2012年5月5日

2012年6月6日作成


6月3日の日曜日、飛鳥山公園に行きました
飛鳥山は、昔に少し散歩した程度
今回は「紙の博物館」が「飛鳥山」にあり、「紙すき体験」が出来るということで
飛鳥山に出かけました


駐車場を出て「飛鳥山公園」に向かって歩き始めたところ
渋い建物が目に入りました
これは「晩香蘆(ばんこうろ)」というそうです

パンフによると、この建物は渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って
1917年(大正6年)に、現在の清水建設株式会社が贈ったそうです

間もなく100年ということですね
栄一は内外の賓客をここに迎え、多くの交流をしました
その中心になったのが談話室で、
家具調度品の数々は当時の面影をそのまま残しています

ということでした

内部は撮影は禁止ですが、見せていただけました
素敵な空間でした

向かって左側は台所ですが
出窓があって、とてもモダンで、全然古さをかんじません
現在でもそのまま使うことが出来るね、と娘と話しました






これは「青淵文庫(せいえんぶんこ)」という建物です

この建物は1925年(大正14)年に竜門社(渋沢栄一記念財団)が、渋沢栄一の傘寿(80歳)と
男爵から子爵に?爵したお祝いを兼ねて贈ったそうです

完成目前の1923(大正12)年、関東大震災に遭い工事は一時中断し、
震災の経験を生かして再工事が行われたそうです

収蔵する予定であった「論語」をはじめ多くの漢籍などが保管先で消失したため
震災後は主に接客の場としても使用されました
(パンフから引用)




入館して、内部からの撮影もこの部屋は良いとのことで撮りました
上の写真の<ステンドグラス>の部分です

ステンドグラスは、渋沢家の家紋をモチーフにしているそうです




モダンなタイル・素敵なシャンデリア
ストーブは「大理石で囲まれた電気ストーブ」が壁にはめ込み式になっていました

内外にたくさんのタイルが貼られていますが
これも渋沢家の家紋をモチーフにしているそうです

二階は現在は上がることができませんが
その階段がとても素敵だった





東側の窓際です

今まであまり人物を入れない写真を貼ってきた
しかし先日、<高橋由一さん>の絵画展を観て
風景だけでは表せない表現があると思った

人物が入ると、その時の風俗、成長の様子等もわかるなあと思った
100年を迎えた荒川堤の桜並木も
当時の風俗は、着物に丸髷姿です

これからは少し人物も入れようと思った




上の写真の全体です

今回は入館しなかったけれど<渋沢資料館>がありました

その隣は<北区飛鳥山博物館>があります

その隣は<紙の博物館>になっています
この日の一番の目的は、この紙の博物館で<紙すき教室>に参加することでした



紙の博物館・はがきを作りました

入館料の300円を払うと、だれでも無料で「紙すき体験」が出来ます

まず「牛乳パック」を煮溶かして作るという説明を受けた

そして好きな「型枠」を選びます
私は「紙」という字の篆刻文字を選びました

うたたんは「チョウチョ」を選び
娘は「折鶴」の型枠を選んだ

次に好きな「シール」を一人2点選びます

次に牛乳パックを煮溶かしたものを注ぎ込みます
そこへ先ほどのシールを置きたい場所に少し押しこみます

次に強い圧縮をかけて、水分を絞ります

その次は「アイロン」をかけて乾燥させ
次に『郵便番号』のスタンプを押してすべて完了です

所要時間は10分ということでしたが、流れに乗って進んで
とても短い時間で仕上がったように思いました

楽しかったし、感動しました

また折を見て行きたいです


右下に「紙」の篆刻文字が入っているのだけれど
スキャンしたらみえません 


普通にスキャンしたら




これだけしかスキャンできなかった
スキャンは「白」を認識してくれないようです

上のはがきは四角い線を描いて、スキャンに認識させて出来ました





飛鳥山児童公園
都電も、SLもあります




2012年6月・ウタタンは5歳6カ月です

飛鳥山には「噴水公園」もあって、夏場は楽しめそうです

2012年6月4日・永田町に行きました



三宅坂交差点のところ

「渡辺崋山」生誕の地に建つ銅像

後方は「最高裁判所」かな?





三宅坂交差点をお堀のほうに渡りました
右の木の陰が、上の写真の銅像のある場所

左は246号線で、ここを登ったところに娘の勤務先がありました
娘にお昼をおごってもらった






お堀に沿って下りました
歩く方も多いけれど、ジョギングする方が大変多い

お堀の反対側の並木は、よく見ると「ユリの木」でした
大木が多かったです
花もちょうど咲いていました(^o^)




お堀に沿って下りました
<桜田門>が見えてきました
後方に都心のビル群が見渡せます

もう少し下って<日比谷公園>でも行ってみようかな?と思っていたけれど
考えを変えて<桜田門>から<皇居外苑>を抜けて<東京駅>から帰ることにした

ところでこのあたりは「警察官」の姿が多いです

後で地図を見たところ
この写真の右手奥が「国会議事堂」でした
桜田門の右手が警視庁であれば、当然のことでしょうか




右手のビルに「修学旅行生」が吸い込まれてゆくのが見れました
その時は分からなかったけれど、桜田門交差点に立つ案内板で<警視庁>であることが分かった




桜田門正面に来ました




桜田門の前に立ちました
「旧江戸城 外桜田門」の案内板がありました




ここは「高麗門」というのですね




高麗門の内側に入りました
かなり大きな広場になっています

正面奥が「警視庁」ですね




高麗門を入って右手の門
この時は名前は知らなかった

左手の柳のさらに左手に<桜の古木>がありました




門の左手下に注意書きがありました
「昨年の震災で、屋根瓦に支障が起きたので応急処置をしている?」かな?




門の右下にありました
<桜田門・櫓門>というそうです




私は今までこの橋が二重橋と思っていました
ところが後で地図を見たところ、この奥にもう一つ橋があって
そこが<二重橋>となっていました
橋が二つあるから<二重橋>というのでしょうか?




<桔梗門>と言うようです




<巽櫓>

平日のこの日、外国の方が多かったです




<巽櫓>の前の横断歩道を渡ると
<和田倉噴水公園>がありました
向こう側は水のカーテン?




手前の三基の噴水
しばらく休みがあって、徐々に噴水が始まります




最大に噴水している状態です




<特別史跡江戸城跡>の案内板がありました




写真右手を通る日比谷通りから、和田倉噴水公園へ渡る橋のようです




赤レンガの東京駅が見えてきました
東京駅はただ今工事中だった
JR山手線に乗って帰途に就いた






2012年5月5日作成




今日は5月5日です
2001年5月5日・さいしょのH・Pを立ち上げた日です
風薫る5月なので「薫風の季節」という名前でした

その後もろもろのことがあって、現在は「夢紡ぐ里」となりました

ブログの「日々是好日」は「2004年」からの分が出ています
しかし先のほうから削除されていくようです

今回の表紙は「クレマチス」にしました
「クレマチス」は私の好きな花で
一時期「クレマチス」というH・P名にしようかと思ったこともあります




みとせぶり 花咲かせたり 君子蘭

4月15日の表紙は「君子蘭」でした

2009年に、息子からの誕生日のプレゼント二もらったもの
その時に8個の花の咲いたものをもらったが
10年11年と、花は咲かなかった

私の管理では無理かなと思っていたが
妹から「ぎりぎりまで寒さにあてたほうが良いみたい!」
というアドバイスをもらって、それから室内に取り込み、水を切らさないようにしたら
今年はなんと「20個」もの花を付けてくれた

ほぼ4月一杯、鮮やかな花を見せてくれた




魚踊り ラン乱舞して 見事なり

2月は「世界ラン展」を、妙子ちゃんと観に行きました

どれもこれも素晴らしく、ただただ感嘆するばかりです


2011年3月11日







20011年5月11日作成


あの日より 2か月のたち 花海棠

3月11日に起きた「東日本大震災」から2カ月が経過しました
被害はあまりにも甚大で、複興への道は遠いけれど
それぞれの地区で、皆様方、最大の努力をされています


地震・津波の災害もさることながら
原発関連の災害も大変です・・・

浪江町、葛浪村、川内町
福島の田村市の出身の私には、耳になじんだ名前です

放射能被害の恐れで、避難を余儀なくされています

昨日「警戒区域・一時帰宅始まる・川内村」というテレビ放送を見ました
みなさん「白い防護服を着て、トランシバーを持って」

時間は2時間、持ち帰れるものは「70センチ四方の袋に入れるもののみ」
我が家に自由に帰れない・・・

涙が出てきました

現在の自分はいかに幸せか・・・











20011年4月20日作成


春めぐり 来る年もまた 陽光を


2011年3月11日・午後2時46分
マグネチュード9の地震が、日本の東海岸を襲いました

この未曽有の地震は、さらに今まで体験したことのないような津波を引き起こしました
北は青森から千葉沖まで
特に三陸からいわきにかけての津波は、町ごと飲み込んでしまう壊滅的被害を及ぼしました

そしてこの津波によって、「福島第2原発」が甚大なる被害を被ることになりました

このことによって、今度は新たに「放射能の被爆の恐れ」という災害が生まれました

福島の第2原発は「東京電力」の経営で
この電力によって首都圏と関東各地が潤っています

私の故郷は福島で、毎日欠かせない電力は「東京電力」からいただいています

津波の被害は甚大で、壊滅的です

けれど「放射能被害」が追い打ちをかけて
これは世界的に影響を及ぼす感じです

お米も野菜も作れない
牛乳は飲めない
お魚は侵されている

地震と放射能の日本には、観光客も途絶えました

日本は本当にトリプルパンチです

新たに生まれ変わるぐらいの覚悟が必要なのかもしれません





<この山の 揺れて悲惨な 時を知る>14時50分ごろの写真です

問題の3月11日14時46分ごろ

私はお仲間4人とともに「富士山麓一周ぐるりウオークの5回目」に参加していて
静岡県の裾野市を歩いていました

「もう少しで、ゴール地点の<丸火自然公園>に到着します」

先頭の「ウオーキングリーダー」が、そう言って振り向いたときでした
何か周りが揺れています

最初疲れて目が回った?と思いましたが
山全体が揺れています・・・

「これは大きな地震だ!!!」
みな一勢に立ち止まって、驚きの声が上がりました

それまでの「松林」の地帯を抜けて、雑木林の続く割と平坦な場所であったので
大きく揺れた以外は、特別なこともなくて

予定どうり15時ごろ丸火自然公園に到着後、整理体操をして、いつものように温泉に向かいました
温泉で疲れを取って、この後何事もなくバスに乗って20時前後には上野に到着の予定でした


このころは東関東で大変な事態になっていたことは知る由もありませんでした


16:15分ごろ娘から「大丈夫?」のメールが入りました
私はこの時のメールは、同時刻に送信したものが届いたと思っていたけれど
後で突き合わせると、このメールは15:54分に出されたものでした

私は「今富士の裾野に来ています。東名大丈夫かな?」と返信した
このメールは送られたのだけれど、着いたのは20時を過ぎていたらしい

温泉からの出発予定時間は17時でした

富士山の写真を撮ってバスに戻ると
Yさんが「今娘からメールがあって、東京で大きな地震があって、物が落ちるほどの大きさだった。
今も揺れが来ているが避難したほうが良いだろうか?」という内容だったとか

今考えるに、このメールも早い時間に打たれたものが
この時間に届いたものと思われます

ガイドさんが、「先ほどの地震の影響で<東名高速>が不通になっています。
<中央高速>は大丈夫のようなので、中央高速
で帰ります」
という説明がありました

しかし出発して間もなく「中央も通行止めになりました。とにかく新宿・上野までは確実にお送りしますから」

私たちも銘々に電話連絡するも、全然つながりません
メールもだめです

ガイドさんも会社と連絡が取れません
このあたりでも停電になっていて、信号が点灯していませんでした

バスの中のテレビが一番の情報源だったけれど
これも横縞が多くて、さらに私の場所からはあまり見ることができなかった

とにかく東京のすべての電車が止まってしまったこと
東京は帰宅難民であふれかえっていること

さらには東北のほうでは大変な津波の被害があったこと
町ごと飲み込まれたところが数か所あるらしいこと

でもこの時点では、災害の大きさは分かっていませんでした
とにかく自分は無事に帰れるだろうか?

うたは保育園で預かっていてくれるだろうけれど
娘は職場からどのようにして帰るのだろうか?

メールを書いても送ってくれません
お父さんからも息子からもメールが届くのだけれど、赤×が付いていて読むことができません
電話は諦めました・・・

でも一度だけ「大丈夫?」と書いたメールは送ってくれました
これは後で記録をみると18:00になっていました


ガイドさんも大変です
「道の駅」とか、コンビニとかで、「トイレ」とか「食べるもの」の確保を手配してくれました


とにかく幹線道路はすべて駄目のようだということになり
地下鉄が徐々に動き出したようだから、とにかく駅に沿ってゆくようにします

この時にバスが、どの道路を走ってきたかは私にはよくわかりません
山手線は終日運転停止は分かっていました

中央線総武線もだめだけれどもしかすると「京王線」が動くかもしれない
幹線道路が動かないので、電車のほうが早いから
とにかく新宿までは、電車のほうが絶対早いから、
電車に乗り換えるようにということになりました

京王線が動いたという情報で、先の見えないままにも、私たちも八王子?で
バスを降りることにしました
ところが先に降りた人が戻ってきます
電車はやはり動いていないとのことでした

またバスに戻って、動きはのろのろだけれど
運転手さんは大変だろうけれど
暖房のきいた、座席のある車内は、避難所で過ごす方々より
恵まれているのは確かです・・・

みなさんの意見で「とにかく降りろと言われるところまで連れて行っていただく」ということになりました

メールを読んだ時間を覚えていないけれど、娘からのメールが2通続けて届きました
これもあとから発信と着信をみると
6時前のメールが9時近くに届いた感じです

この時のメールで「今日はうたたんとママは一緒の行動であったこと、
りんちゃんと、りんちゃんママも一緒で「ららぽーとの<キッズニア>にいたこと」
日比谷公園に避難したけれど、りんちゃんの妹のれいちゃんは川崎の保育園に預けたまま
れいちゃんママは気が気でなかったでしょう・・・


奇跡的にりんちゃんパパに連絡が付いて、りんちゃんパパが自転車で川崎に向かったこと
うたパパは会社に泊まること
などなどがわかりました

うたと娘が一緒の行動でよかった!

後はよくわかりませんが立川?京王線が今度は確実に動いたとのことで、数人がおりました
参加人員の半数以上の人は、このまま新宿まで行くことになりました

同行の方々との別れ際に「とんだ日に遭遇してしまいましたね〜、しかし条件はみな同じだから、
とにかく無事に家に帰りつけますように、お互いに気をつけて」
とお別れしました

バスは本当にのろのろの走行でした
運転手さんは長い時間の運転で大変だろうなあと思いました

後で知ったことですが、東京も大変だったことがわかりました
7時間とか12時間とか歩いて自宅に帰ったとか
自転車で帰ったとか、自転車が売り切れたとか

しかしもっともっと大変なことが起こっていたのですね・・・・・

今まで一部の電車が止まったり、一部の道路が通行止めとかはあったけれど
全部の電車が止まる、東名高速も中央高速も閉鎖・・・

とにかくただ事ではありません
しかしまずは自分たちが家に戻らなければなりません

最初上野で乗った我々は、このまま上野まで乗せていってもらいたいのが本音だけれど
この状態では新宿から上野まで何時間かかるか分からない

「丸ノ内線」「大江戸線」など地下鉄は動き出したので、とにかく電車のほうが早いから「新宿で降りてください」ということでした
ガイドさんも運転手さんも疲れきっていることは分かります

前のほうの座席で、ガイドさんが男性の方に、膝をついて謝っていました・・・
どのようないきさつであったかわかりません・・・

残った全員が新宿でバスを降りました

この時間は午前の3時ぐらいでした

普段新宿から地下鉄を利用するという人がいなくて
とにかく降りて一番近い「丸ノ内線」への階段を下りました
階段には座り込んでいる人もここでは数人見かけました

丸ノ内線で案内してくれている駅員さんに聞きました
「<丸ノ内線>に乗って、<日比谷線>が動いているので、銀座で乗り替えたら北千住まで行けます」
ということでした。


<北千住>まで行けたら、あとは何とかなるでしょう〜
私たち5人は間引き運転ではあっても、動く電車に乗ることができました

銀座で降りて<日比谷線>のホームに降りると「テロップ」が流れています
<上野までの折り返し運転>であるようです


<半蔵門線>が全線開通というテロップも流れていたので
<半蔵門線>なら西新井まで行けるのでは?と、駅員さんに聞いたところ
動いているのは地下鉄の部分だけなので、<曳舟>までしか行かないとのことです
そういえばそこから先の部分は<東武線>で、相互乗り入れになっているのでしょう

しかしとにかく前に進むしかありません
<日比谷線>に乗って<上野>につきました

上野の改札口に行くと、そこはブルーシートの上に、乗り換えの通路に一面
背広姿の方々が座り込んで、電車の動くのを待っていました

階段にも大勢の方々を見かけました

タクシー乗り場は長い長い行列で、それでいて車の影はありません

ガイドさんがいろいろ気を使ってくれたけれど、トイレ休憩もままならないので
お互い水分を控えてきたこともあって、とにかく座ってお茶なりお食事なりできるところはないかと探しました

一回りだいぶ歩いたけれど、適当なtころがありません
お蕎麦屋さんとかも、中は避難している人で満杯のようで、入る前に「両手で×」をされてしまいます

コンビニで「トイレ」をお借りして、お茶でも買いましょうか?
と「ローソン」だったかな?に入りました
すると店員さんが「ここを利用してもよいのだけれど、
前のホテルでトイレを使ってもよいと言っていますよ」とのことでした

すぐ目の前のホテルでは男性が立っていて「トイレは2階に上がったところです、
休んでいる人がいるので、大きな声は出さないでください」
ということで使わせてもらいました

少しほっとして前を見ると「中国料理」のお店の看板がありました
入口が地下になっていて「Iさん」が聞きにいってくれて「ピラフだけならできます」と言うことだった
とにかく腰をおろしたかったので、感謝してお店に入りました

今までバスの中だからと思って「マナーモード」にしてあって、しばらく見なかった携帯を見ました
息子から電話が入っています

それからは電話連絡がついて、息子が上野まで迎えに来てくれるとのこと
一同ほっとしました

11日の朝6時に家を出て、12日の朝6時に家に帰ることができました

長い長い一日だったけれど・・・

この時点では自分たちは大変な体験をしたと思っていたが・・・

これから後、いろんな情報を聞き、新聞を読むに至り

日本は大変な非常事態に落ちいっていたことを知ることとなりました













HP誕生日



2006年5月5日作成

爽やかな、心地よい風を感じる5月5日
そう言えば今日はこのホームページの誕生日であったと気がつきました
5歳の誕生日です

2001年5月5日、4月に購入したパソコンで、HPの作成を始めました
2000年にも試したのですが、パソコンの機種が「マック」で、操作方法が解からないままに
いろいろいじくって、娘のお古でしたが壊してしまいました

薫風爽やかな5月5日でしたので
迷わず「薫風の季節」と言う名前にしました






2001年5月5日(印刷日は少しずれてます)
最初は本当の表紙1枚の作成です





2001年5月19日の日付です
我家のベランダのバラの写真を、娘がデジカメで撮ったものを
メールで送ってきくれましたので、3ページほどの記事を書きました
最初の記事です





2001年10月の日付です
ページを作り始めてまもなく「はなうさぎさん」のページを見せていただきました
それで、パソコンの操作もままならないのに、デジカメを買いたくなりました
8月30日に購入したのですが、編集のしかたが解からずA4サイズで画像を「メール」送信したり、
失敗の連続で、最初にHPにUPできたのは、10月になってからでした





2002年のお正月の記事です





2002年5月5日
表紙は最初のものをあえて使いました1周年記念号です
今みると、ピントのあってない写真ばかりですが
はなうさぎさんに「楽しめば良いのよ」と励ましてもらって
結講な数の記事を書きました





2002年8月8日の日付です
「写真はいいですね!」とか「お元気ですか」は掲示板の題名です




2003年お正月の記事が見当たりませんが、年賀状です




最初のデジカメは、写真を撮れれば良いと、何も解からずに買いました
この年の3月、誕生日の祝いにと息子がもう少し性能の良いデジカメを買ってきてくれました
お花とかの写真も、まずまずに撮れるようになり、幅が広がりました




これは2003年4月10日の日付です
日々これ好日という、花日記風のも書いていました
これを「薫風の季節」本文につけるのが大変で
さらに画像の送信方法が解からなくて、散々でした
慣れるとなんでもないことでも、最初は本当に散々でしたね・・・






2003年4月28日、次回は5月5日書き換えの予定ですとなっていますが
2周年記念号は、美味く転送が出来なくて、予定どうり行きませんでした




2003年5月16日の日付です
この年の4月頃「かんたんホームページ・ビルダー7」を購入しました
2003年5月5日の「2周年記念号」は、ビルダーで作成したものを使うつもりでしたが
転送がうまくゆかず「はなうさぎさん」に散々お世話になって、5月19日ぐらいに
やっと転送がかないました





ビルダーに替えて、最初の記録が見当たりません
上の写真「ムベの花」がお気に入りで、最初のタイトル画像にするつもりでしたが
5日の予定が19日になってしまいましたので
花の時期がずれておかしいかな?と思い
何を使ったか・・・
多分ひとつ上の「藤の花」を使ったかな?


ここからビルダーで作成したものは、
ほとんどのものが残っています
古峰ケ原神社、日比谷公園、水元公園、グリーンセンター、六本木ヒルズ、
向島百花園、名主の滝、京都の旅、海・近所の紅葉


2004年1月に「2003年お気に入り」を書きました

2月頃、パソコンと一緒に購入した「プリンター」が駄目になりました
宅急便で送って修理してもらうか、新宿のセンターに持ち込んで修理してもらうか
何れにしても修理代が高そうです
スキャナもかねてから欲しいと思っていましたので
スキャンも出来るプリンターを購入しました

2004年5月の3周年記念号は・・・
3月に体調を崩し「薫風の季節」を閉じました・・・






2004年2月21日の日付になっていますが
印刷は2004年7月19日になっています
3月にページを閉じる前にCDに取ったものを印刷したものです



2004年8月ぐらいから
ブロバイダ−を替えて「薫風の季節」の記事を取り込んで「夢紡ぐ里」をスタートしました
折に触れ「
はなうさぎさん」には本当にお世話になっています
「HPの恩人」です


11月に友人と高尾山に行きました
12月に「上野公園」を書きました




2005年年賀状2005年京都、上野散策、、江北センター、桜の季節、表参道



この年の5月5日には「薫風の頃」の記事を書きました
誕生日は特に意識しませんでした(^.~)

6月に「鹿沼センター」、「堀切菖蒲園」、9月に「故郷紀行」
12月に「近所の紅葉」など









5周年の記念画像は特に用意してなくて、
是と言って良い画像も見当たりません
10種類もの草花が混在するこの画像が
雑貨屋さん自認の吾がページにはふさわしいかなと思いました♪〜






上記の写真は、2006年5月5日現在の右側のお花
この写真は向かって左側のお花です
白と青と黄色のビオラ、白と赤ムラサキと黄色の混じった赤紫のパンジー、
白妙菊と、花かんざし、ディモルフォセカ、オステオスペルマム
名前の解からない水色の花、左方に隠れてコリウス
上方に花は見えませんがステラコスモホワイト、
ハマカンザシ

今日は6月の12日です
9日に梅雨入りして、これらの花も侘しくなりました
白とムラサキのビオラは整理しました
ディモルフォセカも、オステオペルマムも、雨に弱いのかお花は少々です
花かんざしも花は0です
水色お花は、ほとんど無いに等しい

良い時に撮っておかないと・・・・・







夢紡ぐ里




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