金監禁困

2009年3月27日。

もうすぐ、年度が変わる。
月末、期末、年度末の三重苦、
というような状況が、
ここ2週間ほど、続いている。

金曜夕刻の定例MTGの後、彼は、
4月から彼が部長を務める部に合流する、
チームリーダーたちのうちのひとり、
ハシモと話していた。

別のチームリーダーのizuと合流すべく、
彼らは自分のフロアの会議室から内廊下へ、
さらにセキュリティゲートから外廊下へ出て、
ハシモの案内で非常階段をのぼった。

ひとつ上は、ハシモとizuのフロア。
デスクにいたizuに声をかけ、会議室へ行き、
3人で、打ち合わせの続きを始めた。

打ち合わせを終えたのは、20:00過ぎ。

「じゃ、お疲れ様でした」
 「お疲れ様でした」
「よい週末を」
  「はーい」

ふたりとフロアで別れ、彼は廊下へ出て、
再び、防火用壁で仕切られた階段室へ入った。

(ふぅ…)

今週はいろいろで、さすがに疲れた。
非常階段を降りながら、彼は考えていた。
ドキュメントを作る要件は山ほどあるが…。
今週は目一杯だった。
明日少し来て、続きをやるとするか。

まっつんの部署が、
年度のお疲れの呑み会をやっている。
彼の部からは、マイティだけ参加してるらしい。

   「わたしだけなんですよ、
     もし仕事が早く終わったら、
      来てください」

と、マイティから声がかかっていた。
先輩たちがいけなくても自分だけ参加としたのは、
新卒としての配慮もあるか。
えらいな。
そういう心意気は、ほっとくわけにはいかない。

もう、全部明日に回して行っちゃおう。
彼は彼で、息抜きのひとつもしないと、
来週がんばれない気分だし。
金曜日はノー残業デーと定められたし。

マイティに電話してみた。
留守電。
ま、呑み会の最中ってわけだな。
行けばいいだけの話だ。

階段を降り、自分のフロアへ戻って来た彼は、
廊下へ出るため、防火用壁のドアへ接近しながら、
自分の胸元をまさぐった。

(……ん?)

ない。
胸元にぶらさがってるはずの、社員証がない。
彼は、パンツのポケットにも手をやった。
首にかけてなければ、ここだ。

(……ない)

社員証のIDを読み取らせないと、
この階段室からは出られない。
彼は全身のポケットを、念入りに探した。
どこにもない…。

ここから外廊下へ出られないじゃないか。

(あぁ…)

彼はここまでの経緯を推測した。

社員証を持たずにデスクを立ったんだろうな。
定例MTGは、彼のフロアだから問題なかった。
ひとつ上のフロアへは、ハシモの誘導で行ったから、
社員証なしでも、セキュリティゲートを通過できた。
そんなところか…。
それにしても、あの階は、鬼門だな…。

彼は、厚めの扉に耳をすませた。
フロアの東西に階段室があるのだが、
彼が降りて来たのは、休憩室寄りの方。
日中はまだしも、夜は人口密度が薄いところだ。
さらに、今日はノー残業デー。
いつもより、さらに人の気配がない感じ。

(まいったな…)

彼は、ケータイを手にした。
残ってそうな人に、電話をかけてみることに。

さっき打ち合わせしてたハシモとizuは確実にいるが、
彼の部下になるのは4月からのことで、
まだ電話番号を取り交わしていない。

ちぃちゃんは、今日は年休だしな。
まむけん。
…留守電。
ダーミッツ。
かかった、出た。

「もしもし」
    「かつお」
「……は?」
    「かつお」
「……今、デスクにいます?」
    「『串かつお』にいます」
「あー、そのかつおね…」
    「来ますか」
「いや、今社員証なしで、
  階段室に閉じ込められちゃったんですよ」
    「ww、この人ね、閉じ込められてんだって」

だれかに話してる。
だめだ、出来上がってるな。
次にいこう。

シミッチ、即留守電。
メッシ、同じく。
地下鉄か、帰ったんだな。
ぱぴ、は今日年休だったな。
フッキ、は午後休だわ。
むぅ…。
たいがい、帰ってるだろうな…。

ふと、防火用壁の向こう、外廊下の、
業務エリアへ入るセキュリティゲートの扉が、
開閉してる音が聞こえてきた。
誰かいるな。

ドンドンドン。

彼は防火用壁をたたいた。
……反応なし。
業務エリアに入っちゃった後かな。

誰かが、他のフロアから階段で現れることも期待したが、
この時間帯に設定されてるMTGがあるわけもなく。
誰も来ない。

それからしばらく、彼は、じっと耳をすませ、
扉の音がするたびに防火用壁をたたいた。
しかし、反応なし。
あっという間に、10分、15分と、経過していった。
だめか……。

また彼はケータイで電話をかけ始めた。
何人めか、ラッシーに繋がった。

     「もしもし」
「お、ラッシー? 今…」

どこにいるか尋ねかけた彼の耳元で、
ラッシーの背後の発車ベルが聞こえた。

「あー、もう帰ったか」
     「どうされましたか」

彼はラッシーに現況を説明した。

     「たしか、エリーは残業してましたよ」
「おぉ、ナイスな情報」

彼はエリーへ電話をかけた。
留守電…。
だめか。
時計を見た。
もう20分は、ここにいるね。

(……、はっ!?)

今日は金曜日。
ってことは、明日あさって、会社はもぬけの殻。
もし今晩、ここから出られないと…。

「うぉぉおお!!」

彼は猛烈に扉をたたいた。
しかし、やはり誰も現れない。
くっそー…。

すでに彼は焦っていた。
終電を乗り損ねたら、明日の朝までここにいたら…。
トイレもないんだぜ?
もう腹いせに、隅っこの方にモリッとやっちゃいますよ?

あきらめずに、彼はドンドンと、
扉を叩き続けていた。
とにかくわずかなチャンスでも、
逃さず誰かをつかまえないと。

やがて。

ブルル…。

(ハッ!?)

変な妄想で意識が寄っていた彼のオシリの左で、
ケータイに着信あり。

(っしゃ!!)

エリーだ。

「今、どこにいます?」
      「すみません、気づかなくて。
        今、自分のデスクにいます」
「おぉー、あのね」
      「どうされましたか?」
「社員証もたないまま、
  階段室に閉じ込められちゃって」
      「えー、行きますよ、どこの…」

その瞬間。
ガチャ。

「うぉおおおおおーっ!!」

開いた防火用壁の扉から、顔をのぞかせたのは、
のっちだった。

「うおぉ、助かったぁ!!」
       「なんか閉じ込められたって聞こえたので…」
「のっち、えらい!!」

30分ほど経過し、まもなく21:00というころ、
彼は救出された。

外廊下からセキュリティゲートものっちに開けてもらい、
業務エリアへ入ると、人もまばらなオフィスの空間。
いやぁ、金曜だねぇ。

彼の部下では、エリーやゼクさんが残業していた。
あぁ、ゼクさんね…。
今のゼクさんの状況なら、
確かに残業してると、気づけたはず。
それに気づけないほど、彼は混乱していた、ということだ。

…疲れた。
ふつうに、一生懸命働いて、疲れた1週間だったが、
最後の30分がいちばん、ムダに疲れた。


さて、腹いせもしないで済んだし、
マイティたちの呑み会、合流しに行くか。
彼はデスクへ戻ると、さっさと身支度し、
オフィスを後にした。