![]() |

![]()
おかげ街道(最終回) 08.11.4
| 1回 玉造稲荷神社〜御厨入口 第2回 御厨入口〜枚岡神社 第3回 枚岡神社〜南生駒 第4回 南生駒〜奈良・猿沢の池 第5回 奈良・猿沢の池〜天理 第6回 天理〜桜井 7回 桜井〜初瀬(長谷寺) |
第8回 初瀬(長谷寺)〜榛原 第9回 榛原〜高井 第10回 高井〜山粕 第11回 山粕〜伊勢奥津 第12回 伊勢奥津〜柿野 第13回 柿野〜相可第 14回 相可〜田丸 |
||
| 最終回 田丸〜伊勢神宮 |
![]()
最終回 田丸〜内宮(皇大神宮)
![]() |
11月に入り、いよいよ秋の気配が濃くなり、朝夕には冷え込みが始まり 出発点は田丸、JR田丸駅に着いたのは10時少し前。駅前はロータリー となってタクシーが数台客待ちをしていた。 ロータリーの中の花壇にある熊野街道、出立の像が出迎えてくれた。 説明文には「このモニュメントは熊野街道を辿る旅人の姿を再現したもので、 材質は陶器でここ田丸は良質の粘土が生産され・・・」とあった。 前回、回れなかった「田丸神社」と「田丸城址」を少し後戻りして始める ことにした。駅前まで迷いながらたどり着いたのではっきりと戻る道は分 からなかったが、西の方角へと進むと、玉城町のモニュメントとして蒸気 機関車の展示がなされていた。 お伊勢参りの国鉄参宮線を走っていたSLと同型のもので、北海道で 活躍した末に、はるばる当地まで運ばれてきたものとあった。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
| 田丸神社鳥居前 | 田丸神社境内 | 柿の見える街道 |
田丸神社 田丸神社に行く道すがら、町立玉城中学校が丘の上にあり、この辺りが 田丸城址らしい。まずは田丸神社からと鳥居をくぐると人気もなくひっそり としていた。石段を上がって行くと、神社の人と思われる人に「おはようご ざいます」と声を掛けられた。 挨拶を交わして上まで上がる。誰もいない境内に「臥牛・願かけ撫で牛」 が寝そべり、角の下がピカピカになっていた。ここをなでると願いが成就す るという信仰があるらしい。 神社の由来 「南から熊野街道(紀州街道)、北から長谷道(伊勢本街道)合流す る交通の要所だあった田丸、この地を押さえるため、北畠親房も田丸 城に拠った。明治41年、村中の氏神を合祀し、この城跡に田丸神社を 祭った。」 田丸城址 田丸神社を出ると方向を間違えたらしく後戻りをした。鳥居前を直進して SL展示前まで戻り、田丸城址の碑の立つところへと出た。 城の石垣を上って行くと、古ぼけた門がぽつんと建っている。横にある説 明文で、富士見門(長屋門)と分かった。築城600数十年歴史があり、明 治維新で廃城となり、場内の建物はすべて入札によって取り払われたが、 またこの地に戻って保存されている。 |
![]() |
| 田丸城址石垣道を行く | |
![]() |
|
| 富士見門(長屋門) |
![]() |
![]() |
![]() |
| 田丸城・天守閣の石垣 | 天守閣より東に玉城中学校を望み | 西に田園と集落が続く |
![]() |
「長屋門」で少し恥ずかしい思い出がある。旧東海道歩いていたころ、 長屋門を映画やドラマに出てくる。庶民の長屋、八さん、くまさんが出て くる長屋にも門があった。それしか連想でず、解説をしてくれていたガイ ドに頓珍漢な質問をしてしまったのである。 本丸の入り口に「虎口(こくち)」と呼ばれるものがあり、道を折り曲げ、 敵の侵入を防ぐための重要な施設であった。 本丸へ出ると広場となり、その上の石垣が天守閣であった。石段を登り 天守閣の台まで来ると、四方が見渡せた。東に中学校西に田畑や集落 その先に山並が続いていた。しばし、かの時代を忍んで休憩を取った。 はせ街道 熊野街道 合流点 道標 街道を探して行くと、前回田丸駅に出る道に迷った辻に来た。そこに大勢 なシニアの団体がひと固まりとなって、歴史の説明を聞いていた。ちょっと 興味が出て「どちらまで行かれるのですか」と一人のおばさんに尋ねると、 返事に詰まった様子、他の人が「田丸城址、田丸神社へ行きます。」と答 えてくれた。あまり遠くから来た様子もなく、なんとなく付いて歩いている 人もいるんだなと思う。 ここに新しい石の道標があるが、この地にあった昔の道標は玉城中学校 に保存されているとあった。 |
| はせ街道 熊野街道合流点 標識 | |
![]() |
|
| 伊勢街道の常夜灯 |
立札の解説 「大和からのはせ(初瀬)街道、熊野街道、熊野からの熊野街道がこの
地で合流し、伊勢本街道として伊勢神宮へと続いていた。交通の要衡と
言われ、伊勢参宮と西国三十三ヶ所の観音巡礼のため、田丸の町は大
変賑わった。」
![]() |
![]() |
![]() |
| 汁谷橋を過ぎ伊勢へと続く | ススキの伊勢本街道 | 名残のコスモス |
「外城田(とぎた)橋をわたるとしばらく一本道が続いた。JR参宮線の踏切を渡り 汁谷橋を渡ると一面の田畑が広がった。 気温も上がり、歩くのには絶好のコンディションだった。ススキの枯れ穂が街道 になびき、コスモスの花が最後に様に頑張っていた。もうすぐ宮川に出てくるもの と期待しながら進み、「いずみ菓子」の看板ある辻を右に入ると白い洋館建ての 建物があり、「尾崎咢堂記念館」の長い縦看板が上がっていた。記念館は「本日 休館」の札が入口に掛けられ、中には入れなかった。 尾崎咢堂の名前は聞いたことがあるような気がするが、よく知らなかった。 庭を歩いてみて咢堂の銅像を見、「施設のあらまし」に「憲政の神様と称され る世界的な政治家、尾崎咢堂(行雄)を顕彰する『尾崎咢堂記念館』」とあり、 東京市長時代にアメリカに桜を送り、その返礼に当時のアメリカ大統領タフト 氏より、ハナミズキをいただいたことを記念し、この庭に桜とハナミズキが植え られたと書かれていた。 すぐ横手が宮川となり「渡会橋」が長く続き、車の往来も多かった。昼食は 宮川の河川敷ですることにした。 この宮川は伊勢参りの最後の難所であり渡しがあった。この街道の渡 しは付近に柳の木が多かったので「柳の渡し」と呼ばれ、下流の参宮 街道の方は「桜の渡し」と呼ばれていた。渡しは通常は有料であるが、 ここ宮川では無料であった。 参考にしていた林憲次氏の「伊勢街道ぶらりぶらい」にはこの様にうあっ たが、これを確認するものは見当たらず通過する。 もうこれからは伊勢市街地を行くことになり、かえって街道を見つけるのが 難しくなったような気がした。 全体を見る地図を持たず、ただただ、絵地図にあるチェックポイントを探しながら 進む。10年以上のものだから、どう変わっていようと不思議でない。これがそも そも間違いだった。絵地図では距離感が全然つかめず、ポイントとなる店名や 銀行の看板を見て確認するのだが、それが見つからないと方向が間違っている のではと不安になる。「NTTの建物」が目標だったが建物の上に大きなパラボラ・ アンテナが見え、近づくにつれその建物がNTTだと分かるとやっと安心した。 |
![]() |
| 尾崎学咢堂記念館 | |
![]() |
|
| 尾崎咢堂・胸像 | |
![]() |
|
| 瀟洒な洋風建物・ホワイト・ハウス |
![]() |
![]() |
![]() |
| 宮川にかかる渡会橋 | 渡会橋から下流を望む | 渡会橋を越え伊勢市街地に入る |
![]() |
外宮(豊受大神宮) NTTを過ぎ大通りは左に曲がり、脇道が左へと続いていた。先でまた合流 しているようなので、脇道へ進んだ。すると右へ「外宮――>」の矢印の看 板に出くわした。右に進むと大きな鳥居を入り、木立に囲まれた砂利道を 歩いて本殿へと進む。参拝者も多くはないが見かけられた。衛視がいつも 立ち、本殿の鳥居をくぐると撮影禁止の看板があった。宮内庁の管轄となっ ているのだろう。鳥居の外から本殿を撮影して、中に入った。 拝殿の前で初めて手を合わせ、無事伊勢まで到達できたことを感謝した。 内宮(皇大神宮)への道 外宮を出て元の道へ出ると、バスターミナルが絵地図にありこれも確認で き、次に「保育園」を左に入ることになっていた。絵地図では「バスターミナル」 から「保育園」までの距離をつかめない。遠くに保育園らしきもの見えて来て 行くと小学校であった。もう少し進んで左手に進んでいくうちに道を間違えた と気付いた。このとき「間違いに気づけば元に戻る」の鉄則を破ったのである。 せっかくここまで来たのだから、きっと正しい道が見つかるはずと進むうち迷路 へ迷い込む。とにかく大通りに出て探すと、近鉄宇治山田駅が左手に見えた。 絵地図を見ると左手に「宇治山田駅」があった。近鉄線のガードをくぐって行くと 橋があり「小田橋」と絵地図ではなっていた。橋の名前を確認すると「小田橋」では ない。大通りには灯篭が続き、内宮へと導いているように思えた。もうこうなった ら人に道を聞くしかないと、橋を渡っている人を捕まえて、「すみません、この道は 内宮へ行く道でしょうか」と尋ねると「そう、この道をまー直ぐ行くと内宮に行くよ」 と言われた。真っ直ぐのまの字が伸びたの気付かなかった。目的の街道は歩け なくても、今日は何が何でも内宮へ到着したかった。 灯篭の続く道が何キロも続くとは想像もしなかった。ひたすら「内宮よ早く来い」 と念じながら歩いた。結局5〜6qは歩く羽目になった。後で調べると伊勢街道の 自動車道を歩いていた。 自動車道は大きく弧を描いて右に回っていた。先を見ると右手に近鉄「五十鈴川 駅」が見えた。絵地図で見ると「五十鈴川駅」は、ずーと左手になることになってい た。弧を描いた分遠回りしているのだ。 |
| 外宮へ入る鳥居 | |
![]() |
|
| 外宮拝殿前 | |
![]() |
|
| 拝殿の屋根は朽ちかけていた |
そんな事とは気付くこともなく上り坂をなおも進むと、皇大神宮別宮への標識 が右に入る標が出ていた。もしかこの先に内宮があるのではと考え始めると、も う入って行って確かめるしかなかった。人気のないうっそうとした砂利道を下って 行くと神宮の人か、女性が箒で落ち葉をかき集めているのが見えた。近づいて 行って尋ねてみた。 「こちらの方に行くと内宮へ行けますか」、 「ええ、行けますよ。この先を右に入ると社務所がありますから、それを右手に行 くと大通りに出ます。大きな鳥居が見えますから、まっ直ぐ行くとありますよ。」 何のことはない、今入ってきた道に出るだけではないか、俺は狐に化かされて いるのでは、この女は狐か。その時はそう思ったわけではないが、 「じゃあ、今来た道を引き返した方がいいのでは」というと、 「まっ直ぐ行った方が早いですよ」と言われ、進む気にもなれず、云われたことを 無視して引き返すのも気が引けていた。 「外宮から内宮へ向かうんですが、どうも迷ってしまったようです」、と言いつつ、 云われた通りの道を進むと社務所があり右手に進んでいくと、先ほど歩いた大 通りへ出てきた。神宮という規模を普通のお宮さんという規模にしか想像出来 なかったのである。伊勢市全体が神宮になっているのではと思えてきた。 先ほど別宮の入り口で客待ちのタクシーが停まっていた。運転手は車外に出 てぶらぶらしている。客でもないのに声をかけるのも気が引けたが、「内宮へは この道でいいですか」と訊くと、「まっ直ぐ行けばええ」とそっけない。 いろいろ聞くと「歩いて行くの?」と来た。やっぱり、客が欲しかったのだろう。 乗るわけにもいかず。「そんなに距離、ありますか」というと何とも言えない感じ だった。 分かっている道であればなんてことない距離が、とてつもなく歩いた気になっ ていた。もう1時間以上歩いている。5q以上は歩いているだろう。もう3時近くな っている。もう一度、確認のため通りかかりの人に聞いて、やっと内宮前に着い た。帰りのバス停があり、時刻表を見ると、3:30と4:05があった。すぐ帰るの であれば、3:30に間に合うが、本殿にもいかず帰るわけにもいかないので、 4:05のバスと決めた。 |
![]() |
|---|---|
| 内宮入口の鳥居 | |
![]() |
|
| 本殿へ向かう道 | |
![]() |
|
| 内宮本殿前 |
![]() |
団体の大型バスが並び、年中全国からの参拝客で 賑わっているのだろう。広い木の太鼓橋を渡り鳥居を くぐる。金ぴかの感じはなく、しっとりと落ち着いた感じ が迫ってきた。 これも「伊勢本街道ぶらりぶらり」から――― 本宮(外宮、内宮)は20年に一度の遷宮が行われて いる。100余りある摂末社等は20年に一度造り変え か修理が行われ、半数が造り変えで残りの半数が修 理である。新しい社殿は磨かれたように光っている が、丸型の特製の鉋で削ったものであるという。20 年も風雪に耐えてきた社殿は無惨なほどの姿となる。 そう言えば、外宮の本殿の屋根は今にも崩れそう な感じだった。外宮入口には表札が掲げられて次の ように書かれていた。 神宮式年遷宮ご奉賛のお願い 次の遷宮は来る平成25年に行われる予定で、 現在そのご準備が進められています。 参拝客はあるが、あまりにも広い参道にはひし めく感じはなかった。時々団体のひと固まりがガイ ドの説明を聞く光景が見られた。本殿に着くまで 10〜15分ぐらいかかっただろうか。 本殿は石段を上がって上にあった。下の広場に 三脚絵を立て、記念のゴールの写真を撮った。 本殿に上がり最後のお参り。「おかげ参り、 おかげ様でここまでゴール」、ほんとにほんとに ご苦労さん」と自分に表彰した。 平成20年11月4日 ――― 完 ――― |
| 皇大神宮(内宮)本殿前にゴール | |
![]() |
|
| 参宮前通りの賑わい |
![]()
――― あとがき―――
奈良公園の猿沢の池からは一人旅となりました。おかげ街道と言われた伊勢本街道を、手探り状態で歩きました。
参考にした本は、「伊勢参宮本街道」、玉造稲荷神社の記念出版のようでした。それと、林憲次氏の「伊勢本街道
ぶらりぶらり」の二冊でした。いずれも大阪市立図書館で借りた本です。この本二冊は年中、私と図書館を行ったり
来たりしていたことでした。前半は「伊勢参宮本街道」で奈良までのことが詳しく書かれていました。
後半は「伊勢本街道ぶっりぶらり」でした。林氏は登山家のようですが、歴史にも詳しく参考になりました。でも途中
山に登り、キャンプされたのには驚きました。榛原から先は山間部歩き、帰りの交通を調べるのに苦労しました。
日に何本もないバスを当てにしないといけないことは、ほんとに心細いものがありました。夏場は野宿も仕方ないぐらい
の気持ちでした。今はでは何軒かの宿屋も分かりましたが。
このホームページは11回から始めましたが、榛原から始まる私にとって難所コースからでした。難所の峠を何度と
なく超え、この度伊勢に到達したのですが、最後にコースを外れ、間の山や伊勢参宮客で賑わったという古市、猿田彦
神社等々回れず心残りではありますが、伊勢参りの最終章に「朝熊山登り」も含まれるとありましたので、この時また
挑戦できるかもしれません。
ホームページをお読み下さった皆々様 有難うございました。
2008.11.6 トッキー(松山時雄)
![]()