HOME TOP考える人夜な夜な地域愛忘れんぼわくわく偉い奴知恵袋 

平戸の紹介 

川内峠

平戸港

 散歩道

  emi

 

西海の都 平戸の「日本初」

大航海時代、ここが「西の都」と呼ばれるほど貿易港としてにぎわったといわれているが、海辺の散歩道をぶらぶらした第一印象は、その華やかな歴史にもかかわらず、意外に控えめな島。

オランダ人が1609年に日本に初めて商館を建てたのは、長崎市の出島ではなく、ここ平戸だった。現在は遺跡しかないが、彼らが残していったオランダ塀は、日本の伝統とは異質のもの。城壁で囲むという西欧人の発想の表れだ。

「フランシスコ・ザビエル記念聖堂」 ザビエルらカトリック宣教師が日本で初めてまとまった数の信徒を獲得したのは、鹿児島ではなく平戸なのだという。

「三浦按針(あんじん)ことウィリアム・アダムスの墓」 日本に来た初めてのイギリス人といわれ、徳川家康に仕え、西洋人として初めて領主になり、ここで亡くなった。

「冨春(ふしゅん)庵(あん)跡」 臨済宗の開祖・栄西が1191年に宋から帰国し、日本で初めて禅宗を広めたとされる。そこでは禅師が作った日本初の茶畑も復元されている。

「パン」 ポルトガル船が1550年に初入港した時にもってきた。

「たばこ」 1601年にはカトリック宣教師がを吸ってみせた。

「ビール」 1613年にはイギリス人が持ち込んだ。

「甘藷(かんしょ) 同じころイギリス人が畑でを栽培した。

「ペンキ」 オランダ人が商館の壁に塗った。

平戸は日本の西端にあって、南方から流れてくる黒潮がぶつかる島。その潮流に乗って入ってくる南方文化を古来から受け入れてきたため、西洋人が初めて来たときにも違和感なく受容することが出来たといわれている。

街を歩くと、オランダ商館建造の技術を受け継いだ石工が、見事な石造アーチ橋「幸橋(さいわいばし)」を残している。その先坂道を登り始めると、そこはお寺と教会が一つに溶け込んで見える有名な小道があり、流れ来る文化を受け入れ、蓄積してきた歴史の重みが漂ってくる。

南蛮貿易の窓口として栄えた平戸、渡来するものを迎え入れただけではなく、台湾の英雄、国姓爺(こくせんや)こと鄭成功を生んだ地でもある。生誕地は、中心街から南へ下った川内(かわち)湾にある。

オランダ人の占拠する台湾を海から攻めて解放した英傑は、波打ち寄せる砂浜で生まれた。1624年、日本女性マツは砂浜を歩いていて産気づき、岩陰で生んだというが、その岩が「児誕石(じたんせき)」と命名され、今も波に洗われている。

鄭成功を祀(まつ)る分霊廟(ぶんれいびょう)は、小高い丘の中。いかにも小さく、ひっそりしている。この廟も、また平戸の輝かしい歴史も、もっと派手に知られていいはずなのに、と感じる

平戸の「日本一」

「天然ひらめ」の水揚げ

 

 

 

 

 

 

平戸の「著名人」

隆乃若勇紀(尾崎勇記)S51.4.2

鳴戸部屋(横綱”隆の里”)、 191cm 151kg

平戸島と橋で結ばれた生月島の出身。父は元ヤクルトスワローズのキャッチャー