三つ子の魂 百まで

2004年10月20日。

午前休を取った彼は、
土砂降りの中、車で田園調布署に向かった。
中原街道から環八へ左折したところの、
高架下の駐車場に車を入れ、
警察署の裏にある、免許更新センターに入った。

天気が悪い朝で、頭がむちゃくちゃ痛い。
ホントは出かけたくもないし会社も休みたい。
でも、仕事が忙しいところだし、
そんな中、半休を捻出しているので、
とっとと更新してオフィスに向かわなければならない。

書類を書いて、受付に免許と書類、案内状を出し、
しばらく待っていると、係員から声をかけられた。

 「この手続きは、鮫津になりますねぇ」
「は?」
 「ここだと、受けられないんですよ」
「え、だって案内状に、田園調布署は書いてありますよ?」
 「一般の署は、“ゆうりょう”でね」
「ん?」

“有料”と係員が言ってるのかと、彼は思った。
もともと有料だろ? 追加料金なのか?
金なら払うぞ、鮫津に行くなんてメンドくせぇ。
彼は早くオフィスに行かねばならんのだ。

 「あなたのは、ここに“講習”って書いてあるでしょう、
   この場合は、鮫津とか府中だけになっちゃうんです」
「あぁ、“優良”ね」
 「は?“講習”ですよ?」
「あ、いえ…」

彼は、今日は更新をあきらめて、出勤することにした。



2004年10月22日。

午後、仕事にひと区切りついた彼は、
ふたたび半休を取って、鮫津に向かった。

“講習”。
夏に駐車違反やってるし、
秋には、バーベキューの帰りに、川沿いの、
信号の意味と対象がわかりにくい交差点を左折したら、
真後ろにいたパトカーに信号無視で止められた。
自分でやっちまったことだから、しょうがない。
教官の講義とビデオとかで、2時間以上かかるんだろうな…。

手続きをして、彼は案内された2Fの講義室に入っていった。
後ろの方から席が埋まっている中を、彼は歩いた。

どうも空気が異様だ。
違反者の集まりだから、座ってる人はみな、
一様に顔を下に向けている。
羞恥心というかなんというか、
すごいオーラで満たされている。

彼は中ほど、右サイド窓際の席に座った。
手渡された封筒の赤に、教則本が入っている。
講義が始まるまでの間それを読んでいると、
意識しないうちに忘れている、
細かいルールが案外たくさんあり、
気づけばけっこう読みふけっていた。

ふと、彼は顔を上げ、まわりを見回した。
あ、そうなのか。
みんなが下を向いているのは、
どうやら、そういうことだったらしい。

さっき、彼がそれを“羞恥心”ととらえたのは、
彼自身に“講習を受ける身”という羞恥心があるのを、
自分で勝手に感じていただけだったのかもしれない。



教官が入って来た。
空気が変わり、一層静かになった。
教官が話し始めた。

 「えー今日は、先に講義を行い、
   後半はビデオをご覧いただきます。
    講義では、改正された交通法の…」

前の入り口のドアが開き、
係員に促された女性がふたり、入ってきた。
ニヤニヤしながら、最前列の空席に並んで座った。
うちひとりは、それなりの歳になってるはずの、
元アイドルだった。

ずいぶん長いことテレビで見てないなと思ってたら、
プロ野球選手の大物との不倫報道が出たばかり。
あぁ、ここにいるってことは、
自分と同じくらいの誕生日なんだなぁ。
ちゅうか、ここにいるってことは、
彼女も違反歴あんだなぁ…。

ま、どうでもいいんだけど。
非常識そうでアタマ悪そうで、興味ないというか、
どっちかといえばキライなほうだったし。
不倫報道も、“さもありなん”という印象。

後ろから、両サイドから埋まっていた教室で、
最前列に座ったふたりは浮いていた。
ポジションが浮いているからだけではない。
唯一、講義中に私語を繰り返すふたりだったからだ。

ちょっとわからないところを隣の知人に聞く、
とかいうレベルじゃない。
ふと感じた面白い点を伝え、
ふたりでクスクス笑い、会話を続けているのだ。

教官が放置しているのは、
こういう場にはひとりひとりが単独で来てて、
そもそも会話が起こりえない、
その起こりえないことが起こっていて、
対応したことがないから困って黙ってんのかな…、
とすら思える、不思議な光景だった。

やがて休憩時間になった。
多くがサラリーマンで、廊下からベランダに出て、
携帯で仕事の電話をかけたりタバコを吸ったり。
彼もそうしていた。



やがて休憩時間が終わり、彼も自分の席に戻った。
教官が入ってきて、
これから見るビデオの説明をし始めたところで、
またもふたりは遅れて入ってきて、
ニヤニヤしながら座った。
教官は説明を続けた。

 「えー、これからご覧いただくビデオは、
   99年11月に東名道で起きた事故で、
    トラックのドライバーの飲酒運転により、
   追突されたファミリーカーが炎上し、
    幼い娘さんふたりが死亡した、
     痛ましい事故を題材としたものです」

あったな、そういう事故…。
「業務上過失致死傷罪」での判決、
懲役4年が罪に対してあまりにも軽すぎるのだが、
現行法下では上限が低いものにしかならないってことで、
もっと長い刑期(15年以下の懲役)を与えられる
「危険運転致死傷罪」が制定された、
そのきっかけになった、といわれている事故だ。

 「この事故で亡くなった幼い姉妹は、
   長女、●●子ちゃん、3歳…」

教官がそう言ったところで、
芸能人の方が頭を下げてクスっと噴き出し、
隣の女がたしなめつつもつられて笑い出したのは、
教官が口に出した、事故の長女の名前が、
その芸能人と同じ読みだったからのようだ。

彼は瞬間沸騰的に、怒りがこみ上げてきた。
なんちゅうヤツだ。
どういう神経をしてるんだ!?
笑えるような内容の話じゃないはずだ…。

彼がもともとコイツに抱いてた、
“非常識でアタマ悪そう”というイメージは、
芸能人という作り上げられた姿ではなく、
コイツという人格の“地”なんだと、
この瞬間をもって、彼の中で確定した。

こんなヤツだから、不倫もするんだろうし、
報道が出たばかりの現時点において、
こういう無神経な行動を公衆の面前でできるのだ。

彼の経験統計上、不倫する人間はだいたい、
自分の都合や欲求を一方的に考え論じるだけで、
他人の痛みを汲んだり、
事情を慮るような神経は持っていない。
自分の因果には“しょうがない”と甘いわりには、
他人には厳しく攻撃的か、もしくは興味がない。

コイツもご他聞に漏れず、それだ。
間違えた、不倫する“人間”という人格じゃない、
ただの“ヒト科”という動物だ。



ビデオが始まった。
痛すぎる内容だった。
自分が食らった追突のムチウチのことも思い出して、
彼は相当、ブルーになった。
そんな、自分の食らった事故もかわいく思えるほど、
ビデオの悲惨な事故と、悲惨な家族の運命に、
ブルーになった。

そんな中でも、最前列のソイツは、
時おり隣の友人に顔を寄せて話し、笑っていた。
なぜ、この数十分がガマンできないんだ?
関係ない話で時間つぶすなら、免許を返上して、
外に出て思いっきりおしゃべりすればいい。

こういうやつは、懲りないんだろうな。
なんの違反でここに来たか知らないが、
そのうち、コイツは事故でも起こすんじゃねぇか。
まぁ、勝手に堕ちていくがいい。



講習が終わった。
受けていた人の波は、
更新免許を渡されるという部屋に流れ出した。
彼も、廊下に出たところで、
付き添いで来たマネージャっぽい女性と、
談笑しているソイツらの横を抜けて、
免許交付の部屋に向かった。

シートの前から2列目に座って待っていると、
ソイツが、マネージャっぽい女性ともども、
3人で入ってきて、彼のすぐ前に座った。

後ろから見ていると、頭が小さい。
八頭身って言われる人のサイズって、
こんなもんなんだろうけど。
コイツも、頭が小さいから、芸能人になった。
そして頭が小さいから、脳ミソが著しく足りない。
そうとしか、彼には思いようがなかった。

鼻の穴も小さい。
だから、
酸素吸入量が少ない、
血中の酸素濃度が少ない、
脳に酸素がいかない、
よって脳が成長せず、頭が小さいし、
慢性的な酸素不足で、
集中力が足りない、持続力もない。
勝手に、そんなアルゴリズムまで想像していた。



免許を受け取った彼は、次の更新の時には、
ゴールドを受け取れるようにしたいと思いながら、
センターの外へ出てきた。
ソイツらも似たようなタイミングで出てきた。
どうやら車で来ているらしい、
ソイツらは駐車場のセルシオへ歩いていった。

彼は午後休だが、オフィスへ戻るつもりで、
通りの反対側に渡り、タクシーを拾った。
走り始めたタクシーの横を、
センターから出てきたセルシオが、
猛スピードで追い越し、かっ飛んでいった。

あのセルシオを運転してはいないだろうが、
今後、ヤツが運転した車には、
公道上では出くわしたくない。
というか、あんなクソ喰らえな“動物”に、
二度と出会いたくはない。
心配しなくても、出会うことはないだろうが。

そんなことを考えつつ、
彼はタクシーでオフィスを目指した。



2005年5月。

彼は、鮫津で出くわしたヤツが、
不倫の末に相手のプロ野球選手と結婚、
前月に出産したというニュースを見た。

ん…?。
ということは、鮫津で見たときには、
すでに自分の妊娠に気づいてたってことか?
それで、子供たちが死んだというビデオを見て、
笑ってられたのか…。

記事をよく読めば、
予定日より2か月ほど早い出産だったらしい。
ちゅうことは、妊娠に気づいたのは、
計算上では鮫津の後になる。
まだ少しは救われた気が、勝手にしたが…。

自分の妊娠に気づいたとき、
あの事故のビデオのこと、浮かんできただろうか。
なんか、感じただろうか。
感じないだろうな。
まぁ、ヤツがどうでも、関係ないが。
そういうヤツが母親になる子供は、…哀れだ。

“三つ子の魂、百まで”という。
あのバカ女は、きっと死ぬまであのままだ。
そういう親に教育を受けて、
(…正確には、道徳、倫理を教わらないで)
育ってしまった子供が、やがて親になったとき、
自分の子供に教えられることがない。
いつの日か、そんなことになるのが、哀れだ。

そして…。



2005年9月。

とある休日の夕方。
彼は自宅のテレビで、民主党党首選の速報の後、
流れてきたニュースに思わず見入った。

 「きのう、午後6時半ごろ、
   東京世田谷区の交差点で、
    タレントの●●●●●さんが運転する車が、
     30歳代の男性が運転する乗用車と、
      出会い頭に衝突しました。
   この事故で、男性の乗用車が横転し、
    乗っていた3人がケガをして病院に運ばれました。
   ●●さんに、ケガはありませんでした」

まぁじですか。
ふぅむ…。
やっぱり、やっちゃいましたか…。

その後、ネットのニュースを見ていると、
横転した相手方の車の情報には誤差があり、
男性は40歳代と書かれたり、
ケガは4人と書かれたりしているが、
いずれにせよ相手方の車の家族は、
夫婦と、その子供ふたりの計4人らしい。

東名道の飲酒事故で死亡した子供たちの家族と、
まるで同じ家族構成だ。

なんの因果か…。
彼は恐ろしくなった。



ついでに、事故が起こったあたりは、
ヤツの自宅が近いと書かれていた。
まじで?
ウチからもけっこう近いなぁ。

ヤツは“高級四駆”に乗ってたとも、書かれている。
むむ、まじで?
わざわざ“高級”がついてる四駆って…。
もしかして?

彼は、現ダンナのプロ野球選手の方が、
日本ではほとんどお目にかかれない、
ごっつくデカい高級四駆に乗っているのを、
テレビで見たことがある。

彼が環八、第三京浜、246あたりを走っていると、
同型車とよく進行方向が同じで遭遇することがあり、
(あ、あの選手と同じ型だ)と思いながら、
走ったりすることもけっこう多かった。

そして、ライトの点灯具合が独特で、
いつも彼が出会うのは、複数ではなく、
同一オーナーの車だと思っている。

彼の自宅とヤツの自宅はけっこう近い。
彼がよく見かける高級四駆と同型に、
ヤツは乗ってる可能性がある。
これって…。

ヤツが運転する車と、
しょっちゅう遭遇してたかもじゃん!?

彼は恐ろしくなった。