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おかげ街道 08.6.16

| 1回 玉造稲荷神社〜御厨入口 第2回 御厨入口〜枚岡神社 第3回 枚岡神社〜南生駒 第4回 南生駒〜奈良・猿沢の池 第5回 奈良・猿沢の池〜天理 第6回 天理〜桜井 7回 桜井〜初瀬(長谷寺) |
第8回 初瀬(長谷寺)〜榛原 第9回 榛原〜高井 第10回 高井〜山粕 第11回 山粕〜伊勢奥津 第12回 伊勢奥津〜柿野 第13回 柿野〜相可 第14回 相可〜田丸 |
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| 最終回 田丸〜伊勢本宮(外宮、内宮) |
第12回 伊勢奥津〜柿野
松阪駅は近鉄とJRがラインに並び、ホームは高架歩道で繋がり、改札なしでJRホームに出ることが出来る。
JR松阪〜伊勢奥津は名松線と呼ばれているが、名松とはどこの名を取ったか分からなかったが、国鉄時代に
名張と松阪結ぶ線として計画されたのが、命名の始まりらしい。
前回終わった伊勢奥津に着いたのは、10時45分。前回のスタート時間に比べ2時間も遅い。それに今回は20q
コースだ。平地で5K/1H. 速度で平均歩くが、山あり谷ありのコースで、しかもコースを探しながら、16:00分
ゴールはきついかもしれない。
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| JR名松線の終着駅・奥津駅 | 奥津駅前を通る伊勢本街道、道標 | 玄関先の飾り物と暖簾 |
奥津駅で降りると、年配のハイカーと一緒になった。少し話を聞くと、この辺りを探しながらハイキングするらしい。一人旅
らしいので、「飼坂峠の方まで行きますか」と聞くと、そこまで行く予定はないという。旅は道連れとはいかなかった。
玄関先の床几に腰掛け、大工の職人と話しているおじさんがいた。気になっていた玄関先の飾り物について尋ねてみた。
「これは猿よけだよ」 「猿が出たんですか」と訊くと、「元はこれは餅を付けていたんだけど、猿に皆取られるから、このよう
なものを、餅の代わりに付けるようになった。」という。玄関に暖簾を掛けているのも、町の観光政策の一環としてやってい
るという。話を聞いていると、時間が気になってきた。
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| 面白い暖簾を見つけた | おいでなし〜のお出迎え | 昔、常夜燈が、今カーブミラーで道案内 |
伊勢路に入ると暖簾に飾り物、正月だけの締め飾りが年中掛っているらしい。やはり伊勢神宮に近いだけのことがあるの
かと一人納得して歩く。出鼻に地の人とおしゃべりして時間を食ってしまった。飼坂峠の難所が待ち受けているのに、少し焦
りの気持ちも出てきた。丸太の橋が二つ続きそこを抜けると、国道へと上がってきた。標識を見ると、「首切り地蔵」はもう通
り過ぎていた。いまさら引き返すわけにもいかず、国道を横切りいよいよ峠道へと入って行く。行く手に人影はない。
![]() 腰切り地蔵 |
山道の細い谷川沿いに登って行くと、「腰切り地蔵が岩陰に ひっそり立っていた。横にこの説明板にこのように書かれていた。 「腰切り地蔵」 飼坂峠には山賊が首を切ったり、腰を切ったりした逸話が、 残っており、そのような犠牲者を供養するため建立したと いわれています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ここを通り過ぎ行くうちに、突き当りとなり「伊勢本街道」の 道標が矢印で示されていた。 方向が少し違うようでもあるが、左手に踏み分け道があるよう でもあった。どんどん登って行くと両側が谷となり、今来た方向に 戻っているような気がした。道らしき道はなく、引き返すしかなか った。先ほどの標識に戻り、道を探す。右手に道があった。なぜ この道が分からなかったのか、後で見ると不思議でもある。 またまた、時間のロスをしてしまった。この調子では昼飯前に 峠越えが出来るか怪しくなってきた。 石割峠を越えるときだって、案外楽に越えられたのに自分の 体調がわるいのだろうかとも疑い始めた。 回りくねった道を何度となく登り、やっと峠の道標の立つところに ついた。峠には屋根つきの休憩所があった。もうお昼である。ここで お昼を取るとは予想していなかったが、もう座り込むしかなかった。 弁当を食べて休息していると、だんだん元気が回復してきた。 兎に角、未知の世界を歩くのだから、少々の困難は織り込み済み とはいうものの、何事もなく進むに越したこたはない。 飼坂峠 (みえ歴史街道・案内版より) この飼坂峠は、上古より大和と伊勢を結ぶ交通の要衝として 多くの人々がこの地を踏んだ。 中世には北畠氏が伊勢国司として多気に居城を構え、南伊勢 を統治していた二百数十年京への唯一の道として重要な役割を 果たしてきた。 |
![]() 難所の飼坂峠の道標も朽ちかけていた |
伊勢参りが盛んになった江戸時代には
「お伊勢参りして怖いとこ何処か 飼坂、櫃坂、津沼の渡しか宮川か」と唄に歌われ、
飼坂はこの道中でも一番の難所であったといわれている。
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| 街道筋で見つけた珍しい蔵造りの家 | 伊勢街道の雰囲気が漂っていた | すぐいせ道・・・もう近いと・・・ |
兎に角、街道を探して間違いなく歩くことが主眼となってしまい、名所旧跡を訪ねる余裕がなかった。
地図に「サカムカエ場」とあるが何のことか分からなかった。「サカムカ工場」と見間違い、何か工場跡かと見過ごすと、
帰ってから調べると「逆迎え場」とあった。 また、北畠神社も見過ごしてしまった。
「サカムカエ場(逆迎え)」の解説
多気(この当たりの地名)の伊勢講の人々が2泊3日で伊勢参宮を終えて帰るとき、講中から一人づつその当日の
午後、村境近くのこの場所まで出迎え、酒宴を張り待つのである。一行が到着したら連れだって、伊勢音頭も高らか
に歌いながら、家路につく風習が戦後まであった。
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左の写真は「六部供養碑」である。横に歴史街道・案内板がなけれ ば完全に見過ごすところだ。 六部供養碑 解説 この碑の正面中央に「奉納二千日隔夜供養」右に「元禄十三年 庚年」 (1700年)、左に辰九年祥日」。更に左面に「観音菩薩」 右側面には「両大神宮」と刻んである。 この碑を建てたのは、大和生まれの神南辺庵・大道心という 六部が二千日の間に長谷寺と伊勢神宮を一日おきに三百回も 参拝した。その誓願成就の供養碑とも言われている。 観音菩薩とは大和長谷寺を両大神宮をさしていて、この地点 が長谷寺と伊勢神宮の中間点に当たり、共に十一里半 (約46Km)であることからここに建てられたものである。 |
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<< 街道の花たち>> 街道沿いには、いろんな花が咲き、旅の心を和ませてくれた。 この花は何の花? アジサイ、あやめかかきつばた、残念ながら 多くを知らないから後でまとめてスライドショーでお見せすること にした。 国道を少し離れた所に、うぐいすの水という場所に出てきた。 残念ながら、この場所の写真を撮らなかったので、ここに載せれない。 道路より少し山手に入った岩陰から、清水は湧き出ていた。道路に 軽トラックが止まり、ポリタンクの中に湧水を積んでいるようだ。お男 たちが順番に水を汲んでいた。 「この水飲めますか。」と訊くと、 「飲める、日本の名水の内に一つになっている」という。 「飲ませてもらってもいいですか。」というと、順番待ちの中に入れて くれた。何の癖もなく冷たくて美味しかった。ひとりで伊勢本街道を歩い ているというと、一人ではさみしいだろうと気遣ってくれた。彼らは名張 から水を汲みに来ていると言った。 迷い道 水を汲む男たちと別れてすぐに、左の写真の道標のところまで来た。 「右いせ 左やま 道」と刻まれていると書いてあるとおり、右手の広 い道を取ったが、しばらく進むうち、だんだん違う道を進んでいる気に なり始めてきた。次の道標もなく不安は大きくなり始めると進めなくな った。 こうなれば引き返すしかない。この道標のところまで戻ると矢印 の方向を見ると少し右向きだ。 戻ってきた以上、左の道も確認してみようと上り坂をどんどん進む。 次の道標が出てくるのを期待して、もうあるか、もうあるかと進んだ が、あきらめざるを得なくなった。 ふと気付くと、ストックを持っていないのに気づく。 戻り道、地図を調 べたときに置いたかもと、気をつけながら戻ったがみつからなかった。 水くみ場まで戻ったがやっぱりない。 |
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とんだ時間ロスだ。ストックどころではなくなった。もう一度道標のところまで来ると、右手の草むらに「伊勢本街道」の標識
を見つけた。気を取り直し進むと、最初に取った道に出てきた。最初の道を迷わず行けばとよかったのにと思いつつも、街道
を示す道標が出てこない。道を聞く人を見つけるのが大変だ。単車に乗ったおばちゃんが、家の前で降りた。これを捕まえ、
「伊勢本街道はこの道でよかったですか」と訊くと、左の分かれ道が本街道で、先に行きとまたこの道に出てくると教えてく
れた。
櫃坂峠
| またまた道草を食ってしまった。行きつ戻りつ迷い道は30分もロスをしただろう か。道が分かればどんどん歩くだけ、この辺りは廃村となたことで、廃屋となっ た家があちこちと見られ少しさみしいく感じられる。 「櫃坂は崖の道朴の花 一歩」 木の句碑が立っていた。 松阪市に入る標識が見えると、伊勢にも近づいた来た感じがわく。 町の最高峰 局ヶ岳 2028.8m 2Km先 登山口 の案内板の横に次の 様な史跡が語られていた。 史跡 峠 昭和50年廃村となった峠地区です。ここを通る道(国道368号線)は大和 と伊勢を結ぶ大切な道で、峠の歴史はこの道によって綴られて来ました。 特に伊勢神宮の神霊が初めて伊勢入りされた由緒(伊勢本街道)に始ま り、中世には伊勢国司道の一拠点となり、近世には西国から来る参宮道 者の宿場として、茶屋や宿屋が軒を並べ、今に屋号を伝えて往時を語っ ています。 伊勢本街道 櫃坂の案内板に沿って入ると、急坂の林道となる。峠道とはいえ ここからは下りの坂道が続いた。遅れを取り戻したい気もあり、急ぎ足になって いた。大きな倒木が行く手を遮ると、乗り越えるべきか、潜り抜ける方が良い か、迷ったりしながら進む。 柿川沿いを歩くと、アジサイが土手に沿って咲、陽もだいぶ傾いて来ていた。 時計で確認すると、4時のバスに乗るのは無理かも知れないと感じた。 材木店を右に入ると古いツアーガイドにあるが、10年以上も前のもの、信用出 来るか不安なところもあった。それらしきものが並んでいたが、最後に本街道 の案内板が右手に入っているのを確認して進むと、ゴールは間近。 ゴール柿野神社 柿野神社前に来ると、4時半近くになっていた。とりあえずはバス停と、次発 時間を確認しておこうとバス停を探す。国道に出て左手、伊勢方向にバス停は あった。4時10分の次は5時10分の発。 40分ほどの時間待ち。そこで、 柿野 神社に戻り時間待ちをすることにした。 ツアーガイドから柿野神社 明治の市町村制で上・下二柿(にがき)と横野・深野の四ヶか村が柿野村 となり、四ヶ村の神社を集めた横野の八雲神社を明治40年(1907)に柿 野神社と改称、柿野神社の例祭祇園祭は有名で高い石垣の上に立派な 拝殿と神明造の社殿がある。 境内にある3メートル大の灯篭は追分の三又路から移されたもので、正 面に「大神宮、基壇に「横野村」と刻み右側に「天下太平 是ヨリ宮川江七 里半」、左側には「五穀成就」「天保元年庚寅十二月吉辰」と1830年の 造立銘がある。 伊勢本街道歩きも、後三回で最終回となる。毎月一度のペースになっていた が七月、八月は猛暑が予想されパスするかもしれません。 一人旅の気安さ、思い立った時が出発日です。 伊勢本街道に咲く花のスライドショーを以って終わりとします。 スライドショー |
![]() 松阪市に入る道路標識 |
![]() これより櫃坂の難所に入る |
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![]() 倒木が道を遮る |
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![]() ゴールの柿野神社 |
