバンド をつくり、 ライブハウス等で活躍
昭和55年〜59年
内藤やす子のバックバンドに参加
昭和56年
ハングライジのサポートメンバーとして参加

アメリカ横断武者修行の旅に出る
昭和57年
演奏する仕事以外にも、 作/編曲の仕事も始め、 CMの音楽を作ったり、 テレビ番組の音楽監督等も経験
昭和58年
東京藝術大学音楽学部作曲学科受験、 桜散る

TBS 「たけしのお笑いサドンデス」 レギュラー出演
昭和60年
堀ちえみのバックバンドでバンマスをつとめる
昭和62年
音楽事業者連盟の演奏ランクを取得

以後スタジオ・ミュージシャン兼アレンジャーとして全て のジャンル (歌謡曲、 演歌、 ポップス、 テレビドラマのBGM、 CM、 カラオケ、 映画等) で活躍

田原俊彦 夏のツアー ピアノ担当

テレビ朝日 「ビンビンハウス」 の音楽監督、 他数人のタレントの音楽監督を務める
昭和62年〜63年
テレビ朝日 「だうもありがと」 レギュラー出演

浅香 唯  夏のツアー ピアノ担当

田原俊彦 クリスマスディナーショー ピアノ担当
昭和63年〜
テレビ朝日 「華麗にAh! So!」 レギュラー出演

テレビ東京 「にっぽんの歌」 「演歌の花道」、 テレビ朝日 「ミュージックステーション、 フジテレビ 「ミュージックフェアー」 にオーケストラメンバーとして参加
平成10年
CDブラックホール発売:三枝成彰プロデュース (エドマスタジオでPCのハードディスクレコーディング録音)

NHK 「BSにっぽんのうた」 レギュラー出演

SKDステージアレンジ (エドマスタジオで演奏と24chマルチトラックレコーダーでデータ作成)
平成12年
津軽三味線の上妻宏光と 「津軽三味線の世界」 で共演
平成13年
みなみらんぼうコンサート 「30年目の途上にて」 に出演
平成13年〜14年
「TEPCOふれあいコンサート」 (年10回公演) でボニージャックスと共演

(平成15年は病気の為出演できず)
平成15年
おおたか静流と 「うたとおとであそぼうコンサート」 で共演



−−−闘病−−−
平成14年
12月〜翌年1月まで約1ヶ月間の入院 (慈恵医大病院)
平成15年
11月に約2週間の検査入院 (慈恵医大病院)



−−−別れ−−−
平成15年
12月7日 仕事先の松阪に向かう途中の名古屋にて急性 循環不全のため他界
 47歳と8日間 (名古屋第一赤十字病院)

12月13日 江古田斎場にてお別れの会
平成16年
4月10日 板橋長徳寺に納骨

戒名:純楽英道信士

(長徳寺:東京都板橋区大原町40-7 電話03-3960-0957)








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