遊びゴコロvs親ゴコロ
1994年7月31日。
学生生活の夏休み、バイトも長期休暇を取り、
翌朝の電車で実家へ帰るつもりの彼は、
八王子の住まいでボーッとしていた。
ヒマだ。
帰ってもヒマだろうな。
実家に帰って3日後には、サークルの同期から2コ下までが20人ほど、
彼の実家に泊りがけで遊びに来る。
ともに海に出かけ、家の庭でバーベキューをやり、
あとは花火に墓場のキモ試し、のつもりなのだが、
みんなが来るまでの数日間は、かなりヒマをもてあますことだろう。
ガキの頃よく行った岸壁で、素潜りで貝を獲り、
飽きたらブロックの上で大の字に寝て汐のニオイを吸い込む。
砂山に行っててっぺんまで登ってから、怒涛のごとく駆け下りて、
途中で転んだらそのまま砂ごとまっさかさま。
そんなことは、これから先いつでもできそうなことだ。
まぁ、今回も貝を獲りには行くだろうけど。
来年、社会人生活が始まったら、
こんなのんきな休みなんて、何十年も来ないかもしれない。
ふつうじゃできないこと、今のうちしかできないこと、何かないかな…。
ふとベッドから起き上がった彼は、
すでに荷造りを終えてあるボストンバッグから、
家にあったダンボール箱に、荷物をつめ直し始めた。
封をした箱を、マンション下のローソンへ持って行き、実家へ送った。
部屋に戻った彼は、ザックに、タオルと1日分の着替え、ノートとペン、
当時は8ミリカセットだったハンディカムのカメラを詰め込んだ。
1994年8月1日。
4:30ごろ目ざめた彼は、
最後に充電の完了したスペアのバッテリーと充電器をザックに収め、
微妙に薄暗い空の下、MTBのペダルを漕ぎ始めた。
大和田橋を渡り、ちんたらキコキコ、北野方面を目指す。
サークルの先輩USK氏がこの春に就職した後、
友人に預けてあるMTBを乗ってていいよと貸してくれたMTB。
バイト帰りのとある夜に西荻窪のUSK氏友人宅を訪ねてMTBを引き取り、
そこから八王子まで、乗って帰ってきた。
その時に大した疲れも感じなかったので、
実家まで帰れるんじゃないかと漠然と考えていたのだ。
北野の駅の近くでとある路地に入った彼は、
知ってる駐車場に入ったところでMTBを駐めた。
後輩こっくんのファミリアが駐まっていた。
まだ朝の5:00過ぎ、実家のこっくんを起こすのはムリ。
彼は、ザックからハンディカムを取り出し、撮影開始。
ノートを破って、
「tko参上」
と書いてから、車に接近して、ワイパーにそれを挟んだ。
単純に1分程度のカットを撮って、
彼はまたMTBにまたがって駐車場を後にした。
行き先にはすぐ来バラの下宿先があるが、
何度か行った割に彼は部屋番号を忘れている。
ここはスキップか…もったいない。
しばらく街道を走り、時々カメラを回して状況を撮影しながら、
彼は関戸橋を渡って府中を目指した。
『なべや』の娘の店はわかりやすいし、行ったこともある。
商売柄、朝から開いていることも期待したが、
着いてみたら、まだ店は開いてなかった。
さすがに出発が早すぎたか…。
店先にある“なべや横丁”という石碑をカメラに収め、
tko参上の紙切れをシャッターの裾に差し込んだ彼は、
旧甲州街道を少し進んだところで電話ボックスを見つけた。
当時は携帯電話などほとんど出回っていない時代、
公衆電話とポケベルが主な通信手段だった。
うぅむ、実家だけど、なべやのおっかさんは何度も話したことあるし、
この時間ならかけてももう大丈夫かな…。
彼は電話してみた、案の定、母親が出た。
「もしもし」
「朝はやくにすみません、●●と申しますが…」
「あら、おはようごさいますぅ」
「すみません、いらっしゃいますか?」
「ごめんなさい、今日は早めに出かけちゃったのよ」
「あっ、そうですか…」
「何かお急ぎですか?」
「あいえ、どうでもいいことですので、改めて…」
「はいー」
「あ、さっき、シャッターに1枚紙差し込んじゃったんで、すみません」
「はぃ?」
そのまま彼は、旧甲州街道からそれて、
多磨霊園の後輩しまちゃん宅を目指した。
まだ7:00台、寝てるだろうが、
しまちゃんの場合は起こしてしまってもいいような気がした。
ひとり暮らしだし。
彼はおもむろにアパートの前に立ち、カメラを回しながらベルを鳴らした。
しばらく反応なし。
しかし留守ではないはずだ。
彼はねばり強くベルを鳴らした。
すでに太陽は昇り、ジリジリし始めている。
今日は相当天気がよさそうだ。
やがて、中で動く気配がするのを彼は感じた。
ドアが開き、眠そうな顔のしまちゃんが現れた。
「ぁい、え、●●さん?」
「おはよう」
「どぅしはったんすか」
「実家に帰るとこ」
「え、あ、いや、え?」
「チャリで実家に帰るところで、沿線を家庭訪問中です」
「まじっすか!?」
「ビデオ、まわってます」
「な、にひひ」
「じゃ、さっそくおじゃまします」
彼はひとり暮らしの若者の部屋に勝手にあがり、気ままに撮影した。
「え、じゃぁ、これからどの辺通るんですか」
「あんまり考えずに来ちゃったんだよね、
地図もないから記憶と勘だけで適当に」
「なんかいぃっすねぇその適当ぐあいが、って今日着くんすか?」
「さぁ…どうだろ、計算してないや」
「にひひ、いぃなぁ、そういうの、先に言ってくださいよ」
「お、行く?」
「いやぁMTBがないですもん、言ってくれてたら用意しましたよぁ」
「悪ぃな、オレも昨日ふと思いついちゃったんだ」
「あぁ」
「あのさ、お願いがある」
「はい?」
しばらくしてから、彼は、チャリでしまちゃん宅を後にした。
ハンディカムは、それを見送るしまちゃんの右手にあった。
「じゃ、行ってきます」
「うぃ、じゃ、しあさって、向こうでお会いしましょー」
「うっす」
彼はペダルを漕ぎ、最初の角を右へ曲がった。
「行ってしまいました、アホやなぁ」
ぐらいのコメントとともに、
しまちゃんが録画ボタンを止めたであろうタイミングで、彼は戻った。
「止めた?」
「はい」
「撮れた?」
「どーでしょ」
彼らは、少し巻き戻して、カメラチェック。
「おぉ、大丈夫だね」
「アホっすねぇ」
「じゃ、まじ行ってくるわ」
「うす、ぼくらが行ったら全部見せてください」
「おうよ、夜上映会な、ほな」
「行ってらっしゃい」
こういうムダでアホな企みに、気負わず自然体でふつうにノッてくるのが、
しまちゃんのしまちゃんらしいところだ。
彼はしばらく裏道を走って、調布を過ぎた辺りで甲州街道に戻った。
ここからしばらく、環八とぶつかるあたりまでは、だらだらと登り坂が続く。
炎天下、けっこうしんどい。
途中、しまちゃん家近くのセブンイレブンで大きめのポカリを買ったが、
もうなくなりそうな勢いだ。
気温の上昇とともに息も上がり、
そろそろ、ゆっくり休みたい気分にもなっていた。
しまちゃんと話したとおり、どれぐらいで帰れるのか、
計算していないのはまずかった。
日は昇り、また沈む。
沈んだとき、彼はどこを走っているのだろう?
彼のMTBに、ライトはついていない。
西荻から帰ったときは、都内でずっと街灯もある道だったが、
実家近くにいけば、峠道などは真っ暗だ。
真っ暗であり、またダンプなどの往来も激しいだろう。
今晩が満月なのかどうか、確認もしていない。
うぅむ…。
あ、あった、あるじゃんライト。
千歳烏山付近のロイヤルホストで、彼は女神様の自宅に電話をかけてみた。
やがてUSK氏と結婚する女神様は、当時はすでに氏と付き合っていた。
なお、まだ「にぃごぉかん事件」は起きていないので、
この頃の女神様はまだyumiだった。
「もしもし」
「おはようございます、大学同期の●●と申しますが」
「あぁどうも、こんにちは」
「あの、yumiさんはいらっしゃいますか?」
「はい、ちょっとお待ちください」
しばらくしてダルな声のyumiが出た。
「もしもし?」
「起きてた?」
「うん、どうしたの?」
「あのさ、今甲州街道で、もうすぐ環八なんだ」
「えなに、車?」
「チャリ」
「何やってんのまた…」
「わたくし、実家に帰らせていただきます」
「え、これから館山まで行くの?」
「うん」
「いやぁ、なんか、がんばってねぇ」
「ふっ、キミらしいコメントだねぇ」
このテのyumiの応対は織り込み済みだ。
「でさ、お願いがあるんだけど」
「え、何?」
「USKさんのチャリのライト、yumiが預かってるって、前に言ってたよね」
「うん、あ、これから取りに来るってこと?」
「うん」
「いいけど」
「じゃ、すぐ行くわ」
「え、今どの辺なんだっけ? ウチまでわかるの?」
「大丈夫大丈夫」
環八を渡り、八幡山駅の高架をくぐって南下し、
ガソリンスタンド辺りで一度軽く迷ってから、
千歳台近くのyumiの自宅に到着。
角の門扉をうろうろし、ベルを鳴らして外で待った。
すでに手にはハンディカムを出してある。
「おはよう、やだ何?」
「家庭訪問です」
「みんなのとこ、回ってるの?」
「うん、て言っても、
今のところ映ってるのは結局、しまちゃんとyumiだけだけどね」
「なんかアタシ、ヒマそうな人みたいじゃん?」
「大丈夫だよ、ヒマなのはオレだろ」
「はい、これ」
渡されたライトをMTBのハンドルのマウントに設置して、
彼はyumiにハンディカムを渡した。
「え、これで撮れっていうの?」
「うん、いなくなるから、消えたら止めて」
「あっはは、演出つきなのね」
彼はしまちゃん宅と同様、yumiに手を振りながらMTBを漕いで、消えた。
そしてまた戻ってきた。
「はい、撮れてるね」
「ねぇ、これからどれぐらいかかるの?」
「いやぁわかんないけどさ、もう都心の方は寄る家ないし、
さっき京王線見たとき、電車で帰っちまおうかなって思ったんだよね」
「あぁそうしなよ、疲れるだけだよ」
「ま、ほんとに限界感じたら、あきらめて電車に乗るよ」
「すぐ乗った方がいいよ、あっついじゃん」
ちょっと玄関先に出ただけで、すでにだいぶダルそうだ。
「じゃな、また来週、バイト先で」
「気をつけてねぇ」
ひとりになってから、すでに彼は折れていた。
まいいや、それなりに撮るもの撮ったし、
もうどこで電車乗っても一緒なら、すぐ乗ってもいいだろ…。
彼は迷わず、八幡山駅を目指した。
改札脇でキップを買った彼は、MTBと一緒では自動改札を通れないので、
駅員のいる端のゲートに向かった。
「あ、お客さん」
「はい」
「ちょっと、自転車はそのままでは、乗ることはできないんですよ」
「えっ…」
「他のお客様のご迷惑になるのと、安全性からですね…」
「いや、いちばん先頭とかいちばん後ろとか、
ちゃんと気にして乗るから大丈夫ですよ」
「いえ、規則で、自転車は折りたたんで、
ケースなどに入れてもらえないと、ダメなんです」
「まぢっすか…」
大丈夫かどうかを決める権利は、彼にはなかった…。
「それって、どこの路線でも一緒ですか?」
「そうですね…、あと大荷物料金もかかります」
それは、どうでもよい。
さてどうしよう。
一度折れた気持ちを元に戻すのは、かなり困難だ。
彼は少し戻ってローソンでポカリを買って、しばらく考え込んだ。
沿線沿いに東上して、たとえばJR新宿駅で、
乗せてもらえないか聞きなおすのはどうだろう?
…一緒だろうな。
ここから八王子まで戻って、電車で出直す?
…来た道を同じように乗って帰るのは、精神的にしんどい。
たぶん、今日はそのまま帰る気すらなくすだろう。
yumiの家にMTBを預けて行く?
いや、それはさすがにカッコ悪い。
特に結論も覚悟もつかないまま、彼は東へトロトロ走った。
高速道が重なり、沿道はどんどん賑やかになる。
やがて、彼は新宿の南口に出た。
切れ気味の息を整えつつ、彼は新南口を撮ってボーッとしていた。
「あーぁ、どうすっかなぁ…」
サラリーマンや一般客がごった返す新宿を、彼は眺めていた。
自分はいつもと違うんだよな…。
ここまでやっといて、
電車に乗る乗れないを考えてるってぇのも、根性ねぇよな。
しょうがねぇ、気合入れなおしてやり切るか。
急にポジティブになった彼は、再びMTBにまたがった。
御苑辺りから新宿通りに入り、半蔵門までまっすぐ東進。
三宅坂を気持ちよく下りながら皇居、国会議事堂を撮影。
日比谷付近で適当に思い定めたルート計画とともに南下を始め、
品川駅までやって来た。
八ツ山橋付近で、京急線を撮りながら、
彼は、新宿からここまでの距離感と時間を思い浮かべた。
すでに昼近くになっている。
ここからはあまり日常的には縁がないエリアだし、計画的にいかないと…。
彼はまずコンビニを探し、道路地図を手にとった。
買うと荷物の重量が増すので、
ポイントをインプットし、外でノートに書くつもり。
目指すは久里浜のフェリー乗り場。
なるべく内陸に入らず行った方が、標高差で消耗もしないだろうな…。
しばらくは京急線沿いに第一京浜を南下。
産業道路に入って、高速沿いに生麦付近、で横浜駅か…。
よし。
彼はカメラをザックにしまい、完全に運転集中モードになって南下続行。
3車線の車道の端をダッシュ。
車が脇をすり抜けて行くので恐怖もあるが、逆に自然にスピードは上がる。
実際、トップスピードの時、彼はとんでもないスピードをたたき出す。
問題は信号だが、幹線道路はかなり長い間隔で青のままなので、
ある程度手前から先を読んでスピードをコントロールできる。
そんなに深刻な起伏もなく、横浜まで1時間ちょっとで到達した。
このペースなら、かなり早めに着くんじゃないか?
しかしこの読みは甘かった。
横浜から久里浜は、16号沿いでも途中けっこう起伏があったり、
くねくねしているのでムダな距離消費があったり。
当然長くなる分休憩もしたくなるので、さらに時間がかかる。
彼は焦ってきた。
考えてみれば、フェリーは24時間営業じゃない。
最終便までに久里浜に着かなければ、岬の先端で進むに進めず、
退くにも退けず、夜を明かすことになる。
もしかしたら、日比谷でとんでもないルート選択をしたんじゃないか…?
これは、急がねば…。
休憩も切り上げて、彼はふたたび渾身の力でペダルを漕ぎ続けた。
久里浜のフェリー乗り場に着いた時点で、すでに時計は16:00に近かった。
疲労困憊の態でチケットを買い、MTBごとフェリーに乗り込み、
チェーンで繋いでもらってから展望階へ登った。
潮風が心地よい。
ここまで来れば、後は金谷港から館山までまっすぐ走るだけだ。
何度も車で通っているルートだし、
どこがつらくてどこがラクかもわかっている。
気楽だ。
朝、目が覚めてから、いちばん気楽かもしれない。
彼はのんびりカメラを回しながら、陽の傾きかけた風景を撮っていた。
19:00前、彼は館山湾の砂浜に腰を下ろし、
夕陽が沈んだばかりの赤黒い浜辺を撮影していた。
早朝、家を出発してから15時間弱。
やった。
へこたれそうになりながらも、とにかく、やり切った。
この達成感は、ちょっと簡単には得られそうもない。
ま、振り返ってみれば、順調に来た方だと言えるんじゃないか。
掛け声とともに、神輿が海岸どおりに出てきた。
そうか、今日は8月1日、地元の祭りの日だったんだ。
神輿を桟橋のたもとの空き地に置いて、休憩するらしい。
彼は実家までの残り数キロを走るつもりで、すかいらーくの向かい、
その神輿のそばに駐めてあるMTBのところに行った。
「あれ、●●じゃね?」
「おぉぉ!」
地元の、中学時代の同級生だった。
同級生といっても、最後に同じクラスじゃなかったはずだ。
小、中学の同級生は300人くらいの数になるが、
まったく知り合いじゃないという人はほとんどいない。
高校入学とともに地元を離れた彼にしてみれば、
6年ぶりぐらいの再会ってことになる。
「何やってんだ」
「夏休みでさ、八王子からチャリで帰ってきた」
「はちおうじ!? 今日出てきたんか?」
「あぁ」
「疲れっぺよぉ…」
彼は持っていたカメラを回して、連中を撮った。
後はまっすぐ、中学の頃の通学路を通って、
すっかり暗くなった頃、ようやく実家に到着した。
実家では、いっこうに連絡が来ないので、
今日帰ってくるつもりじゃないんじゃないかと話をしていたところらしい。
事情を話すとさっそく親父が興味を示したので、
彼はハンディカムをテレビに繋いだ。
親父は親父で、単身赴任で千葉の県北に住んでいた頃、
思いつきでチャリで家に帰ってくるような人だった。
今日の彼の行動もまぁ、そうした、
遊びゴコロに忠実なDNAの発作の結果ゆえ、ともいえる。
「こんなん、わざわざ友だちに撮ってもらって、
またカメラを受け取りに戻ったんか?」
「あぁ、そうね…」
「まったぁ、バッカだねぇあんたは、
こんなことせんでさっさと帰ってくればいいのに」
「ま、今のうちしか、こんなんできないっしょ」
そんな話をしながら映像は館山湾まで達し、彼はそこでビデオを止めた。
翌朝、一歩間違えば死ぬかという思いをしながら、
夕方には修理から戻ってきた車にホッとして、
さらにもう1日はひとりで行っておきたい場所を車でぶらぶら回って、
そして連中がやってくる日を迎えた。
朝、母親を勤務先まで送った足で、彼は待ち合わせ場所の金谷港を目指した。
先日チャリで南下したそのルートを、今日は車で逆に北上。
車内で、すでに今日の分の撮影は始まっている。
先日、実家で回したテープの続きから、彼は今回のイベントを撮っている。
金谷港の駐車場で、フェリーから降りてくる車の列に、
彼はカメラを向けながら待っていた。
予定したフェリーの到着時刻に、フェリー組と地上周り組、計20人超が合流。
その足で彼らは海へ遊びに出かけ、夕方に実家に戻ってきた。
荷物を奥の客間に詰め、リビングとダイニングにびっしり並んで夕飯。
すでに、しまちゃんをはじめ、みんなはビデオのネタの話題になっていた。
「●●さん●●さん、さっそく観ましょうよ」
「せやな、身体張ったドキュメンタリーまで巻き戻しますか」
「いやぁ、あのあとどんな絵が撮れてるか、楽しみですわ」
彼はハンディカムを繋ぎ、いちばん最初まで巻き戻した。
「じゃ、いきます」
「はい」
彼は再生ボタンを押した。
「…ん?」
おかしい。
映像が、今朝、金谷港へ向かう車中のものだ。
「あれ、ちゃんと巻き戻せてない?」
彼は一度止め、巻き戻しボタンを押した。
テープはすぐに止まった。
「えぇ!?」
再生ボタンを押したが、さっきと同じところからしか映像が出ない。
「まじで!?」
「あぁ、それか、お父さん、最初まで巻き戻しておいてやったよ」
「ぬぅぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「なんでや、お父さん、巻き戻しておいたほうが、
みんなが来て観るときいいだろうと思って、戻しといたんだよ」
「今日の分、続きから撮るつもりで、あそこで止めといたんだぜ?」
「ほーか…、どうする?」
「どうするじゃねぇよ、もう消えてるし…。
かーっ、マジか! くぅぅ…」
「あっははは!」
彼は脱力して頭を抱えた。
その様に周りは笑っていた。
が、この笑いは一時的なもの。
彼にとっては、そう簡単に同じ経験を再現できない、
二度と得られない映像をロストしたことは、とにかくショックだった。
そのまま流しっぱなしの映像の最後の方で、
今日の分が短かったおかげで、先日のチャリ道中の最後の方が出てきたが、
それはもう、館山湾に到達して海岸を撮っているようなシーンで、
カンジンな部分は完全に上書きされていた。
この絶妙なさじ加減の仕打ちが、さらに彼をブルーにさせた。
親父、頼んでもいないのに、余計なことを…。
親ゴコロ。
これほど、子供にとって予測困難で、ありがたくないものはない。
しかしDNAの導きによれば、彼もやがて、娘にバカにされるような、
ありがたがられない親ゴコロの持ち主になることもまた、
きっと、間違いはないのだろう…。
学生生活の夏休み、バイトも長期休暇を取り、
翌朝の電車で実家へ帰るつもりの彼は、
八王子の住まいでボーッとしていた。
ヒマだ。
帰ってもヒマだろうな。
実家に帰って3日後には、サークルの同期から2コ下までが20人ほど、
彼の実家に泊りがけで遊びに来る。
ともに海に出かけ、家の庭でバーベキューをやり、
あとは花火に墓場のキモ試し、のつもりなのだが、
みんなが来るまでの数日間は、かなりヒマをもてあますことだろう。
ガキの頃よく行った岸壁で、素潜りで貝を獲り、
飽きたらブロックの上で大の字に寝て汐のニオイを吸い込む。
砂山に行っててっぺんまで登ってから、怒涛のごとく駆け下りて、
途中で転んだらそのまま砂ごとまっさかさま。
そんなことは、これから先いつでもできそうなことだ。
まぁ、今回も貝を獲りには行くだろうけど。
来年、社会人生活が始まったら、
こんなのんきな休みなんて、何十年も来ないかもしれない。
ふつうじゃできないこと、今のうちしかできないこと、何かないかな…。
ふとベッドから起き上がった彼は、
すでに荷造りを終えてあるボストンバッグから、
家にあったダンボール箱に、荷物をつめ直し始めた。
封をした箱を、マンション下のローソンへ持って行き、実家へ送った。
部屋に戻った彼は、ザックに、タオルと1日分の着替え、ノートとペン、
当時は8ミリカセットだったハンディカムのカメラを詰め込んだ。
1994年8月1日。
4:30ごろ目ざめた彼は、
最後に充電の完了したスペアのバッテリーと充電器をザックに収め、
微妙に薄暗い空の下、MTBのペダルを漕ぎ始めた。
大和田橋を渡り、ちんたらキコキコ、北野方面を目指す。
サークルの先輩USK氏がこの春に就職した後、
友人に預けてあるMTBを乗ってていいよと貸してくれたMTB。
バイト帰りのとある夜に西荻窪のUSK氏友人宅を訪ねてMTBを引き取り、
そこから八王子まで、乗って帰ってきた。
その時に大した疲れも感じなかったので、
実家まで帰れるんじゃないかと漠然と考えていたのだ。
北野の駅の近くでとある路地に入った彼は、
知ってる駐車場に入ったところでMTBを駐めた。
後輩こっくんのファミリアが駐まっていた。
まだ朝の5:00過ぎ、実家のこっくんを起こすのはムリ。
彼は、ザックからハンディカムを取り出し、撮影開始。
ノートを破って、
「tko参上」
と書いてから、車に接近して、ワイパーにそれを挟んだ。
単純に1分程度のカットを撮って、
彼はまたMTBにまたがって駐車場を後にした。
行き先にはすぐ来バラの下宿先があるが、
何度か行った割に彼は部屋番号を忘れている。
ここはスキップか…もったいない。
しばらく街道を走り、時々カメラを回して状況を撮影しながら、
彼は関戸橋を渡って府中を目指した。
『なべや』の娘の店はわかりやすいし、行ったこともある。
商売柄、朝から開いていることも期待したが、
着いてみたら、まだ店は開いてなかった。
さすがに出発が早すぎたか…。
店先にある“なべや横丁”という石碑をカメラに収め、
tko参上の紙切れをシャッターの裾に差し込んだ彼は、
旧甲州街道を少し進んだところで電話ボックスを見つけた。
当時は携帯電話などほとんど出回っていない時代、
公衆電話とポケベルが主な通信手段だった。
うぅむ、実家だけど、なべやのおっかさんは何度も話したことあるし、
この時間ならかけてももう大丈夫かな…。
彼は電話してみた、案の定、母親が出た。
「もしもし」
「朝はやくにすみません、●●と申しますが…」
「あら、おはようごさいますぅ」
「すみません、いらっしゃいますか?」
「ごめんなさい、今日は早めに出かけちゃったのよ」
「あっ、そうですか…」
「何かお急ぎですか?」
「あいえ、どうでもいいことですので、改めて…」
「はいー」
「あ、さっき、シャッターに1枚紙差し込んじゃったんで、すみません」
「はぃ?」
そのまま彼は、旧甲州街道からそれて、
多磨霊園の後輩しまちゃん宅を目指した。
まだ7:00台、寝てるだろうが、
しまちゃんの場合は起こしてしまってもいいような気がした。
ひとり暮らしだし。
彼はおもむろにアパートの前に立ち、カメラを回しながらベルを鳴らした。
しばらく反応なし。
しかし留守ではないはずだ。
彼はねばり強くベルを鳴らした。
すでに太陽は昇り、ジリジリし始めている。
今日は相当天気がよさそうだ。
やがて、中で動く気配がするのを彼は感じた。
ドアが開き、眠そうな顔のしまちゃんが現れた。
「ぁい、え、●●さん?」
「おはよう」
「どぅしはったんすか」
「実家に帰るとこ」
「え、あ、いや、え?」
「チャリで実家に帰るところで、沿線を家庭訪問中です」
「まじっすか!?」
「ビデオ、まわってます」
「な、にひひ」
「じゃ、さっそくおじゃまします」
彼はひとり暮らしの若者の部屋に勝手にあがり、気ままに撮影した。
「え、じゃぁ、これからどの辺通るんですか」
「あんまり考えずに来ちゃったんだよね、
地図もないから記憶と勘だけで適当に」
「なんかいぃっすねぇその適当ぐあいが、って今日着くんすか?」
「さぁ…どうだろ、計算してないや」
「にひひ、いぃなぁ、そういうの、先に言ってくださいよ」
「お、行く?」
「いやぁMTBがないですもん、言ってくれてたら用意しましたよぁ」
「悪ぃな、オレも昨日ふと思いついちゃったんだ」
「あぁ」
「あのさ、お願いがある」
「はい?」
しばらくしてから、彼は、チャリでしまちゃん宅を後にした。
ハンディカムは、それを見送るしまちゃんの右手にあった。
「じゃ、行ってきます」
「うぃ、じゃ、しあさって、向こうでお会いしましょー」
「うっす」
彼はペダルを漕ぎ、最初の角を右へ曲がった。
「行ってしまいました、アホやなぁ」
ぐらいのコメントとともに、
しまちゃんが録画ボタンを止めたであろうタイミングで、彼は戻った。
「止めた?」
「はい」
「撮れた?」
「どーでしょ」
彼らは、少し巻き戻して、カメラチェック。
「おぉ、大丈夫だね」
「アホっすねぇ」
「じゃ、まじ行ってくるわ」
「うす、ぼくらが行ったら全部見せてください」
「おうよ、夜上映会な、ほな」
「行ってらっしゃい」
こういうムダでアホな企みに、気負わず自然体でふつうにノッてくるのが、
しまちゃんのしまちゃんらしいところだ。
彼はしばらく裏道を走って、調布を過ぎた辺りで甲州街道に戻った。
ここからしばらく、環八とぶつかるあたりまでは、だらだらと登り坂が続く。
炎天下、けっこうしんどい。
途中、しまちゃん家近くのセブンイレブンで大きめのポカリを買ったが、
もうなくなりそうな勢いだ。
気温の上昇とともに息も上がり、
そろそろ、ゆっくり休みたい気分にもなっていた。
しまちゃんと話したとおり、どれぐらいで帰れるのか、
計算していないのはまずかった。
日は昇り、また沈む。
沈んだとき、彼はどこを走っているのだろう?
彼のMTBに、ライトはついていない。
西荻から帰ったときは、都内でずっと街灯もある道だったが、
実家近くにいけば、峠道などは真っ暗だ。
真っ暗であり、またダンプなどの往来も激しいだろう。
今晩が満月なのかどうか、確認もしていない。
うぅむ…。
あ、あった、あるじゃんライト。
千歳烏山付近のロイヤルホストで、彼は女神様の自宅に電話をかけてみた。
やがてUSK氏と結婚する女神様は、当時はすでに氏と付き合っていた。
なお、まだ「にぃごぉかん事件」は起きていないので、
この頃の女神様はまだyumiだった。
「もしもし」
「おはようございます、大学同期の●●と申しますが」
「あぁどうも、こんにちは」
「あの、yumiさんはいらっしゃいますか?」
「はい、ちょっとお待ちください」
しばらくしてダルな声のyumiが出た。
「もしもし?」
「起きてた?」
「うん、どうしたの?」
「あのさ、今甲州街道で、もうすぐ環八なんだ」
「えなに、車?」
「チャリ」
「何やってんのまた…」
「わたくし、実家に帰らせていただきます」
「え、これから館山まで行くの?」
「うん」
「いやぁ、なんか、がんばってねぇ」
「ふっ、キミらしいコメントだねぇ」
このテのyumiの応対は織り込み済みだ。
「でさ、お願いがあるんだけど」
「え、何?」
「USKさんのチャリのライト、yumiが預かってるって、前に言ってたよね」
「うん、あ、これから取りに来るってこと?」
「うん」
「いいけど」
「じゃ、すぐ行くわ」
「え、今どの辺なんだっけ? ウチまでわかるの?」
「大丈夫大丈夫」
環八を渡り、八幡山駅の高架をくぐって南下し、
ガソリンスタンド辺りで一度軽く迷ってから、
千歳台近くのyumiの自宅に到着。
角の門扉をうろうろし、ベルを鳴らして外で待った。
すでに手にはハンディカムを出してある。
「おはよう、やだ何?」
「家庭訪問です」
「みんなのとこ、回ってるの?」
「うん、て言っても、
今のところ映ってるのは結局、しまちゃんとyumiだけだけどね」
「なんかアタシ、ヒマそうな人みたいじゃん?」
「大丈夫だよ、ヒマなのはオレだろ」
「はい、これ」
渡されたライトをMTBのハンドルのマウントに設置して、
彼はyumiにハンディカムを渡した。
「え、これで撮れっていうの?」
「うん、いなくなるから、消えたら止めて」
「あっはは、演出つきなのね」
彼はしまちゃん宅と同様、yumiに手を振りながらMTBを漕いで、消えた。
そしてまた戻ってきた。
「はい、撮れてるね」
「ねぇ、これからどれぐらいかかるの?」
「いやぁわかんないけどさ、もう都心の方は寄る家ないし、
さっき京王線見たとき、電車で帰っちまおうかなって思ったんだよね」
「あぁそうしなよ、疲れるだけだよ」
「ま、ほんとに限界感じたら、あきらめて電車に乗るよ」
「すぐ乗った方がいいよ、あっついじゃん」
ちょっと玄関先に出ただけで、すでにだいぶダルそうだ。
「じゃな、また来週、バイト先で」
「気をつけてねぇ」
ひとりになってから、すでに彼は折れていた。
まいいや、それなりに撮るもの撮ったし、
もうどこで電車乗っても一緒なら、すぐ乗ってもいいだろ…。
彼は迷わず、八幡山駅を目指した。
改札脇でキップを買った彼は、MTBと一緒では自動改札を通れないので、
駅員のいる端のゲートに向かった。
「あ、お客さん」
「はい」
「ちょっと、自転車はそのままでは、乗ることはできないんですよ」
「えっ…」
「他のお客様のご迷惑になるのと、安全性からですね…」
「いや、いちばん先頭とかいちばん後ろとか、
ちゃんと気にして乗るから大丈夫ですよ」
「いえ、規則で、自転車は折りたたんで、
ケースなどに入れてもらえないと、ダメなんです」
「まぢっすか…」
大丈夫かどうかを決める権利は、彼にはなかった…。
「それって、どこの路線でも一緒ですか?」
「そうですね…、あと大荷物料金もかかります」
それは、どうでもよい。
さてどうしよう。
一度折れた気持ちを元に戻すのは、かなり困難だ。
彼は少し戻ってローソンでポカリを買って、しばらく考え込んだ。
沿線沿いに東上して、たとえばJR新宿駅で、
乗せてもらえないか聞きなおすのはどうだろう?
…一緒だろうな。
ここから八王子まで戻って、電車で出直す?
…来た道を同じように乗って帰るのは、精神的にしんどい。
たぶん、今日はそのまま帰る気すらなくすだろう。
yumiの家にMTBを預けて行く?
いや、それはさすがにカッコ悪い。
特に結論も覚悟もつかないまま、彼は東へトロトロ走った。
高速道が重なり、沿道はどんどん賑やかになる。
やがて、彼は新宿の南口に出た。
切れ気味の息を整えつつ、彼は新南口を撮ってボーッとしていた。
「あーぁ、どうすっかなぁ…」
サラリーマンや一般客がごった返す新宿を、彼は眺めていた。
自分はいつもと違うんだよな…。
ここまでやっといて、
電車に乗る乗れないを考えてるってぇのも、根性ねぇよな。
しょうがねぇ、気合入れなおしてやり切るか。
急にポジティブになった彼は、再びMTBにまたがった。
御苑辺りから新宿通りに入り、半蔵門までまっすぐ東進。
三宅坂を気持ちよく下りながら皇居、国会議事堂を撮影。
日比谷付近で適当に思い定めたルート計画とともに南下を始め、
品川駅までやって来た。
八ツ山橋付近で、京急線を撮りながら、
彼は、新宿からここまでの距離感と時間を思い浮かべた。
すでに昼近くになっている。
ここからはあまり日常的には縁がないエリアだし、計画的にいかないと…。
彼はまずコンビニを探し、道路地図を手にとった。
買うと荷物の重量が増すので、
ポイントをインプットし、外でノートに書くつもり。
目指すは久里浜のフェリー乗り場。
なるべく内陸に入らず行った方が、標高差で消耗もしないだろうな…。
しばらくは京急線沿いに第一京浜を南下。
産業道路に入って、高速沿いに生麦付近、で横浜駅か…。
よし。
彼はカメラをザックにしまい、完全に運転集中モードになって南下続行。
3車線の車道の端をダッシュ。
車が脇をすり抜けて行くので恐怖もあるが、逆に自然にスピードは上がる。
実際、トップスピードの時、彼はとんでもないスピードをたたき出す。
問題は信号だが、幹線道路はかなり長い間隔で青のままなので、
ある程度手前から先を読んでスピードをコントロールできる。
そんなに深刻な起伏もなく、横浜まで1時間ちょっとで到達した。
このペースなら、かなり早めに着くんじゃないか?
しかしこの読みは甘かった。
横浜から久里浜は、16号沿いでも途中けっこう起伏があったり、
くねくねしているのでムダな距離消費があったり。
当然長くなる分休憩もしたくなるので、さらに時間がかかる。
彼は焦ってきた。
考えてみれば、フェリーは24時間営業じゃない。
最終便までに久里浜に着かなければ、岬の先端で進むに進めず、
退くにも退けず、夜を明かすことになる。
もしかしたら、日比谷でとんでもないルート選択をしたんじゃないか…?
これは、急がねば…。
休憩も切り上げて、彼はふたたび渾身の力でペダルを漕ぎ続けた。
久里浜のフェリー乗り場に着いた時点で、すでに時計は16:00に近かった。
疲労困憊の態でチケットを買い、MTBごとフェリーに乗り込み、
チェーンで繋いでもらってから展望階へ登った。
潮風が心地よい。
ここまで来れば、後は金谷港から館山までまっすぐ走るだけだ。
何度も車で通っているルートだし、
どこがつらくてどこがラクかもわかっている。
気楽だ。
朝、目が覚めてから、いちばん気楽かもしれない。
彼はのんびりカメラを回しながら、陽の傾きかけた風景を撮っていた。
19:00前、彼は館山湾の砂浜に腰を下ろし、
夕陽が沈んだばかりの赤黒い浜辺を撮影していた。
早朝、家を出発してから15時間弱。
やった。
へこたれそうになりながらも、とにかく、やり切った。
この達成感は、ちょっと簡単には得られそうもない。
ま、振り返ってみれば、順調に来た方だと言えるんじゃないか。
掛け声とともに、神輿が海岸どおりに出てきた。
そうか、今日は8月1日、地元の祭りの日だったんだ。
神輿を桟橋のたもとの空き地に置いて、休憩するらしい。
彼は実家までの残り数キロを走るつもりで、すかいらーくの向かい、
その神輿のそばに駐めてあるMTBのところに行った。
「あれ、●●じゃね?」
「おぉぉ!」
地元の、中学時代の同級生だった。
同級生といっても、最後に同じクラスじゃなかったはずだ。
小、中学の同級生は300人くらいの数になるが、
まったく知り合いじゃないという人はほとんどいない。
高校入学とともに地元を離れた彼にしてみれば、
6年ぶりぐらいの再会ってことになる。
「何やってんだ」
「夏休みでさ、八王子からチャリで帰ってきた」
「はちおうじ!? 今日出てきたんか?」
「あぁ」
「疲れっぺよぉ…」
彼は持っていたカメラを回して、連中を撮った。
後はまっすぐ、中学の頃の通学路を通って、
すっかり暗くなった頃、ようやく実家に到着した。
実家では、いっこうに連絡が来ないので、
今日帰ってくるつもりじゃないんじゃないかと話をしていたところらしい。
事情を話すとさっそく親父が興味を示したので、
彼はハンディカムをテレビに繋いだ。
親父は親父で、単身赴任で千葉の県北に住んでいた頃、
思いつきでチャリで家に帰ってくるような人だった。
今日の彼の行動もまぁ、そうした、
遊びゴコロに忠実なDNAの発作の結果ゆえ、ともいえる。
「こんなん、わざわざ友だちに撮ってもらって、
またカメラを受け取りに戻ったんか?」
「あぁ、そうね…」
「まったぁ、バッカだねぇあんたは、
こんなことせんでさっさと帰ってくればいいのに」
「ま、今のうちしか、こんなんできないっしょ」
そんな話をしながら映像は館山湾まで達し、彼はそこでビデオを止めた。
翌朝、一歩間違えば死ぬかという思いをしながら、
夕方には修理から戻ってきた車にホッとして、
さらにもう1日はひとりで行っておきたい場所を車でぶらぶら回って、
そして連中がやってくる日を迎えた。
朝、母親を勤務先まで送った足で、彼は待ち合わせ場所の金谷港を目指した。
先日チャリで南下したそのルートを、今日は車で逆に北上。
車内で、すでに今日の分の撮影は始まっている。
先日、実家で回したテープの続きから、彼は今回のイベントを撮っている。
金谷港の駐車場で、フェリーから降りてくる車の列に、
彼はカメラを向けながら待っていた。
予定したフェリーの到着時刻に、フェリー組と地上周り組、計20人超が合流。
その足で彼らは海へ遊びに出かけ、夕方に実家に戻ってきた。
荷物を奥の客間に詰め、リビングとダイニングにびっしり並んで夕飯。
すでに、しまちゃんをはじめ、みんなはビデオのネタの話題になっていた。
「●●さん●●さん、さっそく観ましょうよ」
「せやな、身体張ったドキュメンタリーまで巻き戻しますか」
「いやぁ、あのあとどんな絵が撮れてるか、楽しみですわ」
彼はハンディカムを繋ぎ、いちばん最初まで巻き戻した。
「じゃ、いきます」
「はい」
彼は再生ボタンを押した。
「…ん?」
おかしい。
映像が、今朝、金谷港へ向かう車中のものだ。
「あれ、ちゃんと巻き戻せてない?」
彼は一度止め、巻き戻しボタンを押した。
テープはすぐに止まった。
「えぇ!?」
再生ボタンを押したが、さっきと同じところからしか映像が出ない。
「まじで!?」
「あぁ、それか、お父さん、最初まで巻き戻しておいてやったよ」
「ぬぅぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「なんでや、お父さん、巻き戻しておいたほうが、
みんなが来て観るときいいだろうと思って、戻しといたんだよ」
「今日の分、続きから撮るつもりで、あそこで止めといたんだぜ?」
「ほーか…、どうする?」
「どうするじゃねぇよ、もう消えてるし…。
かーっ、マジか! くぅぅ…」
「あっははは!」
彼は脱力して頭を抱えた。
その様に周りは笑っていた。
が、この笑いは一時的なもの。
彼にとっては、そう簡単に同じ経験を再現できない、
二度と得られない映像をロストしたことは、とにかくショックだった。
そのまま流しっぱなしの映像の最後の方で、
今日の分が短かったおかげで、先日のチャリ道中の最後の方が出てきたが、
それはもう、館山湾に到達して海岸を撮っているようなシーンで、
カンジンな部分は完全に上書きされていた。
この絶妙なさじ加減の仕打ちが、さらに彼をブルーにさせた。
親父、頼んでもいないのに、余計なことを…。
親ゴコロ。
これほど、子供にとって予測困難で、ありがたくないものはない。
しかしDNAの導きによれば、彼もやがて、娘にバカにされるような、
ありがたがられない親ゴコロの持ち主になることもまた、
きっと、間違いはないのだろう…。
