思い出は色あせない・・

小宝島実習       2006.9.9〜20

 

実習校の概要

@      小学生3名、中学生6名の計9名が在籍(前年度の在籍数は5名)。小2・3は複式学級、小5は単式学級、中1(3名)と中2

3名)は同一HRだが、学活や道徳授業を除いて、授業は全く別であった。全9名中5名は、山海留学生。

A 教職員は6名。分校なので校長先生は常駐せず、年3回、宝島の本校から来訪する。

B 校舎は一階建て。強風対策のためと思われる。また小学校と中学校の校舎は分かれていて、これらとは別棟に給食室がある。体育館は無いが、屋内体育活動や行事等で使用する「特別活動室」がある。学校のすぐ東側には、家の下(えのした)海岸がある。

C 1979〜1987年度の9年間、児童生徒数減のため休校した歴史をもつ。1988年春より児童2名で分校再開が成り、現在に至る。

宝島小中学校小宝島分校の正門と校舎

職員室前から校庭を望む

  オリジナル授業「小宝島の港」

日本で最後まで艀(はしけ)による通船作業を行っていた小宝島における、艀が接岸した旧港をフィールドワークした。これにより、当時の島のコミュニティーの実態をイメージすることができると考えた。

なおフィールドワーク(9.12)の模様は、地元鹿児島県の『南日本新聞』(2006.9.17朝刊)に掲載された。

授業風景@ 「小宝島の港」第1回授業(9.11)

まずは導入で兵庫県紹介→小宝島の所在地確認。

授業風景A 「小宝島の港」フィールドワーク(9.12)

中学生6名と旧港5つを探査。まずは湯泊から。

授業風景B 湯泊にて(9.12)

手漕ぎ時代の艀を確認する。

授業風景C 口の泊(城之前漁港)にて(9.12)

現存するかつての艀「しょうほう丸」を前に。

授業風景D セドーの泊にて(9.12)

外海のうねりと、入り江の波の状態を比較。

授業風景E 接岸港にて(9.12)

旧港のツクリ泊に、接岸港が造られたことを確認

授業風景F 中西の泊にて(9.12)

各自が、調査結果を記入。奥に、港までの旧道が残る。

授業風景G 「小宝島の港」最終授業(9.19)

フィールドワーク、TV視聴を経て、調査用紙に記入中。

 実習の感想

 

小学校・中学校の併設校は、全国的には離島の小規模校にいくつか点在しているが、それでもかなり珍しいと思われる。実習初日(9.11)のある休み時間に、小学校の校舎から小学2年生が中学生を慕って会いにやってくる様子を見て、まず驚いてしまった。ものすごく可愛らしい光景であった。

在籍する児童生徒の絶対数が少ないので、確かに教員の立場から見ると、子どもの行動や表情の変化に敏感になれる。正直言って、係わる対象=子どもの数が限られると、その分、その対象が可愛く、大切なものに思えた。実習を終えて離島してからも、感情的な部分では、どこかでまだ、実習校の児童生徒と係わっていたい自分がいた。実際に大学に戻ってからも、実習中の写真を眺めながら、どこか力の入らない日が続いた。

前年秋に当研究会を立ち上げたときから、何としても上陸を果たしたい小宝島であったので、この島で実習をさせてもらったことに、無上の喜びを感じている。面積も人口規模も最小(少)で、分校の休校と再開を経験したこの島に、どこか漠然とした「憧れ」に近い感覚を持っていた。現実はきびしく、牧歌的なイメージだけでは済まされないことは、各地の島のフィールドワークを重ねてきた者として、かつ現職教諭としてよく理解していたつもりであるが、それでも私は、何としても小宝島に行き、小宝島分校で教育実習をしたいと思っていた。今、その念願をかなえることができて、分校の児童生徒の皆さん及び先生方、島民の皆さまに、心から感謝している。

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