じぃ線上のアリャ

2010年2月2日。

いつもより早めに自宅を出た彼は、
乗り継ぎで東横線に乗らず、南北線直通に乗った。
目指すは溜池山王駅。
年に1回の人間ドック。

そして、例年の人間ドック行きよりも、
さらに早く出発していた。
直前の週末の若潮マラソンで、フルマラソンを完走はしたものの、
毎度の練習ゼロぶっつけ本番で、両足の筋繊維がボロボロ。
こういうときは、階段の上りはまだしも、下りが激痛い。

さらに、昨晩オフィスを出た時点で雪が降っていて、
積もり始めていた。
朝、リビングのカーテンを開けたとき、
そこそこ積もってる雪がすでに溶け始めているのは見えたが、
都心がどうなっているかはわからない。
浴槽の縁をまたぐのも痛い両足を片方ずつ持ち上げ、
急いでシャワーを浴びて、出かけて来た。

検診センターへ近い出口から地上へ出た。
路肩にちょっとかたまりが残ってる程度で、
ほとんど雪は消えている。

受付を済ませ、ロッカールームでムームーみたいな着衣に替えて、
検診の待合所へ行った。
彼の所作を見ていた受付嬢は、
階またぎの検査室移動はエレベーターを使ってくださいとか、
車椅子を出しましょうかとか。

ここのセンターは毎年、みんな親切だ。
エレベーターはありがたく使わせていただく、
車椅子は恥ずかしいので遠慮。

例年は血液検査用の採取から始まるはずだと思ったが、
いきなり診察室へ入る導線になっていた。
こんなのあったっけ?

問診。
いや健康だし、相談するようなことはない。
強いて挙げれば、マラソンのタイムが遅いことかな。
いきなり、着衣をめくってお腹を出してください、
ということになった。
心音かな…。
いや、それなら立たせないよな。

違った。
看護婦さんがメジャーを持っていた。
胴回りを測るらしい。

なるほど、彼は思い出した。
昨年、正確には2008年暮れ、が前回の検診だが、
たしかこれで、オーバー80cmだった気がする。
80cm超えだとメタボ予備軍なんだっけ、
彼は83cmとかそれくらいだった。
それで、久しぶりでシーズン4をやろうぜと、
diet24のレギュラーたちと話し始めたんだったわ。

測ってもらった。
78cm、メタボ予備軍脱出。
そうだね、彼自身、マラソン明けだからというわけではなく、
だいぶスッキリしたと思うわ。

昨冬は、腹がジャマで立った姿勢から
スキーのビンディングに指がかからず、
ふぅふぅ言って板をはめていた。
今年は、そうとう可動域が広い。

エレベーターで他の階へ移り、
こんどこそ血液採取のコーナーへ。
試験管に3本分、抜かれた。
その後、聴力、視力、血圧。

視力はときどき右眼が1.2になるが、
今年は両眼とも1.5以上に復活。
画面を見る仕事なのに、どうなってるんだか。
でも、眼(視力)だけは、
この先に老いても悪くなってほしくないな、と彼は思う。

彼の思考の成分の大半は、
視界からの情報でまかなわれている気がする。
記憶も、.txtや.datみたいなものではなく、.jpgだ。
人が言ったことより、見たものを記憶している。
会ったことがある人と、どこでいつ会ったのかは、
その記憶の画像の背景に何があるかで思い出す。
文字列も、画像の中の看板みたいな感じで、包括的に覚える。

血圧の後で立たされて、身長計へ。
ここの身長計は、乗ると体重も同時に測ってくれる。
66kg台。
いい感じだ。

 「●●さん、すっごい痩せましたね」
「へ?」

そんなことを言うとは、まさかの知り合いか?と思い、
彼は振り返った。
知り合いではない、キレイではあるが。

 「去年と比べて」
「あ、どうも…」

看護婦さんが持ってるファイルには、
去年のデータが載ってるというのか。
じゃっかん、恥ずかしいな。

眼圧、心電図などを済ませて、その検査室を出るときがきた。

 「では●●さん、次は超音波になります」
「はい」
 「この廊下の、奥の方で呼ばれますので、
   いちばん向こうのシートで座ってると、
    呼ばれたときに近いです」
「あぁ、ありがとうございます」

付き添ってくれていた看護婦さんが、
彼が足を引きずっているのを配慮して、
そう言ってくれてるのがわかった。
すばらしいな、ここは。

廊下の両サイドに並んだベンチシートのいちばん奥まで行き、
左側の端に空きがあったので、座っていた。
周りには、かなりの数の、超音波検査を待ってるらしい人が、
並んで座っている。

(この後は、レントゲンとバリウムくらいだったかな…)

今朝からのメニューと昨年までの経験を重ねて、
そんなことを考えていた彼の、廊下の向かい側のドアが開いた。

  「◇◇さーん、………、
    はい、こちらへどうぞー」

超音波検査室から出てきた看護婦さんが、
むちゃくちゃキレイだった。
いや、医師なのかな…。
この作業を担当する人の資格が看護婦なのか医師なのか、
よくわからんが、それはこの際どうでもいい。
とにかく、キレイな人だった。

しばらく経って。
その隣のドアが開いた。

   「△△さーん、どうぞー」

こりゃまた、キレイだ…。
いや、キレイだからって、これからこの個室群でやる作業が、
彼にとって別にエキサイティングになるわけでも、
スペシャルなわけでもないのだが。

ほかにもドアがある。
他の人は、どんなんだろう…?

と気にしていたそのドアから、
検査を受けていた人がムームーの裾を整えながら出てきて、
続けてキレイな看護婦さんが、次の被験者を呼びに出てきた。
そうだよな、この、呼びに出てくる人が、
実際に検査してくれる人だよな。

お腹をめくり、ゼリーが付いたセンサーをお腹にあてられ、
グリグリされながら、ときどき記録される。
それだけだ、別にエモーショナルなことも、
ファンタスティックなことも、何も起きない。
しかし、どうせやってもらうなら、キレイな方がいい。
これがサガってものだ。

4つめのドアが開いた、これもかなりキレイな人だった。
どんだけ、ここのセクションに、キレイな人を並べてんだよ。

しばらく間があき、次に開いたのは、
彼がシートに座って最初に開いたドアだった。
その次は、2番目のドアの人。
そろそろ、彼の番が回って来るだろう。

んー、このカルテット、どこでもいいなぁ。
いったいこのダンジョンのどのドアの中で、
彼は、アンナコトやコンナコトをされるんだろう。
されないけど、されないけど…。

カチャッ。

    「えー、●●さん、●●さーん」
「なっ……」

彼のシートのすぐ左わき。
5番目のドア。
初老の男性。

なんでゃーーーーっ!



「……、はい」

やっぱり、立ち上がらないと、ダメですよね?
今さら変わらないですよね?
両足の故障のせいではなく実際、腰が重い彼ではあった。

いやぁ、ここのドアだけ、間隔空きすぎだろう。
まさか5番手があるとは。

そして、ここだけ余りにも、余りにも、
他の4人と違い過ぎだろう。
期待するようなことではないのだが、それにしても、
まさか、じぃさまとは…。
あの美人カルテットがパーマンなら、
あなたバードマンですよ……。

ベッドに横たわり、ムームーをめくり、
ゼリーを盛られ、センサーがうごめいた。
きっと、どの個室に入ったとて、
この作業は何ら変わらないだろう。
それは、わかってる。

しかし…。
あえて言おう、カスであると。
彼のテンションの落差だけは、圧倒的じゃないか。

志集DarkSide

2010年
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