![]() |
![]() |
![]() |
別府・阿蘇・長崎の旅 紀行 ‘03.4.30
|
目を覚ますと外は風雨で荒れ模様だった。 天気は回復に向かうとの予報だったので問題はないとは思った。 それにしても天気は気になったが仕方がない。新大阪発の新幹線7時30分集合になっていた。旅支度は昨夜済ませていたが,朝飯は新幹線車内でするつもりだったので女房、にぎり飯をこしらえた。地下鉄 |
――― 初日 ―――
|
女房も私も今回の旅先は学生の修学旅行以来と言うことだった。私にとっては実に50年振りと言うことになる。昭和26年(1951年)と言えば日本もまだ貧しい時代であった。小学6年生別府行きだった。 これも昔、博多駅から夜行列車に乗り大阪駅に行ったことを思えば隔世の感である。今の時代を誰が想像出来ただろうか。 |
|
当時北九州は5市あった。 当時北九州は5市あった。 |
|
バスは旧門司三井倶楽部前の駐車場に止まった。この建物の中のレストランでの昼食はオプションだった。メニューはバナナ入りのハヤシライスだったが、私たちはこのオプションには申し込まず、街並みを歩き昼食場所を探した。クラシックなジャズか街並みに流れ雰囲気を盛り上げていた。街角の小さなお土産とレストランをもった店に入った。ふぐ料理が名物だから私はふぐのから揚げ定食を注文し、女房はふぐ雑炊を頼んだ。時間に余裕があったのでゆっくりと窓の外の街並みを見ながら食事をとった。 |
![]() |
![]() |
![]() |
| ビールとソフトクリーム | レトロな門司駅 | メルヘンチックな建物 |
![]() |
少しみやげ物を買ってそこを出た。カメラ用リックと三脚を担ぎデジカメも持っていた。 幸いにも天気は回復に向かい、少し暑いぐらいだった。港街並みを撮影しながら歩く、地 ビールの売り声に誘われて近づくと店の前にテーブルを置いて若い兄ちゃんが売っている。 プラスチックで中ジョッキーぐらいのを1つ買った。「お客さん、1番目だよ!」と言う。 今売り始めたのか、売れてなかったのか…と女房と笑いながら歩き、通りに並べられたテー ブルに座った。アイスクリームをもう一つ買い、二人で飲み、食った。 面白い撮影スポットいくつか見つけることが出来た。港に停泊した客船の前にたたずむ、 外人女性と中折れ帽かぶった男性が写真撮影用に立てられていた。その女性?の肩に手を かけ写真を1枚、いろいろと数枚撮った。JR ある。時間もせまりバスに戻った。 |
|
| 映画のワンシーンに入ったよう |
![]() |
バスは青の洞門へと向かう。バスの中でガイドがよく聞く青の洞門の話をする。洞門の手前でバスは止まり、ツアー客は一緒に洞門へと入る。和尚がのみと槌で洞門を掘っている石像が、明り取りに切った洞窟の窓の光に浮かぶ。ここは小休憩で別府へと向う。 今夜の宿泊先 |
|
| 青の洞門の禅海和尚の像の前で |
――― 二日目 ―――
別府地獄めぐり
|
今朝は6時に起床、今日のオプショナルツアーは不参加。7時からの朝食を済ませると午後2時までフリータイム、私は別府に来たのだから温泉三昧と行きたかった。でもこのホテルではその風情もないし、女房は地獄めぐりに行きたがっていたので、そちらへ行くことに決めた。 私たちの記憶では一度入ったら全部回れたはずと思っていた。各地獄ごとに木戸銭を取られるとは、まさしく「地獄のさたも金次第?」か、ちょっと違うか。女房も以前来たときは、一度に回れたのに“いつから変わったの?”と訊くが、答えは |
![]() |
![]() |
![]() |
| 血の池地獄へと来る | 皐月の屋並みは見事だった | 外国人、おばちゃんと |
| 出口近くに足湯につかる場所があった。女房早速靴と靴下をとって 添え付けの“血の池地獄”と書かれた番傘を持って、赤い湯の中へ足を入れていた。竹のベンチには他の観光客に混じって外国人の女性も3人ほど並んで足を湯の中に入れて座っていた。私がカメラを向けると女房が外人女性たちも一緒にどうぞと言うとカメラに収まることを了解した。どこから来たかは訊かなかったがロシア人ぽかった。そのうちの一人は日本語を話せた。観光客のカップルからカメラのシャッターを押して欲しいと頼まれたり、お返しに二人の写真を撮ってもらったりした。 |
| そこを出るとすぐ近くに“龍巻地獄”がある。こんなに近いなら一緒にすればと思うがそうはいかない。とにかく近くに迫る山の色とりどりの景色がすばらしい。山全体の写真を撮ろうと思うも、イメージした写真になりにくい。三脚を立て数カット、シャッターを切り、“龍巻地獄”に入る。 大体の観光地の入り口は土産物売り場になっていて、そこを通らなければ入場できないシステムになっている。入場した すぐ近くに井戸のようなものがあり、そこから三十分おきに温泉が吹き上がり、龍巻のようになるところから“龍巻地獄と”言われているらしい。その近くには噴き上がる温泉を観る段々になった観覧席が設けられていた。観光客は少なくゆっくり観ることが出来てよかった。 まだ温泉の噴き上がりまで時間があったので、女房にデジカメで噴きあがったら写真を撮るように言って、私はカメラと 三脚を担いでサツキが咲く山手へ上がっていった。 |
![]() かまど地獄二丁目の前 |
![]() 地獄のかまどを手で受ける 右は竜巻地獄 |
![]() |
| 三脚を立て花の写真を撮っていると女房の私を呼ぶ声がした。何事かと下りてくると、デジカメのメディアの容量がいっぱいで“空き容量がありません”とカメラに表示されると言う。見てみると確かにそうなっている。フイルム切れの状態、電池の充電器は持ってきたがメディアの予備はない。しまった!出かける前に以前に撮った写真はCDに落としておくべき だったと悔やまれるが後の祭。用心していてもポカがでる。女房にさんざんいやみを言われる。 |
|
私の一眼レフカメラのフイルムは充分持ってきたから大丈夫と思う。そこを出ると次の地獄までは遠くて、 天気はいいし、海岸で弁当を食べることにした。少し風があったが、別府航路の客船が入ってくるコースに |
湯布院へバスは行く
|
オプションツアーのバスが戻ってきて、そのバスに乗り込む。バスは湯布院の駐車場に着き下り立った。道路を挟んで向かいの建物が湯布院に入るゲートになっていて、階段を下りていくと映画のオープンセットのような街並みに出た。一瞬にして別世界に掘り込まれたような気分になる。 湯布院を散策できるような絵地図をもらっていた。観光用に作られたみやげ物を売る店が並び特異な雰囲気を出している通りを歩いた。大きな犬の風船を膨らませた看板のペットショップの前で写真を撮ったりしながら、木製品を売る店に入った。大きな製品は高価でJUST LOOKING見てるだけ。女房は木製の箸置きを土産に買っていた。 絵地図を見ながら金鱗湖を探しながら歩く。絵地図では距離感が分からず少し迷いながら目的地に着いた。小さな湖と言うよりも、池と言ったほうが正解か〜?『探してまで来るような所でも』と少しがっかりの様子だった。私は写真になるようなロケーションを探しながら湖のほとりを歩き、写真を撮った。 そこからは帰りのコースで散策。人工的に作られた池に鯉が群れをつくっているテラス風の店の中に入って地ビールを買い、テーブルにつく。同じツアー客と出会うこともあったが混み合っていることもなくゆっくりと時間を過ごすことが出来た。板で出来た通路沿いにある池に鯉が群れ、人が覗けばえさを求めて鯉が群れをなして集まってきた。戻る時間に合わせ、映画のオープンセットみたいと最初に思った場所まで戻ってきた。民芸村の出発点だった。民芸店のたたずまいをカメラに収めバスに戻る。 |
![]() 金鱗湖、湖は青く澄んでいた |
![]() 地ビールを楽しむ |
![]() |
宝泉寺温泉宿泊
|
二日目の宿泊地、宝泉寺温泉へと向かった。秘境の温泉地とうたっていたが、たがわず山の奥深く入って行く。ツアー客は二手に分かれ別々のホテルとなった。私たちは少し上の方にある和風のホテルとなり、二人の部屋としてはゆったりとしていた。 早めにホテルには入れたしのんびり温泉を楽しめると喜んで、温泉へと飛び込んだ。時間帯で男女入れ替えとなっている。岩風呂の中に洞窟があり、両側に洞穴があったのでこれはひとつの穴から入れば別の穴から出られると思って入った。人は少なく数人が入っている程度。誰もいない裸電球がぶら下がっているような薄暗い洞窟の中に湯に浸かりながら進む。探検をしている気分になったが、そこまでで終わりだった。その先はなく行き止まり。別の洞穴とはつながっていなかったのだ。探検はそこで終わった。ついでに別の穴にも入ってみたがすぐ行き止まりとなっていた。次は露天風呂に行くが狭くて、数人入っている中に割り込まないといけない状態。しかも露天風呂の一番よい自然とのふれあいがないのには失望した。 勝手な高望をしながら風呂から出て部屋に戻った。夕食はツアー客が集まり宴会場の部屋で会食。女房など別府で食べた料理よりずっとましだと言う。私がこれは何をつけて食べるのかと女房にきくと「味噌をつけて」と言う。味噌がどこか分からない。 |
――― 三日目 ―――
阿蘇ファームランド
|
朝も温泉に入る。男女入れ替えで、昨日の女湯が男湯になっていた。洞窟はなく、外の露天風呂たるや誰 今日のコースは阿蘇高原を経て熊本から長崎へと取る。天気は良好。バスはすいすい快調に走った。バス |
![]() |
![]() |
![]() |
|
バスは九重連山を望む美しい瀬の本高原を走り、阿蘇の火口が見える草千里ヶ浜に着いた。ここで火口を もらったパンフには『阿蘇ファームランドは「人、自然、元気」を考える、大自然テーマパークです』 |
水前寺公園
| 次に着いた所は 昔と言っていいだろう。社員旅行で来たが、その時の印象ははっきりしたものは残っていない。今回の入園 でもらったパンフには肥後細川藩初代忠利公が鷹狩の際、この地を御茶屋として作ったのが始まりとある。 日本の名庭園と言われるものは大体、藩主とか皇室、富豪らが作ったものが、一般に公開されている。日 本に限ったことではないかも。そんなことはともかくこの庭園は東海道を模して作られていると言う。真中 の築山は富士山をイメージしていて裾野には白砂と松が配置されていた。園内のガイドは最初だけで、庭内 を各自見て回っていた。私たちも池の鯉の見える風景写真など撮りながら回った。兼六公園などと比べると ずいぶんとこじんまりしていた。ここをもう一つ有名にしたのが演歌歌手『水前寺清子』、この地名を取っ て芸名にしたと言い、この園内にある神社で結婚式を上げたとガイドしていた。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]()
長崎の夜 
|
これから先は長崎へと向かうコース、バスは島原港からフェリーに乗せられ乗客は全員船室に入った。 島原港に着いてバスは私たちを長崎カステラセンターへと連れて行く。おそらくここは旅行業者と契約 |
![]() |
![]() |
|
| 島原港から長崎への船旅 | 長崎の夜百万ドルの夜景 |
| そんな思い出のある長崎、町をぶらつきたかった。女房はオプションの「百萬ドルの長崎夜景見学と船上 ディナー」を望んだ。山の上にある「ホテル矢太楼」からの町に出る道も不案内だったので女房の方に決め た。バスは一旦オプショナルツアーに参加しない人をホテルまで送り、ツアー参加者を長崎湾に停泊されて いる客船まで連れてきた。この船はここに繋留されホテルとして利用されている。エレベーターで三階まで 上がったところが食堂で、めいめいが個々のテーブルに案内され席についた。ウエイターが飲み物の注文を 訊きに来る。 ワイン、ビール、ウイスキー、ETC. ワインといきたいがあまり飲み慣れないので生ビールを注文した。 料理が運ばれて来る。フランス料理かな、大きな皿に少しの量を真中に置いた料理。船長が出てきてこの船 について説明し始める。「どうぞ料理を召し上がりながらお聞きください」お礼の言葉の後にこう続けた。 この船は青森と函館を結ぶ青函連絡船として活躍していたが、青函トンネルが出来、退役してこの港に来て 今はホテルとして活躍していること、船内の案内や船の性能も話したがそれは良く覚えていない。 「どうぞごゆっくりお楽しみください」と船長は退席。とばりの降りた港を眺めながら運ばれてくる料理 にビールを傾けながら取る。会話とムードを楽しむ時間となった。食事が終わるころはすっかり日も暮れ、 港の明かりが映え始めていた。船のデッキに上がり夜景を楽しもうと私たち二人が最初に席を立った。港 に停泊している船は殆どライトアップされきれいな夜景を演出していた。夜景の写真を撮っていると同じ ツアーの人たちもデッキに上がって来て、私が使っているカメラを見て感心している。仕方ない、見てい る夫婦のカメラで夜景を背景に写真を撮ってあげると喜んでいた。 |
百万弗の夜景 
|
長崎湾が一望に見渡せる百万ドルの夜景、稲佐山山頂の展望台下までバスで移動した。そこから展望台まで |
スライドショー
――― 最終日(四日目) ―――
|
昨夜は遅くにホテルに戻ったので部屋の様子をみてみよう。ホテルは長崎湾が一望される山の上にあり、 今日は |
|
帰ってきてから気付いたのが、昔来たのはグラバー邸、今のグラバー園は、その昔、外国人の居留地だっ |
| 長崎平和公園へとバスで移動。初夏のきつい太陽の光が照り付けていた。原子爆弾投下された爆心地に平和 記念像が立っている。私が中学生の修学旅行で来たときはまだ何にも出来てなく、ただ木製の標識が一本立ち、 ここに来れば長崎の鐘、長井博士のことがガイドされる。私達はこの歌をよく聞き、よく歌ったものだ。『こ よなく晴れた青空を悲しいと思うせつなさよ…』ほんとにせつない気分にさせられた歌だった。絶対使っては いけない原爆が『核廃絶の願い』もむなしく世界中に広がろうとしている。原爆は落ちなくても原発事故の放 射能で被爆したり、核実験で被爆した人は世界中大勢いる。『広島、長崎の願いが世界中に届きます様に』と 願いつつ。 |
柳川めぐり
|
続いて『園田真珠』と言う所に連れて行かれたが殆ど買い物をしている人を見かけなっかた。そこで休憩だけ 柳川へと向かった。ついた所は『御花』と呼ばれていた。旧藩主 立花邸 柳川の人々は立花家のことを『御花』 |
![]() |
![]() |
![]() |
|
一艘には十数人が乗ることが出来た。私達の船にも同じツアー客と一緒に乗船し、船頭の長い竿に操られ岸を 『愛きょ あいきょ』と自分を慰めていた。岸の上から写真屋さんが船の観光客を撮っている。それに答えて手 |
|
この旅の観光はこれで最後となる。西鉄観光バスのガイド嬢は博多出身で福岡ドームの近くに家があると言 バスの中ではガイド嬢博多弁の会話を披露、「とっとうと?」「とっとうと!」鶏の鳴き声ではない。私に バスで一路小倉駅へと向かうのであるが、途中休憩で博多観光物産店に止まる。ここで最後の買い物をして 今回の旅は今まで行った旅行とは一味違う気がした。きっと回想のひとときを持てたことにあると思う。 |
別府・阿蘇・長崎の旅
いつか来た道 おわり
このぺーじのTopに戻る