安部幹事長代理「戦争で死んだ人を供養するのだから、靖国参拝は次の総理もすべき」と発言。
こういう国益を考えない頭のねじの足らない政治家が多い。靖国参拝する事よりももっと他にやる事一杯あるだろうと言いたい。借金作ることしか能がない。ガス田開発も相手に調査資料よこせなどといってないで自国で調べるのが普通。しかもガス田開発してる事を批判してないで日本もガス田開発するのが普通、批判ばっかりしてなーんにもせず、国益を損ねているのが分かっていない今の政治家たち。頭弱ぎ。
前置きはこれくらいにして、だいたい本当に戦争で死んだから供養するのであれば、B級もC級も靖国神社に奉るはず。指導的役割を果たしたA級戦犯は20数人くらいしか処刑されていないが、B.C級戦犯は1000人近くが処刑されている。B.C級戦犯の中には殺せという命令を受けて仕方なく殺した人も中にはいる。命令は絶対だからその当時としては仕方ないだろう。しかし国際法では捕虜の虐殺は認められていない。天皇制の絶対服従の中では命令にそむけば処罰を受ける。それこそ命令違反で戦争裁判に出され死刑になった可能性だってある。赤札が来て戦争に赴くのだから絶対服従は基本中の基本になる。だがそうした無理やり命令された人はほとんど奉られていない。もっと言えば本当の犠牲者はこうした東京裁判などで処刑された人よりも、洗脳されたり、無理やり戦場に送り込まれて戦地で死んだ人々。もっと言えば沖縄でスパイだと疑われて皇軍(日本軍)に虐殺された日本人。そうした犠牲になった人達が多く奉られていているのをお参りするというならまだ納得できるが、そういう人達がほとんど入っていない靖国神社で、戦争で死んだ人の供養だからお参りするのが当たり前
という綺麗ごとは僕には通用しない。靖国神社に奉られているのは戦争で死んだ人ではない、嘘と綺麗ごとで国民をだまし、戦争で多くの人を殺したり死なせた指揮をした人達だ。まっ、実際戦争で死んだり殺された人達は一緒に奉るなと怒るだろうけど。
昔「私は貝になりたい」というドラマが何度も放映されリメイク版まで出てたそうだ。そのドラマの中で町の平凡な床屋の主人が徴兵され捕虜になった敵兵を柱に縛り付けておいて銃剣で突き刺す様に上官から命令される。命令に従って刺し殺したのが罪に問われ死刑になる。「もう一度生まれ変わったら人間になるのはもういやだ。私は海の底の貝になりたい」と叫ぶ場面が話題になった。これにはモデルがいて学徒兵がこれを書いている。
「天皇は私を助けてくれなかった。私は天皇陛下の命令として、どんな嫌な命令でも忠実に守ってきた。そして日ごろから常に御勅論の精神を、私の精神としようと努力した。天皇陛下よ何故私を助けてくれなかったのですか。耐えがたきを耐え忍びがたきを忍べといったのは、私に死ねと言うことだったのですか?私は殺されます。もし私が今度日本人に生まれ変わったとしても、決して、あなたの思う通りにはなりません。2度と兵隊にはなりません。いや私は人間になりたくありません。私は貝になりたいと思います」という遺書にがいとうするものがある。(加藤哲太郎著「私は貝になりたい」1994年)
天皇の責任問題にふれたりしたら、テレビ局に抗議文や脅迫文が殺到する時代だったので、ドラマでは天皇に対するようなコメントになっていない。天皇が神から人間になったばかりで、洗脳が解けていない事がわかる時代背景。
この遺書からもう一つ読み取れるのは、この学徒兵は最後の最後で洗脳が解けている。小さい頃から天皇を神だと信じこませられ、教育させられてきた人達。でも神なのに助けてはくれない。願っても自分は違うものに裁かれ助けを求めても救われないと分かった時、そのとき初めて洗脳が解けた。洗脳が解けぬまま死んだほうが幸せだったかもしれない。死んだ後に気付いたほうがましだっただろう。死んで初めて気づくことってあると思う。特に洗脳にかかっていれば、なおさら後悔するだろう。否むしろ後悔だらけだと思う。親兄弟、子供がいる人は子供達のことを気遣って死んでいくわけだから、後悔しないわけがない。そうなると生きている時の考え方と死んだ時の考え方ってもしかしたら180度違う事だって考えられる。
特攻隊として飛びたつ人が沢山いたが、ほとんど途中で撃墜されて、無駄死にだったことのほうが多かったそうだ。結局戦争で負けて死んでるのだから無駄死にになっている。だから無駄死ににならないように靖国参拝をお参りすべきだという考えがあるが、僕はむしろ逆だと思う。平成(明仁)天皇は1989年9月「戦後さまざまな天皇観が人々の間に併存するようになったのは良いことです。昭和の前半の様に一つの天皇観しか認めないのは間違いだった」と発言された事を考えても、そういう風にならないのがその人達の意思に報いる事であって、近隣諸国の人の輪を大事にして平和を維持する事がその人達に報いる事。もし又戦争になり同じ事を繰り返すほうが、本当の意味での無駄死にになる。我々は歴史から学ばなければならない。学習できないものは愚か者だ。2度と独裁者を作らず、その独裁者を指導する人間を作らず、洗脳されて無理やり戦争に借り出されて戦死しないようにする事が、その死んだ人に報いる事。そう考えると、その独裁者とそれを指揮してきた人間を参拝するなんてとんでもない話しだ。洗脳され嘘の教育を叩き込まれて嘘をついて国民を戦場に送り込み、多くの人が
なくなっている事を考えても、第二次世界大戦を肯定すべきものではない。A級戦犯を美化すべきものではない。
近隣諸国と仲良くする事。平和を訴えつづける事が、我々敗戦国日本に課せられた使命。そしてそれが洗脳され死んでいった人達に報いる唯一の方法。日本はこんなに平和になりました、安らかにお眠りくださいという気持ちだと思う。そう考えた時、それを指導、指揮していたA級戦犯をお参りする等という考えは多くの死者に対する冒涜に他ならない。戦争で死んでいった人達は赤札が来て無理やり戦場に連れていかれたと言うことを忘れてはならない。19歳という若い命が戦場に散っている。今のような自分から入隊するような自衛隊ではないし、自由平等の世界ではないのだから。
第2次世界大戦、枢軸国9カ国、連合国51カ国、死者4000万人以上、負傷者3440万人。これだけ多くの人が死んでいる。
その人達の死を無駄にしない様にするのが僕らの役目。2度と戦争を起こさない様にする事が死んだ人に報いる事じゃないだろうか。