Jackson Pollock, Full Fathom Five, 1947
*【王墨】
王墨は、何許の人なるや知らず、亦た其の名を知らず。溌墨を善くして山水を画く。時人故に之を王墨と謂ふ。多く江湖の間に遊び、常に山水・松石・雑樹を画く。性は多に疎野にして、酒を好む。凡そ図障に画かんと欲すれば、先づ飲む。醺酣の後、則ち墨を以て溌ぐ。或は笑ひ或は吟じ、脚は蹙り手は抹り、或は揮き或は掃き、或は淡く或は濃く、其の形状に随ひ、山と為し石と為し、雲と為し水と為す。手に応じ意に随ひ、倏〔たちま〕ち造化の如し。雲霞を図出し、風雨を染成すること、宛も神巧の若し。俯観するに其の墨汚の迹を見ず。皆な奇異なりと謂ふ。 (朱景玄『唐朝名画録』 逸品)
*【顧子】
大暦中、呉の士、姓は顧なる者、山水を画くを以て諸侯の門を歴抵す。毎に画くに先づ絹数十幅を地に帖す。乃ち墨汁を研ぎ、及び諸采色を調へ、各々一器に貯へ、数十人をして角を吹き鼓を撃ち、百人をして声を斉しくしてくらひ叫ばしむ。顧子、錦襖・錦纏頭を着け、酒を飲み半ば酣は、絹を遶り帖まり走ること十余匝、墨汁を取り絹上に攤き写し、次いで諸色を写す。乃ち長巾一を以て一頭を所写の処に覆し、人をして座圧せしめ、己は巾角を執りて之を曳く。回環すること既に遍くして、然る後に筆墨を以て勢に随い開き決めて峰巒島嶼の状を為る。夫れ画は淡雅の事なるに、今顧子目を瞋らせ鼓噪し、戦の象有り。其れ画の妙なる者ならんや。(封演『封氏聞見記』巻五 図画)
溌墨法描例
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このような域にまで達してしまった手法が「溌墨」である。
溌墨の「溌」とは、辞書的語義では、そそぐという意味で、それゆえ溌墨とは墨をそそぐということになろうが、むしろ溌墨には、勢いよくぶちまける、吐き出すという語感がある。筆で描くのはたしかであるが、筆線に依存せず墨だけで、飛沫もかまわず一気呵成に描きあげる。だから、輪郭線などもはやない。
張彦遠『歴代名画記』に、唐代の張璪〔ちょうそう〕の画法について、「ただ禿筆を用ひ、或は手で絹を模す」とある。筆先を切った粗笨な筆を使ったり、手で画面を擦ったりするというのだから、これは溌墨で描いたとみてよい。
さらに、それにとどまらず、この溌墨という画法がしばしば類比されるところは、パリからニューヨークへ、つまりシュルリアリズムから抽象表現主義へ展開した現代絵画の様相であり、さしあたってその名を挙げれば、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock 1912〜1956)やウィレム・デ・クーニング(Willem de Kooning 1904〜1997)など戦後一時流行ったアクション・ペインティングである。
たしかに、中国の画論文献(封氏見聞記・唐朝名画録・歴代名画記等)に認めうるところでは、王洽〔おうこう・王墨〕、張志和〔ちょうしわ〕、顧子〔こし〕など、唐代の溌墨画家たちについては注目すべき内容の伝記がある。
たとえば――まず、画を描くより先にまず酒を飲む。十分酔っ払ったところで、音楽や歌に合わせて踊るように画を描く、墨汁を足で蹴るわ、墨を手で布で塗りたくるわ、はては髻〔もとどり〕を筆代わりにして画を描く――彼ら溌墨画家たちの作品は現存せず、そのパフォーマンスは伝説的なものであるが、それでも、これが世界最初のアクション・ペインティングの記事であることは動かない。
後世溌墨はずいぶん大人しい馴致された画法に収拾されてしまっているが、要するにここで確認すべきは、そもそも溌墨は、単に絵画手法の一つというよりも、当初、アクション・ペインティングに類似の、こうした不確実性と偶然性を織り込んだパフォーマティヴな即興性のものであった、溌墨法はこういう言わば一種チャンス・オペレーションに似たところから出発したということである。
さらに興味深いのは、中唐の封演『封氏聞見記』にある、顧子という画家の記事である。彼は遍歴画人のようで、画を描くにあたって、まず数十人の楽隊に喇叭を吹かせ太鼓を叩かせ、百人に声をそろえて大声で叫ばせる。顧子自身は錦の上衣・錦の頭巾といった派手な衣装で登場、そこでまず酒を飲み酔払ったたところで、画布(絹)の周りを十回以上もぐるぐる走って廻る。ますます酔いがまわる。そうして墨汁を画布の上に撒き散らしたりいろいろな色をぶちまけたと思うと、こんどは人を座らせて画布上を引きずり回す。十分引きずり回したところで、顧子は筆をとり、引きずり回した迹に偶然にできた模様を利用して山峰や島嶼の姿を描き出した……。
これによって見れば、この絵画パフォーマンスは、数十人あるいは百人を動員するかなり騒々しく派手なスペクタクル(見世物)であったらしい。ポロックのアクション・ペインティングどころではない。
つまり、唐代に現れた溌墨は、伝統的画法を破壊する暴力的なパフォーマンスであり、自他共にそう認めていたらしい。それゆえ同時に、張彦遠(歴代名画記)などが、溌墨のごときは画に非ずとしたように、もはや絵画ではないと否定されるほどものであった。
美術史は前衛芸術を現代社会の産物として歴史的に特権化する傾向があるが、それは西洋中心主義的な錯覚にすぎない。あきらかに、唐代に世界最初の前衛芸術がすでに出現していたのである。
おそらく、水墨画の根本は、逸品(逸格)とされるこうした盛唐期の――そして五代には蜀というローカルなアートシーンでの――ラディカルな前衛的画法を起源として再発見することにあった。水墨画の抽象とは、線描に依拠しない没骨画法によるものだが、少なくとも画家の意図を超えたこの不確実性と偶然性を呼び込む一回性のパフォーマティヴ performative な次元がなければ、水墨画とは言えないのである。
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