うかれポンチ
2005年4月5日。
接客が終わってすでに20:00過ぎ。
彼は自分のフロアに戻るなり荷物をまとめ、
後輩ホターシを引き連れてオフィスを出た。
路上でタクシーを拾い、ふたりは乗り込んだ。
「渋谷まで、お願いします」
オフィスを出たことを知らせるために、
もう店に入っているはずのnanaに、メールを送った。
「今、出たところなので、20:30頃には到着見込み」
すぐに返事が来た。
「一度お店に行ったら、
ひとつ前の団体がまだ出てないそうで、
20:30頃に入った方が助かるようだったので、
ワタシたちも一度、出てきました」
なるほど、待たせてると思ったが、結果オーライだ。
やがて渋谷駅に着いてタクシーを降りた彼らは、
センター街を外れ、宇田川町交番近くの花屋に入った。
「ふたりで1,000円ずつ、で作ってもらっていいよな」
「はい、ヒマワリ入れたいです」
「すみません、ヒマワリ入れて、2,000円くらいで、
花束をみつくろってもらえますか?」
作ってもらうのを待っている間、
nanaから再度メールが来た。
「お店に入りました、今どの辺ですか?」
「センター街には着いた」
「すぐですね、待ってます」
花束が出来上がり、彼らはそれを携えて、
センター街に戻った。
見慣れたマクドナルドの前で、
彼らは立ち止まり、夜空を見上げた。
「おぉぉ…」
「窓、ふさがりましたねぇ…」
彼らは、マクドナルドの左奥に入り、
エレベーターの5Fボタンを押した。
監視カメラで自分の後頭部を観るのも久々だ。
5Fで扉が開くなり、よく知ってる人が、
スタッフと一緒に立っていた。
「あぁ、来った〜、●●ちゃーん」
「ご無沙汰です、マミさん」
「おぉ、花束持参ですよぉ」
「おめでとうございます」
「ありがとー」
「いやぁ、マミさん着物だし」
かつて『名なし』があったこの場所に、
マミさんが雇われ女将になって、
新たな店『塩梅』がオープンした。
「はい、●●ちゃん、401ね、
ホターシくんは、205号室で」
「あい」
「●●ちゃん、奥ねー」
彼らは、別件で呑みに来た。
ホターシは、徐さんと呑む2人部屋へ、
そして彼は、奥の座敷へ通された。
その前に彼は通路で立ち止まり、
カウンターを眺めた。
カウンターはL字ではなくなり、
板場がせり出して来ていたが、
何度も何度も通い、
カウンターでグラスを重ねた思い出が、
モロに蘇ってくる。
「●●さ〜ん、コッチ」
振り返った座敷の間に、
nanaたち3人が座っていた。
「いやぁお待たせ」
「ちょうど入ったところですよ〜」
「●●さん、ご無沙汰です、amyです」
「ねー、ほんと久しぶり」
nanaは、彼が前職で最後にいた部署に、
彼が退職した後に入社して来たという、
後輩と言ってよいかどうかギリギリの関係だ。
何度か呑み会で会ったが、利発でおもろいコだ。
その高校時代の友人amyは、
彼にとっては“ど真ん中ストライク”の、
整った目鼻立ちの美しい女性だ。
21:00ごろから始まった呑み会は、
マミさん、トイレに向かうホターシや徐さん、
などがかわるがわるちょっかいを出しに現れ、
和気藹々と進んだ。
そのうちに。
「●●ちゃん」
「はい」
「お客さーん」
「?」
振り返った彼の前には、
よく知っている顔があった。
「お母さん!」
「お久しぶりね」
「うぉぉぉ」
彼は立ち上がって座椅子を超え、
『名なし』のお母さんの手を握った。
その彼の体を、お母さんが抱きしめてきた。
「会いたかったよ」
「いやぁ、またお会いできるとは…」
大晦日の『名なし』閉店の時点で、
お母さんには、二度と会えないと思っていた。
お母さんは、マミさんに連れられて、
彼らの座敷のひとつ奥に座った。
しばらくして工事さんも現れ、
彼は以前と変わらず、
遠めから敬意を払って一礼し、
工事さんも変わらない笑顔で応えてくれた。
やがて、3人の女性陣のうちazuが、
電車がある時間のうちに帰ると席を立ち、
有休とからしいnanaとamyの2人は、
「タクシーで帰ればいいよね」
と残った。
無論、彼もだ。
『名なし』時代よりよくなったことは、
終電を回ってもまだ開いていることだ。
これは助かる。
遅めに来ても、まだ呑めるのだから。
だいぶ酒が入ったのか、
徐さんとホターシは頻繁に訪れるようになり、
彼はふたりを呼んで、5人で呑むことにした。
あいも変わらず、酔いの回ったらしいホターシに、
無茶なことをされた記憶がある。
熱い料理を無理やり口に押し込まれ、
座椅子からのけぞった記憶がある。
今日、彼は、nanaが連れてきてくれたamyと、
親交を深めたくて、ここに来ているというのに。
そういう他人の勢いに付き合わされるだけの、
くだらない呑み方はキライなのに。
なぜ理由もなく貶められなければならないのか。
そしてこの辺で、
彼の記憶はプッツリと途切れている…。
ふと、彼が起き上がると、
そこはダーツバー『BEE』だった。
他の4人が、ダーツをやっていて、
彼は、近くのテーブルで、
壁際に椅子を並べて、その上に寝かせられていた。
「?」
「あ、起きた〜」
「どうやってここまで来た?」
「自分で、歩いて来てましたよ〜?」
「まじで? 全然覚えてねぇ…」
「工事さんにもちゃんと挨拶してたし」
「どれぐらい寝てた?」
「ん〜、お店出たのが26:30くらいだから、
1時間くらい?」
「ふーむ…」
「こっち来て、床に寝ちゃうから、
お店の人から困るって言われて、
椅子並べたんですよ?」
「そうか…すまん」
その頃、徐さんがタクシーで帰ると言って出た。
復活した彼と3人は、しばらくダーツを続けた。
前回、『名なし』で意識が飛んだときも、
ゴミ箱につまづいて転倒したときだった。
今回も、のけぞって脳を回転させたとたん、
一気に酔いが回ったようだ。
酔いが回るというよりは、
しばらくの間は、まるでシラフで、
普通にまわりとやりとりしているらしく、
本人の記憶だけが飛んでいる状態。
そんなことでもなければ、
最近は深酒しても最後まで冷静なのに…。
これは、今後絶対に留意すべきノウハウだ。
そんなことを考えながら、時は過ぎた。
シメのダーツに負け、泣きの1回も負けたところで、
28:30を過ぎた。
「じゃ、そろそろ上がるか」
「はい」
始発にはまだ少し早い。
しかし、まだ週半ば、水曜が明けるところだ。
とっととタクシーで帰ろう。
家が近いnanaとamyが1台、そして、
同じ方角のホターシと彼で1台。
彼の自宅に着くまで、ホターシは寝ていた。
彼は、遅くまで付き合ってもらったふたりに、
メールで、途中“落ちて”いたことを詫びた。
夜の闇が白み、明るくなったところで、
彼の自宅近くにタクシーは止まった。
彼の車に乗り換え、ホターシを自宅まで送った。
綱島街道沿いの桜は、ほぼ満開になっていた。
今週が、都心のピークなんだろうな…。
ホターシの自宅に着き、彼は後輩を揺り起こした。
目をこすりながら、ホターシは降りていった。
昇ってきた朝日が目にしみる。
彼も眠い。
眠いがすでに6:30過ぎ、
どこかでコンビニに寄ってリゲインでも飲み、
会社に向かった方がよさそうだ。
運転中、ふたりから、メールの返信が届いた。
彼は路肩に停めて、都度返信していた。
やがてamyからふたつめの返信が来た。
「花見、行きましょー」
おぉぉぉ!
彼はすかさず、
返信して日程を決めてしまおうと…。
打っているそばから携帯がブルった。
「充電してください」
のぉぉぉ!
今ならamyはまだ起きてるだろうが、
徹夜明け、そのうち寝てしまうだろう。
とっとと次のアポを決めてしまいたい。
早く充電しなければ…。
しかし、日ごろ車に積んでいる充電器は、
折悪く自宅で使ったまま、置きっ放しだ。
彼は急発進し、自宅を目指した。
10分後、自宅に着いたところで、
マンションの前、線路に面した小道の、
まだシャッターが閉まっている薬局前に停車した。
車を降りるなり、彼は自分の部屋に上がった。
駐車場に入れる暇があったら先にメール打つし、
打ったらコンビニへ行くつもりでもいる。
トイレを済ませた彼は、
ソファに座ってメールを打った。
とっととコンビニに行けばいいところ、
ふと点けたテレビのニュースに見入ってしまった。
「ネプ名倉と渡辺満里奈が結婚」
「まじで〜?」
彼が驚いたのは、結婚の話ではなく、
あの満里奈が、34歳になっていたことだ。
「民間が駐禁とりしまり」
(へぇ…)
「ピンポン、ピンポーン」
しつこいほどの連打で、
彼は徐々に意識レベルが濃くなっていった。
「ピンポン、ピンポーン」
「ンむぅ…」
「ピンポン、ピンポーン」
(しつこいなぁ、新聞か?)
彼は居留守を決め込んだ。
まだボーッとしている。
ピンポンが止んだ。
テレビが点いている。
8:30になっている。
ん?
(あれ、オレ寝る前、何やってたんだっけ?)
トイレに入って、メールを打って、
テレビを点けて…。
いやその前…。
(あっ、車!)
彼はソファを立ち、玄関へ向かった。
サンダルをつっかけて、外に出た。
1Fに降りると、警官がいた。
(け、警察…)
ぐぉぉぉ!
や、やっちまった…。
「あの、車ですよね?」
「あ、あなた?
鳴らしたんだけど、いたんだ」
「すみません」
表に出ると、何人かの警官が、
車を取り囲んでいた。
薬局は、開店したところだった。
「だめじゃない、ここに駐めちゃぁ」
「はい…」
「駐車場、近いんでしょ?」
「朝帰ってきて、また出かけようと思って、
ちょっとトイレのつもりだったんですが」
「うん」
「うっかり居眠りしてしまって…」
「寝ちゃってたのかぁ…。
だから、呼び鈴も出なかったんだ」
「はい」
「寝ちゃダメだよー、車停めてんだからさ」
「はい」
「何回も、呼び鈴押したんだよ?
すぐ出てきてくれないと困るんだよ
パトカーも出さなきゃならないし」
…ん?
なんか、議論が変なことになっている。
が、彼に弁解の余地はない。
今は何を言われても、恭順の意を示さなければ、
話が難しくなるだけだ。
「ちょっとだけのつもりでも、
ちゃんと駐車場に戻さなきゃ。
こういうことになるんだからさ」
「はい…」
「じゃぁ、免許証、出してくれる?」
「…はい」
切符を切られるのか…。
まぁ、やってしまったことは、しょうがない。
彼が財布から免許を出して渡すと、
警官は後ろに歩いて行った。
パトカーまで来ていることに、彼は気づいた。
パトカーの無線で、警官が身分照会をしている。
その声が、彼の周りに立っている警官の、
胸元の無線からもパラレルに聞こえるので、
路地のかなりの範囲で内容が聞こえる。
その光景を、多くの通勤客が、
もの珍しそうに見て通り過ぎて行く。
「薬局の人にも、謝っておいてくれる?」
「はい」
すぐに店主が警官に呼ばれて出てきた。
「上の人?」
「はい」
「困るよ、ホントに」
「本当に、申し訳ありません」
あとは、警官と同じ説教を店主から受け、
彼はひたすら、頭を下げて謝った。
頭を下げながら足元を見て、
靴下が片方だけなことに気づいた。
寝ている間に脱げたらしい。
それに気づく間もなく、飛び出してきたのだ。
そのまま彼は、頭を下げ続けた。
すぐ後ろを、変わらず通勤客が通り過ぎていく。
彼も、まもなく通勤のリミットだ。
「じゃぁ、今度から、気をつけてよ」
「は」
「おまわりさん、話ついたから、いいや」
警官は、切符を切らずに、彼に免許証を返した。
(おぉ…、なんとか助かった…)
彼はすぐに車に乗り込み、
表通り側の駐車場へ運んだ。
「ふぅぅ…」
そう長いこと、眠っていたわけではない。
しかし、結果としてスッキリ冴えている。
冴えた頭で、彼は出勤の準備をしながら、
昨晩からのいろいろを考えていた。
何はともあれ…。
楽しい夜だった。
そのせっかくの夜の結末に、
浮かれ切った自分の軽率さで、
下らない処分を受けずに済んだ。
彼は、ツいている。
東横線の車窓から見る桜並木が、
淡いピンク色に染まっていた。
たまには浮かれてもいいじゃないか、
春なんだから。
接客が終わってすでに20:00過ぎ。
彼は自分のフロアに戻るなり荷物をまとめ、
後輩ホターシを引き連れてオフィスを出た。
路上でタクシーを拾い、ふたりは乗り込んだ。
「渋谷まで、お願いします」
オフィスを出たことを知らせるために、
もう店に入っているはずのnanaに、メールを送った。
「今、出たところなので、20:30頃には到着見込み」
すぐに返事が来た。
「一度お店に行ったら、
ひとつ前の団体がまだ出てないそうで、
20:30頃に入った方が助かるようだったので、
ワタシたちも一度、出てきました」
なるほど、待たせてると思ったが、結果オーライだ。
やがて渋谷駅に着いてタクシーを降りた彼らは、
センター街を外れ、宇田川町交番近くの花屋に入った。
「ふたりで1,000円ずつ、で作ってもらっていいよな」
「はい、ヒマワリ入れたいです」
「すみません、ヒマワリ入れて、2,000円くらいで、
花束をみつくろってもらえますか?」
作ってもらうのを待っている間、
nanaから再度メールが来た。
「お店に入りました、今どの辺ですか?」
「センター街には着いた」
「すぐですね、待ってます」
花束が出来上がり、彼らはそれを携えて、
センター街に戻った。
見慣れたマクドナルドの前で、
彼らは立ち止まり、夜空を見上げた。
「おぉぉ…」
「窓、ふさがりましたねぇ…」
彼らは、マクドナルドの左奥に入り、
エレベーターの5Fボタンを押した。
監視カメラで自分の後頭部を観るのも久々だ。
5Fで扉が開くなり、よく知ってる人が、
スタッフと一緒に立っていた。
「あぁ、来った〜、●●ちゃーん」
「ご無沙汰です、マミさん」
「おぉ、花束持参ですよぉ」
「おめでとうございます」
「ありがとー」
「いやぁ、マミさん着物だし」
かつて『名なし』があったこの場所に、
マミさんが雇われ女将になって、
新たな店『塩梅』がオープンした。
「はい、●●ちゃん、401ね、
ホターシくんは、205号室で」
「あい」
「●●ちゃん、奥ねー」
彼らは、別件で呑みに来た。
ホターシは、徐さんと呑む2人部屋へ、
そして彼は、奥の座敷へ通された。
その前に彼は通路で立ち止まり、
カウンターを眺めた。
カウンターはL字ではなくなり、
板場がせり出して来ていたが、
何度も何度も通い、
カウンターでグラスを重ねた思い出が、
モロに蘇ってくる。
「●●さ〜ん、コッチ」
振り返った座敷の間に、
nanaたち3人が座っていた。
「いやぁお待たせ」
「ちょうど入ったところですよ〜」
「●●さん、ご無沙汰です、amyです」
「ねー、ほんと久しぶり」
nanaは、彼が前職で最後にいた部署に、
彼が退職した後に入社して来たという、
後輩と言ってよいかどうかギリギリの関係だ。
何度か呑み会で会ったが、利発でおもろいコだ。
その高校時代の友人amyは、
彼にとっては“ど真ん中ストライク”の、
整った目鼻立ちの美しい女性だ。
21:00ごろから始まった呑み会は、
マミさん、トイレに向かうホターシや徐さん、
などがかわるがわるちょっかいを出しに現れ、
和気藹々と進んだ。
そのうちに。
「●●ちゃん」
「はい」
「お客さーん」
「?」
振り返った彼の前には、
よく知っている顔があった。
「お母さん!」
「お久しぶりね」
「うぉぉぉ」
彼は立ち上がって座椅子を超え、
『名なし』のお母さんの手を握った。
その彼の体を、お母さんが抱きしめてきた。
「会いたかったよ」
「いやぁ、またお会いできるとは…」
大晦日の『名なし』閉店の時点で、
お母さんには、二度と会えないと思っていた。
お母さんは、マミさんに連れられて、
彼らの座敷のひとつ奥に座った。
しばらくして工事さんも現れ、
彼は以前と変わらず、
遠めから敬意を払って一礼し、
工事さんも変わらない笑顔で応えてくれた。
やがて、3人の女性陣のうちazuが、
電車がある時間のうちに帰ると席を立ち、
有休とからしいnanaとamyの2人は、
「タクシーで帰ればいいよね」
と残った。
無論、彼もだ。
『名なし』時代よりよくなったことは、
終電を回ってもまだ開いていることだ。
これは助かる。
遅めに来ても、まだ呑めるのだから。
だいぶ酒が入ったのか、
徐さんとホターシは頻繁に訪れるようになり、
彼はふたりを呼んで、5人で呑むことにした。
あいも変わらず、酔いの回ったらしいホターシに、
無茶なことをされた記憶がある。
熱い料理を無理やり口に押し込まれ、
座椅子からのけぞった記憶がある。
今日、彼は、nanaが連れてきてくれたamyと、
親交を深めたくて、ここに来ているというのに。
そういう他人の勢いに付き合わされるだけの、
くだらない呑み方はキライなのに。
なぜ理由もなく貶められなければならないのか。
そしてこの辺で、
彼の記憶はプッツリと途切れている…。
ふと、彼が起き上がると、
そこはダーツバー『BEE』だった。
他の4人が、ダーツをやっていて、
彼は、近くのテーブルで、
壁際に椅子を並べて、その上に寝かせられていた。
「?」
「あ、起きた〜」
「どうやってここまで来た?」
「自分で、歩いて来てましたよ〜?」
「まじで? 全然覚えてねぇ…」
「工事さんにもちゃんと挨拶してたし」
「どれぐらい寝てた?」
「ん〜、お店出たのが26:30くらいだから、
1時間くらい?」
「ふーむ…」
「こっち来て、床に寝ちゃうから、
お店の人から困るって言われて、
椅子並べたんですよ?」
「そうか…すまん」
その頃、徐さんがタクシーで帰ると言って出た。
復活した彼と3人は、しばらくダーツを続けた。
前回、『名なし』で意識が飛んだときも、
ゴミ箱につまづいて転倒したときだった。
今回も、のけぞって脳を回転させたとたん、
一気に酔いが回ったようだ。
酔いが回るというよりは、
しばらくの間は、まるでシラフで、
普通にまわりとやりとりしているらしく、
本人の記憶だけが飛んでいる状態。
そんなことでもなければ、
最近は深酒しても最後まで冷静なのに…。
これは、今後絶対に留意すべきノウハウだ。
そんなことを考えながら、時は過ぎた。
シメのダーツに負け、泣きの1回も負けたところで、
28:30を過ぎた。
「じゃ、そろそろ上がるか」
「はい」
始発にはまだ少し早い。
しかし、まだ週半ば、水曜が明けるところだ。
とっととタクシーで帰ろう。
家が近いnanaとamyが1台、そして、
同じ方角のホターシと彼で1台。
彼の自宅に着くまで、ホターシは寝ていた。
彼は、遅くまで付き合ってもらったふたりに、
メールで、途中“落ちて”いたことを詫びた。
夜の闇が白み、明るくなったところで、
彼の自宅近くにタクシーは止まった。
彼の車に乗り換え、ホターシを自宅まで送った。
綱島街道沿いの桜は、ほぼ満開になっていた。
今週が、都心のピークなんだろうな…。
ホターシの自宅に着き、彼は後輩を揺り起こした。
目をこすりながら、ホターシは降りていった。
昇ってきた朝日が目にしみる。
彼も眠い。
眠いがすでに6:30過ぎ、
どこかでコンビニに寄ってリゲインでも飲み、
会社に向かった方がよさそうだ。
運転中、ふたりから、メールの返信が届いた。
彼は路肩に停めて、都度返信していた。
やがてamyからふたつめの返信が来た。
「花見、行きましょー」
おぉぉぉ!
彼はすかさず、
返信して日程を決めてしまおうと…。
打っているそばから携帯がブルった。
「充電してください」
のぉぉぉ!
今ならamyはまだ起きてるだろうが、
徹夜明け、そのうち寝てしまうだろう。
とっとと次のアポを決めてしまいたい。
早く充電しなければ…。
しかし、日ごろ車に積んでいる充電器は、
折悪く自宅で使ったまま、置きっ放しだ。
彼は急発進し、自宅を目指した。
10分後、自宅に着いたところで、
マンションの前、線路に面した小道の、
まだシャッターが閉まっている薬局前に停車した。
車を降りるなり、彼は自分の部屋に上がった。
駐車場に入れる暇があったら先にメール打つし、
打ったらコンビニへ行くつもりでもいる。
トイレを済ませた彼は、
ソファに座ってメールを打った。
とっととコンビニに行けばいいところ、
ふと点けたテレビのニュースに見入ってしまった。
「ネプ名倉と渡辺満里奈が結婚」
「まじで〜?」
彼が驚いたのは、結婚の話ではなく、
あの満里奈が、34歳になっていたことだ。
「民間が駐禁とりしまり」
(へぇ…)
「ピンポン、ピンポーン」
しつこいほどの連打で、
彼は徐々に意識レベルが濃くなっていった。
「ピンポン、ピンポーン」
「ンむぅ…」
「ピンポン、ピンポーン」
(しつこいなぁ、新聞か?)
彼は居留守を決め込んだ。
まだボーッとしている。
ピンポンが止んだ。
テレビが点いている。
8:30になっている。
ん?
(あれ、オレ寝る前、何やってたんだっけ?)
トイレに入って、メールを打って、
テレビを点けて…。
いやその前…。
(あっ、車!)
彼はソファを立ち、玄関へ向かった。
サンダルをつっかけて、外に出た。
1Fに降りると、警官がいた。
(け、警察…)
ぐぉぉぉ!
や、やっちまった…。
「あの、車ですよね?」
「あ、あなた?
鳴らしたんだけど、いたんだ」
「すみません」
表に出ると、何人かの警官が、
車を取り囲んでいた。
薬局は、開店したところだった。
「だめじゃない、ここに駐めちゃぁ」
「はい…」
「駐車場、近いんでしょ?」
「朝帰ってきて、また出かけようと思って、
ちょっとトイレのつもりだったんですが」
「うん」
「うっかり居眠りしてしまって…」
「寝ちゃってたのかぁ…。
だから、呼び鈴も出なかったんだ」
「はい」
「寝ちゃダメだよー、車停めてんだからさ」
「はい」
「何回も、呼び鈴押したんだよ?
すぐ出てきてくれないと困るんだよ
パトカーも出さなきゃならないし」
…ん?
なんか、議論が変なことになっている。
が、彼に弁解の余地はない。
今は何を言われても、恭順の意を示さなければ、
話が難しくなるだけだ。
「ちょっとだけのつもりでも、
ちゃんと駐車場に戻さなきゃ。
こういうことになるんだからさ」
「はい…」
「じゃぁ、免許証、出してくれる?」
「…はい」
切符を切られるのか…。
まぁ、やってしまったことは、しょうがない。
彼が財布から免許を出して渡すと、
警官は後ろに歩いて行った。
パトカーまで来ていることに、彼は気づいた。
パトカーの無線で、警官が身分照会をしている。
その声が、彼の周りに立っている警官の、
胸元の無線からもパラレルに聞こえるので、
路地のかなりの範囲で内容が聞こえる。
その光景を、多くの通勤客が、
もの珍しそうに見て通り過ぎて行く。
「薬局の人にも、謝っておいてくれる?」
「はい」
すぐに店主が警官に呼ばれて出てきた。
「上の人?」
「はい」
「困るよ、ホントに」
「本当に、申し訳ありません」
あとは、警官と同じ説教を店主から受け、
彼はひたすら、頭を下げて謝った。
頭を下げながら足元を見て、
靴下が片方だけなことに気づいた。
寝ている間に脱げたらしい。
それに気づく間もなく、飛び出してきたのだ。
そのまま彼は、頭を下げ続けた。
すぐ後ろを、変わらず通勤客が通り過ぎていく。
彼も、まもなく通勤のリミットだ。
「じゃぁ、今度から、気をつけてよ」
「は」
「おまわりさん、話ついたから、いいや」
警官は、切符を切らずに、彼に免許証を返した。
(おぉ…、なんとか助かった…)
彼はすぐに車に乗り込み、
表通り側の駐車場へ運んだ。
「ふぅぅ…」
そう長いこと、眠っていたわけではない。
しかし、結果としてスッキリ冴えている。
冴えた頭で、彼は出勤の準備をしながら、
昨晩からのいろいろを考えていた。
何はともあれ…。
楽しい夜だった。
そのせっかくの夜の結末に、
浮かれ切った自分の軽率さで、
下らない処分を受けずに済んだ。
彼は、ツいている。
東横線の車窓から見る桜並木が、
淡いピンク色に染まっていた。
たまには浮かれてもいいじゃないか、
春なんだから。
