IRIのペルー紀行
2006年1月1日僕たち夫婦は魅惑の(!?)地南米ペルーへ旅立ちました。
あの、『ナスカの地上絵』の・・・あの、『空中都市マチュピチュ』のペルーです。
地上絵やマチュピチュのことは知っていても、それがペルーにあるなんて意外と知らないのではないでしょうか。かくいう僕は行こうと思うまで知りませんでした(笑)
ヨーロッパだってアジアだってたいして行ってないのに、なぜペルーに行ったのか、行こうと思ったかについては、当然上記の2大世界遺産をこの目で見てみたいという気持ちがあったのはもちろんですが、漠然とした南米へのあこがれがあったのも理由の一つです。映画『モーターサイクルダイアリーズ』は知ってますか?キューバ革命の英雄チェ・ゲバラの若かりし頃行った南米縦断の旅を映画化した、それは美しい南米の情景が広がる傑作であります。チェ・ゲバラはそのたびの中でクスコやマチュピチュを始めとして様々な土地に立ち寄るわけですが、その情景がそれはそれは魅力的に映し出され、「ああ一度は行ってみたい南米」と思ったものです。それに地上絵やティティカカ湖が加わりツアーにあると聞けばどうやったて行きたくなるもんです。と、いうことで今回僕は(僕たちは)ペルーへの旅を決意したわけです(大げさだな)。
というわけでこのページではその時の旅行記と奮戦記を書き連ねようと思います。
今回の旅は日本旅行のツアーで「ペルー周遊ハイライト9日間」というもの、9日間とは行ってもペルーまではアメリカの空港経由して22〜24時間かかるのです。そのため実質現地では6日間のツアー。期待と不安をを胸に秘め準備をしたものです。そういえばペルーってガイドブックがほとんどないんですよね。「地球の歩き方」ぐらい。しかもその本も半分ぐらいしか占めない。それでもワクワクだったんですよ。行くまでは。それがあんな旅になろうとはこの時点では予想も出来なかった・・・。
【前日〜第1日目 2005年12月31日〜2006年1月1日】
ツアーの始まりは成田(空港)です。我々は北海道なので、冬の天候も考え前泊をすることに。ということは前日は12月31日大晦日。生まれて初めて大晦日を成田で過ごすことになりました。ホテルは「日航成田ホテル」。最上階のバーから見た成田空港の夜景は格別だったなあ。彼方から次々と飛んでくる飛行機達。それは明日からの旅の期待をいやが上にも盛り上げるものでした。このホテルに泊まった暁には必ずこのバーに行きましょう。絶対お奨めです。なぜかムード満点のバーで「PRIDE」を見てましたけどね(笑)
次の日はいよいよ出発の日、ところが飛行機が飛び立つのは午後16:30で集合は14:00。おもいっきり余裕っていうか暇があるわけですよ。そしてその日は1月1日お正月元日。合わせてその場所には日本で2番目に初詣の参拝者が多いと言われている成田山がある成田。これは行かねばならないと思い行ってきました。まあこのときの話は直接この旅に関係ないのではぶきますが、ただ一つおみくじの話を一つ。二人でおみくじをひいてみると二人とも吉。よく凶をひく二人なので(笑)とりあえずまあまあいいかなという感じ。でもその旅行についての記述が明暗を分けた。正確な記述は忘れてしまいしまいましたが、相棒は「旅に出るにはいいでしょう」みたいなことが書いてあった。一方僕は「見送るべし(仮)」みたいなことが書いてあり、今思えばある意味当たっていたと(恐ろしいほどに)思ったわけで、その時には「行っていいのか悪いのかどうすりゃいいんだ!?」なんて笑いながら話していたのが懐かしいです。この行ったら大変な目にあったみたいな記述の意味はおいおいわかります。そう旅程3日目にはすぐ。
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| これが成田からの飛行機DL56 |
そうして14:00にツアーの手続きを経て成田を出発するわけですが、我々が乗る飛行機はデルタ航空。アメリカアトランタ(空港)を経由してペルー・リマに向かいます。日本を16:30に飛び立ってアトランタに着くのが現地時間の14:55。2時間ほどアトランタ空港で待ってからアトランタを出るのが16:55でペルーリマ空港に着くのが23:30となります。日付が変わるのでよくわからないかも知れませんが、時間的には、日本−アトランタ間約12時間30分、アトランタ−リマ間6時間で乗り換え時間の2時間合わせて20時間の長時間フライト!いやー辛かった。海外旅行を経験している方はわかると思いますが、我々庶民は当然エコノミーなわけで、あの狭〜い席に何十時間と拘束されるわけですからそりゃあ辛い辛い。サッカーの高原がエコノミー症候群になるのもうなずけます。途中でストレッチをしようにも通路側に知らない人(ましてや外人)が座ってるとそうそう出て行けない。降りる頃には足がぱんぱんになるわけですよ。靴を履けないじゃないかってくらいに。しかもジェットエンジンの轟音が鳴り響き、僕は飛行機恐怖症だからおちおち寝てもいられない。実際にペルーにつくまで正味3時間ぐらいしか寝てないんじゃないでしょうか。
それにしてもアメリカの航空会社ぐらいなんでしょうか、あのフライトアテンダントの質は。以前にもアメリカの飛行機(その時はUA)に乗ったことがあるのですが、アメリカのアテンダントの方々はお年を召されたおばちゃんが多い。そしてとてもエレガントとはいいがたい男のアテンダントもいる。しかも制服ってものがないのか!?普段着みたいなカーデガンを羽織ったおばちゃんばかりでホントにアテンダント!?と思わざるを得ない。そして接客もぶっきらぼう。日本人に対してはどうも差別感を感じる。日本の素晴らしいスッチーの方々とは雲泥の差。どうしてこうも違うんだろうか?不思議でならないけど、これこそアメリカなんだなと妙に納得してしまったりもする。でもやっぱりあれはない。日本の飛行機に乗ってしまったら、好きこのんで乗りたいとは思わないよな。以前乗ったエジプト航空は良かったですホント。
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| 機内食:メニューはなんだったけ!?見るからにおいしくなささそうでしょ?ビスケットはおいしかったです。 |
それから機内食写真にもありますがアメリカの機内食はホント酷い。日本から出る便はまだ日本で作っているだけにいいけど、帰りはほんと、食えたモンじゃない。とにかく一言で表すと「グチャグチャ、ベチョベチョ」って感じなのだ。覚悟はしてたけどね、しっかり残しました。そうそう、アメリカといえばBSE、旅行全般でもいえるけど、牛肉は口にしませんでした。この前約束やぶって危険部位を輸出したようにホントに信用ならない国ですアメリカは。航空会社のサービスを見てもそれがよくわかるってもんです。
ちょっと横道にそれましたがここで時差についてまとめましょう。実はアトランタとペルーの時差はありません。そのためアトランタとペルーの現地時間は一緒なのです。それで日本との時差はマイナス14時間あります。例えば日本で昼の12時だと、アトランタ・ペルーでは前の日の午後10時ということになるのです。というわけで日本を元日の16:30に出ましたが、ペルーに着いても現地では1月1日(23:30)だったわけです。不思議なもんです。20時間もかかって飛んでいるのに日付が変わらないなんて。まあそれがある意味時差ぼけを呼ぶ原因の一つでもあるとは思いうのですが。
飛行機の中ではほとんど寝てないという話でしたが、なにをやっていたかというと、映画を見てましたね。デルタのB777はエコノミーでも座席にテレビが付いているんです。リモコンがファミコンのコントローラーみたいになっていてゲームが出来るのか!?と期待しましたが残念ながらゲームは出来ませんでした。ただ、映画のコンテンツは豊富で映画だけで5CHぐらいあったかな。ただし、日本語の吹き替え&字幕が入っているのは一部の作品で、作品によっては日本でまだ上映されていないけども言語がわからず残念ながら見ることが出来なかったという作品があります。たしか「スカイハイ」という映あがありましてで(日本の釈由美子が出てるやつとは違います。カートラッセルが出ていて、自身がスーパーヒーローで息子が落ちこぼれながら数々の困難に立ち向かいながら立派なヒーローになるといったような話です)見たかったんですけど日本語バージャンがなかった。根性で見ましたがやっぱり途中で挫折しました。その代わり見たのが、ダイアンレイン・ジョンキューザック主演「MUST LOVE DOGS」という映画。バツイチのダイアンレインがネットの出会い系サイトで出会ったジョンキューザックとすったもんだのあげく結ばれるというおそらくロマコメ。仕方ないって感じで見る分にはまあまあの作品だった。点数をつければ7点かな。おそらく日本ではやらないのではないだろうか(笑)他は見たことあるやつだったり、面白そうでなかったり、言語がわからなかったりして見てません。ただ、最後にあまりにも暇なので「グレムリン(なぜ今頃!?)」を見ました。あれなら言葉がわからなくてもなんとなくわかりますもんね。
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| 飛行機から見た黎明 この時は感慨深げでした |
てな感じで、12時間かかってまずはアトランタに着きました。あのアトランタオリンピックのアトランタです。とはいっても空港から一歩も外に出られなかったので感慨に浸ることも出来ませんでした。アトランタ空港はまさにデルタ航空の空港で、デルタ空港の飛行機が90%でしたね。まあ、自らデルタのハブ空港って名乗ってたぐらいだから、デルタ空港のほぼ専用空港なのでしょう。空港に着いたらまずはお決まりの税関チェック。これがまた並んで待たされるわけですよ。例のテロ事件以来、空港のチェックは厳重になっていて、アメリカに入国するたんびに指紋と顔写真を取られるのです。それは税関をぬけてからも空港のそこここに置いてあるチェックマシンでチェックを受けなければならない。非常にめんどくさいです。でもまあ自分の乗った飛行機がビルにつっこんじゃ困りますからね。仕方ないというところでしょうか。それにしても税関の役人の対応がぞんざい。やるきあるのかっ!?って感じです。後で聞いたのですが前日は大晦日だったので夜遅くまでのみ騒いでいたとのこと。それでみんな疲れてるんだって。そんなんだからアメリカは・・・・とため息をもらさずにはいられません。
アトランタ空港では乗り継ぎの手続きということで、現地のガイドさんが二人(日本人女性とアメリカ人男性)迎えてくれました。そして、ここで今回のツアーの参加するお仲間の方々と会うことになりました。ホントは同じ飛行機に乗っていたわけですから、成田で面通しがあってもいいと思うんですけどね。で、お仲間についてですが、実際に自己紹介をするのはペルーに着いてからなので割愛しますが僕たちを入れて全部で8人でした。ただ、このときに知ったのですが当初僕たちはこの8人がツアーの参加者だと思っていたのですが、実はそれだけではなく関空からツアーに参加する人たちがいるということを知りました。そういえば、このツアー15人集まらないと添乗員がつかないはずなのに添乗員がいるみたいな話をきいて不思議に思っていたんだすが、カラクリがわかりました。成田発と関空発の人たちを合わせたツアーだったわけです。関空組の方達についてはおいおいふれますが、関空組は15人合わせて23人で結果的に23人のツアーとなりました。
話をアトランタに戻しましょう。アトランタでは約2時間の空き時間、特にすることもないので空港の中をぶらぶらした後に待合室で待ってました。さすがに寝不足。ベンチで寝てしまいましたね。相棒によると口を開けて寝ていたみたいです(笑)
はっと起こされて、アトランタを発つことになりました。アトランタからは前よりは短いとはいえ6時間。十分長い。やっぱり緊張していたんでしょうかこのときも寝られなかった。今度は映画を見ようにも日本語言語がない。しかもなんだかよくわからないレイフファインズが出ているおそらくサスペンス映画。早々に見るのを諦めて、後はひたすらIPODで音楽聞いていました。それにしてもこの飛行機が揺れる揺れる!ちょうどメキシコ・カリブ海の上あたりでしょうか。ほんとシャレになんないぐらい揺れる!当然飛行機恐怖症の僕は手に汗ビッショリなわけですよ。ちなみに帰りも揺れたのでここは相当危険地帯なんだなあと思いました。そういえばバーミューダトライアングル近くじゃなかったかしら。考えれば考えるほど恐ろしい。この時僕は手記を書いていました。この旅毎日手記を書いて残そうと思ったんですよ。ところが揺れに揺れてただでさえ字が下手なのにちゃんと書けない。今それを見ていても自分の字ながら読めない。あまりの恐怖にこの手記が遺書になるんじゃないかと思ったりもしましたが、無事にペルーに着きました。まあ、この手記はある理由で途中で挫折してしまうんですけどねフフ・・・。
ペルー・リマ空港に着いたのが先ほども書きましたが元日の23:30。まあすぐに2日になっちゃうんですけど。日本とペルーで元日を迎えるなんて、なかなか経験できないことをしました。ペルー空港でも当然のごとく税関を通って外に出るわけですが、出るときにボタンを押せと言われるんです。その時は意味が分からなかったんですが、どうやらある確率でボタンにひっかかると荷物を検査されるみたいで、幸いにも僕たちはひっかかりませんでした。それにしてもその手続きで行列が。さっさと出たいのにあれはどんなもんですかね。
到着ロビーに出ると、現地のガイド日系の遠藤さんがお出迎え。気のいいおじさんで日系であるだけに日本語ぺらぺら。冗舌すぎて同じことを何度も言うという欠点はありますが、遠藤さんのおかげで楽しくツアーを続けることが出来ました。その遠藤さんに連れられ、空港の外へ、当然外は夜、第一印象としては「エジプトに似てる」ということ。なぜかというとなんとなくとしかいいようがないのですが、その印象はその後のツアーの最中でも感じるのです。気候は暑くも寒くもないけれど湿度が高いなあという感じでしょうか。あたりは真っ暗なので町の雰囲気はよくわかりませんでした。
その後はバスに乗り20分ぐらいしてリマ市内のホテルに着きました。ホテルはシェラトン・リマ・ホテル&カジノかの有名なシェラトンです。ロビーは広く豪華な雰囲気があります。でも深夜だれ〜もいません。あまりの静けさにちょっと悲しくなりました。疲れてたし。シェラトンではウエルカムドリンクがあってガイドさんが手続きをする間にソファーに座ってドリンクを飲む。そこでであったのがペルーのカクテル『ピスコサワー』ペルーのお土産にもなっているペルーのお酒ピスコにいろいろまぜて(それがよくわからん)作ったカクテルでございます。見た目は黄色で上に細かい泡がのってます。味は甘酸っぱいウオッカと言えばいいでしょうか。味的には甘いんですけど、アルコールが濃い!アルコール的にはウォッカに似た感じなのです。疲れた体にはなかなか効きましたがおいしいにはおいしかったかな。この後このピスコサワーことあるごとに出てくるんですけどこれまたある理由によって僕は飲まなくなります。そうそう、このときのウエルカムドリンクはこれだけでなく、水やコーラそしてペルーで水のように飲むと言われている大人気の『インカコーラ』が出て飲んでいる人がいました。これまたある理由によって僕はペルーでのインカコーラを飲むことはなかったのですが、お土産で持って帰って飲んでみた感想としては、「細長いポリエチレンの容器に入って、凍らせてチュウチュウ飲むジュースに似てる」という飲み物です。もちろんコーラの味はしません。そもそもスペルが「INCAKOLA」で「KOLA」だもの(本物はCOLA)ものすごい添加物の入った、インチキくさい味がします。
そんなドリンクを飲みながら我々成田組は自己紹介をしました。みなカップルでの参加で、某大学教授のフルムーンなご夫婦に、僕達と同じような年齢の海外旅行好きの若夫婦、ぞして今回のツアー唯一の新婚カップルを入れて4組8人というメンバーです。そうそう、僕たち以外にも関空からやってくる人たちがいるって言いましたよね。実は関空組の方達はその後朝5:00に着いてこのホテルから合流するというのです。しかも関空からは2カ所乗り継ぎをしなければならないと言うことで、かなり辛い状況でペルーに着くのです。ましてや次の日のツアーの出発は9:30!関空組の方々はろくにホテルで休むことも出来ずにツアーに参加しなければならない。思えば端っから過酷なツアーだったわけですよ。成田組の僕達もなんだかんだで寝たのが2:00頃ですからね。時差ぼけで寝付けないし、疲れが取れない状態でツアーに行かなきゃならないんだから。
まあ、とにかくペルーに着きました。次の日からの(過酷な)ツアーに備えて寝床に着いたわけです。しっかり長時間フライトの垢を落として。
【第2日目 2006年1月2日】
ああ、二日目の朝が明けました。何時くらいに目が覚めたんだろう。だいたい眠れたんだろうか?前日の夜に成田組の方々と8:00に一緒に朝食を取りましょうと約束をしていたから、6:30ぐらいには起きたと思う。何とも目覚めの良くない朝ですよね。完全時差ボケ状態で熟睡できてない。ホテルの部屋は名こそシェラトンとはいえ、築年数は古く、何とも微妙。更に今後僕を悩ませる変な臭いがと湿気が充満している部屋。シェラトンって一応5つ星のホテルなんですよね。でも、このそこはかとなく古ぼけた感じ、僕
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| ホテルの部屋からの眺め |
は生理的にダメなんですよ。(これがいいって人もいましたが)まあとにかく起きました。起きたらシャワーを浴びます。これまた、海外経験者はおわかりでしょうが、日本以外の国はたいてい水道水が硬水でシャンプーが泡立たない。シャカシャカっと頭を洗えないこのもどかしさ。まるでビダルサスーンのコマーシャルのようになでなでしながら洗わなければならない。これ嫌ですよねえ。まあ文句を言っても仕方ないので。髪を洗って、体を洗って(僕は寝癖と脂性なので朝頭を洗わないと嫌なのです)この日はチェックアウトしなければならないので荷物をまとめて朝食に出ました。朝食までは少し時間があります。その時間を利用して少しホテル探検を。このホテルレストランが1階ロビーに併設されており、更に奥にはカジノがドドーントあります。ちなみにプールもあるんですよ。結局カジノもプールも入れなかったけど、やっぱり海外の高級(!?)ホテルにはつきものなのでしょうか。それから地下に軽いショッピングモールが。朝早いのでお土産屋ぐらいしかやってなかったですけどね。ちょっとどんなものかと立ち寄ってみると様々なお土産物についている値段が高い!なんてことはない置物やニット帽なんかも数十ドルの値段が付いているのです。以前行ったエジプトは相当物価が安かったので(キーホールダーなんて一個10円ぐらいで買った)これにはびっくり。ガイドブックを見てもエジプトよりは物価は高そうだったから、こんなものなのかなと、まあ納得はしたんですけどもやっぱり高かったなああそこに売っている物は。実際にそんなには高くなかったんです。でも安くもなかったかな。
下調べを終えた後、朝食へと向かいました。朝食は当然のごとくブッフェ(バイキング)。初めて地元の食べ物に出会うんですから、期待半分、不安半分。レストランに入ってすぐ、確か(うろ覚え)ヨーグルトが置いてあって、パンが置いてあったはず。パンは見た目普通ですが、ちょっと堅そう。ちょっと進んで左手に土器の器に入ったペルー料理が
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| これが問題のフルーツ見るからにまずそうでしょ |
並んでいます。そのうちの一つに「ブッラクソーセージ」という名が。蓋をあけると直径3センチほどの真っ黒いソーセージ上の塊が入っていました。好奇心旺盛の僕は当然のごとくそれを一つ取り。更に奥へ進む。右手にはフルーツ生ジュースが置いてあって、その傍らにはフルーツが、そこには僕にとっては見たこともないフルーツの数々が置いてありました。そこからもやはり一つ二つ手に取る僕。そこから奥に保温鍋がいくつかあって、まず手前を開けると「じゃがいも」、その次も「いも」そのつぎも「いも」、さすがにジャガイモ発祥の地ペルー。でももういらないとおもいつつ次を開けるとソーセージが。そうそう、このレストラン日本人向けなのでしょうか、和食が置いてあったんですよ。おかゆ、みそ汁、漬け物なんかもありました。初日はさすがにせっかく海外に来ているのだからという気持ちで和食にわ手を出さず。他にハムなどをいくつか取って食事を取りました。それで、先ほどとった「ブラックソーセージ」これが実にマズイ。結局なんだったのかわからないのですが、とにかくぼそぼそぼそぼそしていて、とてもソーセージとは思えない食感そして味。ペルー一発目で最悪なものを食べてしまいました。それから、フルーツ、これまた、写真を見て欲しいのですが、中に一杯種が詰まっていてその種のまわりに実が付いているフルーツ。どうやら種ごと食べなきゃいけないみたいで、かぶりついてみるとこれまたマズイ。いや、マズイと感じるのは僕だけでしょうか。だって、種ごとなんだもの。フルーツを食ってるのか種を食ってるのかわからない食感なのです。少なくとも僕はダメ。まあ結局ペルーでの初めての食事の印象は最悪のまま幕を開けたという感じでありました。
朝食の後、出発まで少し時間があったので、当初から予定していたパソコン探しを始めました。というのも、今の時代、国際電話は高くて使えなくても、メールやネットで世界中やりとりが出来る。パソコンがあれば近況を日本の知り合いに送ることが出来るのです。実際アトランタ空港ではPCがおいてありました(実際にはカードが上手く入らなくて使えなかったんですけど)ここシェラトンにもないものかと探してみると、これがありました。正式名は「ビジネスセンター」なるほど、ねっとでやりとりを行うビジネスマンのためにそのような部屋があるわけです。そこで早速ネットにつないでこのHPにつなぐことを試みました。ネットは万国共通バッチリつなぐことができたのはいいんですけど、ここはペルー日本語言語が入っていない。ATOKやIMFは入っていないわけですよ。まあ想定はしてましたけど、掲示板にローマ字で書き込むことにしました。実際に掲示板を見ればわかるんですけど、打ちづらいし読みづらい(笑い)なんか片言の日本語をしゃべってる外人みたい。それでも現在無事に旅をしていることを伝えることが出来るんですから今さらながら感動もの。でも、肝心の親にはそれをやることを伝えておらず、HPに来る人もあまりいなくて、反応がなく、効果が薄かったんですよね。今度海外に行くときはしっかり伝えておこう。
ということでやっとこさ、観光に出発です(前段が長いんだよなあ(^_^;))今日は午前中“リマ市内”観光。昼食をはさんで“ナスカ”へ移動します。
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| これが黒い看板 ペルーにもある“ピザハット”ちなみにケンタッキーもあります |
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| これはカテドラル |
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| これは大統領官邸、立派でしょ |
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| これが噂のビックリドッキリメカ(笑) |
リマ市内観光はリマの旧市街(セントロ)を見ます。リマの旧市街はスペインのコロニアル建築が建ち並び美しい町並みを形成しております。ユネスコの世界遺産に登録している代物です。町並みが世界遺産だなんてうらやましいですよね。日本はすっかり近代化してしまって町並みが世界遺産になるなんて考えられないですよ。とにかくアルマス広場(ペルーの中心広場はみんなアルマス広場というらしい)を中心に美しいヨーロッパ様式の建物が建ち並ぶ姿は美しいの一言。旧市街では景観を壊すような看板は禁止されていてつけても黒く塗りつぶさなければならないそうです。ここでは大統領官邸を始めとして、カテドラルを見ました。そう見ただけ。大統領官邸は実に見事。ここにフジモリ大統領が住んでいたのかとどうでもいいような感想。その後は少し移動して、サン・フランシスコ教会・修道院の見学へ。途中ビックリドッキリメカのような軍隊の車を横目に旧市街を一歩き。今後すーっと抱く感想なんですけど、この旧市街は美しいには美しい。でも逆にここがスペイン人に占領された土地であるということも忘れてはならないんだよなあ。で、サン・フランシスコ教会・修道院ですが、これまたコロニアル建築の美しい外観で中にはいることが出来ました。キリスト教会ですから、そりゃあなかも見事な教会なわけなんですけれども調度品をみても実に歴史を感じさせてくれます。図書室のような部屋があったんですけど、ハリーポッターのような映画に出てきそうですよね。まその程度の感想しかなかったですけど、ここの見所はなんといっても地下のカタコンベ要するに墓場です。以前エジプトでもカタコンベを見たんですけど、それと明らかに違うのは、ここには人骨が今でも納められているんですよ。もう見事なシャレコウベがゴロゴロとあるわけです。実際には整然と並べられているんですけど。全て本物だと思うととにかく異様です。怖いです。ここではさすがに写真を撮るのをやめましたね。撮っていた人いたけど心霊写真にならなかったのかなあ。
旧市街観光は以上で終わりです。終わりなんです。今思えばもうちょっと見させてくれても・・・。その後は再びバスに乗って“黄金博物館”へ、黄金博物館は事業家ミゲル・ムヒカ・ガーヨ氏が収集したインカ時代の黄金の装飾品の数々を展示している博物館であります。黄金の遺産は当然のごとく盗掘などの憂き目にあって一部しか残っていません。その中でもここではインカ時代当時に使われていた鼻飾りなどが飾ってあります。展示品を見ていると黄金に彩られたインカ人の姿が目に浮かぶようです。蛇足ですけどガイドさんの話によるとこの博物館の館長である事業家の
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| サン・フランシスコ教会 美しい・・・ |
方は一時期子どもにその地位を譲ったことがあるんだそうですけど、その息子が悪いやつで、こっそり盗み出したり偽物と取り替えたりして大切な文化遺産をうっぱらっちゃったりしたそうです。まったくなんてことを。世界的なことですけど、貴重な文化遺産は盗賊によって何処へともしらないところに持ち出されていることを思うとホント怒りと切なさを覚えますよね。確信犯的に自国でどうどうと展覧している国もありますけど(笑)
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| パエリア、見た目上手そうなんだけどなあ |
これにて本日の観光は終了です。この後は昼食を取りました。場所は新市街のとあるレストラン。新市街はさすがに建物は近代的でここが本来の中心地なのであることがわかります。バスから眺めることしか出来なかったので感想はこれぐらいです。レストランはスペイン調で瀟洒な感じ。ここでは、ペルー料理セビッチュとパエリアを食べました。セビッチュは白身魚やイカなどの魚介類をレモン汁と香辛料で味付けしたつまり魚介のマリネのようなものです。お味は・・・うーんなんとも微妙。レモンがかかってるからすっぱいんですよね。ようするにおいしくなかったというわけです。それからパエリア、これはペルー料理というよりもスペイン料理ですね。見た目はおいしそうだったんですけど米がいわゆるインディカ米というやつですか!?粒が大きくてボサボサしているお米です。もうとにかくぼそぼそぼそぼそしていてハッキリ言ってマズイ!今後このお米には散々やられます。そういえば、ここでは『コカ茶』というものを飲みました。コカの葉っぱを煎じたお茶なんですけどこの『コカ』。あのコカインのコカなんですよ!そう、僕らはコカインを飲んだんです!なんてせいかくには「コカイン」ではありませんが、とにかくコカインの原料となるコカのお茶であります。こちらのお味も、うーん緑茶のようではあるけれども明らかに違う不可思議なお味。お茶的にはおいしくないですね。でもこのコカ茶、高山病に効くというのでこの後も散々飲みました。そうでなきゃ飲まない。
それからこの場では関空組の方々も交えて自己紹介が行われました。そうそう、書き忘れてましたけど、関空組の方々は朝から観光に参加しております。関空組には添乗員さんが付き添われていて、30代の女性の方でした。このかた添乗員さんとしてはざっくばらんな方である意味、今までイメージしていた添乗員さんとは違うんですけど、もうかなりのベテランで大変頼りになりました。世界何十カ国とまわってこられた方だそうです。関空組の方々は15名というわけですが、平均年齢はやや高めですが、20代(後半か!?)の関西ギャル!?3人組を下としておじいちゃんおばあちゃんのカップルもいましたね。ご夫婦で参加されたる方がほとんどなんですけど、女性一人で参加している方も二人ほどいらっしゃいました。いやあ、一人で参加なんてほんと感心しちゃうな。関空組の方々は1日目に書いたとおり、ほとんど寝てないわけです。調子悪そうでしたね。実際にほとんど食事に手をつけない方もいらっしゃいました。でも基本的に口に合わなかっただけかも。ああ、逆にうまいうまいともりもり食べていた人もいました。食の好みって人それぞれですよね(笑)
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| “オセロの知っとこ”で紹介していた道の真上で行われているパラセーリング、ホント道の真上! |
昼食を取ったんぼは14:00ぐらいだったような気がしますが、その後はまっすぐ次の観光地“ナスカ”へ移動です。バスで6時間ほどかかります。途中何度かトイレタイムする以外はひたすら移動です。リマを出るまでは美しいビーチがあったりしたのですが、市街地を離れるとひたすら畑が広がり、やがて砂漠のような荒野が現れます。退屈です。ホント退屈です。でも乗るしかありません。それでもきれいな夕日を眺めながらなんとかナスカのホテルに着きました。
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| スープスパゲッティ | 魚のムニエル | 焼きプリン どれも見た目は上手そうなんだが・・・ |
ホテルの名前は『ホテル・ナスカラインズ』そのものずばり『ホテル地上絵』です。建物はモダンな作り。着いたときはもう日が暮れていたのでよくわかりませんが真ん中にプールがあってとってもムード満点です。とにもかくにも着いた時間8:00ぐらいだったでしょうか、夕食をとることになりました。夕食はとっても薄味のスープスパゲッティ(っていうかな)になんの魚がわからないけれども魚のムニエル、そしてデザートに焼きプリンです。どれもこれも味は微妙。上手いかマズイかでいえばやはりマズイということになるでしょうか。このあたりでペルー料理は口に合わないなという気持ちがかなり強まりましたね。
ということで、食事をとって早々と就寝です。だって次の日の出発が7:00なんですもの。とにかくこのツアーは日程が厳しい。この後も夜が遅かったり、朝が早かったり、ゆっくりする暇が非常に少ない。それで体調も崩しやすいんですよね。
それから寝る前にテレビについて一つ。ペルーはケーブルテレビだということはお知らせしましたが、その中で日本のアニメをやっているチャンネルがあるのです。僕はペルーで「ドラゴンボール」と「キャプテン翼」を見ました。スペイン語で。ちゃんと「ごくう」とか「つばさー」とか言ってましたね。なんか不思議な感じですけど日本のアニメはペルーでも大人気。万国共通なんだなあということをあらためて感じたわけです。
ということで、2日目の夜も更けていきました。
【第3日目 2006年1月3日】
ペルー2日目の夜はさすがに疲れもあり寝付きは良かったんですけど、朝が早かった!時差ボケのせいでしょうか、旅の興奮のせいでしょうか、起きたのは4:30ぐらいだっ
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| 雰囲気はいい感じのホテル・ナスカ・ラインズ |
たと思います。起きてみるとうるさいぐらいのニワトリの鳴き声しつこいぐらいに鳴いてるんですよ。実際にわとりに起こされましたね。改めて鳴き声を聞いてみるとニワトリってちゃんと『コケコッコー!』って鳴くんですよね。そんなことを考えながら一度目が覚めちゃったら眠れないんですよねこれが。しばらくうだうだやった後にせっかくなので起きて部屋の外へ。そうだこのホテル写真を見てもらえばわかると思いますが、部屋の外は外なんですよ。プールを中心にしてぐるりと部屋が囲んでいる造りとなってます。日本ではほとんど見られない造りですよね。洋画ではよく見かけるいい感じのホテルです。で、外へ出てみるとそこは夜明けちょっと前という感じでうっすらと太陽の日がさしかかっています。「ああ、もうすぐ夜明けだ」と思って、朝焼けを撮ろうとカメラをとりにいきホテルの屋上へ。といっても2階建てなのでいまいちあたりを見渡せるような状態ではなかったのですがそれでも異国の地、徐々にあたりが明るくなっていく中ぼけーっと黄昏れる(朝だけど)僕。朝焼けを撮ろうと待ちかまえていたのですが、なかなか夜が明けない。しかもどうやら建物がじゃまして上手に撮れそうにないってことがわかってきたので、結局中途半端な景色を撮って部屋に戻りました。
部屋に戻ると5:00すぎ、6:00起床で7:00出発ですからシャワーを浴びたりと朝の用意をして朝食へ。朝食の前に昨日目をつけていたホテルのお土産屋へ立ち寄りました。今回初めてのお土産屋で、ナスカという土地柄、お土産は地上絵ものがほとんど。Tシャツ、置物、壁掛けそして銀製(ほんとかな!?)の装飾品等々、当然日本では売っていないものばかりですからちょっと興奮しましたね。僕が一番に惹かれたのが『ピンバッジ』もともと映画のピンバッジをコレクションしている僕ですから、地上絵をモチーフにしたピンバッジなんて目がないわけですよ。ところで、地上絵といえばみなさんなにを思い浮かべますか?やっぱりコンドルもしくはハチドリあたりだと思うんですけど、僕も偉そうに言っているわりにはその程度地上へしか知らなかったわけで、実際地上絵はいっぱいあるんですよね。今回の旅で知った地上絵で印象に残ったのが『サル』の地上絵です。しっぽがグルグルっとまいてるかわいいお猿さんが地上絵になってます。で、話を戻しますがそんなお猿さんのバッジも合わせて3つのバッジを購入しました。一つあたり10$。バッジとしては高いのか安いのか、いまだにほんとに銀製なのか疑わしい感じですがまあ記念ですから、僕は満足しています。他にも砂絵で地上絵が描かれた置物とTシャツなどを買って朝食に向かいました。
朝食は特に変わったものはなかったかな。生フルーツジュースにパンにジャムにフルーツう〜んそんな感じ、ハムもあったかな。このとき一番印象に残ってたのが、カップヌードルを食べてたご夫婦。そのご夫婦はけっこう海外旅行をする方らしいのですが、さすがに今回はペルー料理が口に合わないのではないかと持ってきたのこと。ちょっとうまそうでしたね。そうだここでもコカティーを飲みました。
朝食を食べた後はすぐにお出かけです。そりゃあ7:00出発ですもの。早いよなあほんと。まあ文句を言ってもしょうがないのでそそくさとバスに乗り込みいよいよ第一の目標地上絵観光へ。この日はほんと天気が良かった。そもそもナスカ地方はほとんど雨が降らないのです。降っても霧雨程度。だからこそ地上絵が今に至っても残っているのです。ここでどうやって地上絵ができているかと申しますと。あの線はただの溝なのです。ナスカ平原は壮大な荒野。その荒野の表面は黒い土で覆われています。その土をちょいとどけるとその下から白い土が見えるのです。それが地上絵のラインになるわけなのです。というところで話を戻しますけど、ホテルから30分もして地上絵遊覧の出来る空港(小さい)へ到着。すぐには乗れないので近くのホテルみんなで待つことになりました。地上絵遊覧はセスナで行います。セスナなので大体3人〜5人乗りになるわけで一度に全員行けないわけでガイドさんに言われるがまま4〜5人ずつ乗ることに。僕たち夫婦は最後に乗ることになりました。一回のフライトは大体50分ぐらいかかるみたいで、僕らは相当待たされたんですよ。2〜3時間ぐらい待ったのですっかり待ちくたびれちゃいましたね。順番が来るまでなにをしていたかというと、ホテルには地上絵観光ということで、テレビを見ることができる場所があって、そこで地上絵に関するテレビ番組を見ました。なんとその番組は日本製NHKスペシャルかなんかの映像です。もちろん日本語。その内容はなんのために地上絵が描かれたのかその理由を研究している日本の研究者についての番組でした。暦を表したものだとか、宇宙人へのメッセージだとか言われている中、その研究者の方の説によると、先ほど言ったとおり雨が降らない、だから、雨乞いのために地上絵を描いたというのです。地上絵のモチーフとなっている絵は水(雨)を象徴しているものが多くそれが理由の一つとなっているようで、地上絵が一筆書きになっているのにも理由があって雨乞いの行列がその絵の溝を祈りをささげながら一周するんだそうです。まあこれも仮説の一つにしか過ぎないんですけどね。その番組を見てると妙になっとくするものがありました。そうそう、我々がそれを見た後外人のグループに入れ替わってその国の人たち用の番組をやってましたね。結局待ち時間が長いのでそういうサービスが生まれたんでしょう。そして、それからそのホテルにもお土産屋がありまして、当然そこでもお土産を買いました。正直こっちのお土産屋の方が良かった。失敗したと思ったけど、しょうがいない。そこはそこで買ったわけですけどここには石が売ってました。ただの石じゃないですよ地上絵が描かれた石なのです!っと力説したところでただの石にはかわりないんですけどね(笑)とにかく一個1$ということもありたくさん購入。ただの石とはいえ日本では手に入らないものですよ。原価を考えてみるとぼったくられたかもしれませんが旅の記念にはなると思います。実際もらった人は喜んでましたよ・・・たぶん。あ、これちゃんとキーホルダーになっているものもありました。ただの石なんですけどね(笑)他には地上絵が描かれたペン立てを一つ購入、ベタです思いっきり。それから日本語で書かれた地上絵のガイドブックを一冊購入。これもベタだな(笑)そんなとこでしょうか。ちなみにここには定番のTシャツや装飾品各種置物が売ってましたよ。実はこの後も土産物屋はいっぱいあるだろうから帰るんじゃないかと高をくくっていたんですよ。だからあまり買いませんでした。そう思っていたらその後土地が変わるとそこのお土産屋にはナスカものがほとんど(まったくといっていいほど)売っていない。ああ、
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| これが問題の・・・ |
あのとき買っておけば良かったと後悔してます。みなさんもペルーでお土産を買うときは注意しましょう。ただしアルパカ製品はけっこうどこでも売ってます。そうそう、言い忘れてたんですけど、ここのお土産屋に恐るべきものが売っていたのです!というのも、男性と女性(デザインがナスカチック)が○○○ている置物が売っているのです。まるでペルー版48手人形みたいな(笑)これがまたどうどうとレジの後ろの棚にずらーっと陳列しているんですよ、なぜか。理由を聞かなかった(聞けなかった)のでどうしてそういうものがお土産として売っていたのかわからないんですけど、日本でも観光お土産屋に意味不明なエッチなキーホルダーとか売っていますよね。あんな感じなのかなあと(笑)まあそれにしても意味不明なんですけど。
てな感じでお土産屋で時間をつぶしながらもまだ順番が来ない。外に出るとこれまたプール(ちっちゃい)があったりして天気もいいからトロピカルないい雰囲気。暇なので小鳥なんかをカメラで撮りながら待っていると、先に行っていた人が次々と帰って来ました。「どうでしたか?」興味津々で聞いてみると。返答が皆イマイチなのです。どうやらほとんどの人がセスナに酔ってしまったようで具合を悪くして帰ってくるのです。話を聞いてみると、最初は楽しいんだけれど、途中から酔ってきて見学どころではなくなってしまうらしく、「気をつけた方がいいよ」と念を押されてしまいました。事前に酔い止めを飲んでいた人はわりと酔わなかったらしく僕たちも勧められたんですけど、持ってこなかったし、大丈夫だろうと高をくくって飲みませんでした。それが結果的には良くなかった。まあそれは後で詳しく説明しますが・・・。
そうこうしているうちにいよいよ僕たちの順番が巡ってきました。ハッキリいって待ちくたびれちゃいましたね。かなり期待がふくらんでいたんですけど待たされた上に具合が悪くなるなんて言われていくらかしぼんでしまいました。それでも今回第一の目的ナスカの地上絵観光。喜び勇んで飛行場に向かったわけです。飛行場は観光のためのセスナが離着陸するだけですからそれはこじんまりとしたものです。受付ではこれからお世話になる操縦士(鼻毛が伸びてて気になった)が待ちかまえていて片言の日本語を使うその操縦士相手に搭乗手続きをしました。その時の説明で、地上絵のイラストをさしながらこういう順番で飛びますというような感じの説明があります。セスナ観覧では15の地上絵を見るのです。ここで改めて地上絵っていっぱいあるんだということがわかります。さあいよいよセスナに乗り込みます。その時ガイドの遠藤さんに、カメラに気をとられていたら酔って見られなくならから見ることに集中した方がいいよとアドバイスを受けましたが、かまうものか!俺は写真を撮りに来たんだい!手な感じで(もちろん口には出しませんでしたが)セスナに乗り込みました。セスナは6人乗りで、前から2,2,2の座席配置。僕たち夫婦は一番後ろに乗りました。一番前には操縦士と今回人数の関係で奥さんと引き離されてしまった方が乗り、真ん中にはメキシコ人風の40代(おそらく)夫婦が乗りました。この二人がまあ、ラテンの血なのか妙にハイテンション。しきりにチュッチュ、チュッチュするんです。ちょっと外国人のテンションにひきながらも、それにしても狭い!後ろの席なんてほんとキュウキュウです。そうそう、この飛行機にはヘッドホンが一人に一個ついていてそれを着用します。というのも操縦士が「右にコンドルの地上絵があるよ」というような指示を聞くためです。ところで僕は当然のごとくセスナは初体験。初体験が地上絵観光なんて最高だなと思いつつせすなは離陸へと向かいました。
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| クジラ若干逆さなんですけどわかります? | 宇宙人!?です | 渾身の撮影コンドルです。でも白いなあ・・・ |
我々を乗せたセスナは滑走路を滑らかに加速していきます。それとともに僕の興奮も上がっていきます。そしてついにテイクオフ!軽やかに飛び立ったセスナは眼窩にナスカの荒野を見下ろして飛んでいきます。あまりの軽やかさに正直ちょっと恐怖もありましたが、天気もいいし最高の気分、外人なみにさけびたい気分でしたね。せすなはそんな我々を乗せて目的の地上絵へと飛んでいきます。いよいよ僕が夢にまで見た地上絵をこの目に見ることが出来るわけです。その時の気持ちは一生忘れないでしょう。「そろそろかな」と思っているとヘッドホンから操縦士の声が。「いよいよか!」と思っているとヘッドホンからは「みぎ〜、ライン」という気の抜けた声、「えライン・・線!?」なんて思いながら見てみるとほんとにただの線。地上絵はけこうこういったただの線とか幾何学模様みたいなのも多いんですよ。それはそれで凄いんですけど。今回の目的はそれじゃない。「地上絵を見せてくれ!」との願いに応えるように見えたきたのが『クジラ』です。それはもう子どもが描いた絵のようなくじらの絵に機内狂喜乱舞。喜び目を合わせる二人。僕達はついに地上絵を目にしたわけです。もちろん僕はこの劇的な瞬間をカメラに納めようとシャッターをきりました。なかなか揺れるのでさだまらないカメラ。それでもしっかり撮りましたよ写真を。感動と感慨にひたっているその時なにか妙な違和感が・・・。このセスナ観覧は二人ずつ乗っているわけですけれども、地上絵を良く見せるために片方にかしいで旋回します。そして反対側の人に見せるために必ず反対に旋回するのです。そうです、これがセスナ酔いの正体です!まっすぐ飛んでいる分にはなんでもないんですけどその旋回が乗客の三半規管を刺激するのです。「ん・・・あれ!?」と思っていると、操縦士の「ひだり〜うちゅうじ〜ん」なんてかけ声とともに次々と現れる地上絵達。夢中で写真を撮る僕。ところが先を進めば進むほど胸と下腹部がムカムカと・・・。「やばい!酔ってる!」と思ったときにはもう手遅れ。すっかり乗り物酔いモードにはいちゃってるわけです。そうなるとカメラ越しに地上絵を見ると倍酔う!せっかく写真に収めようと思っていたら気持ちが悪くなるなんて・・・。すべての地上絵を撮ろうと思ったんですけど、途中で諦めました。だってそのままだったら吐きそうだったんだもの・・・。でもコンドルだけは・・・コンドルだけは・・・それだけは最後に撮りました。コンドルなんてほんと中盤なんですけどもう限界でした。それ以降は渾身の気合いで観覧をするのみ、でも視線は一定。視線を変えると気持ち悪いんですよ。もう隣の相棒を見る気力もありません。とにかく視線を一定に保たなければ。その一心で観覧を続けました。一番遠いところに「ハチドリ」と「星」「ペリカン」があったのですが、「早く帰ってくれ〜、降ろしてくれ〜」の一年で感動も半減、朦朧とする意識の中、なんとか全ての地上絵を目に焼き付け(られたのか!?)ました。けっこう他の方は耐えられなくて全部見てない人多かったんですけどね。これだけは僕の誇りです。全ての地上絵を見てセスナはやっと帰路につきました。でもここで、なんとも嫌な匂いがそして嗅いだことのある匂いが・・・。操縦席の隣の方が耐えきれずに吐いてしまったのです。それを後ろから見つめる。「ああ・・・耐えきれなかったか・・・」同情と憐れみを抱きながら、もらわないように注意しながら再び飛行場へと降り立ったわけです。それにしてもこの時の操縦士の気の抜けた「みぎ〜コンド〜ル〜」という脱力感満点の声は一生忘れまい。大感動の地上絵空中観覧もセスナ酔いですっかりみそがついてしまいましたが、いろんな意味で思い出深いものとなりました。降りたってしばらくは足下がふらふら、三半規管が完全におかしくなっていました。それでもほっとした気持ちでツアーのみんなのところに戻って感想を報告。みんな一様に苦笑いで報告を聞く中、唯一の新婚カップルが「すっごい楽しかったと」という報告が、あまりに楽しくて最後は曲芸っぽいことも依頼したとか。ほんとに信じられないですよ。まあ若いっていいですよね(笑)
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| 韓国プルコギに似てるロモ・サルタード |
空中遊覧の後は例の待ち合わせ場所にあるレストランで昼食です。そうです、酔って具合が悪い状態で昼食を食べなきゃならない。とても食欲は湧きませんよね。実際具合が悪くて食事を抜いた人がいました。でもせっっかくですから口はつけました。この時のメニューはサラダにペルー料理「ロモ・サルタード」、牛肉をタマネギなどで炒めた野菜炒めで、まあまあ食えました。っていうよりそれについていたフライドポテトが上手かった。フライドポテトだからうまいもマズイもないですけどね。具合悪いなりに食べまくってました。そういえば、ペルーはジャガイモ発祥に地(のはず)ジャガイモはたいていの料理についていてこの後もなにかと口にしてました。このレストランで目に入ったのがアイスクリーム。デザートで出るようなものじゃなく、普通に売っている棒付きとかカップのアイスクリームです。この度一度は現地のアイスクリームを食べたいと思っていたんですよ。でもこの時は調子も良くないしやめておいたのですが・・・その時の気持ちがこの後の伏線になるとはその時は考えもしなかったです。
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| ナスカの用水路 |
昼食が終わった後は再びナスカ市内に戻って「アントニーニ博物館」見学。この博物館には黄金博物館とは違いナスカ文化の置物が展示されています。土地が変われば文化も違うのでしょう。黄金をあしらったものはほとんどありません。ですがナスカの文化はほんとにユニークで、それこそ子どもがいたずら書きをしたかのような見た目チープな絵柄がたくさん描かれています。チープといってもここまでくれば立派な芸術。この博物館で一番感心したのが中にびっしりと絵が描かれている壺があったのですがこれはホントに凄いです。口は人の手が一本しか入らないような大きさなのに、横に大きく広がった内部にはびっしり描かれているんですよ。今は割れてしまって中が見えるのですが、実際絵を描こうと思っても中が見えないはずなんでずよね。当てずっぽうで描いているものではなく精巧に描かれてその絵はほんと神秘的でした。(写真は×なのでここに載せられなく残念)博物館の外にはナスカ時代から現代も使われているという用水路が展示してあります。エジプトなんかもそうですけど大昔の人はびっくりするような技術を持っていますよね。でもこの用水路が今も使われているのかと思うと、凄いと思う反面ペルーの生活レベルが知れてちょっと悲しくなりました。
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| パンパシフィックハイウエイ |
博物館を出て次は「ミラドール」へミラドールとは要するに展望台のことで、セスナに乗らずとも地上絵を見ることが出来ます。ただし展望台なんで見られる地上絵は「手」と「木」と「とかげ」ぐらいなんですが、具合も悪くならないので改めて感動。しっかりと写真に収めました。このミラドールはペルーを縦断しているパンパシフィックハイウエイに面してあり、道路は気持ちいいほどまっすぐです。北海道も長い直線に出会うことがありますけど、このパンパシフィックハイウエイにはかなわないですね。世界は広いです。
ミラドール見学も素早くすまし、今日の観光はとりあえずこれで終了です。この後リマに帰らなきゃならないからまた6時間ほどかかってバス移動なわけですよ。地上絵に名残を惜しんで一路リマへ。相棒は疲れていたのか早々と寝てしまったのですが、僕は妙に目が冴えていて、時間が経ったので具合も良くなり、バスの中でやることもないので、手記を書くことにしました。この時はほんと調子は悪くなかった。天気も良かったので、ペルーの荒野を車窓に眺めながら余韻に浸る僕。なんたてあこがれの地上絵を見たわけですから興奮が残っていたんでしょうねきっと。そしていよいよ運命の時が迫る・・・。
バスはその後トイレ休憩に入るのですが、行きと違って帰りはコンドル見物をすることになりました。場所はちょっと忘れましたけど小さな空港に小さな動物園(ってほどでもないけど)が併設されている場所でトイレ休憩とともにコンドル見物。コンドルがいる檻に入って記念撮影。ほんと間近でコンドルを見てちょっと感動。でも出るときチップおじさんがいてしっかりチップをとられました。その場を後にしてバスに向かう途中僕の目には売店の姿が、そしてそこにはアイスクリームが売っています。この機を逃すと今日の所はアイスクリームを口にすることが出来ないと思い、カップアイスを購入しました。普通のバニラアイスと比べるといろんなシロップのようなものが混じっていてトロピカルな雰囲気。喜び勇んでバスの中で食べました。味はそれこそ濃いめのバニラ味に各種のジャムっぽい味が混じって、まあまずくはないかなって程度。でもこの時気になったのが蓋を開けるとあきらかに一度溶けて固まったような空間があって多少大丈夫かなあと思いましたが、アイスに賞味期限はないなんて話を聞いていたのであまり気にもとめずに食べました。
その後もバスは僕らを乗せてリマへと向かいます。この時ぐらいになると僕もさすがに疲れてきて眠りに入りました。そうここまでは何事もなかった。今日も一日辛いこともあったけど楽しかったと、そう思って眠りについて、どうれくらい寝ていたのでしょうか、しばらく経って突然、そのことは起きました!猛烈な下腹部の痛みに僕は目を覚ましました。下っ腹をナイフで刺されたかのような痛み。その時の僕は脂汗をかいていたと思います。薬をもらって飲んだのですがいっこうに効く気配がない。意識が薄れていきそうです。そして猛烈な便意も催した僕はバスに備え付けてあったトイレにかけ込もうとしたのですが、気が動転していた僕は電気のつけ方がわからない。薄れいく意識の中で相棒にそのことを任せた僕は近くの席で数秒意識を失ってしまとのだと思います。「大丈夫!?」という声に目を覚ましたときにはもう後の祭り、トイレに入りはしましたが・・・その後のことは察してください・・・。はずかしくて詳しく書けませんがその後は修羅場だったとそれだけいわさせていただきます。
なんとか用を済ませはしたのですがいっこうにお腹の痛みは収まりません。そうですこれは単なる腹痛ではなく完全な「食あたりによる胃腸炎」となってしまいました。原因を思い返してみると先ほどのアイスクリームしか思い当たる節がないのです。それ以外のものはみんなと同じものしか食べていませんでしたし、あのアイスクリームを食べるまでは何ともなかったからです。日本に帰ってきてから知ったのですが、海外旅行ではアイスクリーム(市販)でも食あたりになるとのこと、腐らないから冷凍庫に入れっぱなしになっていて雑菌がつきやすいんだそうです。そういえば、一度溶けたような跡があったものなあ。それに地上絵観光でお腹が気持ち悪くなっていたのを思い出しました。そのことと合わせ技になって食あたりになったんでしょう。いずれにしてももうこの先海外で市販のアイスクリームを食べることは2度としないでしょう。それくらい今回の食あたりはこの跡の旅行に影響しました。腸炎ってのはそうかんたんに治らないんですよね。以前経験したことがあったので僕は絶望感に見舞われたことを今でも覚えています。その後のことは記憶も定かじゃありません。気力も失せて半病人のようなかっこうでリマへと到着しました。
ホテル(前に泊まったシェラトン)につくと早々に部屋へ移動、そしてシャワーを浴びてとっとと寝ました。お腹は依然として痛く気が遠くなりそうです。本当であれば夕食なんですけどとても食べられる状態じゃない。夕食は相棒も道連れになって抜きになりました。ご馳走があったかも知れないのに相棒には本当に申し訳ない気持ちで一杯です。
といった感じで海外旅行中に胃腸炎という最悪の事態を招いて3日目も旅が終わりました。この後も僕の苦闘はさらに続きます・・・。
【第4日目 2006年1月4日】
4日目の朝はそれは最悪に目覚めの悪い朝となりました。とりあえずお腹の痛みで目が覚めることもなく寝ることは出来たんですけど、起きた瞬間もお腹がきりきりと痛みます。まあ一頃よりかは落ち着きましたけど、調子は完全に悪かったです。お腹はゆるゆる、まっすぐトイレに駆け込むありさま。ある程度覚悟していたので今後、相当悩まされるんだろうことは予想がつきました。それでもなんとか食欲はあったので朝食へ。もりもり食うほど食欲はなかったので、なにを食べたのかというと『おかゆ』です。以前にも書いたと思うんですけど、このホテルにはおかゆも含めて日本食が何品か置いてあるんですよ。これ幸いとおかゆと梅干しと味噌汁を食べたのですが、これが妙にうまかった。まずいインカ米もおかゆにすると食べられますね。梅干しも遜色なし。何年かぶりにおかゆと梅干しという取り合わせを食べました。しかもペルーで。ついでに書いておきますが味噌汁は妙にしょっぱくておいしくなかったです、はい。
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| インカコーラの立体看板 |
リマ空港内 |
なんとか食事もとって、この日も早い出発。今日は飛行機に乗ってマチュピチュのあるクスコに移動するのです。リマ空港に移動してクスコ行きのスターペルー航空の飛行機に乗り込みます。この日2回目のリマ空港となったのですが、明るいときに見るリマ空港は非常にきれいでした。おそらくできたてなんでしょうね。どこもかしこもピッカピカです。飛行機に乗るまでは時間があるので空港内をちょっと探検&ショッピング。クスコのような高地では水が必需品なので空港のファーストフード店でペットボトルの水を購入。ところがこれが『ぬるい』冷蔵庫に入ってあったはずなのにぬるい。納得いかないので冷たいのに取り替えてくれとかたことの英語で交渉。冷蔵庫の奥の方から出して取り替えてもらったんだけど、これまたさっきよりはましって程度のぬるさ。この後の旅を通じて実感するんですけど、ペルーという国は飲料を冷やす習慣がないんですね。たいていのレストランや売店では常温の飲料しか出てこないのです。当然冷蔵庫も見あたらない。最後までしっかり冷えた飲み物を飲むことがありませんでした。普段冷えた飲み物に慣れているとけっこうつらかったですね。理由は聞かなかったのですが、僕が思うに、ペルーは赤道近くにあるわりには極端に熱くならないので冷やさなくてもOKな感じなのではないのかと。あと基本的に行進国だっていうのも影響してるかなと思います。あくまでも僕の予想ですけど。話を戻しますと、その後はお土産屋をちょっと物色。Tシャツを筆頭に置物やキーホルダーなどそれなりにおみやげ物が置いてあるお店に立ち寄りコーヒーの粉を買いました。おおざっぱにお土産として渡せるし、一応南米の国ということでおいしいのかなと思って買ったのですが、結果的にはこれは失敗。帰ってきて感想を聞くとあまりいい評判を聞きませんでした。実際に僕が飲んでもあんまりおいしくなかったですね。そうそう、一緒にコーヒー豆をチョコレートコーティングしたお菓子が売ってましたが、これも北海道の六花亭のやつの方がおいしかったかな。まあ、食えないほどではなかったけど。搭乗デッキに移ってもお土産屋があったので、ここでは定番のチョコレートを買いました。パッケージにマチュピチュの写真がうつっている板チョコです。板チョコなんですよねえ。ほんとであれば配れるようなものが欲しかったんですけど、いかにもペルーで買いましたっていうようなものがなくて仕方なくそれを買ったのですが、それも失敗でした。板チョコの一粒一粒が大きくて分けるのが面倒な上に味もイマイチ。なんか変なスパイスの味がするんですよ。大変不評でした。でも結局ペルーではこんなもんしかなかったんですよね。さいごまでおみやげ物選びは困りました。
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スターペルー航空 |
そんなこんなで、飛行機に搭乗する時間が近づいて来たのですが、待合室で休んでいるととなりに座っていたアメリカのご婦人が僕たちに声をかけてきました。「ニホンジンデスカ?」なんていう挨拶に始まって、いろいろ話をしたんですけど(主に相棒がしていたのですが)そのご婦人はアメリカの大学の教授をしていて、今回学生を連れてペルー観光(なのか!?)に来たとのこと。マチュピチュに行く予定で、しかもマチュピチュには歩いて登ると行っていました。それからマチュピチュの後はリマに戻ってきてビーチでも海水浴をするとも言ってましたね。そんなようなことを話題の中心にしながらすっかりそのグループの人たちとうち解け合いました。
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| 飛行機からの眺め |
そうこうしていると搭乗の時間となりました。そういえばリマ〜ナスカのガイド遠藤さんとはここでお別れです。乗り込むスターペルーの飛行機には垂直尾翼にマチュピチュの写真がプリントしてあります。いよいよマチュピチュのあるクスコに向かうわけです。この飛行機縦に3列3列の小さな飛行機でしたが特に揺れるわけでもなく順調に飛んでいきます。フライト時間は1時間ちょっとあっという間です。クスコに向かうたびにたちこめてくる雲。そういえば事前の調べではクスコの天気は雨。「天気悪いんだろうか」不安が頭をよぎります。次第に近づいてくるクスコ。雲の切れ間からからクスコの町並みが見えてきました。クスコの町並みはほんと一色で塗りかためられています。レンガ色と表現すればいいんでしょうか。ほぼ100%そんな色の屋根になっています。ここまで統一感があるとなんともいえぬ美しさがありますね。そんなクスコを見ながら、飛行機はクスコの町に降り立ちました。
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| 例のバンド |
クスコは標高3360メートルの高地にあります。3360メートルですよ!ほぼ富士山の高さと同じくらいのところに町が形成されているのです。当然空気が薄い。そのために高山病になってしまうのですが、さぞ外に出たら息が苦しくなるのではないかと戦々恐々としていたのですが、これが思ったほど息苦しくない。その時は「え!こんなもの!?」と思ったほどです。でもこれはあくまでも最初の印象。後々その空気が薄い状態というものを実感するようになります。荷物受取所に出るとそこは飛行機を降り立った観光客でごった返しています。そこかしこに観光案内所が建ち並び客引きをしています。ここは観光地なんだなあと改めて実感。その時どこからかフォルクローレの音色が聞こえてきました。受取所の片隅にフォルクローレのバンドがいて演奏をしているのです。さすがは観光地そんなサービスをしているのかと聞き入っているとお腹の方がゴロゴロ。慌ててトイレに行きましたが、そこのトイレ、洋式便所が一つしかないんですよ。世界有数の観光地の空港のくせにかなり解せなかったですね。出てくるとバンドの演奏も終わったようで人々もそれぞれ散っています。そのバンドに興味を覚えたツアーの仲間の数人がそのバンドに近づいていきました。どうやらそのバンド自分たちのCDを売っているのです。その人達はCDを買ったようでしたが、僕は買いませんでした。商魂たくましいんだなとその時はなんとなく考えていましたが、その後も同じようなフォルクローレバンドに何度も出会うのです。後々分かったのですが、その時のフォルクローレバンドは決して空港のサービスではなく流しのバンドで観光客相手にチップを稼いでいたんです。ほんとあきれるくらいフォルクローレバンドが現れるんですよ。バンドについてはこの後も出てきます。
荷物を取り空港を出ると、厚い雲がありながらも青空が見えています。天気予報が雨だっただけに一安心。そうそう、ここで説明しておきますが、実は僕大変な晴れ男なんです。仕事でもプライベートでもほぼ90%晴れるという実力の持ち主です。今回の旅もそれを存分に発揮する旅になったんですけど、まずはクスコに到着した時を晴れにしました(笑)他のツアーの仲間にも自分の晴れ男ぶりをアピールしていたので鼻高々です(笑)話を元に戻すと、空港を出たところには、マイクロバスと新しい現地ガイドの人が待っていました。ガイドさんの名前は『サンドロ』他の名前が思い出せないので『サンドロ』だけです。このサンドロなかなか二枚目の好青年で日本語も非常に達者です。話を聞くと以前日本に住んでいたようで。かなりの日本通でもあります。屋根の上に荷物を載せたマイクロバスは我々を乗せてクスコの町を走っていきます。軽快なサンドロのガイドを耳にしながら異国情緒満点のクスコの町並みを眺めていきました。
しばらくするとホテルに到着。ホテルの名は『ホセ・アントニオ・ホテル・クスコ』瀟洒な外観の中規模ホテルです。このホテル、地球の歩き方に載っていないホテルだったのでちょっと心配してたんですけど、結果的にはこの旅で一番いいホテルでした。設備も整っていたし、きれいでしたし、変なペルー臭も多少しませんでしたし(笑)ホテルではコカ茶のお出迎え。高山病対策にしっかり飲みました。それからロビーにはクリスマスの飾りが飾っていましたね。チェックインをして部屋に入ったわけですが、ほっと一息つくとなんとなく苦しい感じが・・・。まあお腹の調子が悪かったっていうのもあるのですが、なんか苦しいんですよ。その後の旅でも感じるのですが多少激しい動きをすると息が切れるのです。これが空気が薄いということなんだなあとだんだん実感が湧いてきました。ガイドのサンドロにもゆっくり動くように言われていたし、激しい動きは控えましたね。走ることはなかったと思います。
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| なんとかスープ | アイスクリーム・・無念 |
部屋で一息ついた後はクスコ市内の観光です。もっとゆっくり休みたかったんですけどこれがこのツアーの過酷なところ、ロクに休めずに観光しなければなりません。クスコ観光の始めは昼食からスタート。クスコ市内のおしゃれなレストランで食べたんですけど、ここでなに食べたっけ?お腹の調子がすこぶる悪かったのでろくすっぽ食べていない印象しかありません。そうだ、相棒になにか食べなきゃダメだと言われて泣く泣くポタージュみたいなのを少し食べたかな。そういえばデザートにアイスクリームが出て、とっても上手そうだったんだけど、食あたりのトラウマがあって口にすることが出来ませんでした。デザートでアイスクリームが出るんだったらあんなアイスクリームを食べなきゃ良かったとつくづく思いましたねその時は・・・。
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| インカの石組み |
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| 高地に咲くパンジー |
せっかくのランチもロクに食べることも出来ずその後本格的にクスコ観光が始まりました。まずは『サント・ドミンゴ教会』です。ここはその昔スペインがクスコを侵略したとき、
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| サント・ドミンゴ教会 |
その場にあったコリカンチャ(太陽の神殿)の上の部分を破壊しその土台の上にスペイン様式の教会を建ててしまったという場所。クスコは元々インカ帝国の中心都として栄えていたのですが、スペインの侵略ですっかり変わってしまったのです。スペイン人の侵略の話はそれは実に酷い話で、インカ帝国の黄金を求めて略奪の嵐。インカ人の心の拠り所とも言える神殿の上に教会を建てるなんて酷いことをしますよね。ただ、その話は逸話があってあるときクスコに地震が起きたときにその見事な土台だけが残って上の建物が壊れてしまったときがあったそうです。土台はインカ人による見事な建築技術によって大きな石が隙間ななく組み合わさっています。その仕事は実に見事で現代の技術では再現することは不可能なんだそうです。地震にも耐えるインカ人の技術力と、大きな欲と武力によって侵略をしたスペイン人の地震で簡単に壊れてしまう技術の対比が皮肉なものを感じさせました。この教会には見事な黄金のレリーフなんかもあったのですが、凄く驚いたのが、外の花壇にパンジーなどの普通の花が咲いていたのを見たことです。え?なにが驚いたって?だってここは3360メートルの場所ですよ。富士山のてっぺんあたりに位置する土地なのです。高い山の上の方には高山植物しか生息しないと思いませんか?ここクスコには見事に普通にパンジーみたいな花が咲いているのです。ね、驚きでしょう。ところで、この場所では他にもちょっとした驚きに出会いました。先ほどリマ空港でお話しをしたアメリカの大学の人達に偶然にも再会したのです。ツアー中なのでゆっくり親交を暖める余裕はありませんでしたが、なんとなくほほえみあいながらそのうれしい偶然を喜び合ったものです。そのグループはマチュピチュにも行くということだったのでその後マチュピチュで合うかもと思ったのですが、それはかないませんでしたね。
『サントドミンゴ教会』を出ると雨が降ってきてしまいました。さっきまですごく天気が良かったのですが僕の神通力もそこまでだったようです。傘の準備をしていなかったので途方にくれていると、どこからともなく「ポンチョはいらないか?』という声。なんとどっから湧いてきたのかポンチョ売りがいるんですね。そのポンチョはビニール製で実に安っぽい代物なのですが、傘がないし、話の種にもと思い購入しました。う〜んこのポンチョからも変な匂いが。まあそれを気にしていてもしょうがないのでそれを着ようかと思ったのですが、移動している間に雨がやみました。結局その日は着ることはなかったです。
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| アルマス広場のカテドラル |
次は少し移動してロレト通りというところで『12角の石』を見ました。12角の石とは、本来カミソリの刃一枚も通さないというほどの見事な四角形の石組みで構成される石壁の中で、あえて12角形にしてある石があるのです。12角もあるのにそれは見事に石が組み合わさっているのです。ほんとに古代人の技術ってすごいなあと素人丸出しの感想を抱きながらその石を見物しました。クスコ人恐るべしデス。その後はクスコのアルマス広場に行きました。噴水を中心にしてスペイン様式のカテドラルなどがぐるりと建ち並んでいます。そのどれもが見事にレンガ色一色。ここだけ見てるとスペインにいるような錯覚に陥るんですよねほんと。不思議なもんです。そうそう、この広場からあたりをぐるっと見渡してみると山の上に両手をかざしたキリスト像が建っていました。ブラジルにあるようなやつです。でもこれはそれに比べるとだいぶ小さいんですけどね。けっこう南米にはにたようなキリスト像が立っているようですよ。これもスペイン人の権力を誇示しているものだったんでしょうか。
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| サクサイワマン遺跡 |
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| ピューマの手 |
アルマス広場を出て一行は山の上の方にある『サクサイワマン遺跡』に向かいました。ところが向かう途中で大!?事件が起こりました。まあ大っていうのも大げさなんですけど、アルマス広場あたりまで元気だった若夫婦の旦那さんが急に調子を壊してしまったのです。バスの後ろの方ではナスカでも聞いたような声が・・・。セスナではアクロバット飛行まで体験していたのに。哀れその旦那さんは元気いっぱいの奥さんとともにリタイアしてしまいました。そう
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絶景!クスコの町並み |
いえば昼食の時からリタイアしてホテルに戻ってしまった人もいたのです。この他にもバスの中でぐったりしている方もいたりして、このツアーはその過酷さをだんだん表面に表してきました。かくいう僕も依然として腹の調子が悪く途中のトイレ休憩でトイレに駆け込んだのはいいんですけど、そのトイレの汚いこと。そして、その便器には便座がないのです。直接腰掛けるのためらわれてやむなく我慢したのを覚えています。そんなこんなで『サクサイワマン遺跡』ですが、これもまた見事な石組みの遺跡なのです。360トンはあるといわれる巨大な石をそのインカの石組み技術によって見事に組み合わせています。雷型ジグザグに組み合わさっていたり、ピューマの手を模した石組みなんかもあったりして、あらためてインカ人恐るべし。その後は歩いてクスコの町並みが一望できる場所へ移動。クスコの町はそれ自体ピューマの形になっているらしくこのサクサイワマン遺跡のあたりはそのピューマの東部に位置しているそうで。そこから見るクスコの町並みは見事の一言。絶景でした。写真をとりましたが曇っていて実に残念でしたけれど、眺めは最高でした。ところで、そこにはペルーの民族衣装を着てアルパカを連れた女性が二人たたずんでいました。ここに住んでいる人なのかなと思うと近寄ってきて写真を撮ってくれと要求してくるのです。話によるとこの人達は観光モデルの人達で記念写真を撮ってはチップをもらうようで要するに物売りの一種。この国はほんと物売りが多く、至る所に物売りがいおるわけなんですけどこういった記念写真みたいなものでもお金を稼ごうとするあたり、ほんとに貧しい国なんだなあと少し悲しくなるほどでした。
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| タンボマチャイ遺跡 |
その場を離れ次に向かうは『タンボマチャイ遺跡』です。ここへはまたさらに山の奥へと向かいます。その途中にはサンドロお奨めのアルパカ売り場があるとのこと。こういう貧しい国ですから当然のごとく偽物のアルパカ製品が売られたりしているわけで、この店には本物が売られているんだそうです。ところが、僕は行けなかった。あまりに腹の調子が悪くて動きたくなかったんですよ。だからこの店についてはこれ以上書けません。でも『タンボマチャイ遺跡』にはしっかりいきました。ここはサクサイワマン遺跡に比べると小規模なのですがインカ時代の沐浴場で水がわき出ているのです。なるほどと思うのもそこそこのバスに引き上げました。お腹はかなり来てました。はー。
以上で今日の観光は終わりです。一行はホテルへもどることになりました。僕はものすごくほっとしました。少しでも早く横になりたい。そしてトイレに行きたい。その一念でしたね。ホテルに戻ると早々に部屋に入ってトイレへ直行。その後はベットへバタンキュウ。もう起き上がる気力がありません。少し寝たと思うんですけど定かじゃありません。その後夕食があったのですが、もう全然食欲がありませんでしたので、食べないつもりだったのですが、相棒がなにか食べなきゃダメだとしつこくいうのでしかたなく、夕食会場に行きました。行ったところで食欲はなくスープを飲んで早々に引き上げました。味もなにも覚えていません。そういえば、その時にもフォルクローレバンドがいて演奏してました。演奏後はしっかりCDを売ってましたね。もうその時の僕にとってはどうでもいいこと極まりないことでしたが。部屋に帰るとき添乗員さんにペルーの胃薬をもらいました。日本の薬より効くということで。僕は藁にもすがる思いでその薬をもらい、しっかり飲んでから寝床につきました。もう寝るしかなかった。そんな4日目の夜でした。(なんか書いててお腹痛くなってきたな(笑))
【第5日目 2006年1月5日】
この旅も折り返し地点を迎えました。そして今日、世界遺産『マチュピチュ』に行くわけですが、お腹の調子は!?う〜ん今一つ。昨日もらった薬が効いているのか、効いていないのか、やっぱり調子悪いなあという感じでした。この日の朝ご飯はいつものように軽めのブッフェなわけですが、相変わらず食欲はありません。でもなにか食べなければもたないので、真っ先にヨーグルトに向かいました。記憶が曖昧なのですが、たぶんヨーグルトしか飲んでいないような気がします。固形物はやっぱり入らない感じ。ヨーグルトはそれはもう濃厚で、甘いです。ストロベリー味もありました。実にお腹に優しかったですね。
朝食を済ませた後はすぐに出立です。この日は『マチュピチュ』オンリーなのですが、マチュピチュはここクスコからさらに山奥へ向かわなければならないので、片道3時間40分の汽車旅となります。クスコ駅出発はなんと6:00(早い!)眠い目を擦りながらの出立となりました。この日の天気はあいにくの雨、昨日までは決行粘ってたんですけど今日は晴れ男の神通力も効かない様子。今日はこの度のメインとも言える「マチュピチュ」なので現場に着いたときにはなんとか晴れてくれないものかとみんな祈るように気持ちででした。クスコ駅に向かうにはとりあえず、バスに乗るわけですが、玄関には可愛らしいお出迎えが、リャマの赤ちゃんを抱いて民族衣装を着た小さな女の子がいるのです。なにをしているのかといえば昨日の手記でもふれたモデルなのです。可愛らしい声で『写真を撮ってくださ〜い』とアピールする彼女。それはもう可愛らしいものだからとってやりたくなるんですけど、後でチップを要求されるのかと思うと二の足を踏みます。まったく誰が悪いのかこんなあどけない少女にこんなことをさせますかね。僕は結局写真は撮らずにバスに乗り込みました。
我々が乗り込む、マチュピチュ(正確には麓の街アグアスカリエンテス)行きの列車ビスタドーム号がとまっているクスコのサン・ペドロ駅にはすぐに着いたのですが、ツアーの関係なのか元々ないのか分かりませんが、駅舎に入ることがありませんでした。バスはプラットホームの脇に止まると、そこからまっすぐホームに入るという具合。もちろん切符きりの駅員さんがいたのですが、ちょっと違和感がありましたね。ツアー客がすんなり入れるようにそうなっていただけかもしれません。マチュピチュ行きの列車には格式があるみたいで僕らが乗り込むビスタドーム号以外にも【プリメールバックパッカー】【セグンドバックパッカー】というような運賃の安い列車もあり、そして豪華列車と名高い【ハイラムビンガム号】なんてのもあります。僕が乗る列車は、その中ではまあ上から2番目のそこそこいい列車となっていました。列車は青が基調となって、汽車好きの僕としては初めての海外の列車に胸がときめいたものです。客室乗務員のにこやかな笑顔の出迎えを受けて車内へ。この列車の車両は車両ごとに独立していて前後の車両には行けない構造になってます。座席は2席左右に2列で、どうやら向かい合わせにはならない様子、リクライニングもしない。う〜ん一応添乗員さんの話ではクラスは上の方だっていうんですけど、ペルーではこんなものなのかな。客車には3人の乗務員がいます。飛行機でいえばフライトアテンダントみたいな男女二人と、ベルボーイみたいな青年が一人という構成です。ということで、雨の中、列車はマチュピチュに向けてサンペドロ駅を出発しました。
列車はまず、クスコを出るわけなのですが、クスコは山に囲まれた土地、まずはその山を越えなければなりません。山を越える方法はスイッチバック方式。5.6回ほどスイッチバックをして山を越えていきます。この山越えで気になったのが、クスコの街の汚いこと。少し町中を離れると、そこはもう貧民街のようなありさまで、非常に古いレンガ造りの家が続きそのまわりは「ゴミだらけ」、もうとにかくゴミだらけ。クスコは衛生環境が酷く悪いみたいで、住民は生活出たゴミをそのままそこら辺に捨てているみたいです。ゴミ捨て場の中を列車は進んでいくので、とても車窓を愛でようと気になりません。病原菌なんかもうじゃうじゃいるんじゃないかと思うぐらいですね。とにかくすごかった。
山を越えると町並みは見えなくなり、あたりは田園風景のような様相を呈してきます。のどかな風景。普通ならちょっと天気は悪いですが、のんびりと車窓を眺めるところなんですけど、このあたりに来てなんとなく体の調子が・・・。妙なゲップが出るんですよ、っていうかお腹や胸のあたりにガスがたまってくるような感覚がわき上がってくるのです。そういえばツアーの仲間の人が言っていたのですが、高地に来ると血中の窒素が体の中に出てきてガスがたまってくるということを思い出しました。まさにそんな感じおならもしたくなってきました。でも実際はこの先高度はだんだん低くなってくるので楽になると聞いていたので大丈夫かなと思っていたところ、時間が経つにつれ胸がむがムカムカムカムカしてきます。車内で出てきた朝食(パンにサラダがついてきたもの)にも手が出ません。そのうち気持ち悪さが頂点に来てとうとう、我慢できずに吐いて
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ペルーとうきび |
しまいました。そんな話ばかりで申し訳ないんですけど・・・その後はとにかく気持ちが悪くて席でぐったりするばかり。とても旅の楽しい気分をお伝えすることが出来ません。後は寝てるか、トイレに行くか、恨めしそうに外を眺めるばかり。その中でお伝えできるのは、途中いくつか駅に止まるんですけど、ポロイ駅というところでしばしの停車時間があってその時ホームの立ち売りでゆでトウキビの販売がありました。トウキビはジャガイモと並んでペルーが発祥。日本のものとは違って粒が大きく、味は淡泊とのことでした(僕は具合が悪くて一粒しか食べてません・・・)あんまりおいしいもんじゃなかったようですが、ものは試しで食べてみてはどうでしょうか。
そんな感じですっかり具合を悪くした僕を乗せてマチュピチュに向かうビスタドーム号、後半は再び山間の中に入っていきます。しばらくするとあたりは切り立つ山山山。日本ではちょっとお目にかかれない車窓です。天気はどんよりと雨雲がたちこめ、僕の気分を象徴しているようです。サンペドロ駅を出て3時間も過ぎ、気分も落ち着いてきたかなと思ったところで列車はいよいよマチュピチュの麓の街、「アグアスカリエンテス駅」に到着しました。
駅を出るとすごい人混み。さすがマチュピチュのために出来た観光の街でマチュピチュを一目見ようと集まった観光客でごった返しています。駅前はテント建てのお土産屋街が広がっています。そこを通らないと出られないような感じです。そこをぬけると、これまた観光地らしくお土産屋やレストラン、ホテル(安宿っぽい)が立ち並んでいます。我々はここでは寄り道(トイレには行きましたが)もせずまっすぐマチュピチュに行くバスへ乗り込みました。
バスは麓の街と山の上のマチュピチュをつなぐシャトルバスになっていて、どうやら何台ものバスが何回も往復しているようです。僕の方はというと、なんとか状態は持ち直したのですが、依然としてお腹の調子は悪く、腸はギュルギュルいってましたが、本命のマチュピチュなのですから根性で耐えていました。バスは舗装もされていない山道を上っています。しかも道は何層ものつづら折りになっています。路肩がなく大型バスはすれ違うとギリギリ雨でぬかるんでいたので、転げ落ちるんじゃないかと心配になりました。そんな道をひたすらのぼって、バスはとうとうマチュピチュの入り口に着いたのです。
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マチュピチュ1 |
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これがインティワタナ |
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マチュピチュ2 |
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マチュピチュ3 |
バスを降りると、けっこうな雨。せっかくのマチュピチュなのに非常にがっかりです。でも仕方がないので、ガイドのサンドロの案内でチケットをもってマチュピチュへと向かいました。傘も持っていたのですが、せっかくなので昨日買ったポンチョを着ました。他にも同じようなポンチョを着ている人々がいて一見カラフルです。入り口からしばらく歩いていくとそこにはマチュピチュの絶景が!といいたいところなのですが、どうやら雨雲の中に入っているようであたりはすっかりもやの中。それでも、建物壁などが見えてきてちょっと感動しました。いよいよマチュピチュに来てしまったのです。中に進むと、若干もやの切れ間にマチュピチュの景観が垣間見えそれなりに感動がわき上がってきます。きれいな石壁の建物を目にしてシャッターをきる僕。振り返るとあの段々畑も見えます。晴れてくれればなあと思っていると、雨が少し止んできました。そうなんです。今までけっこうな降りで雨が降っていたのですが、ちょうどこれからマチュピチュ観光をしようかって時に雨が上がったんですよ。ほんと奇跡です。そのうち、青空も見えてきました。すっきりとした天気とは言えないまでも、観光をするにはまずまずの天気に持ち直したのです。やはりここで晴れ男パワーが効いたのか。僕は天に感謝しました。サンドロのガイドに合わせてマチュピチュを歩いていく僕たち。見事な石壁の建物が目の前に広がってきます。進んでいくと日時計として使われていた『インティワタナ』そそて『太陽の神殿』『コンドルの神殿』インカ時代の偉大な建築物にふれていきます。もやと雲が晴れてくると、ワイナピチュという山が見えてきました。この山を代表としてもあたりの山はほんとうに切り立っていて圧巻です。インカ人達はスペインの侵略から逃れてのようなところにマチュピチュを作った理由がわかります。とにかく感動の古代遺跡。お腹は相変わらずギュルギュルいっていて今にもトイレに行かなければならないような状態。気持ちは高ぶっているのですが、体は絶不調でそれが表情に出ていたみたいです。あとで自分が写っている写真をみたのですが、表情が暗かったですね、ほんとに(笑)そうこうしているうちに最後に行った場所が、よく画像で目にするマチュピチュを一望できる場所に来ました。そこにはテレビや写真で見たまんまの風景が広がっています。完全に空は晴れてはいませんでしたが、ほんとに晴れて良かった。来て良かった。と思った瞬間でした。ただ難点なのは、観光客がそこら中にいること、せっかく写真を撮ってもどうしても人が入っちゃうんですよね。まあ仕方なんですけど、よくテレビなどで写るときには人がいないんですけどどうやってるんでしょうか。そんな話はさておき感動のマチュピチュ観光が終わったわけですが、その時思ったのですが、マチュピチュはラピュタのモデルになったのではないかなあということです。建物も感じやところどころきれいな芝が広がっていたりするのをみると、そう実感するのです。いやきっとそうに違いない。まるでラピュタのなかにいるような気分にもなった時間でした。それにしてもあっという間だった。っていうかゆっくりみさせてくれる余裕がない。このツアー全体に言えることなんですけどほんとゆっくりさせてくれないんですよね。そこがこのツアーの不満です。マチュピチュもっとじっくり堪能したかった。
観光を終えマチュピチュを後にするとまた雨が降り始めました。ほんとにちょうど観光をしているときに雨が止んでいたんですよ。我ながら晴れ男パワー恐るべしと思いましたね(笑)マチュピチュを出ると再びバスにのって麓の街に戻ります。あのつづら折りの道を戻っていくのですが、ここで笑劇の光景が(笑)しばらくバスが進んでいくと道の傍らに一人の少年が立っていて。バスの中の我々に向かって「グッパーイ!」と手を大きく振りながら声をかけてくれるのです。なんだあの子と面白がっていると、再びさっきの子が現れて今度は「サヨナ〜ラ〜!」との声、またしばらくたつと「アディオ〜ス!」という声。そうなのです、この子はつづら折りの道の真ん中を最短距離で駆け下りてそのたんびに僕らにサヨナラの挨拶をしていくのです。名付けて『グッバイボーイ』。このグッバイボーイはひたすらバスを追いかけてくると最後にバスに乗り込み、やはりチップをもとめてくるのです。そのがんばりには笑いとともに認めるしかない気持ちになります。すっかりチップをあげたくなってあげたのですが。このグッバイボーイ、なかなかしたたかでチップのせびり方が小憎らしく、チップをくれない人には「ちぇっ、くれないのか、けちんぼめ」といいたげな目を投げかけてくるのです。また余談ですが、このグッバイボーイ、子ども達があまりに小遣い稼ぎに熱中して学校を休んだりするので禁止になったそうなのですが、結局やってるみたいですね(笑)そうしてグッバイボーイにほんとにお別れをして我々は昼食の場所へと移動しました。
昼食の場所は街の中心に位置していて、線路脇にずらーっと並んでいるレストラン街のなかにありました。レストラン自体はそんなにきれいなものではなく日本でいえば田舎のドライブインみたいな感じでしょうか。そこのメニューはブッフェ形式でした。僕は、やっぱりお腹の調子が悪いのであまり食べられなかったのですがここにはバナナがおいてあって、僕はこのバナナを食べました。あんなにバナナがうまいと思ったことは初めてでしたね(笑)それからそこにはピザの釜が置いてあって、ブッフェのメニューにもピザがあったのですが、めずらしく思った僕は一応これも食べてみました。で、味の方はというとボチボチかなという感じです。日本の宅配ピザの方がはるかにおいしいんじゃないかと思います。そうそう、ここにはやっぱりフォルクローレバンドがいましたこれで3回目です。ここでもCD売ってました。当然買いませんでした。
食事が終わったらもうクスコへ帰らなければなりません。それでもなんとかお土産を買いたかったのでサンドロに交渉して30分ほど時間をもらって先ほどの駅前のお土産屋街で買い物をしました。ここのお土産屋街で売っていたのは、おもにアルパカ製品。セーター、手袋、マフラーニット帽、などが所狭しと置いてあります。他には銀細工や、木工細工、フォルクローレの楽器(サンポーニャやケーナ)なんてのも売ってました。僕たち(コンビ)はまずおじさんがやっているお店でサンポーニャのおもちゃみたいなのを買いました。でもこれ造りが悪く、ほんとおもちゃみたいな代物で、あとで失敗したと思いましたね。音も良くならないし。それかあ値切りにも失敗して高値で買っちゃったような気がします。それから、ペルーのお土産の代名詞といってもいいアルパカのニット帽を買いました。どうも偽物もあるみたいなのですが、ちょっと見では見分けがつきづらく、なんとなく見た目で選んだんですけど、本物だったのかなあ。今でもちょっと心配です。それから、ペルーのお土産屋は値切りがしぶいですね。エジプトではがんがん値切れたんですけど、なかなか値切れない。理由は分かりませんが、ペルーで買い物をするときは注意してください。そうこうしているうちにお土産タイムが終わってしまいました。もっとゆっくりしたかったのですが、またしても余裕がない。しょうがないのですが、何とかして欲しいですね。
後はもう帰るだけです。再びサンペドロ行きの列車に乗り込み来た線路を戻ります。アグアスカリエンテス駅は15:30発です。僕はすっかり疲れてしまって帰りはほとんど寝ていました。お腹は来たときよりかは持ち直していました。(でも腹はゆるゆる)しばらくたって目が覚めるとあたりはすっかり日が暮れていて一日が終わってしまったというような感じです。でも帰りにはとてもいいものを見ました。行きの時の通ったスイッチバックの坂のあたりにくると、クスコの夜景を見ることが出来るのです。昼間はゴミで汚かったですが、夜でそういったものは見えません。車窓にはオレンジ色の光が美しく瞬いています。クスコの夜景なかなかの絶景です。
サンペドロ駅に着いてのは夜の19:30ぐらい。僕たちは一旦ホテルに戻って、夕食に出かけることになりました。ホテルに戻るとなんと今朝の女の子がいるではありませんか。商魂たくましいというか。この国も生活レベルを思うとむしろ哀れでしょうがなかったですね。その時も写真をとらなかったので、とってあげれば良かったかなあとちょっと後悔しています。
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田中健の師匠バンド |
怪しい民族舞踊 |
今夜はホテルのレストランではなくて、街の中のレストランで食事です。僕としては部屋で休みたかったんですけど、せっかくなので行きました。この日の夕食のレストランもブッフェスタイル。ここで目についたのが、なんとモルモットの肉やアルパカの肉。ネズミの肉を食うなんてどうかなとも思ったんですが、ものは試しと食べてみました。あんまりおいしいもんじゃなかったですねえ(笑)他にいろいろあったのですが、やっぱり食欲がなくほとんど手をつけていません。その中でも腹になにか入れなければならないということで「キヌアスープ」という謎の穀物が入ったおかゆのようなスープを食べました。これもなんともおいしいとはいねいような味。でも、一緒にツアーに参加していた人はけっこうおいしいおいしいといって食べている人もいたんですよね。僕の体調が悪かったせいもあるんでしょうか。
それからこのレストランではまたしてもフォルクローレバンドが。ただ、今回のバンドはガイドのサンドロによるとケーナの田中健の師匠がいるとのこと。本当かどうかはわかりませんが確かにこの旅で聞いたバンドの中では一番上手でした。でもやっぱりCDは買いませんでした。体調が良かったら買ってたかなあ。その後には民族舞踊をやっていましたが、僕にとってはもうどうでも良くなっていてとにかく早く帰りたいの一念でした。そういえばこのレストランでは偶然かなにかわかりませんがガイドのサンドロの家族がいて娘さんに合いました。もう10才ぐらいだったのかな。とても可愛らしい娘さんでしたよ。
そんなこんなで夕食も終わりホテルに戻って就寝となりました。体調が絶不調の中なんとか根性で乗り切ったような一日。せっかくの海外旅行だっていうのに胃腸炎になったらほんと最悪ですね。
その日の夜はもうとにかくバタンキューでした。もちろんトイレの後に・・・
【第6日目 2006年1月6日】
6日目の朝です。この日の朝は実に爽やか、天気もいいし、お腹もあんまり痛くない。発症から3日経ってやっと落ち着いてきたようです。もうとにかくほっとしました。朝食も久しぶりに固形物をとりました。といってもトーストですけど、ちょっと濃いめのイチゴジャムをつけたトーストを食べることが出来ました。もちろんよこにはヨーグルト。それなりにおいしかったと感じたのを覚えています。その後出発まで時間があったのでテレビを見ていました。前にも書いたとおりNHKが見れるのでNHKを見たんですけど、ちょうどその時ドラマをやっていたのですが、タイトルが「父に奏でるメロディ」というドラマ。リストラの憂き目にあいそうな技術屋の父が、一人娘に支えられながら自分の働く工場を一社員として建て直すという感動ドラマです。なんでしょうか、体調も壊して弱気になっていたのでしょうかねえ。そのドラマを見て号泣しっぱなしだったんですよ(笑)父親を必死に励ます娘の姿がけなげで・・・。ペルーに来て日本のドラマで泣くとは思いませんでしたね。
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クスコのスーパー |
ということで、今日でクスコともお別れ。朝、ホテルを出て、ティティカカ湖のあるプーノに向かいます。今日の移動も長いです。約6時間の長時間のバス旅。とにかく長時間移動。でもしかたがないのであきらめてバスに乗り込みました。バスのまわりには物売りがわんさか。手にセーターやら帽子やらアルパカ製品をもって近寄ってきます。そして片言の日本語で「買ってくださ〜い」の日本語。当然買いませんでしたけど、そういえば昨日の女の子は今日はいませんでした。あらためて写真撮っとけばよかったかなあと思いました。バスはホテルを出発してプーノに向かうわけですが、そのまえにガイドのサンドロのはからいで地元のスーパーに寄ることになりました。スーパーの名前は覚えていませんが、ちょっと不釣り合いな感じがするほどスーパーなスーパーでした。そしてここでも驚いたのが飲料水の冷蔵庫がないこと。腐りやすい食べ物はさすがに冷蔵庫に入っていますが、飲み物は一切冷蔵庫に入っておらずそのまま棚に陳列しているのです。やっぱりペルーでは飲み物を冷やす習慣がないのだなと改めて感じましたね。それにしても冷えた飲み物が飲みたい。このスーパーではみなさんいろいろと買い出し。おかしや食料品、ビールなんかをお土産にと買い込む人達。相棒はトウキビキャンディーを買ってましたが。あんまり上手いモンじゃなかったなあ。それから毎日水ばっかり飲むのも飽きたし、高山病にはスポーツドリンクがいいということで、それも購入。ペルーにもゲータレードが売っていたのですが、なぜか普通のが見あたらず、グレープやらなんやらの味がついたものばっかりなんですよ。お腹のことも考えるとあんまり飲む気がしなかったので、とりあえずゲータレードとは違うレモン味のスポーツドリンクをチョイス。この時はこれが一番無難かなと思ったからです。と、いうことで、みなさん思い思いの買い物をして、再びバスに乗り込み一路プーノへと出発しました。
バスが出たら、早速先ほど買ったスポーツドリンクを飲んでみました。これがなんともビミョーな味。レモン味はレモン味なんですけど、薬くさい味であんまりおいしいもんじゃない。しかも冷えてないから、さらにおいしくないんですよ。みなさん外国でスポーツドリンクを飲むときは注意しましょう。
バスはクスコの街を離れ牧草地帯へと進んでいきます。今日はほんといい天気。昨日の天気がほんとうらめしくなりましたが、基本的に天気予報ではずっと悪いと出ていたのでよしとしなければ。車窓を眺めるとノンビリとした平原が広がり、リャマやアルパカが草を食べるている姿が見えます。旅も中盤を過ぎ、ツアーの皆さんは少々お疲れモードで寝ている人もいましたが僕はずっと起きていました。
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ラクチ遺跡天気いいでしょ |
しばらくしてこの日の最初の観光地「ラクチ遺跡」につきました。バスを降りるとそこにはお土産の露天が立ち並んでいました。ここにはアルパカ製品はあまりなく焼き物のお皿や、置物、小物、装飾品などが売っていました。ぶらぶらと見回っていると「ピヨピヨピヨ〜」という音が響いています。小鳥の鳴き声かと思えばどうも違う。野生の鳴き声には聞こえないんです。あたりを見回してみると、売り子のおあさんが口にしている小鳥の置物のようなものから音が聞こえてくるのです。どうやら、それは鳥の形をした笛のようでした。少しその笛に惹かれながら、サンドロの指示に従いラクチ遺跡の方へ入っていきました。
ラクチ遺跡は、前インカ時代の遺跡で、遺跡の残骸のようなものが立ち並んでいます。まあそれ以上は何とも表現しがたい遺跡です。詳しくは画像をご覧になってください。奥の方には向かし倉庫になっていたといわれる、石造りの建物が建ち並んでいます。この中が実に涼しいんです。インカ時代はこの中が冷蔵庫代わりだったようです。それも納得。しばらくその遺跡群を見学して、ここでツアー全員の記念写真を撮影しました。当然のごとくガイドのサンドロが撮ったわけですが、これがなんとも下手なのです。まあ僕のカメラが一眼レフだったために少し撮り方が難しいせいもあるんですけど、それにしてもへた。写す人々を画面一杯にして撮って欲しいものなんですけど、もう中心に集まっちゃって。非常にショボイ写真になってしまった。文句の一つもいいたいところでしたが、ぐっと我慢しました。
てな感じでその後ラクチ遺跡を後にしたわけですが、遺跡を立つ前にサンドロにお願いしてお土産タイム。さっききになった鳥の笛やら小皿なんかを買ったのですが、これが実に手作り感満点なんですよね(笑)小皿なんか小学生が描いたのかって感じの絵なんですけど、これもペルーのお土産と思って買いました。鳥の笛は購入して早速吹いてみたんですけど、どうも上手に吹けない。おばさんのようにピヨピヨピヨ〜ってならないんですよ。いろいろ試したんですけど、上手く吹けない。コツを教えてもらうことも出来ずに、いまはただの置物とかしてしまいました(笑)
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モルモットのクイ |
ラクチ遺跡を出て後はもうプーノ、ティティカカ湖に向かうだけです。ほんと向かうだけ(笑)まあそれでも多少何カ所か立ち寄ったりはしたのですが、まず立ち寄ったのがいわばドライブインみたいなところで、トイレタイムとして立ち寄ったところがちょっとした動物園&お土産屋になっていて、そこにはリャマやアルパカが飼われていて、さわったり餌をあげたりすることが出来ました。その2匹の動物はあらためて近くで見ると毛がフサフサで可愛いのです。それはもうムシャムシャと草を食べていました。他にもモルモットのクイを見たのですが、そういえばこのクイ昨日食べたヤツです。あらためてネズミを食べるっていうのは奇妙な感じがしました。それから、ここには土産物屋があったのでお土産の物色を。ここではアルパカの毛で作られたアルパカの縫いぐるみを買いました。実にふかふかで可愛いヤツです。ここでも値切り交渉しましたけどしぶかったですねえ。やっぱり大幅に値切るのは難しいようです。値切り好きの関西のお姉ちゃんがたも苦戦していました。
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証拠写真 |
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雄大なアンデスの眺め |
しばらくそこで休んだ後再びバスは出発しました。しばらく走っていると遠くにアンデス山脈が見えてきて徐々に近づいてきます。ゆるやかな坂道を上っていきいわば峠のようなものを越えてプーノに向かうわけですが、その峠の頂上にバスは停車しました。なぜ止まるかというと、そこは標高「4335M」!もうそこは富士山の頂上を遙かに超えた所なのです。だからちょっとした観光名所になっているわけです。バスを降りてみると少し肌寒い感じですが、そんなに空気が薄い!っていうかんじはしませんでした。それにしてもこの標高。登山家でなければこれませんよね。あらためて感動です。そしてアンデス山脈をバックに記念写真をパシャリ。そしてここにもしっかりお土産物屋がすらりと並んでいます。そのお土産屋は全て青空店舗なんですけどアルパカ製品がうずたかく積まれていました。
その峠を越え、降りていった先でお昼タイム。なんにもない所なんですけど、道の外れの小川のほとりで今日の昼食はお弁当です。このお弁当なんとおにぎり弁当だったんですよ。ペルー料理に飽きている人達のためのサービスなんでしょうか。見た目はりっぱなおにぎり弁当でした。米は日本米じゃなくやっぱりインディカ米みたいなんですけど、これがちゃんと粘りがある。あのパサパサご飯をよく加工したなっていう感じですが、そこそこ食べられましたね。そのお弁当にはおつけものやゆで卵などもついていました。僕はまだ本調子ではなかったのでちょっと残してしまいました。
お昼の後はもう寄り道もなくプーノにまっしぐらです。他のツアーのみなさんはほとんど寝ていましたが、やっぱり僕はなんとなく起きてました。ぼけーと車窓を眺めるだけなので詳しく景色を覚えていないんですけど、とにかく天気が良くて、広大な景色を見て心癒される気持ちでした。そういえば、しばらく行くととある街を通ったのですが、これが非常に環境レベルが低い街で、道はがたがただし、建物はぼろぼろ。改めて文化水準の低い国なんだなあと思いました。僕はとても住めません(僕だけじゃないかな)
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高台からの眺め |
ということで、午後16:00ぐらいでしょうか、バスはプーノの街に着きました。道は高台から街に入っていったので、上からティティカカ湖を望むことが出来ました。琵琶湖の12倍をいわれるティティカカ湖。雄大な景色に心が奪われました。バスはプーノの街を通って湖のほとりに立つ「ソネスタ・ポサダ・デル・インカ・ホテル」に到着したのです。
このホテルはオレンジ色の外観のこじんまりとした瀟洒なホテル。一応五つ星らしいのですが。ロビーに入ってみても「?」という感じ。ビジネスホテルに毛が生えたような感じがいなめなんですよねえ。まあそんな第一印象を抱きながら、ロビーで一休み。ここでもコカ茶を振る舞われましたが、ロビーには酸素ボンベで酸素を吸っているツーあの方々が。そういえば、ここプーノは標高3855M。クスコよりさらに高いところに位置しているのです。クスコでもちょっとつらかったですが、さらに空気が薄い感じが。添乗員さんが散々プーノはつらいと脅していたので、まさに具合を悪くしてしまった人が出てしまっています。ここまでくるととにかく過酷なツアーであることを痛感するばかり。ところが僕はというとすっかりお腹の方が持ち直してきたので、そんなに具合が悪くありませんでした。多少年配の方が体調を崩されてたみたいですね。僕もお腹さえ壊さなければあんなにクスコで苦しむことはなかったかもしれません。チェックインがすむとその日はもう観光がないので皆部屋へと入っていきます。五つ星のホテルさぞかし見事な部屋かと思えば、至って普通。むしろ古くさい感じです。部屋を見回してみると、冷蔵庫がない。翌日分かったのですが、ドライヤーもない。備品が整っていないのです。これで五つ星とは・・・。正直言って今回の旅で一番良くないホテルでした。ペルーじゃ星表示もあてになりませんね。まあティティカカ湖がすぐ見えるので、景観的には悪くなったのですが。
夕食までは時間があったので、ホテルの庭に出て、湖見物。ほとりには、葦で作った小屋も建てられてありました(見物用に立てられたもの)それから、野生!?のクイもみることができ、久々にノンビリと過ごすことの出来た時間でしたね。その後も夕食までぼけーっと過ごしていたんですけど、ちょっと動くだけで息切れが・・・。さすがにここは標高3855M。すぐに息が切れます。恐るべしです。なんとか体調を崩すことありませんでしたが、多少辛かったです。すっかり具合を悪くした人もいました。みなさんノンビリした景観とは裏腹に厳しいところですここは。
夕食はあれ!?なに食ったっけ?もうここまでくるとなにを食べたか覚えていません。印象に残っていないということはたいしたのではなかったんでしょう。知りたかった皆さんすみません。そういえば最後にデザートが出てきたなあ。なにを食べたか覚えていませんがおいしくなかったような記憶があります。とにかく「結局ペルーの食べ物は最後まで口に合わなかったのでした。
夕食の時はすっかり日が暮れていたのですが、その時大事なことを思い出したのです。というのもペルーは南半球の国です。ということは南半球でしかみられない星座を見ることが出来るわけです。そしてその代表が『南十字星』。そのことにその時やっと気づいたのですが、もうすでにおそし、さっきまで晴れていた空も夜になって雲が出てきてしまったために肝心の星が見れなくなってしまいました。ん〜その後も見ることが出来なかったので非常に残念でした。みんさんは気をつけましょう。南半球の国に来るっていうのはそうそうないですからね。
夕食が終わった後はもう寝るばかりです。いよいいよ明日はペルーにいる最後の日。空気が薄い中であまり動くこともできず。なんとなく気分が落ち込んでいる中眠りにつくことになりました。
【第7〜8〜9日目 2006年1月7〜8〜9日】
いよいよこのツアー最終日今日でペルー観光も終わりです。ティティカカ湖と近郊の遺跡を見て帰路につくわけですが、その日の朝は見事な快晴!ツアーの最初には天気予報を見る限り、雨の不安があったこのツアーですが、マチュピチュで天気が悪かった程度でほぼおおむね晴れたわけです。旅行は天気がなにより、結果的にいい旅行となりました。
朝起きていつものようにブッフェの朝食を食べて、ティティカカ湖観光へと出発しました。当然船に乗るわけですが、その船はホテルのすぐ裏から出航します。桟橋に小型のボートが泊めてあり、ちょうど20人のツアー客が乗れるぐらいの規模のボートです。上にあがれるようになっていて、僕らは上に上がりました。空は快晴、湖もブルーにきらめいています。それはそれは気持ちのいい船出だったのですがしばらくするとちょっと違和感が。その違和感というのは一言で言って「日差し」です。熱いんです日差しが。気温は高地ということもあり涼しいぐらいなんですけど、日差しがじりじりと焼けるように熱いのです。正確にはわかりませんが、高地ということで、太陽に近くそのせいで日差しが強いんではないかと思うんですが、あまりに熱いので、雨ように用意してあった傘を出してしまいました。天気なのに日傘でもない傘をさすのも変な気分でした。
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| ウロス島 | ティティカカ湖1 | ティティカカ湖2 | ティティカカ湖3 |
ボートは湖の中心部に向かって進みます。しばらくすると葦の群生が見えてきました。そしてボートは葦で作られた浮島「ウロス島」に到着しました。ウロス島はトトラという葦で作られています。なんといっても何百人もの人がその上で住めるほどの浮島ですから。ほんとすごいです。ビックリです。島にあがると原住民(実際そこに住んでいる人達)の人達が出迎えてくれます。降り立つと植物なわけですからふかふかで奇妙な感触です。我々は中心部に集められるとまずはウロス島の歴史等々の説明を受けました。ガイドの話によると、伝説ではインカ帝国のご先祖様「マンコ・インカ」が降り立ったといわれているそうです。それからインカ人がペルー中に広がりインカ帝国を気づいたそうです。その他いろいろ説明を受けましたが忘れてしまいました(笑)そうそう、ウロス島では魚をとって生活をするわけですが、土を持ってきて畑も作っていました。野菜を育てていましたね。それから、浮島体験としてその島の端に小さな浮島があってそこに載せてもらいました。そして気持ち動かしてもらいましたけど見事に浮いてるんです。原材料はトトラ。それにしても不思議。その後はそこに住んでいる人達の住居を見せてもらいました。もちろん材料はトトラ。おとぎの国に来たようです。そしてこの島にはなんと電気も引かれているのです。どうやってかというとそれは太陽電池を使っているんとのこと。前大統領の「フジモリ大統領が島の人々の生活を向上させようとつくったんだそうです。それでウロスの人々は大変フジモリ大統領に感謝しているとのこと。ペルーに来て分かったのですが、ペルーの庶民の人々にとってはフジモリ大統領はなかなか評判のいい大統領のようなのです。まああんまりフジモリ大統領のことはよく知りませんでしたが、その国に来てみないと分からないことってありますね。
大体のガイドを受けた後はお土産タイムです。ウロス島にはやはりお土産屋さんがあるのですけど、露天のお店でどうやら島の人がやっている見たいです。そもそもウロス島の人々の最大の収入源がウロス島観光のようですね。トトラで作った飾りや置物、現地のデザインのタペストリーなどが売られています。その島で作ってそのまま観光客に売っているようです。だからみんな必死に売ってます(笑)僕らはそこでタペストリーやトトラの船のミニチュアなどを買いました。手作り感満点なんですけどなかなかいいものでした。
買い物が終わったら、ウロス島名物トトラの舟に乗りました。舟も見事にトトラ(葦)で出来ています。船上では艪をこぐこともさせてくれます。トトラの舟はゆっくりと湖上を進み、少し離れたところにある別のウロス島に到着。トトラの舟にお別れを言って、そこでもお土産タイム。そうしてウロス観光も終わり再びボートに乗ってホテルに戻りました。
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「シユスタニ遺跡」 |
休憩もそこそこ、我々はすぐにホテルを立つことになりました。この後は最後の観光地「シユスタニ遺跡」に向かいます。シユスタニ遺跡はプーノから小1時間ほどたったところにあります。小高い丘の上にその遺跡はあり、1000年頃に作られた石塔の墓です。そのお墓も大きな円筒形の墓でみごとな石造りで出来ています。丘の向こう側には湖があり、景観も見事でした。それにしてもここも日差しが強い。それでも涼しいし、ちょっと時間なら大丈夫だろうとたかをくくってここでは傘をささずに観光をしてしまいました。それが後悔の種になろうとは・・・。
と、いう感じでシユスタニ遺跡も後にし、とうとう帰路につくことになりました。
帰りはフリアカというところの空港から飛行機に乗りリマに戻ります。フリアカ空港ではガイドのサンドロともお別れです。サンドロはいつもの笑顔で送ってくれました。飛行機が出るまでしばらく時間があったのですがそこで待っていると、ここにもフォルクローレバンドが出現。まあ、いったい何バンドいるんだ!?ってくらいにいましたね(笑)それからその空港で気づいたのですが、「顔が痛い」そうです見事に日焼けしてしまったのです。20分そこそこしか日に当たっていないはずなのですが顔が真っ赤っかなのです。僕は基本的に顔が赤くなるタイプなのですがそれにしても赤い。そして痛い。あらためて高地の日差しの強さをほんとに痛感しました。見渡してみると他の観光客も顔が真っ赤っか。みんな日焼けしているのです。プーノに観光に行く方は気をつけましょう。
時間は17:00で日が暮れ始めてきましたが、飛行機の時間が来ましたので乗り込みリマに向かいました。リマには2時間40分でつきました。
リマに着くともう夜20:00すっかり日が暮れています。その後は日本に帰るんですけど。リマを発つ飛行機の時間がなんと深夜1:20!ロクに休むことも出来ずに起たなければなりません。ほんとに厳しい日程ですでも成田組の僕らはまだまし、関空組の人達は来るときと一緒で帰りも2カ所経由しなければならないので大変です。
それでも初日に止まったシェラトンホテルで部屋を借りることが出来るので、部屋に入り夕食をとり、出立の用意をします。1時間ちょっとしかなくて、それは慌ただしい日程でわたされたお弁当を食べシャワーを浴びました。そうそうその時のお弁当が日本の幕の内弁当のようなお弁当で味はまあまあでした。そんなこんなでほっと一息するとすぐに出立です。バスに乗り込みリマ空港へ空港でも慌ただしく、関空組の方々(&搭乗員さん)とお別れをしてチェックインの手続きをし、搭乗口へ移動します。そこにきてやっと一息、最後のお土産チャンスなので空港のショップでお土産を買い込んで、日付も変わり飛行機に乗り込むことになりました。辛く苦しい(笑)ペルーともそれでお別れとなったわけです。
帰りのアトランタ行きの飛行機もやっぱりゆれました。フロリダ上空は危険ですね。飛行機の中では寝たんだか寝ていないかよく分からない状況でした。疲れもたまってましたからね。
アトランタに着いてからはこれまた慌ただしく乗り換えの手続きをして成田行きの飛行機へ。帰りの飛行機でも当然機内食を食べるわけですが、機内食には全く期待をしていなかったので、アトランタ空港ではホットドッグを買いました。機内食よりはましかなあと思って。これが裏目。実にまずかったです。やっぱりアメリカの食べ物はダメだなあ(笑)
帰りの飛行機の中ではなんとなく寝付けず。映画ばっかり見ていたような気がします。なんの映画を見たか忘れてしまったのですが。映画を見て泣いていたのだけは覚えてます。すっかり涙腺がゆるんでました。
すっかり尻すぼみのような旅行記になってしまいましたが帰りの飛行機はもうあまり心に残る思い出がありません。疲れてたので、そんな感じでやっと我々は成田に到着しました。
長かったこの旅行記もこれで終わりです。今思い返して見ても辛い旅でした。でももちろん辛いことばかりではなかったです。お腹さえ壊さなければそこそこ楽しめたと思いますし、数々の世界遺産を見たことはかけがえのない経験になりました。行く価値はあります。でもやっぱり一度でいいですね(笑)もう南米はこりごりです(笑)
終わり