「面条風塵抄(四)」


 75. 「きょうばて」

三十年ぶりにJR奈良駅と御対面〜。
ある、ある、・・・面影。
 建物にはさらなる風格が・・・、いかんせん、古ぼけてきちゃったなあ、私・・・。

 事前に地図で大安寺の位置は確認してきたのだが、奈良駅の次の駅、桜井
線にある「きょうばて」駅・・・ 次が「おびとけ」駅 ・・・? この親切なひらがな
に、・・・戸惑っていました。

   料金掲示板を見て「京終」と知るや、『そうだったのか!』と膝を叩いて納得。

 ひらがなの浪漫な響き、漢字の簡潔表現に改めて驚く。 『万葉時代、ここは、
平城京の端に位置するところだったんだ・・・』。

   京終駅舎は、無人駅でした。
 駅前は道路がノタリとカーブし、商店もなく、いたってのんびりした現代住宅
が続いていました。

 「おびとけ」は「帯解」でした。奈良の都の優雅なエロチシズムを漢字二つで表
わし、それが今も地名として残っている。なまめかしきは、生き長らえて・・・と、
まあ勝手に想像をめぐらしながら、タクシーを走らせた。

 カタカナの「コドノ」に出くわしました。「神殿」でした。『コ(子)は神だっ
たのか』と想像したり・・・。

 古代からの伝承道具、日本語。漢字、ひらがな、カタカナを混ぜて使い、それで
いて使い勝手のイイ伝達手段は、日本人が生み出した三種の神器かもしれない。

 日本の歴史を「きょうばて」が教えてくれました。


 74.  酒池肉林 

 伝説によると、商の紂王は古代シナ史における暴君でした。

 彼は残酷な刑具”炮(あぶる)烙(やく)”(古代の酷刑:焼いた銅柱の上に体を乗
せる)を作り、まずこの刑具を使うことを反対した役人を見せしめに、殺しました。

 この時以来、彼は、”炮烙”により、火あぶりされる人の泣き叫ぶ声を聞くのが”太
好(ハオ)”になりました。次第に凶暴はエスカレート、不機嫌な時には、生身人間の
腿を切り落とし、その人肉を挽肉に切り刻み、血だらけの蛮行に歓喜するのでした。

 彼の同族兄弟が諌めても、効果はなく、逆に”炮烙”の刑。その後で心臓をえぐり取
られるのでした。

 彼を諌める人はいなくなりました。
 この”炮烙”は、人心を震え上がらせるに、効果てき面でした。

 その後紂王は、七年の歳月と一千数百万の人力を投入し、宮殿を建立しました。高さ
壱千尺、巾は三里の高殿で名を鹿台。さらに華麗な宮室を造り、各地から駿馬と食肉犬、
楽士、歌女小姐をかき集め、享楽しました。

 <史記>の記載によれば、紂王は、池に酒を満たし、樹林に好物の犬肉をはじめ、豚
、鴨、羊、駱駝肉の塊をぶら下げるように命じ、遊興しながら、飲み食いできるいわゆ
る”酒池肉林”を創りました。

 この無道淫乱な暴君は、昼夜を問わず”秘伎之館”を行き来し、お気に入りの歌姫小
姐、宮后美女と戯れる日常でした。

 ある日、紂王は、男組には禁欲を厳命。その一方で、女組には淫乱成就を厳命。
 男女を裸にし、この酒池肉林に放ちました。 さらに楽士隊には、淫乱情緒を醸す”靡
風音曲”を厳命。 ここに悪趣向、色欲競演の”酒池肉林”を演出しました。

 最初のうちは、男女互いに牽制し、自重していましたが、その緊張が次第に異常倒錯の
雰囲気を作り、のまれて興奮、辛抱できなくなった一人の男が酒池から逃げだそうとしま
した。

 しかし、その男を女達は見逃がしませんでした。
 多勢に無勢、もみもまれ、哀れ男は捕獲され”饗宴之餌食”にされました。 まもな
く、一人の歌姫が男に騎乗し、泣き叫ぶ男の腹上で見事”淫行”を成就・・・。

 禁断の罪を侵した男は直ちに”炮烙”の刑。
 歌姫は、宴を盛り上げた功績により、宮殿大奥女へ昇りました。

 後に、人々は”酒池肉林”を”荒淫乱之極”として使っています。 又、低級趣味の
卑猥歌曲を”靡靡之音”と称しています。


 73.本物はうまい 

 ちゃり〜ん と音のする、仕事が手っ取り早いようだが・・・。

 もみもみ、
 フミフミ、
 のばして
 拡げて
 さくさくさく・・・。(包丁で切る音)

 お客は つるつる 。

  「人に喜んでもらえることをする。 手を抜かずにやる。 これが手打ち讃岐うどんの
極意」と伺い、改めて、感動しました。

   そんな店の”うどん”が、『うっめ〜』。だから作る量には”限界”がある。

   嘗て、日本人は貧しくても、名誉と誇り、反対の「恥」を知っていた。
 喜んでもらえることに、労を惜しまない。
 こつこつと努力。これが日本の常識であり、それが蓄積され、 日本人は世界から評価
と尊敬を集めた。田中耕一さんのように。

 バブルを恨み、日本人の誇りを妬む、反日マスコミがのさばり不況となった。
 他国の代理人として悲観を植え付け、それを「恥」と思わず報道してきた来たテロ国支
援マスコミの成果だ。

 修養のない、道徳のない、ゆがんだ教育がもたらした結果、国家理念を持たない、国籍
不明のマスコミが国を愛することを忘れてしまった。

 視聴率優先、「堕落しても平気」で人心の崩壊の最先端に立ってきた愛国心欠如のマス
コミ。

 やらせ、てぬき、ごまかし、口利き、だまし、犯罪、丸投げ、談合、インサイダー、
 借名義・・・  拉致、と同列、それ以上だった。

 おとなしい日本自由言論民主社会に寄生するやっかいな組織と化した擬似偽マスコミ。

 不況の今、だからこそ、本物の讃岐うどんを食おう。 元気出るぞ!

 本物を選択する目と耳、そして舌を養う時。

      

 72. キャッシュなければ拉致拷問

加藤博さん(NGOの北朝鮮難民救援基金事務局長)が中国官憲により拉致拷問された事件
がありました。
 人権無視の取り調べ、拉致拘禁・・・、世間に知られるところとなり、やっと国外強制退
去。

 中国で障害になるのは、こうした傲慢な官憲の態度と”たかり”だ。
 「NGO? ・・・・人のいい、呑気な日本の外務省外廓団体、脅し、ユスれば取れるさ
・・・!」
 「ボランティアのない中国」に日本のボランティア活動は理解されない。
 鴨が葱を背負って中華飯店調理場を散歩してるようなもの。
 さっさと、金(裏金キャッシュ)を握らせば、収まったのだが・・・。

     「 官憲の 一人一人が 毛沢東 」

 賄賂社会である認識が欲しかった。(お金を落とす日本企業、鴨ネギ観光客は大歓迎!)
 この実体を知らないと”不愉快な事件”に巻き込まれる。
   シナ大陸は日本のような民主国家ではない。

 中国の仮想敵国は日本であり、友好国は北朝鮮ですよ。 日中友好は、日本にだけあるこ
とが証明された。

 シナ政府に都合の悪い組織、言論、行動は御法度。・・・律儀な民主国民にとっては恐い国です。
 さもないと因縁をつけ巻き上げる・・・シナの国技だ。

 反日マスコミは、中国政府に口当たりのイイ報道だけを日本に流すように訓練されて来た
ため、近年、甘いささやきだけが聞こえる対中ビジネスだが、存外成功していないのが実態だ。

   これらを熟知していなければシナ大陸での商業活動は危険かつ無謀。日本政府の日本企業
支援?・・・、できるわけないわな。

 日本外務省公館には、邦人保護という任務を忘れている。いずれにしろこの事件の全貌を
調査が必要である。

     「 シナの旅 備え有れば 憂い無し 」⇒「 裏キャッシュ 備えなければ 拉致拷問 」

 こうした面を熟知し、中国の実体=シナ地獄を”ひやり”しながらすり抜け、”まんま”
と生還、 ・・・これがシナの魅力でしょうか。


 71.  「支那そば」食って元気!

 このところ阿波で、"支那そば"がうまいと聞く。
 "うどんの讃岐"にあやかりたい徳島人の商戦と勘ぐりもした。しかし、食文化
が一朝一夕に生まれるわけがない。・・・思いこみは禁物だ。

 可動堰の是非を問い、住民投票で揺れた「第十堰」をブラリ見学した。
 道中、「支那そば」の看板に引き込まれて店に入った。

   チャーシューと呼ばず、ズバリ”豚肉”、中華そばと言わず”支那そば”と呼
ぶところが、新鮮。

    日清戦争後ブームとなった”レトロ風の懐かしい味”にしばらく舌鼓を打ち、
スープをスッカリ飲み干し、店を出た。

   かつては「支那そば」と親しみをもって呼んでいたが、その後耳にしなくなった。
 支那(china)人を中国人と呼ぶようになってからのような気がする。

 律儀な日本人は大東亜戦後この呼称"支那"の使用に、(特にマスコミは)腫れ
物に触るかのごとくほとんど使っていない。

 ところが先日、来日の友人(中国政府外交部高官)に聞くと「没有問題(一向
に差し支えない)! 太鼓判を押します。」と明快な日本語で回答をもらった。

 今、四国徳島から"支那"が復活している。変なマインドコントロールから開放
され、阿波踊りに、”支那そば”が加わり、自慢が又一つ増えた。

 支那そば食って、元気が出てきた。


 70.  おもいこみ(過慮)

 「はい!、いわこし」。・・・何十年ぶりだろう。
 「岩おこし」だった。
ショウガの香りがして・・・なるほど、ヤヤ、硬め。
 

 慎重に、両手でプチンと割ると、『うわお・・』切り目できれいに割れた。・・・

   大吉を引き当てた感じ。

 と、同時に、切れ目に背いて斜めに折れて、按分に割れなかった「あわこし」を思
い出した。
  湿気て、指にベタツク、・・・それでも結構、うまかったな〜。

 大阪城、奈良の大仏・・関西修学旅行の定番おみやげ、それが「あわこし」だった

 その”証し”として近所におみやげを配るのが、ならわしだった。貧しいけれど、
輝く地域のコミュニケーションだったな。

 その「あわおこし」、これは「阿波お興し」だと思い込んでいた。
 関西在住の徳島(阿波)県人が、ふるさとを誇る菓子として商標登録、修学旅行用
に開発され、コストパフォーマンスに優れた大阪名物と思っていたのだが・・・。

 が、そうでないのに、気がついた。 (包み紙をなにげなく見た。)

 大阪名物
 岩おこし、
 しょうが入り

  標録 総本店 大阪あみだ池 大黒製

  福の花
  粟おこし
  株式会社 大黒

 大阪市西区北堀江  電話番号08−6541ー1854(いわおこし)

 「粟おこし」だったとは・・・!。子供の時の素直で素朴な思い込みがまた一つ、
「岩」によって「泡」と消えちゃった。


 69. 辣(ラー・炎ゆる唐辛子)の女

春秋時代、シナ越国に美しい娘がいました。その名は西施(xi1・shi1、シー・シー)。
苧夢山(現在浙江諸曁県南)のふもとで生まれました。

   <西施悲情>、<呉絶書>等に西施に関する伝説が記されています。
   人里はなれた山道で娘(西施)と男は偶然出会いました。
 男は『来了、福天下降! 開始口巴(いただきま〜す)』と、交合。

 あまりに美しすぎるのでそのまま拉致監禁。さらに”具合がいい”のをイイ事に、連日
連夜、弄ぶうちに、やがて、男は女の虜(とりこ)になりました。
 最初はいやがっていた西施もだんだん”其の味”を覚えてきました。

 男は日ごとに美しく、磨きがかかる西施の姿と、”歓喜の声”を耳にすると、手放す事
ができなくなり、情事は日毎に深く、激しくなるばかりでした。

 この二人の昼夜における、飽きることない、濃密な”まぐわい”はまもなく越王の耳に
入りました。

   「苦るしゅうない、近こう・・・もそっと、もそっと、近こう!」
越王はこの両名に”伽の館”と黄金を与え、条件として男に西施を、”性技を極めた「
魔性の女」に仕立てること”を命じました。
 男は訊ねました。
 「魔性の女・・・?」
 「・・・常に発情し・・・、男が交尾をそそられる女(をなご)・・・・、辣(ラー
・炎ゆる唐辛子)の女じゃょ!」

 やがて、完成・・・。
 ・・・ 一見素雅(シック)、じっくり磨きぬかれ洗練された”魔性の西施”が色香を
漂わせて表敬しました。
 越王は、そそられ、”炎ゆる魔性”を”検証”したくなりました。

 まず男を始末。 逆上し、嫌がる”西施”に、いきり立つ”己のがモノ”を掴み、無
理強い、・・・挿入。

   越王は魔性に変じた西施の卑猥な陰部を薬指の腹で弄びながら、滑(ヌメ)り、底光
りしているであろう子宮奥深くに・・・ブスリ。
 引き攣り、顰う西施の顔が一層王の欲情をそそりました。

 あえぎ苦しむ表情に潜む、獰猛な膣の脈動が、みなぎる男勢自芯の硬度を増し、国士
無双。情気活塞(※1)は、煮えたぎる沸騰点を一気に通過し、鍋蓋はあふれる汁を吹
きこぼしながら、強弱大小緩急織り交ぜた脈動を繰り返す・・・。
   越王はここに”凄む魔性”を認知しました。
 そして、不連続で・・・ヒステリックな痙膣攣が引き金となり、王は一気に噴射、至情
のクライマックス(高潮・重頭戯)を堪能。
 西施は、”まぐわい”を超越した・・・”魔性の恍惚”を越王に献上しました。

(美しいものには棘がある・・・。彼は、恍惚の深みにコレ以上はまらない”覇道(けじ
め)”を持っていました。)

 その後、越王は、呉王に西施を引き合わせました。

 呉王は案の定、欲情を抑えきれず、その場で越王に”おねだり”。
 越王は、しぶりながらも、じらし、じらし・・・。
 フト、呉王の下半身を見ると、異常に隆起。 ここに、勝利を確信し、かねての策謀通
り、呉王に”辣(ラー・炎ゆる唐辛子)の女”を進呈したのです。

 その日から、呉王の生活は狂いました。絶倫王としての自負から、呉王は政務を忘れ性
務に励む毎日。
 ”まぐわい”は・・”魔性の恍惚”を、今度は呉王に与え、連夜の伽・・・。泣き叫ぶ
西施の声が宮殿に響きわたるのでした。

 呉国滅亡に燃える西施は、仕込まれた雌伎を披露、

 ”私は女(をなご)・・・炎ゆる刹那、・・・刹那、炎ゆる間が命”

 と念じ、さらなる顰(※2)が情汗を生み、これが呉王の欲情を増すのでした。

 獣秘儀吸飲と、されるがままに情液を吸い尽くす西施の姿態は、まさに魔性・・・。
 自ら脚首を持ち開脚する腿基部の茂みには、貪欲な魔性が巣食う淫乱唐辛子が葛籠(つ
づら)なり。
 呉王は虚脱の日常から、正気に抜け出すことは、もう出来ませんでした。
 (呉王の精魂は、全て西施に吸い取られ、甲骨の廃人になりました。)

   暫くして「越」は「呉」を難なく平定、西施は越国のために貢献しました。
 この時より、西施の美貌は語り継がれました。

 二千余年来、シナ人は西施を典型的美人の代表として、また嫉妬を込めて「性伎女郎」、
「魔性国傾」とも称しています。

 また「西施効顰」は、娘(小姐)が、”歌女小姐”に成長した証、”姿態名牌”(ナイ
ス・バディ・ブランド)を示すシナの性語です。

  (※1)  活塞:ピストン

  (※2)  顰 :苦痛にあえぎ、眉間に憂いを漂わせる様子。

 

 68.  南無大師遍照金剛  

 香川には”うどん”がある。
 徳島には”阿波踊”がある。
 高知には”酒(土佐鶴、司牡丹、桂月・・・)”・・・がある。

  さて・・・、愛媛にはこれと言って・・・何も無いのか? と思っていたら、”見識”があった。
 この全国に先駆けての”教科書を選ぶ見識”は次第に広がりつつある。

  昨年夏、愛媛県立養護学校において扶桑社版の歴史教科書を採択した。今夏、同様に愛媛県
教育委員会は県立中学校の教材に採択した。
 教育に元気を与える教科書として今後、全国への採択が着実に進みそうだ。

 韓国の新聞マスコミは「日本の左翼が嫌がる教科書採択」と報じていたが、北朝鮮による
国家犯罪拉致事件以来、「日本のことは日本で」という論調に変化し始めてきている。

 シンガポールでは一貫して「日本の教科書問題は、日本の国の問題」だ。

 だが中国だけは「正確な歴史観で日本は教育を行っていない」と昔も今も叫び続けて
いる。
 なぜか?
 ・・・抗議しなければ、独裁国家の根幹が揺すぶられ、崩壊するから。
 教育について言えば、(中国共産)党に都合のいい、日本の義務教育と相違する歴史を教えて
いる。 それだけの事。
   どちらが正直で正しいか・・・、一目瞭然だが、それも間もなく歴史が語るだろう。

  ええなあ(香川)、
 ええとこじょ(徳島)、
 まっことエいエい、棄てたもんじゃないぜよ(高知)、
 おいでなもし(愛媛)。

 ”空海の霊気(げんき)”がある。

 南無大師遍照金剛・・・・(合掌)


 67. 「天女無縫」

 唐の時代、牛チアオは神秘伝説を収集するだけでなく、<霊怪録>を書き残しました。
 その中に、一つの怪奇故事があります。

 ある夏の夜のこと。郭翰は庭に横になり、一人で涼んでいました。
 天空からふわりふわり、舞い降りてくるではありませんか。じっと目を凝らすと、
鳥肌立つ、美人でした。 その仙女は、ヒラり瀟洒に着地しました。

 地上に下りた仙女は一段と輝きを増し、まばゆいばかり。なまめかしく、さらには
神々しくありました。
 郭翰は驚くと同時に感極まり、密かにこの仙女と交合したい欲望にかられました。
 そこで、声をかけました。
 果せるかな、素雅でしなやかな物腰で仙女は応えてくれました。彼女は天上の織仙女でした。

 次に郭翰は織女の衣裳を・・・剥ぎ取ろうと、細かに観察をしたところ、こんな美し
い衣裳をかつて見たことも無く、どのようにこれをつくるのか、知る由もありません。
 もっとも不思議なのはこの衣裳には、一筋の縫い目も見当たりませんでした。

   そこで、思わず尋ねました。「これはどのように裁断し、そしてどのように縫い上げ
たのでしょうか。」 と言いながら郭翰は、近づいて行きました。

 「これは、天衣ですえ、・・・布を裁断し、その後、針で縫う・・・さような衣裳で
はありませぬ・・・。 天衣は・・・無縫の衣ですえ・・・。」

 と天女が言い終わるや、「(あ)っ!」
 その天衣を、郭翰は引き裂きました。
「ごっ、ご無体な、・・・」
 まばゆいばかりの裸身が彼の前に現われ、崩れ落ちました。
 細すぎるその体は、一瞬にして彼に組み伏せられました。
 彼の'男の一物’は、隠蔽された卑猥な洞穴を難なく探り当て、侵入し天女と一身同
体となり、爆発炎上しました。

 郭翰は、欲望をむさぼりました。

 数時間が経過したでしょうか。
 郭翰は天女に胤を植え付け、同衾したことに満足し、誇らしげでした。

 だが、天女は身づくろいをするや、再び元のままの姿に変身しました。

「私は天女、天女は・・・無縫(性器無し)。」と言い残し、ふわり
舞い上がって天上に旅立ちました。

 この故事から”天女無縫”という成語が生まれました。

 奔放な行為の後、あたかも何事も無かったかのごとく・・・てきぱきと。
 そして美しく、しなやかに・・・、一点のホコロビも余韻も残すことなく、そして自
然に回帰、元のまま。

 跡形を残さない、性技として使われるシナの性語です。(面条風塵抄E-Magazineより)


 66. 「仏教語」

 「意地」で”やりとげる”よりも、無理せず、好きなことに打ち込む。そして社会
へ貢献「意識」を持って取り組むことができれば幸せです。

 「四苦八苦」し,たとえ「我慢」してでも人生、「有頂天」になっている時、なんと
も「機嫌」がいいもの。

 嫌な仕事に「愚痴」をこぼし「金輪際」したくないと思う仕事を退職まで努める「
我慢」は身体によくありません。

 時が来れば、退職の「挨拶」が待っている。
 退き屈し、蟄居・・・これが「退屈」のはじまり。

 生涯「愛」着が持てる仕事をしたいな。
 その「愛」だけど、喉の渇きだったとは、知らなかったな・・・・。

 上記「 」は、全て仏教語。

   車谷長吉さんの小説「金輪際」に記されていた「仏教語」を並び替えて、使わせてい
ただきました。

   

 65. 南 京(四)

 七十九歳、長老パワーが炸裂した。

 小平の外交顧問を務めた、李慎之・元社会科学院副院長が、今年三月に南京(江
蘇省)で講演を行い、江沢民国家主席に、国内の民主化を求めた。政治改革と民主化
を求める代表者がいた。

 李氏はその中で、「民族の利益を外交政策の唯一の決定要因にしなければならない
。それは国家が十分に民主化されてこそ可能になる」と明言。「江主席が中心となっ
ている時期にこの重大かつ巨大な任務を達成すれば、中国外交が第三の時代―江沢民
時代に入ったと言うことができる」、「革命第三世代指導者の歴史的任務は民主化の
はずだ」と強調した。(読売com.8/22より)

 この民主化要請発言は、北京ではなく、江沢民主席出身の上海でもなかった。少な
くとも民衆の支持が得られる都、臨時政府発祥の地、孫文の選んだ民主化の砦、南京
であることに納得が行く。

 歴史ある南京は両極端な都だ。 連日連夜、共産主義による祖国の建国の正当性を
褒め称え、軍国主義日本と対比。
政権側の度重なる言論・思想統制がテレビでコマーシャルの如く報道する。南京市
民もいいかげんにウンザリする、と思うくらい・・・。

 表面上、左思想に頑なな、南京に見える。だが歴史の変遷とともに思想の柔軟性を
南京市民は備えてきたようだ。

 逆から見れば、自由民主思想が蔓延する事を押さえるために、政府が南京に、敢え
て、各種各様のマインドコントロールに勤しみ警戒していることから窺える。
 特に南京人に政治改革と民主化を求める声が強いからだと確信している。


 64. 南 京(三)

 南京飯店で四年ぶりにH女士と再会。
 日本研修当時のような厳しい表情が引っ込んでいた。
 にぎやかな、ショー付きレストランは,彼女の希望だった。

   額に汗を出し演じる奇術が始まった。
 大柄、小太りの芸人、なんとも、ユーモラス。

 次は対照的、 ロシア人一団によるアクロバットだった。
 「南京まで出稼ぎに来るのですね」肌の白さが目にまぶしい。ヨーロッパの国であ
ることを思い出させる。

「今、中国は発展しています。でも犯罪も増加、風紀も乱れてきました。・・・・日
本はイイですね・・・。満員電車に乗っても、秩序が保たれ、静かで、礼儀正しい。
お互いが譲り合う、謙譲の国ですね。」

 左右からダンサーが踊り出た・・・。

「私、・・・信じられなくなりました。中国の資料が・・・。党の言ってることが。
 勿論資料はありますよ。でも種類がありません。それは・・・全て党に都合のイイ
資料ばかり・・・。帰国してから気づいたことです。 日本では沢山の種類の言論が
あり、人によりその評価は違います。資料も沢山あります。そして保存されています
。どれが真実で、どちらか偽か? 自分で選択します。」

   激しい動き、バンドの音がけたたましくなってきた。

「・・・今も六・四天安門事件、沢山資料集め読んでいます。日本で得た資料、中国
の資料、どちらが正しいのか、やっと判断できるようになりました。 しかし、この
南京で、自分の意見を述べる事は出来ません。真実を知り、行動する事は危険と裏表
・・・。 中国で文章を書く事は命懸けです。日本はいいなあ。
私に・・・できることと言えば、留学生、研修生をどんどん海外に送り出し、理解で
きる同志を増やす事です。他国の制度、思想、機構、技術、文化を勉強する青年を海外
へ送り出す事です。これが国のためになる・・・!、やっと判ってきました。・・ 日本
語が今、南京だけでなく中国全土で静かにブームです。これからは日本語でメール下
さい。」

 喝采と大きな拍手・・・。

 次は相声(中国漫才)だ。
 女士がこの店を選んだ理由がわかった。


 63.四国霊場第十七番札所井戸寺

 のどかな田園地帯に,朱塗りの堂々とした仁王門。  蜂須賀公の”別邸の門”だっ
た。寄進され、四国霊場第十七番札所井戸寺の入口になっている。質実剛健の二体の
仁王様と五メートルもある大草履が出迎えてくれた。

門をくぐると正面に鉄筋コンクリート造の本堂。そして八間堂、大師堂、護摩堂、
白亜の六角宝蔵型大悲殿、鐘楼。 そして二条城のような納経所と、宝物殿のような
宴会式場(失礼)。 あらゆるスピリット(霊場)パーツを全て備えたお寺。

 かつてこの地の水は濁り、人々は飲み水に困っていました。弘仁6年(815)、弘法
大師はこの事を聞き、錫杖で水脈を当て、一夜のうちに井戸を掘ったそうな。途端
に、澄んだ水がこんこんと湧き出て来ました。 ついでに大師は自身の姿を井戸に映
し、石像を刻まれたということです。 だからでしょう、この井戸を覗き込んで自分
の姿が映れば,無病息災の美男美女とになると、なんとも都合の好い御利益の伝えが
残っています。

     寺の由来となった井戸(井戸寺日限大師堂)は、寺内中央にありました。

 青石で囲われ、こじんまりと造られていました。 一度飛びこんだら二度と這い上
がれそうもない、江戸城大奥の深井戸を想像していたのだが・・・。 なんの事はな
い、覗きこむと、見なれた顔つきの人物が現れた ・・・ まさに井戸鏡。
 ビックリ仰天、祈願する事をわすれました。イソップ寓話の犬になった心境でした。

その井戸から涌き出る御利益水は、一杯百円で発売されていました。

 ありがたがっていいのか、腹立たしさをこらえているのか、珍妙な顔つきで、白い
ポリ容器を眺め、戸惑う白装束の参拝者が後を絶たない。

  『惑うなかれ!』・・・、おだいっさんの声が背後から聞こえたようで
した。

 

 62.土里土気の国

何かにつけ、日本に難クセを浴びせるシナ、朝鮮族。 そうする事が、国益となる
からだろう。だがこうした陰湿に、日本国民はもうウンザリ。最近では嫌悪感が生ま
れてきた。

   逆に、マレーシア、インドネシア、フィリピン、シンガポールをはじめ、トルコ、
ベトナム、インド、台湾と対日友好の国が、台頭し強い味方となり、頼りにされてい
る。

 日本のマスコミはこの点を書かない。一種の情報操作をしてきた経緯から、マスコ
ミ自身もう後に引けないから、・・・結果として中韓びいきの、変な習性を持ってし
まった。

     ところでそのシナとハングルの関係は、どうなのか、気になるところだ。中国の琵
琶演奏家(友人)から手紙が来た。国家の親善公演で世界を歩き、今回韓国訪問の感
想を送ってくれた。

 「・・・今韓国にいます。お土産を送ろうと思いましたが、残念な事にありません。
韓国と日本と、いまさら比較するまでもないが。一見、まあまあのようだが、実質
上はだめ。あらゆる製品の品質は日本製と比べると粗雑。日常生活において牛肉と魚
は、まだ高いようだ。・・・・韓国人は「信用」を軽んじ、時間を守らない。我々中
国演奏団一同は、この点からこの国家を好きではない。だからでしょうか、今回外国
人旅行者をあまり見かけません。日本人を含めて・・・。この国は面白くなく、セン
スも悪い。ホテルでハブラシ、ハミガキも有ったりなかったり。キッチリ供えていな
い。売店で買う始末だった。ホテルの服務員サービスは普通、でも中国のサービスよ
り劣る。韓国の五星ホテルは中国の三星ホテルと同じだ。韓国の若者は暇でぶらぶら
し、服装は土里土気(田舎くさい)。中年、老年は個性がない。ま、こんなとこでし
ょうか。」

 「・・・我々演奏家というのは、繊細で大胆で且つ厳格です。さらに真の印象を話
します。あなた方日本人は人(外国人)に対して不満があっても口に出さない。こう
した感覚、気持ちはわからないでもない。だが今後、私に対して意見がある場合は、
率直に話してほしい。こうしたことが私は好きで、嬉しいのです。・・・・・ 再見
! 」

    耳が痛い・・・。


 61. 住民基本台帳ネット

 六つの個人情報を行政機関でやりとりする住民基本台帳ネットが動き始めた。確か
に初動のミス、苦情もあった。
「住民票コードの番号が透けて見える」とか、
「よその家に配達された」・・・とか。
 マスコミの予想はハズレ、先ずは順調!、ネット時代に向けて、行政事務合理化の
第一歩となった。

 今後、住民票取得等の各種行政手続きが、インターネットを利用して家庭のパソコ
ンから可能になる。利便性は大だ。 ここの説明が足りなかったということだ。

 明かされるのは必要最低限の個人の情報、個人の住所、氏名等、何ら恐れる事はな
い。誇れる日本人の”十一桁の証し”だ。この番号を持たないのは、抗日本人と外国
人だ。
 今後、不良外人犯罪の摘発とその防止に役立つ。

   過剰に情報漏洩を煽るのは反日マスコミの常。それに脅され、驚かされ、踊らされ、
・・・それがこのところの仕事になってしまった。

   視聴率を上げるためには、政府と反対の視点で、仰々しく報道キャンペーンを組ま
なければならない。この偏狭性を備えた”マスコミの宿命”に国民は撒きこまれては
ならない。
 日本政府と責任のないマスコミのどちらの言い分が正しいか、正しくないか。過剰
な煽りはどちらか、見抜く常識判断が要求される。声高に叫ぶのは、せいぜい反日市
民グループだ。

 そのありがたさが時とともにわかりかけて来たのだろう、・・・騒がなくなってき
た。  旬が過ぎたのだ。


 60.対中ODAはムダ(要らない)

一昨年のこと。
 抗日戦争が勃発した北京宛平城南に中国人民抗日戦争記念彫塑園が落成した。それ
も八月十五日に。 南京虐殺館、櫨溝橋の抗日戦争記念館と共に中国の三大抗日戦争
記念施設が完成したことになる。

   中国の青少年に、”仮想敵国は日本”と教育する施設だ。これがODA援助をして
日中友好を目指す我国(外務省)の成果だ。

 どうやら日本からの援助は、納税日本人が望む人民との友好施設作りではなく、史
実とは掛け離れた中国独裁政府に都合のよい、援助をせしめるやり方で、反日教育を
植え付けている。
 

 援助したことが仇となり、逆に浮かした金でロシアから軍艦・潜水艦を買い取り軍
備拡張に励んでいるのが実状だ。

 我国の領海に無断で侵犯し、海洋調査と称して軍事活動を推し進めてきた経緯もあ
る。これでは、ますます中国の民主化は遠のいていく。 核戦力を持つ軍事大国中国
へのODAはもう辞める時だ。

タカラブネ福蔵