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コラムのような何か





2004/12/05


こちらには、管理人がやる気のある時にどうでもいい話を載せていきます。不定期ですので、暇があったら適当に読んでみて下さい。また、管理人の生存確認にもご利用いただけます。一ヶ月ほど更新がなければ、重々しい声で「死亡確認」とモニターの前で拝んでみてもよいでしょう。もっとも、かなりあてにならない宣言ではありますが。中国四千年の秘術には、「世界不思議発見」よりも十倍びっくりされられます。

ここは、いわゆるコラムというものです。ゴラムではありません。変な指輪を狙って「わしの愛しいしと」などと微妙な言い間違いをしたり、魚を生で喰いちぎったりはしません。もっとも、私も刺身は大好きですが。それにしても、一体あの哀れな彼はその後どうなったんでしょうか。三部作の最後だけを見ていなかったりすると、こういう悩みを抱えることになります。継続は力なり、ですね。まあ、あの彼の場合は、継続した努力が水の泡になって消えそうな予感がひしひしとするので、別の方面に幸せを見出して欲しいものです。




12/07


一日ぶりで、生存確認おめでとうございます。(拍手) 言い忘れましたが、基本的にSSの執筆に関する話はこちらには載せません。もし載せると、内容がもれなく「執筆が進まないのでゲームに逃げた」とか、「書けども書けども我がSS終わらず、じっと手を見る」とか、そのような類の話ばかりになってしまいます。そんな話は存在するのかもしれない読者の皆様にとっては退屈でしょうし、私自身が書いていて苦痛になってしまいます。誰でも、己の不徳の致すところを再認識させられるのは辛いものですから。

ところで不徳の致すところと言えば、最近こんな不徳が世間で賑わっています。

だいぶ、豪快な横領っぷりです。世には、老後の経済的不安や愛人に貢ぐためにひっそりしこしこと横領する人は多いですが、これほど晴天白日の下に横領する人はなかなかに希少ではありませんか?ある意味で尊敬します。昔まだ中学生ぐらいだった私は、「将来の夢は」と先生に聞かれて、「株で失敗したら損失補填をしてもらったり、役所に口を利いた見返りに利益供与をしてもらえる人になりたい」と答えたことがあります。すると「馬鹿なことを言うな」と、言われなき叱責を浴びせられたので「でも先生、それが大人の特権じゃないですか?」と抗弁したら、またえらく叱られました。なにがいけなかったのでしょうか。中学生はまだそんなことを考えなくていい、ということでしょうか。将来設計はしっかりとやるのが私の信条だったのですが、ちょっと出すぎのおませさんだったということでしょうか。

ちなみに、今でも私は損失補填も利益供与もしてもらえる身分になっていません。子供の頃の夢は、この胸の宝石箱にそっとしまわれたきりです。あとと何年待てば、夢は現実になるのでしょうか。それとも、空の彼方にあると言われる伝説の理想郷にしか存在しないのでしょうか。人は思春期に、時々そんな夢を見ます。




12/09


一体どういうことなのか、これで一日おきに三回目のコラムです。本当は毎日更新しようと思えば可能なのですが、読者の皆様に「こいつは真面目でマメなやつだな」と思われるのが癪なので、あえて一日置いているのです。世間ではそういう考えを天邪鬼とか根性曲がりなどと呼びます。

元来私は、かつて日記というものをまともにつけたためしがなく、すべて三日坊主で終わっております。なぜと聞かれても、継続してつける意欲が湧かないとしか言い様がありません。あえて原因を求めるなら、元々計画を立てることが好きな性分である私にとって、その日一日を振り返ればまるで計画通りに進まなかったという不本意な現実が、日記をつけることによって鮮やかに甦ってくるからではないかと考えられます。計画的で、自分の予期したとおりの人生を歩むことがいかに難しいか、その生きた実例がここに存在するわけですね。

ときに計画と言えば、このような計画性を発揮した方々がおられます。

動機としてはまったくもって本能と熱情の暴走した産物なのですが、その実行段階における高度な計画性と大胆不敵さは、私などのはるかに及ばぬ次元に達していることは論を待ちません。ただ惜しむらくは、よくある若さゆえの過ちとして認識されがちな普遍性をもった行為の延長線上にあり、「だからどうした」の一言で片付けられてしまう、つまり、希少性に乏しいものであるということですね。

しかし、こちらはなかなかの希少性があるかもしれません>

研究者が自分の研究内容を実践したら、逮捕されてしまったというのです。これはどうしたことでしょうか。税関検疫を通過できない外国の寄生虫を自ら飲み込んで日本に持ち帰ったある研究者は、豪の者としてその研究者魂を賞賛されたというのに、この扱いの違いは一体何でしょう?「男と女のラブゲーム」などと、まるで歌謡曲にでも出てきそうな題名の著書は、栄光から転落へと通じる片道切符の道標だったのでしょうか。テロを題材にしたハリウッド映画で、よく脳内お花畑のテロリストが「これはゲームだ」と楽しそうに語る場面がありますが、今回の一件では無敵の主人公が来る前に、定番のやられ役である警官隊がお仕事を済ませてしまいました。なんとも観客の心の機微が分かっていない、無粋なシナリオです。ぜひとも修正を要求したいと思います。

かつてガリレオ=ガリレイは地動説を唱えたがために、異端審問で非難の嵐を浴びました。「それでも地球は動いている」とは偉大な研究者の、偏見に屈しない真実の叫びを余すところなく表した不朽の名言です。もし、私が志半ばで逮捕されてしまったその教授に対して助言できる立場にあるとするならば、法廷でこう釈明するように忠告するつもりです。

「それでもあれはラブゲーム」と。




12/11


もはや、このコラムも四回目となってしまいました。隔日の日記みたいな状態ですが、私は別に几帳面でもマメでもありません。それは、エントロピーが絶対的な支配体制を確立した自室の有様を見れば明らかです。皆様も、部屋はちゃんと片付けましょう。さもないと、大切なDVDをそれと知らずに踏みつけて慟哭する羽目になりますから。

そして全く脈絡のない話で恐縮ですが、人は何かに憧れる生物です。富への憧れ、地位への憧れ、名誉への憧れ、あるいは美しさや冒険への憧れなど。私もまた、憧れるものがあります。その対象は歳月とともに移りゆくものですが、現在ではこういうものに憧れています。

ここで誤解しないでいただきたいのは、「これが欲しい」と言っているのではなく、「こういう体に必要に応じてなりたい」という意味です。説明しますと、私は車で荷物を運ぶバイトをしているのですが、その仕事を続けているうちにどんどん腰の痛みが酷くなってきました。これは重い荷物を運ぶせいもありますが、その荷物の処理の際にいつも腰をかがめているために常に腰に負担がかかり、朝に目が覚めると睡眠は十分なのに、腰痛のために起き上がることが困難な状態にあります。ギックリ腰の神様が、対岸からにこやかに手を振っているのがありありと見えるのです。どうしたものでしょうか。

そこで私は考えました。もしも脚が必要に応じて取り外し可能であれば、腰に負担をかけることなく仕事ができます。もう狭い車内の貨物室での作業を恐れることはありません。もっとも、ただ脚を取り外したのでは出勤もままならないので、やはり前出のロボットのようにホバリング出来るブースターを装着しなくてはならないでしょう。燃料消費が無駄に激しそうですが、腰の安全には代えられません。実現すれば、毎日最後の作業を終えての運転中、煌々と輝く職場の明かりを目にしながら「翼よ、あれがパリの灯だ」などと、痛む腰をさすりながら似合わない感慨にふける必要もなくなるわけです。

もしそういった技術が実用化されれば、社会活動での様々な分野に応用することが出来るはずです。頭痛がするなら頭部を取り外して安静にさせて治るのを待ち、高いところに手が届かなければ片腕を取り外して、もう片手でそれを棒代わりにして取りたいものを取ることも出来ます。また女性の方で胸が邪魔だと思ったなら、外して風通しのよい日陰などに保管しておくのもよいでしょう。その際の紛失には注意が必要ですが。

そういった着脱可能仕様の体にかなりの憧れを抱いている今日この頃ですが、重大な問題にはたと気が付きました。運転の際に脚を取り外してしまうと、アクセルやブレーキを踏むことが出来ないということです。運転の時だけ装着するつもりで、運転席に脚だけ放り込んでおくとなると、これはかなり不気味な光景と言えます。下手をしたら、猟奇殺人事件と誤解されて通報されかねません。やはり、憧れというのは理に合わない空想だからこそ美しいのですね。




12/14


お歳暮で 腰痛やまぬ 師走かな(悶絶)

何気に三日ぶりのコラムです。色々と大変な季節ですので、日本船舶振興会の謳い文句である「お父さんお母さんを大切にしよう」の前に、まず自分の体を大切にしたいですね。さもないと、お父さんお母さんが逆に悲しむことになってしまいます。親孝行は、まず自分孝行から。

などと、無理をして人格者を装うのは精神衛生上あまり好ましいとは言えません。いったん人から「真面目な性格」とか「固い人」などというレッテルを貼られると、剥がすのが大変な上に無用の重荷を背負わせることになりかねません。そしてある日突然羽目を外すと、周囲から意外さと幻滅と失望と生暖かさを織り交ぜた視線の集中砲火を浴びることになります。さらにその日の一家団欒の話題に供され、まるで無関係な人々にまで自分の脱線事故が周知事項となるのです。くれぐれも気をつけましょう。しかしかといって、「いい加減なやつ」と思われるのも困りものです。信用がないと、人は社会を渡っていけません。誰しも、そういった微妙な対人関係のバランスを綱渡りすることに苦労するのが世の中ですね。

足を踏み外したり、最初から綱の存在に気付かなかったりすると、後の弁解が色々と大変です。

ちなみに前者の動機である興味本位といえば、子供の頃に道端のお地蔵さんの額にクレヨンで「肉」と書き込んだことがあります。どこにでもあるお地蔵さんが、急に強くなったように感じられたものでした。それから数年後、修学旅行で女風呂を除いた同級生は先生にこっぴどく叱られ、ロビーで正座させられていました。どちらも興味本位の行為ですが、私は特にバチを当てられることもなく、今こうしてのうのうと文章を書いていられます。もっとも、私の場合はすぐにそれを消して、お詫びに給食で余ったピーナッツバターをお供えしたために許してもらえたのかもしれませんね。家に帰ってから、心の中でお地蔵さんにごめんなさいと謝りました。人と神様が平和に共存していた、昔々の淡い思い出です。





12/22


恥ずかしながら、帰ってまいりました。(戦後29年)

だんだんと更新の間が開いてきたようで、よい傾向です。しかし、「やる気なくなったなコイツ」と思われるのも困りものです。何事も過ぎたるは及ばざるが如しと言いますので、そろそろ再開してみましょう。

皆様は、自分を普通の人だと思うでしょうか。それとも、変わった人だと思っているでしょうか。よく、自分の主観性と世間の客観性は正反対などとも言われ、他人から思わぬ評価を受けて戸惑ったりします。私にも、そういうことがありました。

いわゆる飲み会というやつで、皆は自分の過去の馬鹿話などを持ち出して笑っていたのですが、私の過去話はまさに爆弾だったようなのです。

昔、まだ若かった私とその仲間は、何か青春の鬱積を吹き飛ばすような壮挙に憧れました。まあ、それは誰しもが通る道だと思うのですが、私の場合は内なる心の囁きに導かれて花火を大量に買ってきたのです。で、その中の黒色火薬を1ℓビンに詰めました。蓋に穴を開けて導火線を装着、準備完了です。そこに、各自がいらなくなったガンダム、戦車、軍艦、飛行機等兵器類のプラモを持ち寄って側に並べます。誰もが緊張の面持ちで見つめる中、導火線に火がつけられました。しばし火が導火線を伝う音。そして、壮絶な爆音。

会場となった郊外の空き地は、一瞬にして旧式兵器のスクラップヤードと化し、硝煙が辺りを覆います。皆、声も無く立ち尽くす中、私は背筋を伸ばして言いました。

「義務を果たした愛機に対し、総員敬礼!」

仲間たちは、次々と敬礼します。ある種の感動が、静寂と共に肌寒い空き地を支配していました。その光景は、10年以上経った今でも鮮烈にこの瞼に焼きついています。ちなみにこの行為について説明しますと、当時プラモは子供の間で大流行りだったのですが、お金のない家の子供はあまり買えませんでした。そのため、各員の持つプラモを持ち寄って戦争ごっこをする時、当然戦力的に不均衡が生じます。時折喧嘩に発展するその不平等感を解消するため、多くの戦力を保有する子供は飽きたり出来が悪かったりして不必要と認める戦力を、両者合意の下で廃棄することとなったのです。ある意味では、平和主義にのっとった行為とも考えられますね。

上記の爆破は、言わばその軍縮条約の執行式でした。もっとも読者の皆さんの中には「多く持ってる子が、あまり持ってない子にいらないプラモをあげればいいのでは?」と思われる方がいるかもしれません。しかし、それではもらった子の面子が立たないのです。お小遣いが少ないなら少ないなりに、お菓子やジュースを我慢して好きなプラモを買う。それが、我々の神聖な不文律でした。であればこそ、買えたプラモが例え安物でもこの上なく愛しく思えるということだったのですね。

……が。その話を幾分の感慨を込めて語ると、なぜか「テロリスト」という異名を頂戴してしまいました。これはなんとしたことでしょう。あの荘厳とも言える情景を理解してもらうには、私の言葉が拙かったのでしょうか。それとも時節柄というやつでしょうか。確かにこの時期ちょっとシャレになってない気もしますが、それでもテロと言えば「どっか外国のイカレたやつがたまにやって新聞ダネになってるアレ」という一般認識だった時代のお話です。「純真な青少年のちょっと困った遊び」で済まされていた行為を、今のテロリストと混同されるのは甚だ不本意であると言わざるを得ません。まったく、世知辛い世の中になってしまったものです。迷子の子供をアナウンスに連れて行こうとしたら、犯罪者と疑われかねない時代。我々の世代が、考えもしなかった混迷の世の中です。

しかしそれでも、あの時あの場所に集った仲間たちは、今でもあのプラモを爆破した後の一抹の寂しさ、その帰らないが故の大切さを胸に抱きつつ、どこかの空の下で懸命に生きていると信じたいものです。





3/14


ぼーくーさーつーてんーしー(洗脳中)
皆様、お久しぶりです。天災は忘れた頃にやって来ると世間では言いますが、私も忘れた頃にやって来ます。常々油断なくお過ごしください。常在戦場、ガソリン一滴は血の一滴、進め一億火の車です。何かが微妙に違うことに気付いた方には、私から危機管理士一級免許を授与いたします。ただし、生活の足しにはならないかもしれません。

ところで火の車と言えば、不幸は友人を連れてくるということわざは本当だったようですね。身から出たサビも、ここまで積もり積もると落すのが大変です。かの人に対するイメージと言えば、私の貧困な芸能知識から掘り起こせば昔はゾンビみたいな化粧をして「スリラー!!」とか歌って踊ってた人、わりと最近ではかつて黒かった肌が真っ白になってた人、ぐらいのものです。その異常なまでの美白ぶりが鈴木その子さんに似てるなあ、とか思ってました。鈴木さんは江戸川乱歩の猟奇小説の登場人物みたいです。多分、謎の蝋人形館の女主人とかやってるんじゃないかと(当然ラスボス)。また、マイコーさんはマーヴルコミックスの映画で、謎の大金持ちで秘密の研究所とか持ってそうです(やっぱりラスボス)。どっちにしても、なぜかご両人ともに友人にはしたくないような恐ろしさを感じたのは間違ってなかったようです。君子、危うきに近寄らずですね。