イラクで又日本人が拘束された。
以前日本人の3人が拘束され、その後2人が拘束された時、僕は自己責任論を発した人間を批判した。女性も一人含まれ、未成年者も一人含まれ、遊びに行っているわけではなく、イラク人の助けに少しでもなればという気持ちがあって行っているのに、自己責任論で見殺しにしようとした。今も僕は間違っていないと思っている。実際問題この3人が拘束された時、日本のマスコミは拘束された人を袋叩きにした。それにより自ら行った風評被害にびびった日本のマスコミがイラクからほとんど消えた。日本はイラク戦争に賛成し、裏で糸をひいたにもかかわらず。日本のマスコミは逃げ出した。それで未だにジャーナリスト気取りでいる。そうしたジャーナリスト気取りの読売新聞者社の一人が、JR西日本の横転事故の会見場から排除された。ぼくも「マスコミの口車に踊る人々」という題で排除される前に掲載しているが、あまりにも不適切な発言が多いということで、読売新聞社は謝罪し、担当からはずしたのだ。遺族の側に立ちすぎて発言してしまったと言い訳しているが、それ以前にジャーナリストとしての正義と平等の精神とか、人間性のモラルとか、そう言うことを教育しろよ。そう言う面
で読売新聞社が、JR西日本を批判できない会社であることは明らか。あくまで事故であり事故を起こした人間は死んでいる。さんざんマスコミは運転士を擁護する姿勢をとり会社を批判していたにもかかわらず、JR西日本がその死んだ運転士に退職金を払うと言うと、今度はそれに対して批判している。ホント今のマスコミはわけ分からん。主体性とか、発言による責任とかないのかとすら思える。クエスチョンマークつけたり、言いたい放題のオンパレード。レベルの低さがにじみ出ている。
イラクで人質になった日本人や、その人達の帰国前後の、それにまつわる日本人の対応を映画にした人が、パルムドール映画祭に出品している。で、それを見た外国人が、日本人は大丈夫か?そっちのほうが心配だとコメントしている人がいた。僕がその場にいたら、先導した外務省やマスコミがあんぽんたんで、自分を持っていない日本人がその口車に乗っただけですと言っていただろう。良いのか悪いのか又日本の恥が世界中を駆け巡る。
イラクにボランティアに行って自己責任論が出たのと、電車の一列目2列目に乗ってた人はどこか似ている。そう考えると女性専用車両が1両目というのはどうなんだろう。人間が運転する以上絶対事故がなくならないなんてありえないからな。
でも今回のイラクで拘束され人質になった人間に対する気持ちは、今まで拉致された人達とはちょっと違う。
まず今回人質になった人はイラクにジャーナリストではない仕事のために行っていた。次に拳銃を持っていた。その上交戦してイラク人を殺している可能性が高い。それは今回だけに限らず拳銃でイラク人を殺している可能性が高い。しかも現場から一人逃げ出し、人がいるであろう店に逃げ込んだ。空家に逃げ込んだならまだしも、イラク人が巻き添えになるかもしれないのに、わざとそこへ逃げ込んだ。この人間の弟は兄は命乞いはしないだろうと言っていたが、命乞い以上にあくどい。自分が助かる可能性があれば他人を巻き添えにしても良いという感覚が気に食わん。で、1番大きな要因は捕まった人の弟が出てきて、「命乞いはしないだろうし、最後まで自分の意志を貫いてほしい」といっていたので、僕もその立場に立たせていただく、だが見殺しにせず少なくとも最善をつくして身代金を払って釈放を要求すべき。僕はこの人をすくえば良いとは思っていない。戦争中に武器持ってイラク人を殺した可能性があるのなら、殺されても文句は言えない。僕が思っているのはイラク人に対する慰謝料を払うという部分で、日本は金を出すべきだという観点から身代金を払うべきだと思っている。弟も
言っていることだし、死んでも誰も文句は言わないでしょう。