
- 呼称:佐土原(さどわら)のヤマモモ
- 樹種:ヤマモモ科ヤマモモ
- 所在:宮崎市佐土原町西上那珂・テクノリサーチパーク
- 幹周:620cm 樹高:6m
- 樹齢(推定):400年
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工業技術センター前の緑地公園に鎮座する同樹、根元には小さな祠が祀られています。
かつてヤマモモのあった山は遠く霧島山を望むことができ、十五夜に臼太鼓踊を奉納したり、干ばつのときは木を囲んで雨ごいが行われていたといいます。
団地造成の際に山が削り取られることになり、地元の人々の熱意で今の場所に移転されました。
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- 呼称:火伏椋(ひぶせむく)
- 樹種:ニレ科ムクノキ
- 所在:国富町木脇金留・橋本吉平邸
- 指定:県緑地保全樹木(S54.4.13)
- 幹周:550cm 樹高:30m
- 樹齢(伝承):400年
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火伏椋は、150年は経つといわれる堅固な石塀と並んで広い宅地の入口にあります。
幹にはつる性のヒメイタビが巻き付き、地上1mから上の樹幹は見ることができません。昔この周辺の30余戸を焼く大火がありましたが、
幸いにしてこのムクノキを境にして鎮火したといいます。火伏役を果たした木の根元には、氏神様の祠ほこらが祀られています。
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- 呼称:水月(すいげつ)のムクノキ
- 樹種:ニレ科ムクノキ
- 所在:国富町本庄十日町東・割烹水月
- 幹周:470cm 樹高:17m
- 樹齢(推定):250年
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この付近は以前は畑地で、新道開設のときムクノキの根が畑まで達していたといい、
根系が相当の広がりを持っていたことが判ります。現在は幹にサルノコシカケが生えていて、樹幹の腐朽が進んでいることを示しています。
根元には先祖が祀ってきた氏神の祠と古井戸を従え、古くから崇められてきたことを偲ばせるのです。
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- 呼称:本庄稲荷(ほんじょう-いなり)のクスノキ
- 樹種:クスノキ科クスノキ
- 所在:国富町本庄・本庄剣柄(けんのつか)稲荷神社
- 幹周:810cm 樹高:30m
- 樹齢(伝承):750年
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ヤマトタケルノミコトがクマソタケルを刺した短刀を埋めたという伝説の残る
「剣の塚」の上に鎮座する本庄稲荷神社。境内のクスノキは、大きな広がりを持つ根系の一部が俯せになった男性の上半身に見えるといいます。
八月の夏祭りにはヨイマカ太鼓が繰り出し、六日町では歌舞伎見立人形も立てられ賑わいを見せます。
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- 呼称:築地(つきじ)邸のイチイガシ
- 樹種:ブナ科イチイガシ
- 所在:国富町本庄十日町東・築地新 邸
- 幹周:565cm 樹高:30m
- 樹齢(推定):450年
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イチイガシが根付いた中世期は、都於郡(とのこおり:西都市)
の伊東氏と鹿児島島津氏が日向国の覇権を争っていた時期。当時はこの地も伊東氏の支配下にありましたが、
結局伊東氏が敗れ、島津義久が日向国全域を支配することになりました。築地邸がある小路は肥後街道の道筋。
築地邸のイチイガシも戦国時代の終りを見ていたのでしょうか。
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- 呼称:みけん様のカシ
- 樹種:ブナ科イチイガシ
- 所在:綾町入野宮原・明見神社
- 指定:町天然記念物(S55.10.1)
- 幹周:570cm 樹高:18m
- 樹齢(伝承):490年
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明見神社は、昭和初期に改称するまで妙見神社と称していました。
地元では親しみを込めて「みけんさん」と呼びます。戦国時代、伊東家の家督争いで亡くなった者の霊を弔うため建立され、
境内のイチイガシはもそのとき植えられたと伝えられています。小高い社叢は静寂に包まれ、隣接する公園で遊ぶ子供らの楽しげな声が聞こえてきます。
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- 呼称:綾(あや)のイチイガシ
- 樹種:ブナ科イチイガシ
- 所在:綾町北俣野首・島沢フミ 邸
- 指定:県巨樹100選・県天然記念物(S60.1.4)
- 幹周:635cm 樹高:18m
- 樹齢(推定):650年
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綾城は、領主・綾氏が伊東氏の家臣となり、伊東家の武将が入城して伊東氏48城の一つとなりました。
伊東氏が島津氏に敗れた後は島津支配化の重要な拠点となりました。
表と裏では全く異なる姿を見せるこのイチイガシは、現在の綾城から西に200mほどの位置にあって、
初代城主が居館の一角に植えたものと伝えられ、根元には石塔や氏神が祀られています。
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- 呼称:竹野(たけんの)のホルトノキ
- 樹種:ホルトノキ科ホルトノキ
- 所在:綾町北俣竹野・竹野家墓地
- 指定:県巨樹100選・国天然記念物(S55.10.1)
- 幹周:630cm 樹高:18m
- 樹齢(推定):320年
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ホルトノキは日本の山地に自生する樹木ですが、江戸時代の博物学者平賀源内がオリーブの木と間違え「ポルトガルの木」
と称して以来の名です。ここ竹野は、戦国時代に島津氏から守護を命じられた日田木正連(ひたき-まさつら)が、次男の播磨守(はりまのかみ)を配置して
外敵に備えた地です。
守護木とみられる巨樹が抱く石は、竹野播磨守の墓石といわれています。この樹もようやく役目を終えたと感じているのか、
近年の環境の変化に抗しきれないのか、最近は随分弱ってきています。
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- 呼称:高岡月知梅(たかおか-げっちばい)
- 樹種:バラ科ウメ
- 所在:宮崎市高岡町高浜・月知梅公園
- 指定:県巨樹100選・国天然記念物
- 幹周:150(主幹70)cm 樹高:3m
- 樹齢(推定):150年
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月知梅は、枝が伸びて地面に着き、これが根付くことを繰り返すうちに梅園を形作ったものと伝えられます。
新富町の座論梅(ざろんばい)と並び称される名梅ですが、座論梅と異なり八重咲きで、白色でも重量感があります。
花の名は、第19代鹿児島藩主島津光久が来観した折「月ならで 誰かは知らん 咲き匂う 老木の梅の 春のむかしは」と詠んだ歌に由来するといわれています。
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- 呼称:去川(さるかわ)のイチョウ
- 樹種:イチョウ科イチョウ
- 所在:高岡町内山・去川公園
- 指定:県巨樹100選・国天然記念物(S10.12.24)
- 幹周:978cm 樹高:39m
- 樹齢(伝承):770年
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去川のイチョウは、高岡町史によれば鹿児島島津氏初代の島津忠久が植樹したと伝えられます。
この地は、後に鹿児島藩去川関所としてその名が知られることになります。戦国期に伊東氏が開削したとされる薩摩街道は、佐土原城下から高岡郷を通って去川関を越え、
都城に至り、大隅国を経て鹿児島城下に通じていました。伊東氏が島津氏に敗れて以降は、島津氏の支藩である佐土原藩と高岡郷との連絡路として重要視されました。
イチョウへの入口とは国道10号を挟んで反対側の大淀川沿いにある関跡には、現在門柱の基礎だけを見ることができます。
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