加藤唐三郎の家譜
尾張徳川家御用窯
慶長15年2月、19代加藤唐三郎景貞の時御窯屋として召出され、御用を勤む。このとき苗字帯刀を許され、屋敷、窯場、工場等々の地を賜る。
又尾張城下に窯を建てお庭焼を勉める。これを世に御深井焼と云う。
爾後赤津に於て御高十石を代々受領する。これから以降廢藩まで代々御用をつとむ。

唐三郎家と仁兵衛、太兵衛家の関係


  注:仁兵衛家は春岱の死歿によって家系を断つ。太兵衛家は陶業を廃つ。




古瀬戸
鉄質黒釉の製品を指す。茶入、水指等。
黄瀬戸
黄瀬戸には下の三種があり
一、 グイ呑手
一、菊皿手
一、あやめ手
おりべ
一、黒おりべ又はおりべ黒 沓形茶?が多い。
一、青おりべ 今で云ふおりべはこれを云ふ。
一、赤おりべ   一、唐津おりべ   一、絵おりべ
一、志野おりべ  一、鳴海おりべ   等あり
志野
一、無志野
一、絵志野
一、鼠志野
一、其他赤シノ、紅シノ、練上シノ等あり。
おふけ焼
尾張徳川家の御用窯、名古屋城御深井丸にあつたもの。唐三郎、仁兵衛、太兵衛の三家によって縦業された。初めは古セト風の黒褐釉次に特殊な御深井釉(御深井青磁とも云う)が現れ又安南焼も写された。