Chapter 8 第383話
End of the Game −禽獣層・さよなら時空剣士−
クレスは斃れていた。膝を付き、重力にかしづく様に斃れていた。
拡がって全身を覆う黄土色のマントは、眠りにつく1人の剣士にそっとかけられた毛布のようだ。
事実、クレスは眠りたかった。指一本、筋一本たりとも己が意のままには動かない。
疲れていた。身も心も疲れ果てていた。
怒り、戦い、迷い、戦い、狂い、戦い、痛み、それでも戦ってきた彼が半生。
立ちはだかる壁を、立ち塞がる敵を、押し寄せる困難を、その剣で切り拓いてきた。
このまま永遠に眠ることになろうとも、無理もない。
いや、無理しかなかった。それほどまでに彼は傷ついていた。
いつかは、こうなるのだ。
どれほどの高き壁を登ろうとも、登った先にはより高い壁が待っているだけだ。
いつか現れるであろう超えられない壁に屈するまで登り続ける。
クレスにはもう、そんな修練に費やすだけの力など一滴も残っていない。
『何立ち止まってんだよ、クレス』
震えるだけの力も無い鼓膜に、懐かしい記憶が響いた。
僕が君を追い越せば、君は夜を惜しんで僕の背を追い、僕は既に追い越された君を追う。
力強く伝わる友の声が、心に届く。そうだ、共に強くなろうと約束した。
『なーにやってんのさクレス、だらしないったらないじゃない!』
蓮っ葉な声に、心臓の音が重なる。夏の青空のように突き抜けた少女の声が、神経に通る。
誰も彼もが時の狭間に去っていく、僕なんかとは比べ物にならない孤独を背負いながら、君は笑っていた。
太陽のように眩しかった君よ。君の輝きは、僕の心に惑う雲を払ってくれる。
『年長者よりも先に疲弊してどうする、クレス。お前の力はこんなものではないだろう?』
落ち着いた言葉に、筋肉の間にこびり付いた熱が払われていく。
一番大人でありながら、誰よりも純粋に道を追い求めた貴方よ。
ありがとう。貴方に出会えたからこそ、僕はここまで辿り着くことができました。
『クレスさん、貴方は誰よりも優しく……だからこそ、強い。ここで立ち止まる貴方ではないはずです』
幼くも凛とした音が、僕の中に力を宿す。
宿命を前にしても涙を見せなかった君よ。君が忍者だからじゃない、君は君だから強かった。
その強さが揺らぐ僕を奮い立たせる。君の小さな背中に、僕は宿命を背負う覚悟を見た。
僅かに湧き上がった力を使って、クレスは首を動かし顔を上げた。
仲間達の4つの手が、倒れ伏した僕に差し伸べられている。
ああ、とクレスの奥底から息が漏れる。そうだ、僕は独りで壁に向かってたわけじゃない。
そこにはいつも仲間がいた。肩を貸し合える、道を共に歩める、苦難を一緒に笑い合える仲間がいた。
クレスの膝に、掌に、脚に、腕に微かに、しかし確かに力が漲ってくる。それは自分から生まれたものではない、仲間がくれたもの。
一人では越えられない壁も……みんなとなら、越えられる。
立ち上がり、重ねられた掌にその手を伸ばす。そうだ、未だ戦える。僕はまだ立ち上がれる。
立て、立って、そして
「「「「無様に死ね」」」」
立ちあがったその正面に聳えた巨大な牙を前にして、クレスは泣くように笑うしかない。
「何、寝てるんだよ。クソ野郎が……」
2つの斧を咄嗟にかち上げてクレスは眼前の矢を弾く。しかし唯の矢ではないそれを前に、クレスは斧を吹き飛ばされてしまう。
「手前が眠らせたアミィの分にゃ、まだまだ足りないんだよ! ブチ抜け、大牙ッ!!」
弦が千切れるか否かその限界線まで引き絞られた弓から、殺意を乗せた矢が再び射出される。
憎い。許さない。殺す。およそ考え得る全ての負の想念が弦を絞る指より矢へと伝わり、
禍々しい程に巨大な牙となって仇たるクレスに噛み付こうとする。
その意思を込めた矢の前では、銃弾を斬ることさえできるだろうクレスも、魔剣で矢を弾くことすらままならない。
チェスターが矢に乗せた思いを殺しきることが出来ず、クレスはバックステップで意を逃がしながら飛ぶ。
「なんでだ、僕だ、クレスだ! 分からないのか、チェスター!!」
『戦の最中に談笑か。随分と傲慢だな!!』
しかし背後に聳え立つ紅蓮の腕が、友の矢に気を取られたクレスを捕まえる。
サンダ―マント越しでも伝わるその灼熱が、クレスには地獄の窯の温度に思えた。
「クラースさん……クレスです! クレス=アルベインです!! 話を……」
『――――――残念だったな。我が主にとって“お前など知ったことではない”』
誰よりも冷静に、一歩退いた視点から客観視できるクラースならば、剣を用いずとも通じるのではないか。
炎朧の向こうにいるはずの知己に向けた甘い夢もまた、炎に焼かれて消え果てる。
火の精霊は誰かの感情に同調するように、その義憤をさらに燃やしてクレスを掴む右手を輝かせた。
『重ねて言えば……“その剣は、我が仲間のモノ。お前が持って良い剣ではない”ともな!!
消し炭にしてくれる、“バーニング・ブレイク”ッ!!』
握り潰すと同時に、イフリートの拳が大爆発を起こす。
その爆炎の煙に放り出されるようにして、クレスが落下していた。
髪の何房かは焦げ目をつけ、皮膚のあちらこちらに火傷を負っていたが、明らかに威力に見合った分量ではない。
僅かに残っていた蒼い輝き―――虚空蒼破斬の鎧が、身動きのとれぬクレスを最後の砦として守っていた。
だが、それも尽きた。嘘を付かぬ精霊の言葉に、ある納得をしてしまった為だった。
「だからって、何で……」
「今更命乞いなど、聞けるとお思いですか」
落下するクレス目掛けて小さな影が飛翔する。
獄炎に彩られた世界の中にあってなお影さえ追い切れぬその速度は、紛うことなく忍の証に他ならない。
「すずちゃん……君もなのか、君も、俺を!!」
「如何にダオスの下僕に惑わされているとはいえ、貴方の剣は血を吸い過ぎました……」
中空を堕ちるクレスが剣を構える。地面を蹴ってすずが跳ぶ。
相手が若くして忍の頭領を務めるほどの才媛といえど、年端もいかぬ少女相手に剣を構える恥を知らぬクレスではない。
だが、剣に生きたその醜い醜い本能がクレスに半自動的に剣による反撃を選択させる。
「“俺をクレスと認めてくれないのか”!?」
「その剣はあの人の剣……決して血に濡れて良いモノではない!
故にその魔剣、ここで封じさせて戴きます―――――忍法・不知火ッ!!」
燃え盛る地獄の底の少し上で、剣士と忍者が交差する。2人が地面に着地し、鮮血の散る音がする。
「クッ……!」
「すずちゃん……! ご、ゴメン、僕……」
クレスに傷は無かった。剣も、装備も、肉体も、一切欠けることなくすずへと顔を向ける。
裂けた装束の肩口から、紅い血に塗れた少女の柔肌が覗く。
少女の傷よりも重傷を負ったような蒼い顔で、クレスがすずに手を伸ばす。
しかし、惰性的な良心から差し伸べられた掌に投げかけられたのは、幾本もの苦無だった。
「敵に情けを乞うほど、落ちぶれてはいません。もとより、忍者は非情でなければならないのです」
ハッキリと言われてしまったその言葉は、頬を掠めた苦無の傷よりも万倍心に沁みた。
かける情の無い、敵。そう、彼らにとって、彼女らにとって、僕は――――
「で、何時までアタシを無視しちゃってくれてんのさぁ?」
「ア―チェ……グはッ!」
陽気な声と共に、レイの光条が垂直にまっすぐクレス目掛けて降り注ぐ。
すずに気を取られていたクレスは、亜光速で直進する光の行軍を回避しきれなかった。
「ほらほらぁ、こっち見ないと3秒かからず黒こげだよ?
見なよ、アタシを、この天才美少女魔女の、ア―チェ様を。
聞きなよ、明るい薔薇の様なアタシの華麗な詠唱を!」
クレスの両側を挟みこむようにして、2枚のサンダーブレードがクレスに斬りかかる。
それを飛んで回避しながら、クレスは箒に跨る桃色の彼女を眇める。
「ア―チェ、話を…!」
「やっとこっち見た! でもゴッメーン。“あたしが見てほしいのはあんたじゃないの”。
やっぱあんたのキモ黒い視線は要らないから――――――――チェスターの為にブッ潰れてよ」
虚空に投げかけるように胡乱な、しかし確かに存在する意思が呪文を紡ぐ。
狂気に彩られても、彼女は確かに魔術のスペシャリストだった。
果ての未来に棲む魔女の背後から、時空と宇宙の理を捻じ曲げて無数の隕石がクレスを急襲する。
会話も通じず、キャッチボールの代わりに投げられた隕石群。クレスは言葉以外の方法で撃ち返すより術が無い。
「蒼破…! 何、出ない!?」
クレスが闘気の鎧を鋳造しようとするが、常にクレスに寄り添ってきた蒼はこの時閃かなかった。
迫る隕石を前にして、クレスは縋るものを失ったかのようにあたりを見回す。
そして見まわしたその先に、冷酷な瞳で推移を見守るすずが居た。
「言ったはずです。貴方のその偽りの剣技、奪わせていただきました」
ぞくり、とクレスが悪寒を走らせた時、熱風がクレスの外套をはためかせる。
顕わになったクレスの背中には、1つの札が貼られていた。
戦士達が欲する『経験』を多く積める対価に、同時に守りと技を剥奪する契約書―――――其は悪魔の札<デモンズシール>也。
「しま…っ!」
クレスが背中に手を伸ばす。しかし、隕石は容赦なくクレスの周囲を炎ごと踏み潰した。
圧倒的暴威の中で微かな意識が諦観する。
グチャグチャな心の中から掻き集めた仲間達の儚い声なんて、所詮唯の妄想。
この耳を侵す現実の呪言の前に容易く掻き消されてしまう。
どんなに高い壁も、仲間と一緒なら越えられる。それはきっと間違いじゃない。
でも、だったら、仲間だと思ってたものが壁だったとき、僕はどうすればいいのだろう。
―――――・―――――・――――――
『ほいさ、これでまた4枚。アタシのカルタはナリヒラも吃驚の“ちはやっぶり”、そう簡単には負けないよ〜?』
ホクホク顔で楽しそうに駒を指す魔法の鏡。だが、その盤面は凄惨と言っていい程一方的な状況だった。
親友たる射手。召喚術士が喚びし紅蓮の精霊。桃色の魔女。幼き忍者頭。
剣士にまつわる4人の戦士が剣士を徹底的に攻め続けている。剣士は、これで既に5回は地面を舐めさせられている。
ノルンの法によって保障された『語る必要のない王の力』によって出現した黒駒を前にして、
その否定を許されていないグリューネは耐え忍ぶより手が無かった。
敵の駒とはいえ、相手は剣士の仲間達。如何に襲われようと、全力で反撃することはできない。
だが、耐える為に仲間達の声を用い剣士の回復を行おうとすれば、記憶の仲間が上の句を告げた瞬間に敵陣の駒が下の句を奪って妨害する。
親友の妹だけだった時とは異なり、戦う術を持った彼ら相手では攻めることはおろか守ることすらもままならない。
結果、女流カルターとずぶの素人の札取り―――成す術無く札を半数近く取られたかのような窮地へと女神は追いつめられた。
「ベルセリオスや、サイグローグでもない、ただの鏡に……!!」
認め難い現実の狭間で、グリューネの目が血走ったように盤に魅入られる。どれほど目を凝らせど、その窮地が変じることは無い。
だがそれを行っているのがベルセリオスでも、サイグローグですらもない何処の馬の骨とも分からぬ存在だという事実を認めるには、
この絶望しかない世界からか細い希望を掴み取ろうとするグリューネにとって辛すぎた。
「何故、貴方が指すのです? ノルンの家具と億歩譲って認めたとして、貴方には理由が無い!」
『理由って言ってもな〜。あるにはあるけどさ〜〜〜見て、手が思いついたから。それだけじゃ駄目?』
「ダメという問題ではないでしょう!? この戦いに私が敗れれば、世界が――――――」
『救われなきゃ、ダメ? 世界を滅ぼそうとしてたら、それだけで負けなきゃいけないの?』
鏡の言葉に、グリューネが喉を詰まらせる。今まで楽天的に喋っていた鏡は、僅かに目を細めながら言葉をつづけた。
『生きたい、生きたいって願っても、ただそれだけで誰かが傷つくこともあるよ。
星を守りたかっただけなのに、それだけで人類を消そうとした星の意思もいるよ。
そんな人たちは、どんなに願っても叶っちゃいけないの? それが世界を脅かすから?』
世界を滅ぼすのは悪いことで、世界を守ろうとすることは良いことだろうか。
悪いことなのだろう。それを阻もうとすることは、きっと良いことなのだろう。
だが―――世界が滅ぶから、その願いが叶ってはいけないというのか。
どれだけ努力しても叶ってはいけないのか。本気を出してはいけないのか。そもそも願うことすら許されないのか。
『そんな考えじゃ勝てないよ。これは結末の決まった物語じゃない――――結末を勝ち取る戦いなんだよ』
ここには善も悪も無い。故に結末は決まっていない。
だから戦うのだ。自分の望む可能性を掴み取るために、他者の望む可能性を殺す。
その為に全力を尽くすのだ。持てる手札を全て使い、死力で、全力で結末まで戦い抜くのだ。
『物語なら“やらないほうがいいこと”があるけど……ゲームは“やっちゃいけないこと”しかないんだよ?
物語に拘る限り、完璧な物語を求めて自分を縛っているうちは――――――絶対に、勝てない』
そう、それがグリューネの致命的な弱点。
ブルーはレッドの引き立て役。殻臣の悪巧みが栄えた試しはなく、弱きは助けられ、
ビーチの平和はサンオイルスターに守られる―――――物語ならば存在する“約束”がここには無いのだ。
自分が完璧な物語を綴ろうと“約束”を守っても、相手がその“約束”を守るとは限らない。
“約束”は互いの合意があって初めて成り立つ。片方が想い込むだけの約束など、ただの枷でしかない。
グリューネはありったけの言葉を集めて抗弁しようとしたが、眼の前に繰り広げられた盤面を見ては何も言えなかった。
物語の中で「無い」と思った手も、法に照らし合わせれば「有る」。
物語という『枷』に囚われたグリューネの指し手と、限りなく自由に盤面を泳ぐ魔法の鏡の指し手。
どちらがより優勢になるかなど言うまでも無い。
「己が非道を、よくぞそこまで正当化する…!」
『……分っかんないかな〜〜少し――――――――――頭冷やそっかッ!?』
何かを決したような鏡の前に、光が集う。虚空に拡がる無数の星、そのうちの4つの星の光が鏡に向けて放たれていた。
光を受けた鏡は星の力を収束し、圧縮する。
かつて世界を救いし戦士4人分の力を集め尽くしたその暴威が――――砕けかけた屑星を破壊する。
―――――・―――――・――――――
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