2010TK米国滞在記
2010 TK米国滞在記
まだ冷たい風の吹くサンフランシスコ。
安ホテルのシェアルームで暮らし始めてから3日。
プリズン・ブレイクの監獄のシーンに出てくるような二段ベッドの下に膝を抱えて引きこもる日々だ。
そんな状況の中、ベイエリアのブルースオヤジ、Christopher Ford氏
http://www.christopher-ford.com/
の尽力により演奏の機会がやって来た。
奇遇にも15年前に初めてサンフランシスコに来たときに訪れたBARである。
4/15 Thu at [The Saloon]
http://www.sfblues.net/Saloon.html
Ford氏のバンドにゲストの一人として参加させて頂くことになった。
(写真)
万が一、日本のブルースマンの面目を失うようなことがあれば、その場で腹をかっさばき、米国人に日本男児の気合いを見せつけてやる所存だ。
海外旅行保険にもちゃんと入ったし、きっと大丈夫!
サンフランシスコに来て10日。
ほぼ毎日ジャムセッションもしくはライヴにsit inする日々を送っている。
人口82万人。東京の10分の1にも満たない地方都市であるが、クラブシーンの充実度は東京を遥かにしのぐ。
街の至る所にあるブルースを演奏する店。
そこでレギュラーのギグを獲得しようと、しのぎを削るミュージシャン達。
そして客はまるでカフェにコーヒーを飲みに来るような気軽さでブルースを聴きに来て、演奏を楽しみ踊る。
音楽が街に文化・娯楽として定着している度合いが日本と違いすぎる。
サンフランシスコ。全くもってあなどれぬ。
写真1/写真2/写真3:KPOO地元のFMラジオで15日のライヴの宣伝。ほぼ言語障害に陥り、自分の英語力の無さに愕然。
写真4/写真5/写真6/写真7:4/15ノース・ビーチの老舗、THE SALOON。Christopher Ford Blues Bandにゲストとして参加。4ステージの熱演。切腹を回避。
写真8:オークランドのクラブでSteve Freundのライヴにsit in。Sunnyland SlimやBig Walterなどのシカゴブルースの大物達を長年サイドマンとして支えてきた、伝説の継承者。
あっという間の17日間。
サンフランシスコのブルースマン達にいっぱい遊んでもらって、お土産にCDもらったりして。
子供か、オレは。
SFOはホントにいい街でした。
以下いつか訪れる方の参考までに。
SFOのブルースバー・ミュージシャンの情報は全てここに。
http://sfblues.net/
お勧めはChristopher Ford/Steve Freund/Daniel Castro/Chris Cobb/Johnny Nitro/Dave Workman/Bobby Web/TAKEZOさん
あとダウンタウンに無料の英語クラスを発見。
月〜金の2時〜4時まで。
http://www.stgiles-international.com/english-courses/locations/usa/san-francisco.php
写真1/写真2/写真3:ノースビーチの親分、Johnny Nitroのライヴはいつも超満!
写真4/写真5/写真6:SFO最後の夜はベイエリアで活動中のTAKEZOさんにも会うことができた。一緒にJohnny Nitroのライヴにsit in。
写真7:あのRy Cooderに影響を与えたという伝説のラップギター、Freddie Roulette。ドカジャンが似合いすぎ!
シカゴオヘア空港から電車を乗り継ぎ、GRAND-STATE駅に着いたのは夜の12時近くであった。地上に出ると荒れ果てた空き地越しに、古い建物の廃墟のような後ろ姿が見えた。TOKYO HOTELである。春だというのに粉雪が舞っている。
当初の予定では、LAのベニスビーチ辺りで、天然のハーブ類を吸引し脳みそを溶かしながらゆるゆるに時を過ごしているはずであった。しかし阿佐ヶ谷銀杏小路の殺し屋、ブルースバー「CHICAGO」のマスター根本氏の「アメリカに行くなら絶対シカゴが楽しいよ。TOKYO HOTELが一番安くて安心だし」との言葉を真に受けた私は、粉雪の舞う真夜中のシカゴのダウンタウンで一人途方に暮れて立ち尽くしていた。
選択の余地はない。意を決して建物に潜入する。中は西洋お化け屋敷のような空気が漂っていた。早速受付で魔女に遭遇する。しわくちゃな顔で壁に向かって盛んに独り言をつぶやいていた。
「現金しか通用しないからね。クレジットカードなんか出したらピストルで撃たれるよ」店のカウンター越しに嬉しそうに語る根本氏の顔が脳裏によぎる。震える手でトラベラーズチェックを差し出すと、意外にもあっさり魔女に受理された。鍵を受け取りエレベーターに乗ると、なんと手動である。係のせむし男がレバーを引くと、エレベーターはスルスルと14階へ上っていった。
部屋に入ると異常なほど風通しがいい。見ると窓は全て閉まっているものの、窓枠と壁の間の至る所に指が入るほどの隙間が空いている。これでは凍死は免れない。たまらず受付に戻り、拙い英語で「部屋、風ビュービュー、寒い、死ぬ」と苦情を申し立てた。すると魔女ははき捨てるようにこう答えた。“Close the window!”
一瞬殺意が芽生えたが、魔法で虫か何かに変えられてはかなわない。根気強く説得し、やっとのことで部屋を換えてもらった。
一息ついてから隣の建物の一階にある酒屋にビールを買いに行く。店に入るときは緊張していて気付かなかったのだが、酒屋の周りには黒人の物乞い達がたむろしていて、店を出たとたん私は一斉に彼らに囲まれた。“Hey, yo, yo, give me some change, man!”私が旅慣れない旅行者だと素早く察した彼らは、必要以上にアグレッシブに迫ってくる。その攻撃性からして物乞いという言葉は全くもって不適切であろう。物乞いというよりカツアゲである。中にはジーパンの後ろポケットに特大のナイフを差した者もいる。言葉が通じないだけにヤクザの団体に囲まれた以上の恐怖だ。
「へ、ヘルプミー!」必死の形相で部屋に逃げ帰り、ビールを飲み干して長い一日が終わった。
「魑魅魍魎とした街」私のシカゴの第一印象、15年前のことであった。
SFO滞在を終え、先月末再びTOKYO HOTELに数日間滞在した。GRAND-STATE駅を降りると周りはすっかり様変わりしていた。空き地には高層ビルが立ち並び、隣の酒屋は高級な葉巻を売る店に変わっていた。アグレッシブな物乞いたちはもういない。綺麗で安全な街になっていた。
しかしTOKYO HOTELはそのままの姿でそこにあった。受付には若い別な魔女がいた。世代交代だろうか。エレベーターは自動に変わって、せむし男はもういなかった。リストラだろうか。それでも部屋の中はまるで時が止まったかの様に15年前と同じであった。数多くの日本人ミュージシャンがお世話になったスイートホームTOKYO HOTEL。幸運にもリンカーンパーク隣の快適なアパートに住むことができている今でも懐かしく思い出される。私のブルースの旅は15年前にここから始まったのだ。
写真1:立地条件は最高。東京だったら有楽町ってとこか。窓からの景色はこんな感じ。
写真2/写真3:設備はマイナス五つ星。写真ではイナタさが伝わらないのが残念。
写真4/写真5/写真6:Kingstone MinesでShun菊田さんが在籍するJW Williams Bluesbandにsit in。
話はまた15年前のイリノイ州シカゴにさかのぼる。
当時Division Stにあったココ・テイラーのブルースクラブを訪れると、客席の一番前でホームレス風の黒人が、keyの合わないハーモニカを吹きながら、ステージ上の出演者に向かって指を差し何か叫んでいた。ルリー・ベルである。
ブルースハープの名手、キャリー・ベルの息子として生まれ、シカゴブルースシーンを背負って立つネクストジェネレーションの筆頭として期待されていたギタリストである。その彼が半ばホームレス、ヤク中状態に陥っていた。
ほとんど吹けないのだろう、彼のハーモニカは出演者の演奏に対して常にチューニングが外れていた。何よりも彼の精神のチューニングが外れていた。完全に周囲から厄介者扱いされている。本来ならとっくにセキュリティーにつまみ出されているはずなのだが、そうならないのは彼がルリー・ベルだからであろうか。
この日彼を見てひどく心が痛んだのを覚えている。
それから数日後、自ら企画するブルースツアーで米国に来ていた、ブルースバー「CHICAGO」のマスター根本氏(殺し屋)と合流した私は、ノースサイドのクラブ「B.L.U.E.S.」を訪れた。しばらく演奏を楽しんでいると、根本氏が「席を替わってくれ」と言う。殺し屋には逆らえない。何も考えずに席を移動して気がついた。対面にいる、白眼が黄色く変色した黒人とやたらと目が合うのだ。ルリー・ベルである。ほとんど瞬きをせず、こちらを見ている。私はしばらく石のように固まってしまったのを記憶している。
この時期一度挫折したハーモニカをまた吹き始めた私は、徐々にブルースジャムセッションに顔を出すようになった。通常セッションに参加する場合、参加者は事前に自分の名前とパートを登録用紙にサインするのだが、この日用紙にサインすると、見覚えのある名前が私のすぐ前に書かれていた。ルリー・ベルである。
「お前は名前書かなくていいよ」そう突っ込みたかった。先日の殺し屋の粋な計らいのおかげか、私の顔は彼のサイケデリックな脳にインプットされていたらしい。セッションが終わると、ルリーは私に「ソーダを飲みに行こう」と声を掛けてきた。
どうせ酒かクスリの金をせびられるに決まっている。「どうしよう、でもあのルリー・ベルだしなあ」多少の葛藤はあったものの、日本への帰国が間近であった私は冷たく彼の誘いを断った。もう二度と彼に会うことはないだろうとその時は思った。
時は過ぎ、周囲の協力によって徐々にドラッグから立ち直ったルリーが、奥さんと息子の死という不幸を乗り越え、完全復活したという知らせを聞くようになった。
15年ぶりに彼との再会を心待ちにした私は、先日ウエストサイドの「Rosa's Lounge」を訪れた。そこには全盛期に勝る程のパフォーマンスを繰り広げるルリーがいた。
すっかり別人になった彼は「ソーダを飲みに行こう」ではなく、「ステージに上がってこい」と私に声を掛けてくれた。
時計は1時を過ぎ、客席はまばらであったが、全力でプレイする彼の眼は少年のようであった。少なくとも私のくすんだ目よりもよっぽど音楽に対して純粋であるように映った。ルーリー・ベルがいる限り、シカゴブルースは生き続けるだろう、そう思わされた夜であった。
写真1/写真2/写真3/
写真4:ルリーとRosa's Loungeにて。
写真5:レジェンドのジャムセッションに参加したら、バディガイに遭遇。
皆さんは「ものまね四天王」をご存じであろう。
「ものまね四天王(ものまねしてんのう)とは、かつてフジテレビの『ものまね王座決定戦』で人気・実力を不動のものにし、一世を風靡したコロッケ・清水アキラ・栗田貫一・ビジーフォー(グッチ裕三、モト冬樹)の4組、またはその個々を指す呼称である。」
(ウィキペディアより引用)
ブルースの世界にも四天王は存在する。
「ハーモニカ四天王」:ジュニアウェルズ(故)、キャリーベル(前回日記に書いたルリーベルの父・故)、ジェイムズコットン、ビリーブランチの4人である。いずれも世界的に高名なブルースハーピストであるが、「ハーモニカ四天王」という、この呼称を耳にした方は皆さんの中にもほとんどいないと思われる。何故か。それは私が勝手にそう命名しているだけだからである。
その四天王の演奏がこのCDで聴くことができる。
http://www.amazon.co.jp/Harp-Attack-James-Cotton/dp/B0000009ZQ
4人の巨匠が様々な曲の中でバトルを繰り広げる「ハープアタック」。15年前にシカゴでこのカセットテープを買い、以来教科書のように聴きまくった作品である。中でもビリーブランチのエッジの利いたファンキーなフレーズが好みで夢中になってコピーしたものだ。
そのビリー師匠に先日、ノースサイドのクラブ「Kingston Mines」で遊んでいただく幸運に恵まれた。
バンドのピア二ストであるアリヨさんから紹介していただき、この日私はビリーとステージ上でハーモニカバトルを繰り広げることとなった。たった1曲のシットインであったが、2人のバトルは15分にも及んだ。もちろん現実はただ師匠に胸を借りていたに過ぎないのだが、自分の中では「やべぇ、これってビリー兄貴とオレとの『ハープアタック』じゃね?」と感極まった状態に。
察するにこの15分間、ヨダレ・鼻水・涙すべての液体がゆるみきった私の顔から流れ落ちていたと思われる、と言えばウソになるがそれに近い程の感激であった。
ものまねでいえば、ザ・ハンダースのころから清水アキラのファンであった売れない芸人が、何かのはずみで地方巡業先で一緒に村田秀雄のものまねをすることになった、といえばわかっていただけるであろうか。まさしくハーモニカプレイヤーとして至福の時間であった。
これを機に私の師匠に対するストーカー行為が始まり、毎週月曜日はビリーが演奏するサウスサイドの「Artis's Lounge」に通い詰める日々が続いている。
「Hey, TJ. What's up man!」
私がJapaneseだからなのか、いまだに名前をちゃんと覚えてくれないビリー兄貴であるが、私に歌わせてくれた後にかけてくれる笑顔がなんとも忘れ難いほどチャーミングである。
I love Billy Branch !
写真1:「Kingston Mines」でハープバトルを終えた直後のビリー兄貴と私。顔の大きさでは私の圧勝。
写真2/
写真3/写真4/写真5:
サウスサイドの「Artis's Lounge」で兄貴のバンドにシットイン。偶然にも一緒にシットインしたベースは昨年マジックスリムバンドで来日し、中野のブライトブラウンで一緒にセッションしたスモーク。私のことを覚えていて先に声を掛けてくれた。嬉しい再開。
写真6/
写真7/写真8:昼はスポーツジムのタダ券をゲットし、ロッククライミングに初挑戦。いきなり5階建てのビルの高さまで登らされ、オシッコ漏れそうに。
“Wild South”
シカゴのサウスサイドの中でも、市を南北に走る鉄道Red Lineの南の終点、95th/Dan Ryan駅よりさらに南の地域を、人はそう呼ぶ。カージャックなどが多発する黒人居住区で、ノースサイドに住む白人などはまず近寄ることはない。
とはいっても、普通に人が住んでいるわけで、店内やその周辺は警察が頻繁に立ち寄るし、最低限の注意(走行中もドアをロックする・車中に荷物を残さない等)を怠らなければ危険な目に逢うことはまずないだろう。
ただ私のように車がない者には、なかなか行くことができない地域ではある。
今回はそんなWild Southの店を二つ紹介しておこう。いずれもRonnie Hicks やNellie Tiger TravisのSax Playerとして、今シカゴで活躍中の南彩子ちゃんのお伴の猿として訪れる機会を得た店だ。
「The Rockin’ Horse」
http://www.yelp.com/biz/the-rockin-horse-chicago
Koko Taylorの最後の旦那が経営する店。ステージの天井には大きく「KoKo」の文字が。毎週日曜日にRonnie Hicks Band。あと火曜日にもライヴミュージックあり。
「Posen Pub」
http://chicago.citysearch.com/profile/map/39983928/posen_il/posen_pub.html
毎週火曜日にRonnie Hicks Band。他のライヴミュージックは不明。(サウスサイドの店の特徴だが、週末はDJのみで、日曜・平日に週2回ほどライヴミュージックを入れている所がほとんど。)
私が訪れることができたワイルドサウスの店はこの2軒だけだ。しかし今やArtis's Loungeもサウスサイドのクラブの雰囲気を失いつつある中、ノースサイドとはまるで別世界の、ブルースファンがあこがれる古き良きサウスサイドの雰囲気をこの2軒で体験することができたような気がする。
なんといっても客は100%黒人(あたりまえか)。6時ぐらいから徐々に人々が集まりだす。みんなバッチリドレスアップしていてカッコいい。店内は地域の大人の社交場といった雰囲気だ。DJのかけるソウルナンバーが泣かせる。客の世間話に花が咲き、ひと際店内がにぎやかになったころ、バンドの演奏が始まる。
私が訪れた数回はいずれも南彩子ちゃんがメンバーであるRonnie Hicks Bandの出演であった。演奏もすばらしいが、とことん客を楽しませようというそのエンターテイメント性にはただ脱帽。またそれに反応する客とのコールアンドレスポンスがライヴを一層盛り上げる。日本では決して味わえない雰囲気だ。
後半には、いつも彩子ちゃんに同行するシカゴ在住の美人ハーピスト・シンガーのユウコちゃんに続き、私もsit inさせてもらう。
当然のことだが、ノースサイドのクラブではいくら演奏が盛り上がってバンドのチップ瓶にチップがたくさん入っても、我々sit in組には一切回ってくることはない(もちろんそんなことは全く最初から期待してないが)。
驚いたことにここでは、演奏中に客が気に入ったミュージシャンに直接チップを手渡しに来るのだ。カッコいいぜ、Wild South!
日本人が珍しいのか、私の顔の大きさに驚いたのか、歌っている私にもチップが手渡された。合掌のポーズで受け取り、失笑を買う。ありがたいことに毎回それは続いた。
Wild Southでチップとして頂いた数十ドルの紙幣。額にしたらわずかであるが、私にとっては大切な思い出のお金だ。思い出はプライスレス。これからもお守りとしてずっと財布の中にしまっておくことにしよう。
とか言ってもうほとんど使っちゃったけど。
写真1/写真2:Posen Pub外観。店内も広いが、駐車スペースも意味なく広い。
写真3:The Rockin' Horse外観。
写真4/写真5:The Rockin' HorseでRonnie Hicks Bandにsit in。
6月の第2週の週末に開かれた世界最大のブルースの祭典、シカゴ・ブルース・フェスティバルを、幸運にも3日間ともメインステージの最前列で見ることができた。
数万人の観客の最前列に陣取っていたのは、ほとんどが毎年の常連客。リタイアしてたっぷりと年金をもらい、全米各地のブルースフェスティバルを廻り一年中を過ごす、なんとも裕福でイカれた御老人達である。日本ではまずお目にかかれないファンキーな御老人達にサイケデリックな嗜好品を振る舞われ、100%Cotton演奏を楽しむことができた。
私個人的には今回の目玉は、
金曜日のJames Cotton, Matt“Guitar”Murphyの共演
土曜日のBilly Boy Arnold, Billy Branch, John Primer, Lurrie Bell, Carlos Johnsonの共演
日曜日のCharlie Musselwhite, Sam Lay, James Cottonの共演
であったと思う。
中でも土曜日の5人の共演がいろんな意味で一番印象深かった。以下その一部を記す。
Billy Branch
ビリー兄貴は普段アンプにリバーブをかけ、ソウルトレインに出てくるような細いマイクでハーモニカを吹く。私がsit inするとき、ボーカルマイクを使おうとすると、兄貴は気を利かせてか「遠慮するなTJ、オレのマイクを使え」と言ってくれる。実を言うと私は彼のセッティングが大の苦手だ。
ところがブルースフェスのような巨大な野外空間では彼のセッティングが最大限機能していた。
ハーモニカプレイそのものも、普段どんだけ手を抜いてんですか、と思わせるほどの好演であった。
Lurrie Bell
登場からして、ギターシールドが絡まって解くのにもたついたり、ギターアンプの音が小さすぎて共演者に直してもらったり、歌うときにマイクの位置を直そうとしたらマイクがスタンドから外れ、しかも手が震えていてかなかなか元に戻せず、またもスタッフに助けてもらっていた。柄にもなくかなり緊張していたと思われる。
シカゴ在住のカメラマンの小田さんの証言によると、この日Lurrieは会場入りから超ハイテンションで、会う人全てに全開シャウトで挨拶し、出演時には既に声が枯れていたらしい。 そんなLurrieが私は大好きだ。
John Primer
この日5人の共演を仕切っていたのが、Matthew Skoller。2か月間の滞在で私がシカゴNo.1ハーピストだと認めた男である。ステージの終盤、彼の段取りはこうであったと推測できる。散々他のプレイヤーにソロを回した後、最後にJohnにソロをふる。Johnに花を持たせたところで、自分のソロでエンディングに持っていき、オイシイところもちょっと頂く…。
はたしてステージは最高潮を迎え、いよいよJohn Primerにソロが回ってきた。しびれを切らしていたかのように、Johnは勢いよくステージの最前列に飛び出す。その瞬間シールドがアンプから抜け、会場は一瞬エアポケット状態に。これには一同苦笑。またそれをフォローせんと自らハーモニカマイクを持ったMatthewも、アンプのセッティングがおかしいのかPAのミスなのか、ほとんど音が聴こえない有り様。本人は超マジブロウしているだけになおさらその姿が痛々しかった。
そんなハプニングで満載の5人の共演であったが、3日間で一番の盛り上がりであったことは言うまでもない。
写真1/写真2:James Cotton, Matt“Guitar”Murphyの共演
写真3/写真4/写真5:Billy Boy Arnold, Billy Branch, John Primer, Lurrie Bell, Carlos Johnsonの共演
写真6/写真7:Charlie Musselwhite, Sam Lay, James Cottonの共演
80日間に渡る私の米国パトロールも6/30をもって終了した。
パトロールというより、現地のミュージシャンに遊んでもらって、お土産にCDもらって帰って来たに過ぎない。
シカゴでは数多くの憧れのミュージシャンと一緒に演奏する機会を得た。またブルースを聴いて涙が出るほど感動する瞬間を何回か体験することが出来た。衰退の一途をたどるともいわれているブルースであるが、一生この音楽に関わっていくだろうと確信が持てた滞在であった。
長々と日記に記してきたが、最後に言っておこう。
シカゴのブルースクラブでシットインして拍手喝さいを得ることは、ある程度ブルースをやっている人なら誰でも可能だ。実際数多くの日本人、ヨーロッパ、南米からのブルースミュージシャンが毎年シカゴに演奏しにやってくる。私のような、極東の島国からやって来た無名のミュージシャンでもどんどんステージに上げて演奏させてくれる。確かに日本では得られない体験だ。
勘違いしてはいけないが、これらは全てシカゴブルースシーンの懐の深さゆえによるものだ。
本当にスゴイのは当然のことながら、菊田俊介さんやアリヨさんや野毛洋子さんなど、本場で長年第一線で活躍されているミュージシャンなのだ。今回これらの日本人ミュージシャンがいかにシカゴで認められているか思い知ることが出来た。
ブルース天国・シカゴを後にし、最後の3日間を再びSFOのChristopher Ford氏の自宅で過ごす。Market Stのゲイパレードを見物。SaloonでPaulとJohnny Nitroのライヴにシットイン。Velma'sのジャムセッションではRickyと再会。懐かしくもちょっぴり寂しい、祭りの後のような3日間が過ぎ、私の米国パトロールは終了した。
写真1:現在シカゴのNo1ドラマー、Pooky Styxと。
写真2:何度か来日公演しているPistol Peteと。Peteのよだれベッタリのマイクでハーモニカを吹いた直後。「早く手を洗いたいんですけど…」の1コマ。
写真3/写真4/写真5:SFOのゲイ・パレードの1コマ。今回の旅行記はゲイで締めくくり!
“Smitty's Lounge”
そんな訳で、11月8日から1か月の予定でまたシカゴに来ている。
今回はウェストベルモントという、まぁーどこに行くにも不便なところでアパートの一室を間借りしている。
唯一好都合なのは、シカゴフード(東洋食品)という、韓国系スーパーマーケットが割と近くにあり、日本の食材は大抵手に入ることだ。
もちろん韓国の食材は全てが本格派。特にキムチは絶品!
こちらに来てからというもの、相も変わらず毎晩ブルースクラブで、飛び入り演奏を続けている。
シットインにも若干飽きてきたこの日、キムチをつまみながら今夜の予定をぼんやり考えていると、今シカゴで超売れっ子のサックスプレイヤー、南彩子ちゃんから電話が入った。
「今日急にサウスサイドで仕事が決まったんですけど、一緒にどうですか(関西弁で)」と。
渡りに船と二つ返事で、キムチくさい息をまき散らしながら合流することとなった。
今回の現場「Smitty's Lounge」15101 Halsted StreetHarvey, IL 60426
は前回日記に書いたワイルドサウスの店http://chicago.citysearch.com/profile/map/39983928/posen_il/posen_pub.html
より更に南に下る。
店の周りは暗くなると、とても一人では歩けそうにない雰囲気だ。周辺にはもちろん黒人しかいない。皆さんまぁーお顔が黒いこと。
店に入るとメンバーは、キーボード・ヴォーカル担当でバンドリーダーのロニー・ヒックスしか見当たらない。
どうやらあまりに急な仕事で、他のメンバーが調達できなかったらしく、ロニーの鍵盤と彩子ちゃんのサックス、この2人でライヴをやるつもりのようだ。
こりゃ、ノースサイドのブルースクラブにでも行ってた方が良かったかな、若干後悔しながら演奏を見守っていると、開始早々ロニーが「何やってんだ、お前も入れ」と言う。
こうして黒人純度100%の店内で、黒人1人(鍵盤)&日本人2人(サックスとブルースハープ)という奇妙な編成の演奏が始まった。
今回はこの店でレギュラーの仕事が決まるかどうかという、オーディションを兼ねたとても大事なギグであるらしい。
そんな状況の中、ロニーの服装はどう見てもゴルフ帰りのオヤジだ。私はハーモニカを吹くたびに、キムチ臭をサウスサイドの店いっぱいにまき散らしている。
大丈夫なのか、これで。
実際ふたを開けてみると、ロニーの類まれな芸人としての才能と、奇妙なバンド形態が化学反応を起こしたのか、ライヴは大盛況。
途中からユウコ嬢も加わり、オーナーもいたくご満悦で、このメンバーで毎週水曜日のレギュラー演奏が決まった。
ホントにいいのか、これで。
ワイルドサウス特有の、客からの直チップ。今回シカゴでの初めてのギャラ。毎週水曜日のレギュラー。なんとも私にとってはタナボタな一日であった。
感謝のキモチで明日もキムチを買いに行くことにしよう。
来週はKingstone MinesでLinzey AlexanderとJ.W.Williamsのバンドにメンバーとしてフル参加する予定。なんだか帰りたくねーな。
写真1:一見ではまず無理な店の外観。
写真2:サウスサイド特有の雰囲気
写真3:これでいいのだ。
11/26金曜日の夜はこんな具合に過ぎて行った。
21:00 House Of BluesでGuy Kingのアコースティックライヴを観る。
23:00 B.L.U.E.S.でJimmy Johnsonのバンドにシットイン。
2:00 Kingstone MinesでJoanna Connorのバンドにシットイン。
3:00 Kingstone MinesでMagic Slimのバンドにシットイン。
「本当にお好きなんですね、ブルースが」と失笑を買っても致し方ない。
他にやることがないのである。他に行くところもないのである。
まさに極東からの「ブルース難民」、それが私だ。しかし昨夜のシットインはちょっぴり嬉しいものであった。
「Little By Little」「Tobacco Road」「Chicken Head」
これらは私のライブの重要なレパートリーであるが、全てJimmy Johnsonのバージョンを基にしている。特に「Chicken Head」は毎回と言っていいほどライブで演奏している曲だ。
日本での人気に比べると、本国アメリカでは扱いがイマイチ地味ーなジミーさんであるが、昨夜はそんな憧れのブルースマンの演奏に「Chicken Head」でシットインさせてもらった。
CDで何度聴いたことだろうか、あの哀愁に満ちた独特のハイトーンボイス。その超本人であるジミー翁が、今まさに歌っている「Chicken Head」のバックでハーモニカを吹く。
まさにブルース難民冥利に尽きる素敵な時間であった。感謝。
Kingston Minesでは、やはり前回のシカゴ滞在でシットインする機会を逃したMagic Slimのバンドにシットイン。
全盛期は過ぎているものの、最後の大物ブルースマンの風格がプンプン漂っている。
ステージ上では彼の巨体から発せられるオーラが黒い気体となってこちらを包みこもうとしているような錯覚に陥った。体臭だったのかもしれない。
いずれにせよ、この夜ハーモニカを吹いて久々に燃えた。
写真1
:この日誕生日のJimmy翁。
写真2:Magic Slim!