□ すべてを失った男の話。




昔々、ある国に疫病が流行っていた。

身体の到る所に真っ黒な斑点が現れ、やがて死に至る恐ろしい病だ。

ほとんどの人間が死んだあと、やっとのことで特効薬が完成した。

医者は残った国民全員に無償で薬を振る舞い、国家の滅亡だけは防いだ。





その国に、ある男が住んでいた。

男は妻と娘と息子と母と父と祖父と叔父と叔母を同時に流行り病で亡くした。

財産であった田畑も枯れ果て、家は度重なる風雨で崩れ落ち、少しずつ貯めた金貨は盗まれた。

男は嘆いた。一ヶ月と三日の間泣き続けて、まだなお泣いていた。

涙はやがて血の涙へと変わっていった。頬はこけ、髪は抜け落ち、皮膚は切れて血が滲んだ。

それでも男の声は擦れることなく、おぉん、おぉん、と響いていた。



四十四度目の夜を迎えた日。

やっと男は泣くのを止めた。



男は久しぶりの寝床へと戻っていった。

寝床といえどただの毛布。毛布に包まって男は呟いた。



「ああ……お金が欲しい……。おれにもっとお金があったなら……薬を買ってやれた……ああ……溢れるばかりの金貨が欲しい」



泣くかわりに、男はずっと呟きながら眠りに付いた。

























次の朝のことだ。

男が目を覚ますと、男の周りには山ほどの金貨が積み上げられていた。

夢などではない。正真正銘の、実物の金貨だ。

これは誰かのいたずらか? それにしても凝ったことをする。

そうだ、誰かのものだとしても、いただいてしまおう。

誰だか知らんが持ってきてくれたのだ。使ってしまえば、解りはしまい。

興奮した男はそう考えて、さっそく服や食べ物を買った。それでもまだ金は余っていた。













その日、満腹になって男は眠ろうとした。

が、中々寝付けない。それもそのはず、壁の壊れた家では隙間風がきつ過ぎた。

土の上に毛布を敷いて寝る生活。床などない。

しまった、と男は舌打ちした。布団だけでも買っておくべきだった、と。

そんなことを考えているうちに男は眠ってしまった。

ただ口だけは動いていた。



「家が欲しい、家が欲しい」

























また次の朝のことだ。

男はどこか豪勢な宮殿の一室で目を覚ました。

ここが自分の家だと解るのに、きっかり三時間を要した。

男はとても喜んだが、すぐにお城の番兵がやってきた。



「おい。こんなところに無許可で宮殿を建てては困る」



番兵はすぐ取り壊せと命じた。

こんな宮殿をもったいない。せめて今夜一晩だけでもここで過ごそう。

男はそう思った。一日が過ぎるのは速かった。もう取り壊すのだと解っていても、こんな巨大な宮殿で過ごせることが嬉しかった。



男はふかふかのベッドで寝る前に、ぴん、と閃いた。

ひょっとするとひょっとするぞ。

もしかしておれは、寝る前に言った言葉を現実にできるんじゃあないのか。

男が思いついたことは、ずばり当たっていた。



「地位が欲しい。王に指図されないぐらい、高い地位が欲しい」

























次の朝。

お城の番兵がやってきて、こう言った。



「新国王様、今日からよろしくお願いします」



男は笑いが止まらなかった。

なんだって一晩寝れば叶うのだとわかったからだ。

そうして男は次々と願い事を叶えていった。



服が欲しい、と言っては眠り。

朝起きると豪華な装飾の付いた服を着ていた。

また、食べ物が欲しい、と言っては眠り。

朝起きると食べきれないほどのご馳走の山があった。



そうして、広い土地が欲しい、と言っては眠り。

女が欲しい、と言っては眠り。

不老不死の身体が欲しい、と言っては眠った。























百と八の願いを叶え終わったある夜。

もう男に望むものは何もなかった。

これ以上とない幸せを手に入れたのだから!





けれど、男は何か満たされない気持ちがあった。



「ああ、どうしたことだ。おれはいったいどうすれば満たされるのだ?

 教えてくれ。その答えが欲しい」



























その夜。

男が眠ると、夢の中に美しい女性が現れてこう言った。



「貴方の心に足りないものは、『愛』だ。しかし『愛』は簡単には手に入らぬ。

 いま持っているものをすべて捨ててなお足りぬ。それでも欲するか、哀れな男よ?」



朝起きて、男は頭を抱えた。

いまここに在るものすべてを捨ててまで得るようなものか?

それはいったいなんなのだろう。



この生活は夢のような生活だ。

欲しいものは全部ある。

なのに、なのにどうしてこんなにもむなしいのか。

男には理由がわからない。

答えはきっと、昨日の夢に出てきた『愛』だ。

『愛』が足りないというのだ。

『愛』のある生活とはなんだ?

『愛』とはなんだ?

『愛』とは……『愛』とは……。







そして日が暮れ、男は眠れぬ夜となった。

ここで眠ってしまっては、きっと、愛が欲しい、と言ってしまう。

だからいまの生活を壊さないためにも眠らない必要があった。



眠らないよう、眠らないよう、ずっとずっと必死で目を開け続けた。

























三日三晩、そうしているうちに、とうとう男は眠ってしまった。

裕福な生活に慣れすぎて、身体が言うことを利かなくなっていたのだ。

なんだかとても久しぶりに、男はぐっすりと眠れた気がした。



「愛が欲しい。おれに足りない、愛が欲しい」



男は無意識のうちに呟いていた。













































翌朝、男が目を覚ますと、そこは小さく汚い木で造られた部屋の中だった。

しまった!と男は叫んだ。いままでのものを全部捨ててしまったからだ。

もう溢れるほどの金貨はないし、吐いて捨てるほどの美女も居ない。

あのいつまでもふかふかのベッドも、永遠に歳を取らない身体もない。

全部、全部だ。全部を失ってしまったのだ。



すると、男の目の前でドアが開いた。



そこには、男の叫び声に慌てて飛び込んできた妻の姿があった。



「どうしたんだいあんた!悪い夢でも見たのかい!?」



どこか見たことのある部屋だった。

そして男は思い出した。

ここは、自分の部屋だ。

ずっとずっと何年も住んでいた部屋だった。



「……?おかしな顔をしてないで、大丈夫なのかい?」

「ああ、いや変な夢を見ただけだ。朝ごはんにしよう」



男はどこか重たい気がする身体を起こして、部屋を出た。





テーブルの上には湯気の立つ朝食が並べられている。

そして息子と、娘と、母と、父と、祖父と、叔父と、叔母の姿があった。



「おはよう、お父さん!」



息子と娘がそう言った。

男は、なんだか胸が締め付けられた気になった。

そうして思わず、泣いていた。



「あんた何泣いてんだい!ほんとに大丈夫なんだろうね?!」

「あ、あぁ、本当に大丈夫だ……」



みんなは不思議な顔をしたが、男は気にせずテーブルに着いた。

あの夢の生活の中で見たとんでもないご馳走には程遠い質素なものではあったが、とても暖かかった。

おれはこの家族と一緒に居ることができて、幸せだ。

これ以上の幸せなんてものは、ありえない。



「なんだいあんた、幸せそうな顔して」



男はにっこりと、満面の笑みで答えた。

男の顔には曇りがない。

晴れ渡った青空のような透明感があった。

すべてをやりきった顔がそこにあった。











「おれは、おまえたちが居てくれることが、一番の幸せだ」











「おまえたちを、『愛』している」

































昔々、ある遠い場所に一つの国があった。

国では大した事件もなく、平和に時間が過ぎていった。

その国に、ある男が住んでいた。

男は妻と娘と息子と母と父と祖父と叔父と叔母に囲まれて、幸せに暮らしたそうだ。





どんなものでも一晩眠れば手に入るチカラを持った男が、結局最後に欲したもの。

それは、愛すべき家族だったのだ。

















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