クレイジー・クライマー

2005年12月。

玄関に荷物をぶち込むなり、
またドアを閉めて鍵をかけた彼は、駐車場に向かった。
3連休の初日の夕方。
むっちの家では、すでに鍋に火が入っているはずだ。

車の後部ハッチから折り畳みMTBを引っ張り出し、
駐車場の空きスペースでそいつを開いて乗った。
むっちに携帯で足りないものを確認してから、
スーパーに寄ってお買い物。
買い物袋ふたつを両手に持って丸子橋を渡り、
むっちの家を目指した。

車で送り届けに来ることはよくあったが、
チャリで訪ねたのは初めてだ。
丸子橋を渡るときは特に、
川面の冷気なのか、むちゃくちゃ寒い。

何台かのチャリが入り口のまわりに止まっていた。
おそらく、先着メンバーのやつだろう。
電話をかけたら、むっちが表に出てきた。

「うぉぉ、さっみー」
 「ふふ」

寒い中、ハンドルを握る指にスーパーの袋が食い込み、
感覚がマヒしていうことをきかない。
それをむっちが笑いながら引き取り、持って行った。

彼が着いた時にはメンバーは揃っていたし、
鍋の第一陣もいい感じに仕上がっていた。
さっそく彼は台所に立ち、小料理を準備し始めた。
こうして“クリパ”ともいえる鍋パーティが始まった。



9人でひたすら食い呑み話し続け、
気づけば24:00に近づいていた。
彼も途中フラフープをやったりして、
体中にアルコールが回ったが、
翌朝はスタジオ行くし、終盤には落ち着いていた。

「それじゃ、そろそろオレは帰るわ」

シャンパンの留め金で造った椅子を、
棚に並べてマスコットを座らせつつ、
彼は帰り支度をして席を立った。

「んじゃ、みなさんメリクリ!」
 「あ、そうだ、メリクリ〜」

むっちの見送りを受けつつチャリの鍵を外し、
チャリのペダルを漕ぎ始めた。
キーンと冷え込む中、再び多摩川を渡った。

むっちからメールが来たので、チャリを止めた。
夜空を見上げると、オリオン座がくっきり。
3連星の下の、縦に並ぶ小さい3連星まで見える。
都心のわりに、今日はいつもよりよく見える。
そのことをむっちに返信して共有してから、
橋の上でまたペダルを漕ぎ出し、
10分ほどで彼は自分の街に着いた。



コンビニでしばらく立ち読みをして、
アイスなどを買った後、
駐車場の車にチャリを戻してから自宅に戻り、
入り口のドアの暗証番号を押した。

ようやく寒さから逃れることができた。
ポストの郵便物を取って2Fに上がり、
ポケットから鍵を取り出した。

 「カチャッ」

当たり前のことだが、自分の家だから鍵は開く。
彼はドアノブに手をかけた。

 「ガチン」
「?」

彼はノブにかけた手を一度離し、再び握った。

 「ガチン」
「…え?」

ドアが開かない。
なぜだ?

ちょっと考えてから、
指にかかったままの鍵を再び差し込んだ。
いつもオートマティカルに回しているが、
さっきまわした向きは「開ける」だったはずだ。

逆向きに回して、ふたたびドアを開けようとした。
今度はビクともしない。
鍵はかかっていたらしい。

「そうだよな…」

もう一度、最初の向きに“開けて”から、
彼はドアノブを握った。

 「ガチン、ガチン」
「おい、どーなってんだよ!」

しばらく立ち尽くすしかなかった。
考えられる可能性を考えてみた。
鍵が回らないわけじゃないし、
壊れたわけじゃなさそうだな…。

「!」

誰かが中にいる?
内鍵がかけられている?

いや、まさかな…。
ありえない。
内鍵なら、ドアは少しは開くはずだ。

うぅむ…。
しかし“ありえない”ことが起こっているから、
ここに締め出されてるんじゃないか。
彼は“人が侵入した”ことを想定してみた。

ベランダから入られた?
そうか、ありえない話ではないな…。



彼はふたたびマンションの入り口から外に出て、
通りから、自室のベランダを見上げた。

遮光カーテンではあるが、
照明がついていないことはわかる。
サッシも閉まっているし、
カーテンも完全に閉まっている。
ここから侵入したようには思えないな。
だいたい、鍵、閉まってたんだし…。

「あ」

彼は思い出した。
前々日の夜、珍しく暖房が効きすぎて暑くなり、
寝ぼけながらベランダ側の窓を開け、
換気したような記憶がある。

その後があいまいで、もしかしたら、
ベランダのサッシは窓を閉めただけで、
鍵はかかってないかもしれない。

「むぅ…」

“サンタさん”の侵入をお手伝いしてしまったのか?
会いたくないな、このサンタには…。

「さて、どうすっかな…」

線路側のフェンスに手をかけて一服しながら、
まだ灯りのついている最寄駅の対面ホームを眺め、
彼はしばし、対策を考えていた。



ん。
そうか、もしベランダから侵入されたのなら、
彼もベランダから入ればいいんだ。

振り返った彼は、マンションの右側の塀を見た。
このブロック塀なら登れる。
ここに登ると、そいつを足場にして、
彼の部屋のベランダに手をかけられる。
こんなところを登るのは、
中学生の頃、鎖骨を骨折しながらも、
実家に2Fから進入したときよりも簡単そうだ。

「よし、やるか」

コートが邪魔で、脱いだ方が登りやすいが、
サンタが場違いにナイフでも持っていたら、
少しでも着込んでおいた方が安全だろう。
それに、さすがに寒過ぎて、脱ぐ気にならない。

彼は手に持ったコンビニ袋を塀の下に置き、
塀の上によじ登った。
そこで、部屋のカーテンの上端から、
懐中電灯とかの光が漏れていないかを確認しながら、
これから先のことを少しシミュレーションしてみた。

ベランダに彼が飛び込んだ気配を感じたら、
部屋の中で身構えられるかもしれない。
いくら暗いとはいえ、
相手の方が闇に目が慣れているはずだ。
ここは、ベランダに降りるなり一気に部屋に進入して、
機先を制する必要がある。

何か硬くて質量があるもの…。
ベランダにスタッドレスタイヤが積んであるが、
これは重すぎて持てないから、武器にはならない。

そういえば、テレビ棚の上に、
ショルダーキーボードを立てかけてあったな。
あれならカーテンを開けるなり右に飛んで、
手に取れそうだ。
そこそこの重さで、硬いし。
生かさず殺さず、ちょうどよい。

ベランダに飛び降りてから、サッシを開けて、
キーボードを手に取るまで4歩か5歩。



「ふぅ…」

覚悟を決めた彼は、深呼吸の後、
スカパーのアンテナの脇に手をかけた。

「おりゃっ」

ベランダに降りてすぐに、
彼はサッシに手をかけたが、滑ってかからない。
外側には、手をかける場所がなかった。
とっさにサッシの中心部の出っ張りを押すようにした。

 「ガチッ」
「え?」

開かない。

「うぉぉ!」

とっさにドアをノックしてみたりした。
彼自身、意味がわからない。
想定外の状況に陥ってしまった。

「えーと…」

これは“サンタさん”はいない?
それともご丁寧に、何もなかったかのように、
内側から鍵をかけ、カーテンを閉めて作業中?

なんかもう、前者のような気がするな…。
しかしそれなら、なぜ、玄関もベランダも、
鍵がかかってるんだ?



とにかく、中に入る術を考えなければいけない。
彼はしばらく、ベランダでじっと考え込んだ。

そうか。
ベランダ側の窓ではなく、
リビングの入り口からすぐにある小窓は、
ずっと鍵をかけていないような気がする。
あそこから入れないだろうか…。

彼はベランダから身を乗り出し、
外壁沿いに小窓の方を見た。
隣のビルとの間隔に彼は見入った。

うぅむ、これぐらいなら、
両方の外壁に手と足をかけて突っ張れば、
行けないことはなさそうだ。

しかし地上には、柵が延びている。
ブロック塀が途切れるところから突っ張り始めて、
移動していくしかなさそうだ。

TBSの番組『SASUKE』でいうなら、
2ndステージ「スパイダーウォーク」のように、
両側に片手片足ずつを伸ばして正面移動するか、
3rdステージ「ボディプロップ」のように、
両手を片側、両足を片側で横移動するか。



彼はベランダから、ブロック塀に移った。
横移動するには、ちょっと間隔が狭いので、
体が“くの字”に盛り上がってしまいそうだ。
ここは、正面移動で行くことにしよう。

彼は両側の建物の、
レンガ風のタイル仕上げの外壁に手をかけた。
両手を踏ん張り、感触と間隔を確認してから、
片足ずつを上げてみた。

大の字になった彼は、尺取虫の要領で、
少しずつ斜め上に進んだ。

 「ズルッ」
「ぅぬおっ!」

足が滑った。
とっさに真下に降ろした足は、
塀の切れ目から始まった細いフェンスの上に、
なんとか居場所を見つけて着地した。

ジーン。

「ッ、クゥ…」

痛い。
痛いが、股に食らうよりはマシだった。
それに、実際に落ちはしたが、
2年前住んでいたマンションで会社に鍵を忘れ入れず、
外壁伝いに3Fの自室に進入を試み、
パイプごと落ちそうになった時に比べたら、
この恐怖感はまだ、かわいいものだ。

靴が滑ったらしい。
確かにソールには網目がついているだけで、
履いていたらすべるだけだろうな。
今年、この靴を履いているときは、すべりっ放しだ。



逆を向いていったん塀に戻った彼は、
その上で靴と靴下を脱いで、はだしになった。

再び出発。
両足裏に伝わる壁の温度が、ひんやり冷たい。
それなのに、落ちたくない緊張からだろう、
汗がじんわりと両手両足ににじむ思いがする。

少しずつ、ポジションを確保しながら前進し、
彼はようやく、小窓の横にたどり着いた。
せいぜい1分か2分だったはずだが、
1時間、2時間かかったように感じられた。

彼は足を踏ん張り、サッシに手をかけた。

カラカラ。

「うぉっ!」

開いた。
ようやく入り口を確保した。

両手を窓枠にかけた彼は、
離れた側の足を一気に持ってきて、
自分の部屋の側に取り付いた。

「ふーぅ…」

部屋に入って彼がまずしたのは、
自分が今入ったサッシに、鍵をかけることだった。
こんなに簡単に(簡単じゃなかったが)、
外から入れるのでは、油断はできない。



照明をつけたところで、彼は玄関に行ってみた。
なぜ、鍵を開けたのにドアは開かなかったのか…。

「ん!?」

理由がわかった。

車のキャリアにチャリを積むための、
レール状のアタッチメントを、彼は持っていた。
それを玄関の脇に立てかけてあったのだが、
何かのはずみで倒れ掛かり、
U字型で金属製の内鍵を起こしてしまい、
内鍵が施錠された隙間にアタッチメントが挟まり、
開けようにもびくともしないことになっていた。

こんなことが原因だとは…。
足元に、むっちの家に行く前に置いた、
昼間に持っていたバッグが倒れていた。
こいつが犯人のようだ。

「……」

結局、誰が入ったわけでもなく、
いくつかの偶然も手伝って、
彼自身が自分を締め出しただけだった。

おかげで、寒いのに汗をかきながら、
自分のマンションの壁をよじ登るような、
とんだ夜になってしまった。

しかし、小窓に鍵がかかってなくてよかった。
かかってたら、今夜の自分はどうなってたんだろう?
いつもすんでのところで、ぎりぎりツイている自分を、
彼はつくづく、再認識せざるを得なかった。



翌朝。
目ざめてスタジオに出かける準備をしていた彼は、
塀の上に靴と靴下を置きっぱなしなのを思い出した。

階下に取りに行ったら、
塀の下にコンビニ袋も放置されていた。
すっかり忘れていた。
もちろん、アイスは溶けていた…。