おかげ街道 08・5.26

この看板は玉造稲荷神社にあるユースホステルの毎年末行われる伊勢参宮本街道の
看板を写したものです。概略図として使わせてもらいました。
ここにもありますように伊勢本宮までの距離は170qとあります。これを5日間で歩く
というツアーですが、1日35km歩くこととなります。1日だけならまだしも、5日間はき
ついと思い、参加はあきらめていました。そこで、こま切れに歩いて挑戦することになりました。
第11回 山粕宿から伊勢奥津宿へ
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前回の山粕峠を下りてきた山粕宿で終わっていた。 榛原からバスで高石バス停に着いたのは、午前8時半。 バス停を降りると、集落は見られるが、人の気配は感じられない。 今日の行程は、敷津まで歩き、三重交通のバスで名張まで乗って 帰るコースを考えていた。次回のことを考えると、もう少し頑張って 伊勢奥津まで歩ければ最良だと考えていた。なにせ、初めて歩く コースで何に遭遇するかわからない。分からないのが旅の楽しみ と思っている。 コース地図を片手に歩き始めると最初に出会ったのは「元伊勢街道 旧宿 問屋跡」と書かれた大きな石碑である。(左写真) どこの街道を歩いても「問屋場」は出てきた。物流の中継を担っていた と思われる。 集落を離れて橋を渡れば国道に出る。国道お歩くより左手の川沿い の道を歩く方を選んだのが間違いだった。次なる目標はログハウス風 公衆トイレだったが、10分も歩くと逆方向に山道に入っていく。 朝一番のコース間違い。引き返す。 国道に出てしばらくするとログハウス風公衆トイレがあり、ここから 鞍取峠を登ることになった。 鞍取峠も難所の一つで、道中歌が伝えられていた。 お伊勢参りして こわいとこどこか 飼坂 櫃坂 鞍取峠 鶴の渡りか 宮川か |
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写真ガイド
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石ころ道の急坂を黙々と歩く、ただ要所要所に街道の標識が作られていて、安心して歩くことが出来た。
鞍取峠を降りてきた処に、白髪神社の石の鳥居あり、地図上でも目標の一つだった。
街道の上にある境内の休憩所で、年配の女性らが集まって賑やかな話し声が聞こえてきたが、滅多に
こういう光景には出会わなかった。
![]() 伊勢街道 |
![]() まつや旅館 |
![]() 春日神社参道 右・大銀杏 |
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| 街道を歩いていると、まつや旅館が見えてきた。これも目標の一つだ。私が参考にしている「林憲次・著」伊勢街道 ぶらりぶらりの著者はこの旅館で泊っていた。ネットで探したが、HPを作っている人の写真ぐらいしか見つけられなか った。また、いずれかこの道を再度歩くときは、この旅館にお世話になろうと看板の電話番号を控えた。 歩くうち、春日神社の参道に立つ石柱を見つけ、中に入ってみた。境内に銀杏の大木が立ち、カメラを向けてもなかなか 入りきらない。後ろに後ろに下がってやっと撮ることが出来た。説明文によると、この銀杏は「ラッパイチョウ」といい、普通 の葉の中に筒型の葉が混じっているとあった。 |
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| 天気は最高によく、街道に咲く草花や、軒先の花をカメラにお収めつつ街道を歩いた。次は桜峠である。国道には桜峠は載っているが、旧街道には25千分の1の地形図にもなかった。幸い、道標に沿って国道を左に入ると、農道のような道に入り、さらに進むと もう踏み分け道である。これでは地図に出るはずもないと納得する。道のわきに牛が二頭つながれて寝そべっているわきを登って行った。 |
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| 細道を登っていくと峠の道標があり、峠超えかと思う間に前方に丸いドーム状の屋根が迫ってきた。こんな田舎の中に何があるのだろうと間近に来ると子供の声がして学校らしい。校門らしきものもなく、小学校か中学校かわからず国道へと出てきた。すると国道に一角にバス停が見られた。バス停の標識には「御杖小学校前」となっていたのて、あのドームの学校がそうだったのかと思う。 農村風景には見られないコンクリート造りの建物が遠くに見られ、もしや、御杖村役場かとみると、まさにその通りだった。 時計で確認すると12時前、ここまでは午前中に到着の予定だったので予定通りに進んだことなる。 |
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御杖の村役場を過ぎて、右手にこんもりとした森が見えてきた。 これが四社神社だろうと、右手の道を進むと、ブロック塀に四社神社と書かれた大きな 札が架かっていた。鳥居もなく粗末な風体に感じられ中に入って行く。 ちょど時間も12時前、ここで昼食弁当にすることにした。広くもない境内だが、人の気配 がない。社務所らしきものもあるが、ここにも人はいないらしくひっそりとしている。 敷石に腰掛け弁当を広げる。前に見える拝殿の横の石はロープを、ぐるぐる巻きにした ように見えた。何か謂れが書いたものがないかと、食後探したが、それらしきものはなか った。手で触ると特段細工した様子もなく、自然石であった。ますます謎めいていた。 「手洗いの井戸」がこの右手にあり、倭姫尊が伊勢に向かう途中ここで手を洗い、 口を漱いで「すがすがしい野原だ」と言ったことから菅野の地名になったとされている。 ただし井戸は別のところから移したものである。(林憲次・著より) また、「ぼけ封じの石があり、石をなでて祈願すると、ぼけ封じになります、と札が立っ ていた。 四社神社をでると、御杖郵便局前のバス停の標識が立っていた。このバス停は村営 バスで、村内を走り、奈良交通バスと三重交通バスの隙間を繋いでいた。 郵便局前前には赤い円筒のポストがたち、懐かしの雰囲気を醸していた。 北へと街道は進み、鋭角に右手に橋を渡ると牛峠に向かうことになる。 地図と照合しながら進む。車とは滅多に遭わないが、今回の峠は山道でなく車道を歩く 感覚だった。 峠に到達すると、草むらの中に「牛峠」の標識が見え、ここが峠だと認識した。 峠を越えると、どんどん下り道を歩く。 |
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カーブミラーの下に伊勢本街道の標識があり、地図では右方向となっていた。何の疑いもなく右への道へと進むとやがて国道に
出るが、どうも地図の方角に合致しない。本街道の標識も見当たらず、引き返すしかなかった。
引き返す道は長く感じられて、落ち着かず、きょろきょろしているので不審者に見られるかも知れない。
バスとすれ違ったが、路線バスでなくスクールバスのようだ。交通の便悪く、通学もスクールバスを利用
するしかないのかもしれない。
カーブミラーのところまで引き返し、標識の矢印を見ると、右ではなく左ではないか。後で気付いたが、
現在地を見誤りしたみたい。自分の影を見ると前にある。ということは、昼からの陽は西から当たり、東
向きに歩いていることになる。伊勢へは東向きで正解歩を進める。
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道標に導かれ東へと進路を取った。アスファルトの道で歩くのに苦労はない。坂道を行くと石地蔵と道標のある峠は佐田峠
と呼ばれている。その地蔵は「首切り地蔵」と書かれ、説明文に「明治維新の廃仏棄釈で捨てられて損傷し、三つに折れたと
いう。」
今日の行程の最後にするかどうか決める「敷津」の入り口に来た。分かれ道に敷津バス停は右の道になっていて、しばし
迷いながらバス停に向かいかけたが、すぐにはバス停はなく、時間もまだ2時半ごろ、伊勢興津まで向かうことに決めた。
伊勢本街道の道標と並んで「姫石明神」の行き先も示されいて、神社でもあるのかと目標にして歩いた。道標に導かれて
進むと整備された自然公園の中に入ってきた。駐車場など整備されているが、駐車の車もなく人影もない。とりあえずベンチ
で一休み。
一息入れて進み始めると、舗装道路から山の細道へと入って行く。下りの坂道で岩坂峠だった。朽ちかけた木の鳥居の前
を通りかけ、これが姫石明神かと半信半疑で通過した。名の通り石ころだらけの急坂を下る途中、大日如来碑(写真右上)が
あったが、屋根が付き祠のようになっていた。
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峠道を抜けるといきなり国道に出てきて、この道を歩くが、国道をくぐって旋回して行く道が旧街道と判断して進むと、「ここより
三重県、気をつけてお帰り下さい」のアーチ状の看板(写真左上)があり、いよいよ伊勢に近付いたと感じ、また三重県でも本街道
の道標が整備されているか不安も出てきた。木の板の道標になっただけで、要所には立ち、心配するほどではなかった。
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下垣内庚申像(しもがいとこうしん像)、「太一」常夜燈が現れるとゴールのJR伊勢奥津駅まで、1q、800mと道標ともに出てきて
もう一息と頑張る。奥津宿に入ると、軒先に暖簾を掛け、旅籠の名残と思われる。
JR奥津駅前のバス停に来て、早速時刻表を見ると、3時半過ぎというのに最終便はもうなく、名張へ出る予定は挫かれた。
もう、JR伊勢奥津駅からの便に頼るしかない。無人の駅舎に入り時刻表と路線図に書かれた料金表を見ると松坂行きとなっていた。
松坂まで行かなくても、近鉄大阪線に接続した駅はないか訊こうとしたが駅員はいない。
駅舎にある事務所(会社ではなさそう)に入って尋ねると「一志駅」で連絡しているということでした。
次発は17:10分、1時間半以上の待ち時間、帰宅は21:00、長い一日でした。
第11回 伊勢本街道 紀行 ーー完ーー
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