「もう帰れなくても、いい・・」

兵庫教育大学トカラ研究会の教育実習  台風13号接近のため実習期間延長

暴風域通過直後の小宝島接岸港(2006.9.17.日 16:30頃)  遠くに宝島を望む

 オリジナル授業「小宝島の港」

@      ねらい

(1)へき地教育および少人数教育の実態に触れたくて、関係者の寛大な配慮によって実現した非公式の教育実習であるが、せっかくの機会なので、やるからには何か独創的な実践をしたいと思っていた。できれば他所では実践できない、ご当地ならではの授業がしたいと思い、前月の事前訪問の際に当該校のご厚意で、職員研修(郷土史)に同行させて頂き、それをもとに教材化をはかった。

事前訪問@ 艀時代の中心港・湯泊にて(8.24)

実習校の職員研修「郷土史」に同行し、教材発掘。

事前訪問A 艀時代の接岸港・セドーの泊にて(8.24)

イカの群れが確認できるほど、澄んでいた。

(2)現行の学習指導要領では、小中学校の教科指導における教授すべき情報量が大幅に減り、代わって探究心を育み、自ら学ぶ意欲を持たせるための教育成果が期待されるようになり、中学校社会科においては以前にも増して「調べ学習」に重点が置かれるようになった。そこで、身近な地域を探索することにより、生徒の郷土および居住地に対する関心をいっそう深めることができるのではないかと考え、単元設定した。村上佳代・後藤春彦・山崎義人「小宝島における島暮らしの変化と都市的生活の流入に関する研究・その1(食生活の調査)&その2(生活時間・行動範囲調査)―離島の地域生態―」(『日本建築学会大会学術講演梗概集』1996年)の論文で指摘された、子どもを含めた外来島民の島内における行動範囲の限定性を踏まえて、この項目の授業を授けて頂けることに使命感と責任を感じて、この授業を発想した。なお指導教官の先生には、これとは別に事前にオリジナルな授業実践案を6案提示していたが、いずれも中学生の発達段階や、小宝島内における史料発掘の可能性を考慮するとリアリティーに乏しく、採用に至らなかった。

  (3)子どもたちにとって、日々の生活の場である当該島であるが、空間的・時間的に広く眺めてみると、実はいろいろと興味深い「宝物」が、その中に隠れているものである。つい最近(たった16年前)まで行われていた艀(はしけ)作業の当時をイメージすることは楽しい作業であり、授業時間内で5つあった接岸港をフィールドワークして(面積が決して広くない小宝島のメリットの一つ)、使う頻度が最も高かった旧港はどこか、反対に最も使うことが少なかったであろう旧港はどこか、それらは旧港のどの部分を見たらわかるのか等、観察すべきテーマを設定すると、意外にも興味深く観ることができる。実際に、自家用車や牛は艀に乗せられなかったが、ではいったいどのように定期船から旧港まで運んだのか、島の古老に聴く機会も想定しながら、子どもたちに「探検」する気分で島の歴史的遺産に触れてもらうことをねらった。これらの過程を通して、島への愛着を育み、島を空間的にも時間的にも広く観ることの大切さを習得してもらうことを目的とした。また島の古老は、昨日のことのように艀時代の故事を私に語ってくれたので、このことを子どもたちにも体験してもらいたいと考えた。

   なお授業は中学校1年生(3名)に対して行ったが、巡見は中学校2年生(3名)も同行した。計6名とも、小宝島は自身の出身地ではないので、「故郷の島」というニュアンスは含めなかった。

 

A 授業の概略

  導 入(1時間)・・・・実習生の自己紹介。艀作業及び小宝島の接岸港の多さを紹介。航空写真から接岸港探し。

  巡 見(2時間)・・・・湯泊→口の泊(城之前漁港)→セドーの泊→ツクリ泊→中西の泊

  展開1(1時間)・・・・作業用紙を基に巡見の観察成果や聴き取りの成果を発表しあい、まとめる。

            日本返還直後のトカラの船運事情を描写した、椋鳩十『悪石島の少年』(1952年)を講読。

  展開2(1時間)・・・・NHK番組『新日本紀行 黒潮列島 鹿児島県トカラの島々』(1969年4月7日)視聴。

  まとめ(1時間)・・・・これまでの学習成果を2種類の用紙に記入。艀時代の島の共同体社会をイメージして終了。

 

B 授業を実践した感想

(1)私自身、実習前に艀を映像で視聴した経験はあり、最後まで使用していた艀も島内の城之前漁港の陸の上に2艘現存している(=しょうほう丸、小宝丸)が、実際に艀作業そのものは見たことがない。しかし島の方の話を総合すると、艀による通船作業には島の人たちの様々な思いがあって、今日の定期船の接岸作業とはいくらか趣の異なる思い入れがあるように感じられた(ちなみに今日でも、分校の先生方は定期船の接岸作業を手伝っている。島の成年男子の絶対数が少ないからと思われる。私は特にお願いして定期船にタラップをかける作業等を手伝わせて頂いた)。艀時代は、今日のようにコンテナの利用ができず、荷物の運搬も小規模であったので、島外からの新たな荷には今日以上の、応分の期待感があった。風の向きによって、その時々の艀の接岸港が変わるというのは、トカラの他の島でも見られるが、小宝島は最多の 5港 を備えていた。それだけ島の幅が狭く、風の影響を受けやすいということであるが、それらを一度の授業(2時間続き)で全て見てまわれるということは、この島ならではのメリットであった。

(2)トカラ研究会のメンバーの中では、私は唯一の現職教員である。しかし教員生活10年間すべて高校の教壇に立ってきたのであり、中学生に対する授業は全く初めての経験であった。相手が少人数であることよりも、高校生とは発達段階の異なる中学生であることに、多少の不安が無いではなかったが、実際に授業をしてみると、極端な少人数ゆえ一人ひとりの表情の微妙な変化を見ることができ、さらに高校生以上に素直な反応が返ってくるので、非常に面白かった。実際、「導入」の授業については兵庫県のキャンパスで模擬授業をしており、その際にメンバーからもらったアドバイス(「高校現場で使ってきた難しい言葉は、なるべく使わないようにしてください」等の助言)は、実際、役立った。

(3)教材化をはかるために、島の古老の話を様々に聴いたが、そのこと自体が私には興味深い作業であった。島の方々と懇意になるきっかけにもなった。艀の話題を端緒として、様々に島の歴史や個人的な島に対する思い入れを聴くことができた。NHK番組は、こちらが事前に用意して島に持ち込んだものではなく、島の総代氏と懇談している中で、「そんなに興味があるなら、見てみるか?」と声をかけて頂き、急遽、授業にも採り入れたのであった。この番組の大半は小宝島を描写しており、実際に湯泊港から艀で、沖に停泊している村営定期船(当時は253トンの第2十島丸)に向かう場面があった。視聴した生徒たちは、艀の臨場感とともに、親船である村営定期船(現在のフェリーとしまは1,389トン)の小ささにも驚いていた。また牛を運搬するにあたって、艀の船べりに牛の頭部をくくりつけ、海中を泳がせていた場面があり、何とも筆舌し難いものがあった。複数の関係者から事前に話では聴いていたが、映像で視聴したことで、さらに強烈な印象を残した。

 小宝島実習の全体感想

@ 夢はかなう

前年秋に当研究会を立ち上げたときから、何としても上陸を果たしたい小宝島であったので、この島で実習をさせてもらったことに、無上の喜びを感じている。面積も人口規模も最小(少)で、分校の休校と再開を経験したこの島に、どこか漠然とした「憧れ」に近い感覚を持っていた。現実はきびしく、牧歌的なイメージだけでは済まされないことは、各地の島のフィールドワークを重ねてきた者として、かつ現職教諭としてよく理解していたつもりであるが、それでも私は、何としても小宝島に行き、小宝島分校で教育実習をしたいと思っていた。今、その念願をかなえることができて、分校の児童生徒の皆さん及び先生方、島民の皆さまに、心から感謝している。

  最後の晩(9.19)に開いて頂いたバーべキューの席で、島の古老を前に「私は初めから『小宝島ねらい』で、このサークルを立ち上げました。」とか、「実習島を決めるにあたって、正直なところ、誰にも小宝島を取られたくなかったんです!」という趣旨のことを話したが、これは私の偽らざる気持ちであった。

 

A 小規模校の児童生徒

小学校・中学校の併設校は、全国的には離島の小規模校にいくつか点在しているが、それでもかなり珍しいと思われる。実習初日(9.11)のある休み時間に、小学校の校舎から小学2年生が中学生を慕って会いにやってくる様子を見て、まず驚いてしまった。ものすごく可愛らしい光景であった。

在籍する児童生徒の絶対数が少ないので、確かに教員の立場からは、子どもの行動や表情の変化に敏感になれる。正直言って、係わる対象=子どもの数が限られると、その分、その対象が可愛く、大切なものに思えた。実習を終えて離島してからも、感情的な部分では、どこかでまだ、実習校の児童生徒と係わっていたい自分がいた。実際に大学に戻ってからも、実習中の写真を眺めながら、どこか力の入らない日が続いた。

ただ、これはとりあえずの(教育実習の)責任から離れた者の、無責任な郷愁でもある。現実の責任から離れて、かつての責任対象が美化されているに過ぎないのかもしれない。

 

B 小規模校の教職員

  島の子どもとの係わりとともに、もう一つ、関心をもって臨んだのが、「小規模校での校務と職員集団」「小さなコミュニティーでの教員生活」についてであった。小学校・中学校の併設校で仕事をする機会は、小・中の教職員でもなかなか無いのではないだろうか。やはり、小規模校の教員がするべき校務は多い。最もわかりやすいのは、複数教科の授業をしなくてはならないことである(小学校教員の場合は、複数学年の授業等)。小宝島分校では教頭先生も、中学校の複数教科(理科・数学)の授業を担当していた。また全職員が「戦力」であり、職員集団の結束の有用性が、校内および校外(地域)の両面から求められていた。なので、教員の経験年数等はあまり関係なく、若い教員でも比較的対等に仕事を任されている感があった。私自身は10年前、職員数60名前後の大規模校で教員生活をスタートさせたが、その時は周囲の先生方の「(この初任者を)育てよう」という雰囲気のもとで、じっくり仕事を覚えていったような記憶がある。しかし小宝島分校のような小規模校では、とてもそのような余裕は無く、逆にこのような学校現場で仕事を覚えていくことにより、若輩者は非常に鍛えられると感じた。私見であるが、懇談した21歳、22歳の女性教諭は、いずれも実年齢より老成して見えた。驚くべきことに、二人とも、私たちの研究会の成員(大学院2年生=24歳前後)よりも年少者なのである。

  鹿児島県において、トカラ列島(鹿児島郡十島村)への赴任を希望する教職員は少なく、正規教員の赴任期間は3年間が原則である。これは種子島・屋久島・奄美大島(南部を除く)の5年間、奄美大島南部〜与論島の4年間に比べて短い。それだけ教員にとって、生活条件が過酷であるということである。小宝島には小売店が無く、自動販売機が1台あるのみで、現金を使う機会がほとんど無い。村営定期船に乗せた週一回の生協便で生活物資を購入する日常である。また学校の前に教職員住宅が並んでおり、休日でも常に勤務場所が視界に入る生活である。島内一周道路2qでは、行く場所も限られているし、実際には唯一の集落と接岸港のほかに足を向ける場所もそうは見当たらない。結局は休日も、学校の校庭に遊びに来る子どもたちと一緒に遊ぶことが多くなるであろう。島の面積、人口規模から、「私生活が無い」現実は如何ともし難いが、このことを嘆きたくなる気持ちは、赴任当初は誰でもあったに違いない。交通の便がよくないため、島外から教職員の知人が訪ねてくる機会もほとんど無いとのことであった。

 

C 教育実習生としての私

  高校教員の私が、「教育実習生」として小中学校の現場にお世話になろうとしたことに、当初、現地校の先生方はやりにくさを感じていたに違いない。初対面の時、教頭先生からは「教育実習生という形式でよろしいのですね?」という念押しがあった程である。こちらは「雑巾がけでも何でもしますので、よろしくお願いします」という姿勢で、実習に臨んだ。私にとっては学校の教職員だけでなく島民の方々からも「何でも教えてください!」というスタンスで訊くことができたので、この方法は最良であった。

  ただ、実習期間の後半からは、「これ以上、この学校の教育活動に係わるのであれば、じっくり腰をすえてやりたい。」という思いも抱くようになった。つまり実習期間内に負うことのできる仕事上の責任がかなり限られていることを、意識するようになったのである。例えば授業実践では、高校現場で仕事をする際には、短くとも次の定期テストまでの授業計画をたてて着実に授業を組み立てていくが、実習生としての今回の授業計画は、その点、責任の負える範囲が一週間後までにとどまっていた。運動会練習にしても、運動会本番までは島に居れないために、体育の授業中に先生方の指導を「見る」ことが多かった。もし運動会本番まで学校にとどまることができたなら、おそらくソーラン節の踊りを子どもたち以上に真剣におぼえたであろうし、一輪車の放課後指導にももっと力が入ったかもしれない。授業だけでなく、校務分掌にももっと係わろうとしたのではないかと思う。民宿から学校に通うのも、決して不便なことはなかったが、やはり精神的な落ち着きを考えて、自らの生活の本拠から仕事場に通いたいと思うようになった。

当研究会の運営者としてだけでなく、成員と同列の実習生としての立場を保持することは、正直なところ私の手にあまるものであった。しかしどちらか一方だけでは、物足りなさを感じたであろう。能力的限界から、かなり無理をしたことを正直に告白するが、それでも一教員としての私自身が問われる経験は久しぶりであったので、時に追い詰められもしたが、その感覚は総じて心地よいものであった。

  わがままな実習生であったと思う。授業中の写真撮影もお許し頂いた。島の歴史を探る授業を、島外からの実習生の私に任せてくださったことも、よく考えれば指導教官の先生のご厚情であった。実習生の授業実践に関して地元新聞社の取材があった際には、新聞社とのやりとりで教頭先生には余計な仕事を増やしてしまい、申し訳ない仕儀であった(新聞社は取材に来なかったので、教頭先生が紙面掲載用写真を撮影するなど、私と新聞社の仲介の労をとってくださった)。

  このたびの実習に係わってくださった関係各位に、改めて感謝申し上げたい。 

以上
中井 健博
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