Double Decade from "123"

1985年8月12日。

当時中学1年の彼はチャリ通学だった。
正門から、汐入川の手前を城山の方角へ曲がったところに、
『中村屋パン店』の支店があり、彼ら“二中”の生徒は、
だいたいそこで買い食いをしていた。

部活が終わり、『中パン』で、ホテルパンに包丁を入れ、
ピーナッツクリームを塗ったくってもらう“いつものやつ”を、
おやっさんに作ってもらうと、かたいそいつをかじりながら、
チャリンコを徒歩通学の同級生の速度に合わせてふらふらと、
家路をたどっていた。

当時、彼の実家の周辺は、
だいたい田園か荒れ地ばかりで、住宅は少なかった。
確率的に、街中に住む友人が多いわけで、
彼と近所の同級生はほとんどいない。
通学路の中ほどで、彼は友人と別れて1人になり、
ペダルを漕ぐスピードも自然に上がる。

その夕方は、黄金色の世界だった。
彼の実家からほど近い小山に建つ、戦国城郭を模した博物館も、
見上げれば夕陽に染まっていた。
彼は、この時間帯のこの風景が好きだった。

城の下を過ぎると、実家までの間はひたすら田んぼ。
ふとチャリを止めて、サドルに腰掛けたまま、
彼は北の空を振り返ってしばらく見上げていた。

羽田発の関西以西行き国内便は、
米軍、自衛隊との航空管制区の都合で、
離陸後、迂回するように南下してきて、
この館山上空でようやく西へ針路を取ることを、
彼は幼い頃に父親から教わり、知っていた。

北西の方角、城山の上の方で、
夕陽を反射させてキラキラ光る機体から、
ヒコーキ雲が吐き出されている。
彼はそれを見つけ、しばらく追いかけていた。

「……」

あまりにもキレイだったので、
またその夜繰り返し受けたインパクトもあって、
今でも彼の脳裏に焼きついている。

オレンジだった世界は、急激に紫に、黒になろうとする。
ふと我に返り、残りわずかとなった家路を急いだ。

着くなり2階の自室にカバンを投げ込み、
夕飯に降りてきた彼は、テレビに視線を移した。
ついているのは、だいたいお決まりの「スーパータイム」。
幸田シャーミンと、隣は確か、逸見さんだったと思う。

その幸田シャーミンが、ニュースを読んでいた。

 「それではここで、
   離陸後の航空機の航跡をたどります、●●さん?」
  「はい、……6時12分に羽田空港を離陸した同機は、
    推定では6時20分頃、千葉県館山市沖で西へ針路を…」
「ッ!?」

彼は思わず箸をとめ、テレビがあるリビングへ移り、
画面に釘付けになった。
アラートをあげた後、消息を絶ち、失踪している模様。
ほんの30分ほど前の話だ。
30分前って…。
あのヒコーキ雲のやつなんじゃないの?

過密なダイヤと、自衛隊、米軍、成田系と
細かく区別されて狭められた航空ルートのこと、
同一エリアを何機も飛ぶ時間帯があることは、
彼も理解している。
しかし、部活が終わって学校を出た時刻、
『中パン』にいた時刻、今家でこのニュースを見てる時刻…。
それらいくつかのタイミングを測ってみて、
“アレ”が“それ”だった可能性は、否定できない。
なんてことだ…。

それから一晩じゅう、いやそれ以上、
彼はテレビに釘付けになっていた。
航跡の解明と御巣鷹の炎帯の発見、
乗客名簿にあった、幼い頃の彼も好きだった「大島九」の名、
生存者の少女の救出、500人を超える乗客の…。
絶望的なニュースだった。



その年が暮れ、明けてすぐの、
スペースシャトル「チャレンジャー」爆発事故の、
大爆煙を巻くように宙を泳ぐ、2本の補助ロケット。

高校に入って、
甲府の寮の食堂で仲間たちと見届けた、
バグダッドの空を飛び交う対空砲火の映像。

現職に転職してきて間もない日、
ネットの写真ニュースをめくり続け、
WTCへ衝突する寸前のジャンボ機の、
ビルの寸法と機体のサイズのギャップ感に、
容易には現実のものと受容できなかった、
9.11.同時テロ。

それらの、全世界が悲しくも共有するインパクトと並んで、
彼の個人的な脳裏には、
これから数十分後に墜落するとは思えない、
美しい夕空に伸びた、123便の悲しいヒコーキ雲が焼きつく。

小さい頃、飛行機に乗るのは大好きだったのに、
あれを境に苦手になり、それでも乗らなければいけない時、
特に地上が近くに見えてしまう離着陸には、
大きなプレッシャーを感じるようになってしまった。
バンジージャンプやパラグライダーなんて、もってのほかだ。



2005年8月12日。

煙立ち込める残骸から救出され、
看護婦を目指すと言っていた少女も、
今はもう働いているのだろうし、
彼と同い年のはずの坂本九の娘は今年、御巣鷹に登り、
あの事故と向かい合う決心をしたらしい。

幾多のアクシデントを経ても、
スペースシャトルは地球をぐるぐる回って帰って来た。
こうして、人々は未来へ向かってチャレンジしていく。

ついでに、アラビアの街に独裁者の像はもうない。

あれから20年が過ぎた。

まだ彼は、夕暮れの空を見上げながら、
東京の片隅で、地面を這いつくばるように蠢いて、
しょーもない浮世を生きている。