店舗は半世紀……そして主人は90年……
アコーディオン一筋の人生
いろいろな写真が残されました
お楽しみください……
![]() |
山本楽器外観。名古屋市中区の新栄3丁目、かつての菊里町にあった。1階でアコーディオンの販売と修理を行い、2階はアコーディオン教室になっていた。現在は骨董店になっている。 |
|---|---|
![]() |
店頭にあった木製の小さな看板。 |
![]() |
店内にて、赤いセータを着たcobaさんと。cobaさんは、イタリア留学前に、しばらく山本章宅の二階に下宿しておられた。詳しくは、アコーディオン一代記の09、10を参照。 |
![]() |
我が国におけるクロマティックアコーディオンの第一人者、桑山哲也夫妻と。桑山氏は、千葉県に住んでいたクロマティックアコーディオン奏者のデデ・モンマルトル氏のもとで修行を重ね、日本でただひとり、ベルギー式のボタンアコーディオンを奏でる奏者として有名。その愛機の調律を山本章に委ね、深い信頼関係で結ばれていた。アコーディオンには、それぞれの奏者の「好みの音色」があり、その音色を出してくれる調律師は貴重な存在である。奥様は、女優の藤田朋子さん(写真向かって左)。 |
![]() |
山本章の改造アコーディオン。むろん、それぞれ世界に一台しかない。こういう手造りアコーディオンが10台ほど残された。一つずつ銘があり、向かって右のものは「かぐや号」。他にも「ヴィーナス号」、「モナリザ号」など女性の名前ばかり。廃棄されたアコーディオンを組み合わせてコツコツ造っていた。非売品。 |
![]() |
陳列棚にはずらりとアコーディオンが並び、小さな置物もいっぱいあった。置物は、必ずどこかにアコーディオンが入っている。このアコーディオン人形は、店主のイメージそっくりで、アベ・ユウコさんという女性の作品。 |
![]() |
店内でピエールマリアを弾く山本章。アコーディオンを弾いているときが一番楽しい時間だったようだ。陳列棚には高級アコーディオンにまじって手造りの愛機が何台もみえる。 |
![]() |
自宅でウクレレを弾く山本章。両側は手造りのグレース号(白)とヴィーナス号(赤)。晩年にはウクレレ教室に通って合奏を楽しんでいた。ハワイが好きで、長期滞在してハワイアン・ライフを楽しむのが夢だったが、結局実現しなかった。 |
![]() |
アコーディオンを弾くモナリザ。山本章作。絵も達者で、学生時代はマンガも描いていた。指のかたちが妙にリアルで、詳しい人なら曲名も見当がつくかもしれない。 |
![]() |
モンマルトルの丘でアコーディオンを颯爽と奏でるパリジェンヌ。これも山本章作。アコーディオン原体験が『巴里の屋根の下』だったので、パリは大好きだったらしく、何度も訪れている。この絵のモデルは、フランスのアコーディオンのレコードジャケットにモデルとして写っていた女性。おそらくは、奏者ではなくてモデルさんと思われる。 |
![]() |
山本章は男兄弟3人の一番下で、姉も一人いた。両親、男兄弟3人と姉夫婦で撮った記念写真。学生帽が山本章。時代は昭和10年代か。ソフト帽の長兄は商社マン、軍帽の次兄は陸軍軍楽隊のラッパ手で、後に宝塚歌劇団のヴァイオリン奏者となった。 |
![]() |
昭和30年代はじめ。名古屋市東区にあった自宅前で、母親、姉、次兄とともに。右端のメガネをかけているのが山本章で、当時としては背が高い方だった。後は自家用車で、おそらくブルーバードのワゴンタイプか。当時は、中部地区のキャバレーに入っているバンドに楽器を売っていたので、楽器運搬用に自家用車はかなり早くから持っていた。最後に乗っていた車はトヨタのマーク2ブリットだった。 |
![]() |
アンジェロ・アッケリーニさんと。アッケリーニさんはイタリアの著名なアコーディオン奏者で、数々のコンクールでの受賞歴を重ね、国際的に活躍している。2001年から2005年にかけては、“L’Anno Italiano”(日本におけるイタリア年)の一環としてアコーディオン演奏のために日本の諸都市をまわった。詳しくは、アコーディオン一代記の30を参照。 |
![]() |
ポップスアコの会にて。詳しくは、アコーディオン一代記の29を参照。 |
![]() |
ポップスアコの会が開かれた長野県のペンションの前で。 |
![]() |
愛知万博のオーストリア館にて、ドイツ人アコーディオニスニストのステファン・マンディさんと。愛知万博の会場は自宅のすぐそばにあったので、通し券を買って足しげく通っていた。詳しくは、アコーディオン一代記の31を参照。 |
![]() |
「サロン・ド・ミュゼットの会」にて。山本楽器のすぐそばのカフェ・ドゥフィで開かれた。奥は角谷精三さん。詳しくは、アコーディオン一代記の33を参照。 |