伊勢参宮本街道


おかげ街道 08.10.7

1回 玉造稲荷神社〜御厨入口
第2回 御厨入口〜枚岡神社
第3回 枚岡神社〜南生駒 
第4回 南生駒〜奈良・猿沢の池
第5回 奈良・猿沢の池〜天理
第6回 天理〜桜井 

7回 桜井〜初瀬(長谷寺)
第8回 初瀬(長谷寺)〜榛原
第9回 榛原〜高井
第10回 高井〜山粕
第11回 山粕〜伊勢奥津
第12回 伊勢奥津〜柿野
第13回 柿野〜相可
14回  相可〜田丸
最終回 田丸〜伊勢神宮

           第14回 相可〜田丸

 いよいよ、伊勢本街道(おかげ街道)歩きも大詰
めとなってきた。次回は最終回となり伊勢神宮へと
ゴールする。
榛原を過ぎてからは、未知への遭遇といえば、言い
すぎかも知れないが、冒険、探検気分も確かにあった。

 お伊勢参りと言えば、小学校の修学旅行は、親
の代から伊勢神宮と決まっていたと聞く。子供の
時代、孫の時代になても続いて行くのだろうか。
伊勢参りは関西だけのものでなく、日本全国から
伊勢を目指した。あらゆるルートから伊勢神宮へ
の道はあった。
 
お伊勢参り風景 相可を過ぎて、田丸をに近付くにつれ、
出会う人と交わす言葉に変化が出てきた。
「伊勢参りですか」と言葉をかけられる
様になったことである。

 街道の細い竹林の中に入って行くと、
振り分け荷物に菅傘の旅人と出会っても
おかしくないと、妄想してしまった。

 田丸駅前の銅像と街道風景の合成写真
スタート前の相鹿上神社 相鹿上神社の人たち 鹿水亭の鉤の辻

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相鹿上(おうかかみ)神社

 バスが「相可バス停」に着いたのは、正午を少し回っていた。前回のバス停は札の辻前
に あったが、それより少し南よりの相鹿上神社前がバス停となっていた。

 相鹿上神社は、前回バスに乗り損ねてJR相可駅まで行き、引き返す途中寄ったところだ
った。もう一度中に入ってから、街道歩きの出発点としようと、鳥居をくぐり中へと入って行った。
 本殿の高くなった石段を上がると、数名の人たちがかたまって話をしていた。その中の神
社の女将さんらしき女性が、遠くからこちらに軽く会釈をしてきた。会釈を返したが、そのまま
行き過ぎるのも気が引けて、近づいて行くと「お参りご苦労さんです」と女将さん。

 お参りも何も、通りすがっただけだ。曖昧に返事を返し、「伊勢街道を大阪から歩いて来た
んですよ。今日は田丸まで歩くつもりです。」と話し始めると団体ツアーと勘違いしたようだった。
 路線バスで松阪から来て一人旅であると話すと、次週に、ここから、田丸まで歩く、ハイキ
ング・ツアーが予定されているなどと、女将さんが教えてくれた。
 「この神社も相当古い歴史がありそうですね」というと、神社の栞、由緒書きがあるから持っ
て行きますかというので、もらっておく。
 「では、行ってきます」と手を振って出発した。

 札の辻から南に延びる道が街道となっていた。曲がりくねり、鉤形に辻が曲がる。今まで
歩いたいろんな街道で、城下町には必ず鉤の辻があったが、ここもその手のものだろう。
今風に言えばセキュリティーの関係上、そういう辻を作ったのである。
 狭い舗装さてた道ではあるが、車が割と頻繁に通り過ぎて行く。すれ違うには少し狭過ぎ
るのでところどころ、離合できる場所が出来ていた。

 伊勢街道歩きの本を書いた人が泊まったという「鹿水亭」割烹旅館があった。この当たり
の土蔵は黒塗り壁で、窓際を白く塗っていた。壁は板張りであるが、中までは分からない。

 浄上寺
浄上寺の山門をくぐると、金色の仏像と古びた石仏が立ち、「うわぜきさん」と言われる祠が
ある。子供の百日咳によく効くといわれる。乳母咳(おんばぜき)が語源だろうか。

 浄上寺は、1485年に盛定が天台真盛宗開祖真盛上人に弟子入りし、天台真盛宗
の寺院となった。
このため真盛上人縁の品が残されて、また中世の貴重な文書、絵画
が残されている。また相可は裕福な商家が多く、風光明媚な街道筋の宿場町として栄
えたところから、学者や文人墨客の往来が多かった


浄上寺別堂は信貴山の分霊を祀ったところで、毘沙門王の石碑が立っていた。もう少し歩を
速めて歩く。

 バス停表示で、荒蒔に入ったことを確認する。街道の花などカメラに収めつつ行くと、集落
を抜け畷の一本道、行く手にこんもりとした古墳風の山が見えてきた。近づくとJRの線路が
取り巻くように走っている。右手に踏切が見える。線路を越えて行くことになるが、右手の
踏切でいいのか判断し兼ねていた。。取りあえずは、田圃の中をショートカットして、踏切に
出てみた。踏切の先を見ると、街道とは思えなかった。線路沿いを左手に行くとまた踏切が
あり、これが街道だった。

浄土寺山門
浄土寺別堂 毘沙門堂
街道に咲く花
水分神社(みくまりの社)
 絵地図を見ると、右手に神社の鳥居のマークが付いていた。時間も1時になっていたので、
神社の境内を借りて弁当にしようと思っていた。左手からは、小学校からだろうか甲高い声
が聞こえてくる。

 鳥居があり、白い砂利が敷き詰められた小さな神社。とても模型のような神社を拝借して、
弁当を広げるのは憚られた。立札には次のように書かれていた。

 ここには水分社と山の神が祀られている。以前はここに清水が湧き出て、茶店で
休む旅人の喉をうるおした。水分神社は小さいながらも神明造り、鳥居も伊勢式で
ある。土地の人たちは「しょうずんさん」と呼んで崇めている
 
 神社の後ろは山になっていた。右手の道を登って行くとみかん畑が広がり、空地のくさ原
にコスモスの花が見えた。みかん畑でもなさそうだし、ここを昼食場所に決めた。
 この丘の上まで、小学校の生徒たちの声とJRの電車が通る音が聞こえてくる。弁当を終
えると、コスモスの前で記念写真を撮り、出発。1時半だった。


            みかん畑の原っぱにて
荒蒔の畷 行く手の山は
水分神社境内
実りの田園を行く 西池上集落に入る 西村家 金笠丸の看板

 街道は一本道、下り道を降り切ると櫛田川の橋に出た。ここを渡ると櫛田川ともお別れ
となる。田畑の風景は秋模様となり、黄色の田園が広がっていた。真っ直ぐに突き進むと
西池上(にしいけべ)の集落に入った。

金粒丸の看板

 この辺に街道歩きの本に紹介された金笠丸の看板があるはずだと、気を付けて歩くと、
お宮さんの屋根のような傘を頂いた看板が立っていた。本には「唐波風の屋根」と書かれ
ていたが、こんなものかと思う。看板の字は長い間の風雨に曝されたためか、ほとんど読
めない。解説文を書くことにする。

 明治時代の終わり頃に「金笠丸」の販売が西村家に移る。この為に「金笠丸」の
看板は「大好庵」より西300mの西村家の玄関先に移る。長さ約197p幅約60p
の大きな看板には「本家勢州神山薬師前いけへ村 御免きんり之外無類太好庵
店」と両面に浮き彫りされている。

 黒い板塀の続く街道を行くと、絵地図に「鉄工所」とあったが、「鍛冶修鉄工」とある。この
「鍛冶」はかじ屋のから来たのだろうか。鍛冶屋とは村のかじ屋など想像してしまった。

 コスモスの咲くひなびた山門に入って、寺の名前を見ようとしたが分からず、本堂に「三元
大師堂」と右書きの看板が上がっているだけで、後でわかったのだが、竜華院(天台宗)で
あった。
 五輪塔や地蔵像をみて出ると、西池上の常夜灯があった。傘の平面が円形という珍しく、
伊勢本街道では唯一とある。

 この常夜燈は、高さ2.8m傘が円形に造られ、裏側に石段が設けられている。傘の正面
に常夜灯、西面に「天保十五年辰五月日」(1844)裏に石工根来宗和とある。


 街道のコスモスや柿の風景にカメラを向けて、写真を撮るのに凝っていると時間を忘れ、
えらく道草をしてしまった。伊勢本街道は左へと別れ、石の道標は植え込みに隠れて分
かりずらい。手矢印に従って左の道を行く。

 JR参宮線の踏切の警報音が聞こえてきて、間もなく電車が通過、滅多に遭遇しない風
景だった。集落を離れ大きく右に弧を描きながら街道は続く。右手に「ダイヘン」の大きな
工場、元勤め先の得意先であったので、こんなところにも工場があったのかと少し興味を抱く。


 広い県道を斜めに横切ると、アスファルトの静かな一本道が続き、土羽茶屋の集落へと
入ってきた。
 絵地図に土羽茶屋公民館の表示があり、右手に確認して進む。街道ではほとんど人と出
会うことがないが、集落のはずれで庭先から出てきた男性に「こんにちは」と挨拶すると
「伊勢参りですか」と言われた。今までにない質問だった。もうそんな所まで来ているんだ
と改めて自覚した。「大阪から歩いて来て、今日は田丸まで行きます」というと、「田丸で
泊ってから行くわけ?」  日帰りでつないで歩いていると会話がつづいた
竜華院(天台宗)山門
西池上の常夜燈
街道に咲くコスモス
柿の木の見える街道 土塀の続く街道 街道に咲く花 野の道 往時を偲ぶ街道



伏拝坂(ふしおがみざか)

 集落が過ぎると、また人気のない野道である。林の小道に入ると、ほんとにタイムスリップした
気分になるほど、昔の街道に迷い込んでしまった。アスファルトの道が終わり、切り通しとなった
砂利道を進むと一枚の立札はこのようにあった。

 伏拝坂、石灯篭 文政十年(1817)
昔伊勢参りに旅人がここまで来て、お伊勢さんまでの距離を尋ねたところ、
「三里山道 五里畷」と聞き、これから先の難儀を思い、参宮するのをあき
らめ、東の空を伏し拝んで残念そうに帰ったという伝説の場所である


 さて、畷(なわて)とあるのは、お分かりであろうか。東海道を歩いた時も頻繁に出てきた。
縄手とも書く。集落から集落までの間の長い一本道のことである。

 集落を離れ、曲がりくねった野道を歩けば、何とも方向感覚がおかしくなりだし、不安気な
気持ちになる。田圃の中には道しるべもなく、絵地図を頼りに道を探すと、「山の神の碑」を見
つけ、迷わず歩いていることを確認できた。「茶屋」の集落に入ってきた。
門柱に珍しい瓦の置物、戎大黒さんがが置かれている。締め飾りと言いお伊勢さんに近付い
て来たのかな。地名に「茶屋」と付くぐらいだから、この辺りは、お伊勢参りの盛んだったころ
は賑わったに違いない。

 行く手に道路工事で、警備員が車を迂回するように誘導していた。通行止めを歩いて直進
するつもりだった。すると「伊勢参りですか」、「右手に入って線路際を通ってください」という。
「え〜、歩きでも!?」と不服そうにいうと。「じゃ、工事していますので気を付けて通ってくださ
い」という。ここでも伊勢参りと言われてしまった。

工事現場を越えると、鳥居の横に常夜灯があった。内宮摂社坂手国生神社と思われる。
牛尾埼池が右手にあると地図にはあるが工事現場があり、かすかに確認できた。背の低い、
光背の広い地蔵があったが、古くてとても字が読めない。文化九年とだけにとどめる。

 「玉城町中央公民館」の大きな立て看板で、田丸に来たと確認できた。田丸神社の下の
常夜灯まで来て時計を見る。3時40分、田丸駅前バス停発 3時50分、10分しかない。
田丸神社、田丸城を回るのは次回にして、とにかく早くバス停にたどり着かねばと焦る。
自分で探すより、地の人に聞くのが早いと人を探すと、犬を連れた老人を見つけた。
「田丸駅前バス停はどの辺になりますか」と訊き、云われた辻を入り左手に曲がったが見つか
らない。
伏し拝み坂
山之神 道しるべとなる
坂手国生神社の常夜灯
 もう一度人に聞こうとすると、何と先ほどの老人が犬を連れて居るでは
ないか。近づいてもう一度聞くと、右でも左でも辻を入ると駅前に出ると
いう。大丈夫かなと疑いたくもなった。もう時間がない。左の辻を入って、
小学生の大きい子に聞くと、指さす方を見るとそれらしきものが見える。
「ありがとう」と言うや小走りになった。

 駅前はロータリーになっていて、どちらの方向でも同じバス停で良いよう
だ。前回だけの轍は踏むまいと確認する。

50分になっていたが、まだバスは来る様子もなかった。余裕が出て見渡
すと、ロータリーの中に巡礼の像が立っていたので写真に収めておいた。


 伊勢市駅行きのバスが来て、乗り込むと誰も乗っていない。乗車時に
整理券を取ると一番になっている。始発駅なのか、行く先のバス停で数名
乗って来るが、がら空きである。大きな川の橋をバスは渡った。宮川と
看板が見えた。次回はこの川を渡って神宮へと行くんだと眺めた。参宮の
最後の難所だったのだろう。伊勢市駅に着いたが、帰りの電車の時間は
1時間近くあった。
十四回 おわり JR田丸駅前の巡拝の像


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